PandoraPartyProject

SS詳細

風の追憶と一筋の光

登場人物一覧

ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)
変わる切欠
ジョシュア・セス・セルウィンの関係者
→ イラスト
ジョシュア・セス・セルウィンの関係者
→ イラスト


『辛いなら、今は何も話さなくていいわ。だけど……次に会った時は、沢山お話しましょう?』
 キーラ・ナハト・フルス。彼女と再会したあの日から、ジョシュアは何度も夢の中で痛みの記憶を繰り返す。
 濁流のように押し寄せる黒い魔物達。精霊種の悲鳴。身を切る様な冷たい吹雪――

(嗚呼…やっぱり、僕は…特異運命座標になっても、何も変われなかったんですね)

 キーラはきっと、昔のようにジョシュアの全てを壊すだろう。周りに疑心の種を撒き、孤独という水を与え、闇が根を張るまで追い詰める。
 そうしてゆっくり、ジョシュアの心を蝕んで『お人形さん』に変えていくのだ。恐ろしい事にジョシュアは"それ"から逃れる術を知らない。

 この先にあるのは、絶望的な結末だけ。

(いっそこのまま、誰にも知られずに、眠り続ける術を探した方が――)

『逃げてください、ジョシュア!!』

 はっ、と弾かれたようにジョシュアはベッドから身を起こした。月硝の集落と共に命を終えようと、絶望に身を浸したあの日――たったひとり、最後の最後で、生きて欲しいと願ってくれた人がいたじゃないか!
 恐ろしい記憶に蓋をして、彼とのあの日の記憶さえも頭からは抜け落ちかけていた。幸いな事に、今の自分は銀の森の領地を買い上げ、領主の地位についている。
 集落の跡地近辺の資料を得ている今ならば、所在を探す術はあるはずだ。まだ日も登らない早朝に、ジョシュアは資料をかき集める。そうして見つけたのは、一人の精霊種の名前だった。

 クロンデール。その名を呟いた瞬間、言いようもない違和感を感じる。それが何なのかは、会ってみれば分かるかもしれない。
 闇に引きずり込まれてしまいそうな暗い心に一筋の光がさす。朝日が昇りはじめる中、ジョシュアは会いに行く決心を固めてカーテンを開けたのだった。


 寒さに負けず、深雪の中で淡いブルーチオノドクサが揺れている。
 ジョシュアが大切に育てている花畑の近辺に、彼の元へ通じる道があった。アルバフロッケを植えた小道を渡り、小川をこえて大きなモミの木を西に。まるで月硝の集落跡地かこのおもいでから逃れる様な位置にその家はあった。
 深呼吸して数度のノック。やがて様子を伺うようにそろそろと扉が開いて、ぴょいんと揺れる毛束がはみ出した。

「クロンデール様、アホ毛はみ出てますよ」
「ひぇっ、本当ですか?! あぁ~、またやっちゃった…俺隠れるの苦手なんです」

 あわあわと慌てるクロンデールに、ジョシュアは思わず口元に手を当てクスリと笑った。つられてクロンデールも頬を緩まし、招き入れようと扉を大きく開ける。

「貴方が来たという事は…いや。まずは中へどうぞ」

 パチパチと爆ぜる暖炉の火に両手をかざせば、じんわりと温かさが染みてくる。ほっと息をついたジョシュアに差し出されたのは、マシュマロの浮いた蜂蜜入りホットココア。
 心地よい沈黙の後に、口を開いたのはクロンデールの方からだった。

「集落の事を聞きに来たんですか?」
「ッ……! どうしてそれを…」

 目を丸くするジョシュアに、クロンデールは小さく微笑んでみせる。

「集落の跡地に、花束が供えてあったんです。あれは確か、5月の頃でしょうか」
「クロンデール様も、集落を訪れていらしたんですね」
「俺にとってあの集落は、痛みの記憶だけではなくて。大切な思い出もあるので」

 控え目に笑うクロンデールを見て、ジョシュアは一瞬、心が揺らいだ。繊細そうな彼に過去を聞いていいのだろうか。
 カップを持って俯くジョシュアの手に、そっと掌が重なった。

「僕はずっと、貴方に謝りたかった。精霊種達に虐められている貴方を、助ける勇気がなくて。辛そうな姿を見て見ぬフリをし続けた」
「クロンデール様……」
「ジョシュアさんがここに来た理由は分かっているつもりです。村の全てを今、語りましょう。
 地獄のような悪意に集落が襲われたあの日、何があったのか。そして――」

