PandoraPartyProject

SS詳細

裂帛の先に

登場人物一覧

郷田 貴道(p3p000401)
竜拳

 青空の中に鷹の声が響き渡る。
 足元には泰然自若とした雲が広がり、雪を被った山脈は水墨画のように黒々と連なっていた。
 下界と切り離された霧深い幽谷のなかに其の庵は建っている。
 茅葺屋根のちいさな庵の前に並ぶのは灰色の丸石だ。その上で、一人の女が座禅を組んでいる。
 身の丈はあろうかという抜き身の長刀を背負うと云うのに微動だにしない。鍛え抜かれた豊満な肉体を菫色の着物で覆う姿はまるで仙女のように嫋やかだ。
 そのかんばせは布地に刺繍されたどの花よりも美しく、青みがかかった艶やかな髪は簪で留められている。
 女の小さな頭を覗き込むように灰色の影がさした。
「珍しいお客さんね」
 眼を閉じたまま女は告げた。
 直後、巨大な影から振り下ろされた拳が女の座っていた丸石を粉砕する。
 地面を抉るほどの強い衝撃が割れた小石を四方へと散らした。
「貴方がここを訪れるのは何年ぶりになるのかしら」
 トン、と碁石を打つように、女は地面へ降り立った。着物の袖が蝶の翅のように優雅に揺れる。
「覚えてねえなあ」
 筋骨隆々とした体躯が、石に叩きつけた拳をゆるりと引き上げていく。
 はちきれんばかりの二の腕と胸筋が胴着の襟を盛り上げ、短く刈られた灰色の髪の下には隼のように鋭い両眼が燃えている。隙あらば再び女に一撃いれんばかりの闘気が湯気のように立ち上り、辺りの景色を揺らしていた。
「少しは成長したみたいね」
 殴り掛かられたというのに女は嬉しそうだ。紅い唇は薄く微笑み、白い脚が音も無く宙を舞う。放たれた問いかけには、まるで世間話でも始めるかのような軽やかさがあった。
「だと良いが」
 郷田貴道と呼ばれる男は人好きのする笑顔を浮かべた。
「久しぶりだな、チヨ婆」


「それで? 今日は何を強請りにきたの」
「おいおい。人聞きの悪い。まだ何も言ってないだろ」
「貴方の考えることくらい予想がつくわ」
 オーバーリアクションで肩を竦めた貴道に向かって、女はくすくすと年の離れた姉のように笑った。
「俺に稽古をつけてくれ」
「そう言って、前に逃げ出したのは誰だったかしらね」
 貴道は視線をさまよわせ頭を掻いた。
「あれは急ぎの用が出来たから出かけただけだ。ババアは時間の感覚がのんびりしてるから――」
 何の前振りも予備動作もなく女から平手が放たれた。傍から見れば、女が貴道の背中を叩いたようにも見えるだろう。
 けれども実際には骨と肉を穿つ、ゴッという鈍い音が貴道の肺を貫いた。
「ごめんなさいね。いま、とても不快な単語が、聴こえそうになったのだけれど?」
 穏やかに微笑む顔は先ほどまでと変わらない。
 けれどもそれ以上は言わせないという強い圧が重力という形をとり、カタカタと地面の砂を浮かび上がらせていた。
「ち、チヨ婆。チヨ婆な」
 くらりと眩暈がするのは脳震盪を起こしかけているせいか。千代女にばれたら更に追加の掌底がやってくるので、貴道は平然とした顔を保ち続ける。
 彼女は徹底的に追い打ちをかけることで有名な存在なのだ。
 貴道は歴戦の闘士であるし、タフさには自信がある。ボクサーならではの動体視力の良さで避ける技術も一流だ。
 しかしそんな彼に遊び半分でダメージを与えられる数少ない存在こそ目の前の女性であった。
 活人拳派閥の総元締め。二天一流の達人、不破 千代女。
 外見は三十に届くか届かないかといった妙齢の美女であるが、実際の齢は既に二百を超えている。
 本人も自分の年齢は自覚しているのか「チヨ婆」と呼ばれる事に対して歓迎はするものの、否定することは無い。
 けれども、年を重ねた女性に対するカタカナ三文字の、どちらかと言えば敬意が感じられない人称代名詞は許せないらしく、貴道は何度も彼女の鉄槌を受けてきた。
 本人曰く「可愛くない」だそうだ。その差異が貴道には理解できない。憎まれ口を叩くついでに口が滑ってババア呼びをしてしまうのは癖のようなもので、直せる見込みはありそうもない。いっそ千代女の暴力に耐えきるだけの肉体を貴道が手に入れる方が早いだろう。
「稽古、ねぇ」
 くびれた腰に手を当てて、おもしろげに千代女は問うた。
「誰に負けたの?」
「負けていない。ただ、己の至れる境地を垣間見た」
 千代女の甘く下がった眼が大きく見開かれた。
 郷田 貴道という、戦いに生きる男にしては驚くほど静かな横顔を見せられたからだ。
 仲間を鼓舞する英雄のような快活さもなければ、血沸き肉躍る闘争を求める戦闘狂としての熱もない。
 そこに居たのは一人の求道者――武人として、真摯に己が高みを目指す男の眼であった。
「そう。貴方も高みを目指すのね」
 千代女の穏やかな声を聞き、貴道の眉間に刻まれた皺が深くなる。
 メテオスラークの生み出した『剛毅絢爛なる闘技場アッシュ・トゥ・アッシュ』のなかでさえ、貴道はかつての世界の自分に届かなかった。
 しかし今の自分と比べたら――……。
 決意をこめて拳を握る。
 混沌世界で到達できる地点を、一時とは言え経験できたのは僥倖だと云えた。
 未だ、この世界の肉体は限界にあらず。
 己が肉体を鍛える余地は多分に在り。
 ならばあとは脇目もふらずに鍛え続けるのみだ。
 だから貴道は過酷な修行を課すことで有名な、千代女の元を訪れた。
 千代女は、貴道の知る超人の中でも頭一つ二つ抜きん出た存在だ。
 いかに辛い修行であろうとも耐えきる覚悟と共に、貴道は険しい山道を登ってきた。
「なら今の実力を少し見せて頂戴」
「後悔するなよ」
 打突と共に吐かれた鋭い息は貴道の笑い声か、はたまた気合いか。
 薄い唇の端と片眉を愉快そうに持ち上げると、挨拶の続きとばかりに打擲を放つ。
 貴道の一撃を嫋やかな白い掌が受け止めると、行き場を失った力が衝撃派となり地面を揺らした。
 一瞬のうちに激しい応酬があったにも関わらず、千代女の着物は崩れひとつも無い。
「それで終わり?」
「まだまだあ!!」


