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月だけが知っている。或いは、ある夜の秘めごと…。
登場人物一覧
●トール、デートに誘う
「デートしませんか?」
「急にどうしてっ!?」
トール=アシェンプテル (p3p010816)からの突然の誘いに、セレナ・夜月 (p3p010688)はびっくりしていた。それはもうびっくりし過ぎて、反射的にトールの頬をつねったほどだ。
「いひゃいでふ」
「あ……ごめんなさい」
夢かと思って。
弁解の言葉は尻すぼみに消えていく。夢かと思ってつねるべきは自分の頬であるはずだが、悲しいかなびっくりし過ぎたセレナはそんなことにさえ思考が及ばなかったのである。
「でも、突然すぎて……つい」
「ですよね。私も性急に過ぎたと思います。実はですね……AURORAエネルギーを貯めるために、協力をお願いできないかと考えまして」
AURORAエネルギー。
トール=アシェンプテルが最終フォームへと至るために必要なエネルギーの名前である。
AURORAエネルギーを溜めるためには、トールが羞恥心を抱いたり、恋愛に関連した感情でドキドキする必要があるのだと言う。そのためトールは“自分の都合で”という負い目を感じながらも、仲の良いセレナをデートへ誘ったというわけだ。
なお、最終フォームはドレス姿である。
ドレスを纏えば強くなるのだ。
なぜならドレスは、女の子の戦装束であるからだ。
「そう言う事情で……それなら仕方ないわね。協力してあげるわ」
トールの話を聞き終えたセレナは、トールの誘いを受けることにした。
その頬は、ほんのりとバラ色に染まっている。
●トール、王子様になる
時としてノリと勢いこそが、物語を大きく動かすことがある。
人とは思慮深くあるべきというが、本来は感情的な生き物なのだ。感情こそが、人を人たらしめる最大の要因であるのだ。
「すいません。誘ったのは私なのに、移動を任せてしまって」
「いいのよ。こっちの方が早いし」
デートの誘いを受けたセレナは、恥ずかしさを誤魔化すみたいに急いで箒に跳び乗った。善は急げ、というわけでも無いが、どうにももどかしい沈黙と、もじもじしているトールの様子に、セレナもなんとなく居心地が悪くなってきたのである。
熱い頬も、箒に乗って夜風に当たれば少しは冷えることだろう。
とはいえ、夜空の旅もそう長くはない。
「あの辺りがいいかしら」
顔の火照りも少しだけ冷めて来たころ、セレナは眼下に泉を見つけた。
静かで、暗い森の奥。
人の住む町からはそれなりに離れた静かな泉だ。泉には、白い月が写り込んでいる。
「……この辺りなら、誰もいないだろうし」
「もうすっかり真夜中ですからね。本当は、レストランでもと思ったんですけど」
「夕食は……もう食べちゃってるから」
何しろトールの誘いが突然だったので。
もっと早くに言ってくれれば、きちんとデートのプランを考えることも出来たのだが、そんな余裕は毛頭なかった。
返って、それが良かったのかもしれないが。
ひゅるる、と箒が高度を下げる。
月明かりを背に、セレナとトールは泉の畔に降り立った。
明るい夜だ。
空高くから降り注ぐ月の光が、大地を照らしているからだ。
トールがそっと泉に指先を触れさせると、揺らぐ水面で月が踊った。
「ちょっとだけ冷たいですね」
驚いたようにトールが手を引っ込める。
跳ねた水滴が月明かりを反射して、キラキラと光った。まるでトールが、そのキラキラを身に纏っている風に見えて、セレナは思わず呼吸を忘れた。
「セレナさん?」
返答が無いことを不安に感じたのだろう。
訝し気な顔をしてトールが振り返る。月と、泉と、暗い森と、それからトール。童話の世界の一幕のようにも思われた。
だから、ついセレナの口から言葉が零れた。
「ねぇ、本当のあなたを見せて」
時間が止まったようだった。
だが、頬を撫でる冷たい夜風が“そうじゃない”ことを教えてくれる。止まっているのは、セレナとトール、2人だけだ。
心臓の跳ねる音がした。
セレナの心臓か、それともトールか。どちらでもいい。きっと、どちらでも正解だ。
立ち上がったトールが、俯いたまま首の後ろに手を伸ばす。
パチン、と留め具の外れる音。
セレナの望みに答えて、トールがウィッグを外したのである。
普段はウィッグで隠されている短い髪と顔の輪郭。
目も、鼻も、唇も、いつも見慣れたトールのもので、けれどまったくの別人であるかのようにも見えた。
月明かりの中、トールの頬が朱色に染まっているのが分かる。
「月の下で、あなたの本当の姿を見てみたかったの」
トールからの返事はない。
なんと言葉を返すべきか、きっと判断が付かないのだ。性別を偽り生きて来たトールが人前でウィッグを外すことなど無かったから。
「カッコいい。御伽噺の王子様みたいだわ」
セレナが1歩、トールの方へ近づいた。
怯えたように肩を跳ねさせたトールが、1歩だけ後ろへと下がる。しかし、トールの背後には泉。それ以上、後ろへは下がれない。
くすりと笑んだセレナは、ゆっくりと、焦らすようにトールとの距離を詰めた。
「もっと顔をよく見せて」
セレナの指が、トールの顎へと伸びた。
もう一度、セレナは「カッコいい」と呟く。その甘い声がトールの耳朶を震わせた。
セレナは存外に“面食い”である。彼女の好みに当てはめて言えば、今のトールは大いに“有り”だ。むしろ、理想と言っても過言ではない。
「……もっと言うと、ひとりじめ出来たら良かったかも、なんてね」
セレナはトールに顔を寄せた。
吐息が頬を擽って、トールはきつく目を閉じる。長いまつ毛が小さく震えているのが分かる。羞恥心か、それとも別の感情か。けれど、トールは抵抗しない。セレナの細い手を払い除けることは無い。
セレナの胸に、ゾクゾクとした甘く痺れるほの暗い感情が渦巻いた。
「こういう事も効果、あるんでしょ?」
悪戯心が抑えきれなかったのだ。
セレナは雰囲気と衝動に流されるまま、トールの頬に口づけをした。
頬に触れる熱くて柔らかな感触に、トールの中で何かが崩れた。
例えばそれは理性と呼ばれるものかもしれないし、或いは不安や恐怖と呼ばれる何かかも知れない。
どちらにせよ、トールもまた雰囲気に流されたのである。
相変わらずに羞恥の感情は強い。顔は燃えるように熱いし、心臓は肋骨を突き破りそうなほどに強く跳ねている。脳髄がグツグツと煮立っていて、視界が少しぼやけていた。
けれど、トールにもプライドがある。
己の取るべき選択を、トールが誤ることは無かった。
顎にかけられたセレナの手を取り、トールはその場にしゃがんだのだ。片膝を地面に突き、月明かりの中、セレナの顔を真下から覗き込んだ。
「トール?」
「……月の光でいつも以上に魅力的に見えます」
戸惑うセレナを置き去りにして、トールはその手の甲にそっと口づけを返した。
帰り道、2人の間に言葉は無かった。
少しだけ居心地の悪い沈黙。けれど、不思議と2人の距離は近かった。
きっと、行きがけよりも、少しだけ。
果たして、トールとセレナの心境にどのような変化があったのか。
水面に映った月のように、きっと揺れているのであろう。
これは、そんな誰も知らない一夜の話。