 なぜ、キーラが村の人々を殺めたのか。

●ジョシュアの記憶
 ジョシュアは幼い頃から長きにわたり、精霊種達の集落で迫害を受けていた。
 毒の因子を持っているなんて、触れるのも危険極まりない!
 嫌悪の感情を抱く村人たちは、ジョシュアが近づくだけで彼を罵り、石を投げて遠ざけた。そしてジョシュアが無抵抗だと気付くや否や、虐めはエスカレートしていったのだ。

「村の西に住んでるクロンデールが、風邪をひいて苦しそうだ。お前の毒のせいだろう?」
「いえ、そんな事は……」
「俺達に口答えするのか? 汚らわしい毒の分際で!」

 村人が激昂した瞬間、ジョシュアは反射的に頭を抱えてその場を逃げ出していた。次の瞬間、雨あられと彼がいた場所に石が降ってくる。
 幸いな事に今日は雪が深く積もっている。村人達も、わざわざ手をかじかませてまで石を沢山投げて来る事はないだろう。森に駆け込んだ後に追撃がないと気付いたジョシュアは、ほっと胸を撫でおろした。
 当たりどころが悪ければ、いつか自分は死ぬかもしれない。けれどジョシュアは、集落以外の世界を知らない。

(それより、クロンデール様…お風邪だって。心配ですね)

 性格の歪んだ精霊種ばかりの集落で、闇ある所に光がさすように、ジョシュアはいっとう素直に育った。
 この瞬間も自分の事より風邪を引いた精霊種の身を案じ、自分に出来る事がないかと。そうして真っ先に思い浮かんだのは、冷たい微笑みの彼女で――

「申し訳ございません、キーラ様。『月酔いの宴』が近いのに、ご迷惑をおかけして……」
「いいのよ、可哀想なジョセ。村の人達が"毒の精霊種"の貴方を恐れる気持ちも、嫌悪されて苦しむ貴方の気持ちも、私には理解できるもの」

 震えを抑えようと必死に拳を握りしめ、ジョシュアは村の長であるキーラの元を訪れた。彼女はジョシュアをジョセと呼び、村の中で唯一ジョシュアへ優しく接してくれる相手だ。もはや困った時に相談が出来る相手など、彼女以外にいなかった。

「そして、病に苦しむクロンデールの気持ちもね。報告してくれてありがとう、後は私がなんとかしておくわ」
「いえ、でも! キーラ様には祭りの準備がありますし、代わりに僕が」
「――ジョセ」

 さえぎって呼ぶ声に、ジョシュアはゾクリと背筋が泡立った。キーラはいつも通り笑顔のまま。なのに恐怖がぬぐえない。

「貴方ごときに何が出来るの? 毒の精霊種の貴方が」
「……ぁ…ごめん、なさ…」
「そう、いい子ね。貴方はそうやって無力で惨めなままでいいの。何も出来ない癖に、何か出来るなんて思わない事ね」
「……ぅ…」

 キーラは決してジョシュアに石を投げない。けれど時折、何か機嫌が悪い時はこうして言葉で抉るのだ。それでも他の精霊種より扱いがマシなものだから、ジョシュアはもう何が「優しさ」で何が「悪意」なのか分からないほど心に傷を負っていた。
 気づけば頬を熱い雫が伝い、後から後から溢れはじめる。それが何なのかジョシュアは分からず、ただただキーラに向かって謝り続けた。

「ごめんなさい…ごめんなさい……」
「つまらない。あーあ、もう壊れちゃったのね。もっと遊べると思っていたのに」

 膝をついてその場に崩れ落ちたジョシュアの横を、まるで何もなかったと言わんばかりに過ぎ去り、キーラは自宅を離れていった。

 轟音。
 悲鳴。
 集落に黒い魔物が跋扈ばっこし、その場一帯が地獄と化したのは、それから数時間後の事だった。

●クロンデールの記憶
 小さく難度も咳をして、クロンデールはベッドの上で寝返りをうった。ふと窓の外を見ると、集落の精霊種がキーラと対峙しているのが見える。
 雪が積もる地面には、キーラの持ち物らしきバスケット。散らばっているのがどれも薬草だと気付いたクロンデールは、それが己への見舞いの品だとすぐに気づいた。だから余計に、何が起こっているのか気になってしまう。窓を微かに開けると身を切る様な冷たさが頬を叩いた。耐える様に目を瞑り、風の流れを操って、声がこちらに届くように組み替える。ルシカ・クロンデールは風の因子を持つ精霊種。この程度は朝飯前だ。