 夕暮れが訪れ、闇夜を過ごし。
 そうして薄靄の朝が来る。
「は、はは、まったく」
 貴道は痰の絡んだ短い咳を何度かすると、口に溜まった液体を地面に吐き出した。紅い血に混じって白い歯の破片が浮かんでいる。
 紺の胴着に黒い血の染みが滲んでいることから、打撲や内出血では済まない疵が幾つもついているのだろう。
 活人拳派閥の総元締め相手に未だ立っていることが貴道の異常性を現しているのだが、本人に自覚はない。
「余所見している余裕があるのね」
 唇についた血を拭う暇も与えられず、次の蹴りがやってくる。
「容赦ねえ。だが、そうこなくちゃな」
 会った時と変わらない微笑みを浮かべる千代女を見て、貴道もまた獰猛な笑みを浮かべた。
 終わらない戦い。一方的に攻撃を受け続けるだけだとしても、貴道にとっては愉しい時間だ。
 いつかその場所に辿り着ける。目標が目前にいる。
 受け身ばかりで傷は増える一方だ。しゃがみこんで千代女の蹴りをかわすと、貴道は自慢の拳を突きだした。
 食事も寝る暇も与えられず。減った体力を回復する為に防御に回れば、骨をも砕く千代女の蹴りや拳が飛んでくる。
 攻撃に回れば、相手との読み合いに使う脳が過熱する。
 持久力や体力には自信があった貴道だが、一晩も戦い続ければ流石に疲れも見えてくる。ただでさえ何日も険しい岸壁を登り続けて千代女の庵に辿り着いたのだ。蓄積された疲労が分泌されていたアドレナリンの効果を上回っていく。だが、楽しかった。がむしゃらに走り続けるだなんて、一体いつぶりだろうか。
「そろそろ、ね」
 先に腕を下したのは千代女の方だった。
「貴方の実力は分かったわ」
「何だよ。もう終わりか?」
 戦意を解いた千代女を見て、貴道も構えをといた。だらりとぶら下がった腕はなかなか動こうとしない。骨に異常があるのか、妙な軋み方をしていた。
「安心しなさい。準備運動はこの辺で切り上げて、そろそろ修行の準備に移るだけだから」
「…………は?」
 呆けた貴道の声を秋風がさらっていく。
 どうやら貴道は千代女のお眼鏡に叶って稽古をつけてもらえるらしい。らしい、のだが。
「これで準備運動かよ。いや前もこんな感じだったか?」
 過去の地獄を懐かしみながら貴道は自分の選択が正しいものであることを願い、項垂れた。
「上等だ。やってやるよ」
 だが、その瞳は炯々と、好戦的な光を湛えていた。

  • 裂帛の先に完了
  • NM名駒米
  • 種別SS
  • 納品日2023年11月24日
  • ・郷田 貴道(p3p000401
    ※ おまけSS『一杯のお茶のために』付き

おまけSS『一杯のお茶のために』

「あら」
 緑茶に一本、茎が浮く。
 普段は仙人のような生活をしている千代女だが、時折嗜好品を嗜むこともある。
 良い事がありそうだと庵の軒先でのんびり目を細めれば、逸れ鳶の甲高い鳴き声に混じって元気の良い貴道の怒号も聞こえてくる。
「茶柱」
 向こうの崖でも崩れたのだろうか。
 地鳴りが響き、悲鳴混じりの気合がドップラー効果を帯びて遠くなる。
 食料や水を調達するには麓まで降りねばならない。
 麓へ向かうためには崖を登り降りしなければならない。
 そして、ようやく見つけた食べ物や水は、この場所に棲む生き物たちと奪い合わないといけない。
 生物が生きるのに適さない、過酷な場所に千代女は庵を構えている。
「何か良いことがありそうね」
 貴道の苦難。そして千代女の洗礼は始まったばかりである。


PAGETOPPAGEBOTTOM