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預言者と山賊
登場人物一覧
神の国――そのテュリム大神殿を歩む男はぴたりと足を止めた。
遂行者らしからぬ旅装束に身を包んでいる男は榛の色をした髪を結わえ、怜悧な眸を眼鏡の奥で敢て柔和に細めている。
如何にも作り物めいた笑みだとグドルフ・ボイデルは感じていた。それと共に、眼前の男が侮ってはならぬ存在だという事も直ぐに察することが出来る。
グドルフは気取られる行動は行なっていない。寧ろ、身を潜め男の様子を観察していたのだ。
「やあ」
穏やかな声音は低く、耳障りが良い。振り向いた男は何時もの如く胡散臭く柔和な微笑みを貼り付けている。
「山賊君かな」
その声音と、何処か芝居がかった仕草は男を舞台俳優のように仕立て上げた。年頃の娘などは男の眸に魅入られたように心躍らせる事もあるだろう。
グドルフは年頃の娘でなければ、眼前の男に仲間意識を感じているわけではない。眼前の男はのっぴきならぬ存在であるのは確かだ。
「……よォ、預言者サマ」
「神の国には慣れたかい?」
「ああよ。けどな、俺とテメェは『全く交流』がねえ。俺はてめえの
剣にでも盾にでもなってやろうってのに、どうも信頼されてねえってのは寂しいじゃねえかよ」
大仰な仕草で悲しみをアピールしたグドルフを見詰めてから預言者――ツロは「ふむ」と呟いた。一々、気障ったらしい仕草だとグドルフは感じている。
武装を行なうわけでもない丸腰。神の国の内部であろうとも何時自らが襲われても致し方がないような現状であっても彼は不自由もない様子で歩いているのだ。
(……丸腰で、良くもまあ歩き回れるこったな)
グドルフは「どうだい、折角だ。俺と茶会ってのをするのは?」と問い掛けた。ツロはじいとグドルフを見ていたが納得した様子で頷く。
「構わない。それじゃ、アフタヌーンティーにしよう」
男が指先で音を鳴らせば周辺の景色が変容した。木のテーブルは温かみが感じられる。椅子には柔らかなクッションが乗せられ座り心地は良さそうだ。
森の中のカフェを思わせる穏やかな空間にグドルフは「趣味か?」と驚いた様子で顔を上げる。
「馴染みが良い場所だ。天義の中で随分と過ごしたからね……ある湖の側にある森で質素な暮らしを続けて居た。その家を体現したが不服かな?」
「いや、意外だと思っただけだ。預言者サマなら、もっと豪華絢爛な茶会を好むかと思っていたが――」
「薔薇庭園はカロルの趣味だ。それに人間らしさとは生活に出るだろう。分かり易い事が一番」
いまいち引っかかりのある言葉だとグドルフは眉を吊り上げた。個性を感じて親しみを持って欲しいと言う事か、それとも分かり易く人間性を捉えて貰う為に敢ての行いなのか。
いずれにしてもこの対話の中で彼を知る事が出来る可能性はあるか。椅子へと腰掛けてからツロが指をもう一度鳴らす。ティーセットが現れ、給仕としてよく知った顔の女が姿を見せた。遂行者の一人、預言者ツロに使えるアリアと名乗った娘か。
「アリア、有り難う。紅茶を淹れたら下がっていると良い」
にこりと微笑んだアリアをしげしげと見詰めていたグドルフは、彼女が自身を視認した際に悍ましい程の冷ややかな眸をした事を見逃しては居ない。
おっかない女だ、と言い掛けたが直ぐに姿を消した彼女を見送ってからグドルフはツロを見た。
「茶会か。そうだなあ……それじゃどうだい。昔話でもしねえか。互いに何で遂行者となるに至ったか――とかな」
「君のことは興味があるな、山賊君」
ツロはアリアの入れたミルクティーを味わってから微笑んだ。優男が絵になる様子で茶を飲んでいるだけなら良いが、どうにも信用ならない。
グドルフのティーカップに毒でも塗られて居るのではないかと疑って仕舞うほどに彼の笑顔には何かの含みがあったのだ。
「俺は――かつて聖職者だった。清廉に生きれば救われると信じていた。だが妹を攫われ、師を殺された。
……ま、こんな世界じゃどこでも聞く、ありふれた悲劇ってやつさ。何度も祈ったんだ。『神よ、どうかお救いください!』とな。
だが神は人を救わない。そして天罰も与えないと知った。無力で哀れなガキが神を恨むにゃ、十分な理由だろ?」
「ああ。そうだね。天義ならばよくある話だ。もしも君が復讐を行って居たならば、天義は君を断罪しただろうね」
ツロは痛ましい物を見るように眉を寄せて見せた。その表情が演技だというならば大した物だとグドルフは思う。
「無力感に苛まれたとて大丈夫だ。この空間では
「そうかい。だがよ……言っただろ? 無力なガキだって。なら目的ってのは一つだ。
だからてめえから遂行者の誘いを受けた時――久々に滾ったぜ。クソみてえな世界をブチ壊す、最後のチャンスが回って来たとな!」
ツロは「遂行者の中で最も分かり易い理由だ、けれど」と言ってからグドルフを爺と見据えた。
「……嘘を吐いたのは悪かった。あれは『山賊グドルフ』としての理由だった。『無力で哀れなガキ』は、もうとっくに死んでるからよ」
山賊グドルフは堂々と言い放った言葉がある。それは男が遂行者としてイレギュラーズと相対した際に苦しむことなく彼等が己を倒せるようにと容易した理由だ。
演じるべきはエゴイストである己だ。自分勝手に気儘に世界をも壊す算段を立てることの出来る男。その為ならば何人をも傷付けようとも苦しむまいと振る舞わねばならない。
俺が欲しいのはカネ、酒、オンナ――
そして、この世界にグドルフ・ボイデルという男の名を未来永劫刻みつけてやる事。
この場でグドルフは敢て『弱いところをツロに晒した』かのようにに見せかけたのだ。これで男の手の内を識る事が出来たならば構わない。
「……この話をしたのはてめえが初めてだ。ちったあ信用してくれたかい? さて、次はてめえの番だぜ、預言者サマよ」
「遂行者になった理由か。ドラマティックなものはないのだけれど、……そうだな、どちらかと言えば。
遂行者であったこの身が世界を知るために商人を演じていたと言い換えた方が良いのかも知れないな」
グドルフはまじまじとツロを見た。男は最初から遂行者として『産み出された』存在という事だろうか。魔種ではないのか――いや、しかし、彼から感じる気配は。
(……神の国に入るまではうっすらとしか感じてなかった。魔種ならば遂行者になった切欠がある筈なのに……?)
彼だけが遂行者の中で一線を画している理由は何か。グドルフはごくりと唾を飲み込んでから問い掛けた。
「なあ、預言者サマよ。アドレが話してるのを聞いたんだがよ、……
「無論、出来るさ」
「……それがあれば俺は神の国では万能で無敵になれるって事か?」
「ああ、そうだよ。
永遠の命を約束しよう。本当に、君が我々の手を取って――彼等を倒すというのならば」
ツロは微笑んでから「詳細を教えよう、グドルフ・ボイデル」。立ち上がった男の眸に仄暗い色が宿った。
グドルフは「ああ、聞こうか」と応じながら立ち上がる。
此処から先は後戻りできない。だが――それでも叶わないのだ。
(……リゴール)
お前達の生きる世界を護る為に、己に出来る事が漸く分かったのだから。