「どういう事? リューンが死んだのは事故だって、貴方たち言ってたじゃない」

 キーラの声は震えていた。信じられないモノと目の前にして、声を絞り出しているような――
 彼女の問いかけに、集落の住人達は楽しそうに言葉を返した。それはクロンデールにとって、耳を疑う様な言葉だった。

「嘘は言ってないよ。まあ、あーし達が意図的に起こした事故だけどね」
「俺達はアンタに集落のリーダーをやって欲しかったんだ。正論まみれのリュネールより、キーラの方が俺達に融通きかせてくれるだろ」

 ちがう、とクロンデールの唇から言葉が零れた。リューネルとキーラは自分をよく助けてくれたが、本心から優しさで接するリューネルと違い、キーラはどこか打算で動いているように見えた。ただ一心に、愛する人を喜ばせる為だけに。

「嗚呼、そうだよね。貴方達はいつもそう。後先考えない身勝手な愚か者」
「はぁ?! 何よその言い方、あーし達はキーラの為に――」
「やめたわ。もう要らない」

 ドッ、と重圧が集落の精霊種達を襲った。肩を押さえつける様な、身の毛のよだつ悪寒。誰かが「逃げろ」と口にしようとして、横合いから現れた黒い塊に喉笛を食いちぎられた。

「――ぇ、」

 隣にいた仲間の死を理解する前に、他の住人も黒い獣の獰猛な爪に身を裂かれ、鮮血の花を咲かせる。
(これ以上は…!)
「きっ、キーラさん!」
 膝が震える。喉が干上がる。集落は既に阿鼻叫喚の渦にのまれていた。それでもクロンデールはキーラの前に立ち塞がった。

「何かしら、弱虫クロンデール」
「もう止めてください!」

 本能が告げる。ここで逃げたら、一生俺はキーラから逃げ続ける事になる。

(それだけは嫌だ。打算だったとしても、キーラさんは俺の友達だ!)

おまけSS『闇の追憶と悪意の種』


「領主の坊ちゃんか、おかえり」
「あのー、マイルズ様。その『坊ちゃん』という呼び方はそろそろ……」

 僕も成長してるんですけどね、とジョシュアは困ったように笑う。
 領地に戻ってすぐにジョシュアを出迎えたのは、畑仕事をしている領民のマイルズ・フロストという男だった。
 体躯がよく、歳が近いのにジョシュアを「坊ちゃん」と呼んでからかう癖があるが、月硝の集落の集落であった虐めとは違う、温かみのある冗談だ。

「ふははっ。領主様って言うと『かしこまらなくていいです』って言ったり、我儘だなジョシュアは。…冗談はさておき、何かいい事でもあったかい?」

 だって嬉しそうな顔してるもんよ、とマイルズに言われ、ジョシュアは目をぱちくりさせる。
 クロンデールと互いに昔の事を話した後、二人は悲しみを分かち合って、キーラが再び現れた時に悪事をするなら力を合わせようと指切りを交わした。

『ジョシュアさんは特異運命座標になってたんですね。すごい、本当にすごい…! 俺は昔みたいな力もないし、出来る事は少ないかもしれない。
 けれど、諦めません。俺だって役に立ちたい。……こう見えて、一度決めた事はやり通さないと気がすまないんです』

 少し照れた様に笑う、クロンデールのはにかみ顔が忘れられない。だからだろうか、朝方はあんなに気が落ち込んでいたのに、今では何とかなるかもしれないと、気持ちが上を向いてきた。
 ジョシュアがマイルズに返事をしようとすると、その前に「あぁ」とマイルズは顎に手を当て、何か思い当たったようだった。

「そういやさっき、ジョシュアに会いたいって奴が遠路はるばる来てたもんな。幻想の警護団だっけ?」

 警護団。そういわれてジョシュアは真っ先にゼノンの事を思い出した。風邪っぴきになった後、完調の知らせが届いてから暫く経つが、何か用だろうか。

「マイルズ様。その警護団の方がどちらに向かったか覚えてますか?」
「おぅ。ジョシュアを探してるっつってたから、お前さんの家を教えといたよ。でも数時間前の話だから、今頃は帰っ――おい、ジョシュア?!」

 ざわざわと、虫の知らせめいたものがジョシュアを駆り立てた。帰路を急げば大人一人の足跡だ。辿るとそこには――
 全身に切り傷を負い、血を引きずって玄関の扉に座り込んでいる金髪の男の姿があった。幻想の田舎町には、社会の爪はじき者の盗賊が改心して作った警護団がある。男は警護団のリーダーだった。

「カリメロ様! 大丈夫ですか!?」
「ジョシュ、ア……何だ、いるじゃん…」

 久しぶり、と力なく笑うカリメロの唇は死者の様に真っ青だ。家が汚れる事も顧みず、ジョシュアは急いでカリメロを暖炉の傍につれていく。

「すぐに温かくなりますからね。早く傷の手当を――」
「こんなん唾付けときゃ治るよ。怪我するなりに、急所は全て外せるぐらいに上手く逃げたからさ」
「でも……」

 心配そうに緑の双眸が顔を覗けば、カリメロはポンポンとジョシュアの頭を軽く撫でた。

「それより、苦労してここまで来たのは理由があるんだ。そっちの方が大事でさ。……ジョシュア、お前さ。前に警護団を流行り病から救う為に、薬草を採りに出かけただろ?」
「……? はい。特効薬を探しに、ゼノン様とニナ様と一緒に薬草を探しましたが」
「そん時からさぁ、ゼノンの様子が変だったんだよ」

 最初の頃、ゼノンが毎晩うなされていたのは風邪によるものだとカリメロは慢心していた。しかし風邪が治った後も、ゼノンは毎夜苦しみ続ける。
 いつも寡黙で必要な事しか喋らない彼を、仲間達は『平常だ』と言うが、カリメロから見てどうにもおかしい。
 ぼーっと鉄帝の方を向いて立ち尽くす頻度が増え、カリメロの調子にのったコミュニケーションにもいまいち反応が薄い。普段なら怒るところを、興味がないと言った風にあっさり終わらせてしまう。極めつけは、失踪事件だ。

「最近、外が寒いから、ニナを警護団のツボに住まわせてやってるんだけど、ゼノンがそのツボ持って、ふらっと町を出て行っちまったんだ」
「まさか、それで向かった所って……」
「鉄帝国の西南。殺風景な場所でさ。何かの廃墟? だと思ったんだが…そしたらゼノンの周りに黒っぽい獣が集まってきて。俺は気づかれてこのザマよ」
「――ッ!!?」

 胸が痛い。心臓を鷲掴みにされた様な悪寒がジョシュアに走る。
 なんで。だって、どうして。ゼノンは何も関係がないのに――いや。

(また、だ…また僕じゃなくて、僕の周りからキーラ様はめちゃくちゃにするつもりだ!!)


「やっぱり駄目ね。ジョセじゃないとすぐに壊れちゃう」

 キーラは深々と溜息をついた。お屋敷に招いたゼノンは、虚ろな目で客間の席に座っている。

「ジョセなら闇に蝕まれても、可愛い悲鳴を上げてくれたのに。私のお人形さんは、やっぱりあの子だけ」

 パン、とキーラが手を叩いた瞬間、ゼノンの瞳に光が戻った。前のめりになった身体を焦りながら引き戻し、見知らぬ館の内装に視線を巡らす。

「?! 何だここは。……アンタは…」
「こんにちは。お仲間は元気になった?」
「……ああ。アンタのおかげでな」
「その割に、私の事を警戒しているのね。悲しいわ」

 自分が置かれている状況に分からない事が多くとも、ゼノンはキーラの挙動ひとつひとつを見逃すまいと気を張っていた。
 小賢しい、とキーラは嗤う。警戒するゼノンの瞳は、いつぞやに抗った精霊種とよく似ている。

(そうよ。それがいいわ。あの時みたいに"奪って"あげましょう)


「もう止めてください!」

 ルシカ・クロンデールーーそれが彼の名前だった。臆病で、何かあればリューンと私にすぐに頼って、臆病風に吹かれてばかりの"風の因子"を持つ精霊種。
 リューンはいつも言ってたね。「あの子は自分の力の使い方が分からないだけで、本当は凄い子なんだ」って。
 そんな風にすぐ他の精霊種の事を信じちゃうから、面倒ごとを起こす精霊種ばかり集落に拾ってきちゃうのに。
 そんなだから、私みたいにろくでもない、深い暗い闇の因子を持つ精霊種に愛されてしまったのに。

…………そんなだから、集落の奴らの『風邪をひいて薬草が欲しい』なんて嘘に騙されて、雪崩で殺されちゃったのに。

「止める? クロンデール。どういう立場で物を言ってるか分かってるの? 私はただ、リューンを殺した人に相応の報いを与えただけだよ」
「確かに集落の皆がやった事はひどい事です。俺も知らずに、リューンさんは事故で亡くなったと思っていました。
 彼を好きだったキーラさんに、何を言っても許して貰えるとは思ってません。それでも、誰かの命が失われるのを、黙って見ている訳にはいきません!」

 クロンデールが歌を口ずさむと、その手に翠のルシカが輝く。やがてそれは形を成し、一振りの光剣となった。

「キーラさん、こんな事……リュネールさんは望んでません!!」
「貴方に何が分かるっていうの? リューンの事、なんにも知らないくせにッ!!」

 ぶわっ、と辺りに仄暗い気配が灯った。キーラの悲痛な叫びに応える様に、何処からともなく現れたるは大小様々、黒い肉体にらんらんと光る赤い目を持つ邪悪な獣達。飛び掛かるそれらをクロンデールは斬り払い、彼女の想いを受け止めるように一匹ずつ消し去っていく。
 しかし、戦うほどに周囲の闇は深まるばかり。キリがない、とクロンデールが新たな一匹を薙ぎ払い、肩で息をした。

 その時だ。森の奥から泣きながら現れたのは、渋い緑の双眸の――

「逃げてください、ジョシュア!!」

 クロンデールの叫びに、びくっとジョシュアは肩を跳ね上げた。気づけば眼前まで迫る黒い獣。獅子型のソレが鋭い爪の前足を振り上げた瞬間、クロンデールは風の様に雪の上を奔り、攻撃を受け止めた。

「ぅぐっ!!」
「……クロンデール、様…どうして……。どうして僕なんかを……」
「怖いですよね。悲しいですよね。俺もそうです。でも、今逃げ出したら俺はきっと、この先ずっとキーラさんから逃げる事になる」

 それは嫌だ、とクロンデールはぎこちなくも笑ってみせた。ジョシュアを安心させようと、青ざめた顔のまま懸命に。

「俺はキーラともだちを止めたい。弱虫でも、臆病でも……どうありたいかはきっと、俺自身が決められるから」
「――」

 ハリボテの様な見かけ倒しの脆さでも、今だけでいい。守りたい人ジョシュアを励ます輝きを見せる事ができたなら――
 そのクロンデールの優しさは、魂が抜けた様に虚ろだったジョシュアの心を動かした。

「ぁ、うぅ……!」

 とめどなく涙が溢れて頬を伝う。それでもジョシュアは二人に背を向け、寒さの厳しい冬の森へと逃げ出した。
――生きる意思を、持ってくれた。

「あんなのもう壊れてるのに、無駄な事をするのね」
「無駄ではありませんよ。俺だってずっと、リューネルさんとキーラさんに辛い事から逃がして貰っていましたから」
「だったら邪魔しないでよ」
「できない相談です。俺はキーラさんに――が、はッ!?」

 ぞる、と足元から影が鋭く伸びあがり、クロンデールの身体を貫いた。
 あまりの痛みに何が起こったか分からぬまま、彼は雪の大地に倒れ伏す。どくどくと赤い血が広がり、白を赤に染めていく――

・クロンデール。臆病な癖に大層な名前よね」

 倒れ伏すクロンデールの手元に明滅する光剣を見て、キーラは冷めた微笑みを見せた。掌を前につき出すと、闇が蠢き、クロンデール身体にまとわりつく。

「なに…を……」
「もらってあげる。貴方にルシカは似合わない。役不足だと思うもの」

 そうして与えられるのは地獄の苦しみ。心を蝕み、光の力をこそぎ取り、痛みで意識を遠ざける。
 その日、ルシカ・クロンデールは名と力からルシカを奪われた。


「チッ、万事休すか…!」

 身体に纏わりつく黒い闇に、ゼノンは息苦しそうに呻いた。身動きが取れない彼の前で、キーラは歌うように語る。

「何を奪ったらいいかしら。あの子の思い出? 猟銃の腕前?
 壊れても遊んであげるから。だって貴方は……私のお人形さんジョセに手を出したんだもの」

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