PandoraPartyProject

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ひとつの英雄譚

登場人物一覧

古木・文(p3p001262)
文具屋

 混沌に喚ばれたあの日から、六年もの月日が経過したらしい。片手で数えられる数を超えてしまった。
 もっとも、数えるのに必要な手指は両方とも塞がってしまっているけれど。
 両腕で抱えた子供と共に、文は一心不乱に駆けていた。

 ●

 その依頼の内容は、至ってシンプルだった。「洞窟に棲まう怪物の討伐」と、ローレットの掲示板に残っていた張り紙は告げていた。どうやら人里近くの洞窟から異形の獣が現れて、人々を困らせているようだった。
 昨今は――昨今"も"と言うべきか――空中庭園に足を踏み入れたあの日から、争いが絶えたと聞いたことはなかった。昨今も、天義の神の国の件やら、世界に満ちる滅びの予兆やらで、特異運命座標の人手も小規模の依頼にまでは回っていないのだろう。身近に暮らしているような、なんてことない人々の日常が脅かされているのなら、文も力を貸したかった。

 そんなこんなで、文は同じ依頼を受けた数人の仲間とともに、洞窟へと訪れた。静まり返った洞穴の道筋を、ランタンの灯りがゆらりと照らし出す。
 順調に探索を進めていた最中、一行は分かれ道に出くわした。分岐地点に目印代わりの灯りを一つ置き、手分けして探索することになった。もしも危険があればすぐに逃げ、合流を図るよう取り決めて。
 文は独り、慎重に歩を進める。ちょうど余りが出る人数と道の数だったから、誰かが割りを食うのは仕方なかった、と思いつつも、内心では少し己の不運を嘆いていた。
 暗視の力を授ける護符のお陰で、足元ぐらいならば明瞭に見える。道の先を見通すにはランタンの灯りが必要だった。そうして洞窟を進んでいくうちに、本当に怪物の顔が照らし出されたときは――己の不運に文句を付けたくなった。
 怪物は大まかには巨大な狼の容貌をしているが、ぎょろりと睨めつける眼は無数に存在し、背後では数本の触手が蠢いていた。聞き及んでいた討伐対象の外見と一致している。
 幸い、すぐさま襲いかかってくる素振りはない。ここは一旦退いて、仲間と合流するべきだろう。冷静に考えながら、ふと灯りが照らした先には人影が倒れていて、文は思わず硬直した。しかも、年端も行かない子供の姿に見えた。獲物として為す術もなく攫われたのだろう。
 獣が低く息を吐くような、地響きに似た音が空間を揺らした。
 三。
 目を合わせたまま、一歩後ずさる。殺意が重圧となって降りかかる。これ以上この場に居るのなら、自身の領域を侵すのならば、容赦はしないと、そう告げているようだった。
 二。
 文の頭の中に、二つの選択肢が浮かび上がった。戦うか、逃げるか。
 それとも?
 一。
 瞬間、右腕に力を込め、ランタンを投げつける。暗闇を劈く炎は、一筋の光の軌跡を描き、怪物に直撃した。相手が怯んだ隙に、文は空いた手で手帖を、もう片方の手で万年筆を取り出す。一見して武器に見えないそれらは、生半可な得物よりもずっと凶悪で、厄介だった。
 するりと筆先を動かす。万年筆の先から黒の洋墨が滲み、呪言を紡いでゆく。洋墨に溶かされ秘められた呪いは、目的と対象の指向性を定めづけられることで、確固な力として発現する。紡がれた黒文字が暗い輝きを帯びたかと思うと、一つの姿となって手帖からその身を起こした。現れた黒鳥は、闇よりなお黒き翼を羽ばたかせ、怪物に向けて飛び立った。纏わりつく敵を振り払おうと、怪物の爪は宙を掻く。
 逃げるのならこの一瞬だ、と理性は囁きかけた。逃げてしまえばいい。それで仲間と合流すれば、安全に依頼を終えられるだろう? だから、逃げてしまえば……。
 文は踏み出した。
 一気に前方へ飛び込み、子供の体を両腕で抱え上げる。思っていたよりも軽い。これならば行けるかもしれない。即座に踵を返し、走り出す。怒りの吠え声が文の背中に浴びせられた。
 勇猛果敢に挑んだところで、たった一人で勝てるとは思えなかった。本来なら挑発するような真似も控えるべきだとは理解していた。それでも、子供のことが見過ごせなかった。
 後ろは振り返らずに、走る。走る、走る。
 腕の中の子供は、微動だにせず瞼を閉じ続けている。気絶しているのだろうか。体温は冷たいが、肌の柔らかさは残っており、関節も問題なく曲がっている。死後硬直は始まっていない……死んでいない、はずだ。だけれど、仮に結末が『そう』なっていたとしても、ここで見捨てる理由にはならなかった。親からしたら、せめて我が子の体だけでも帰ってきてほしいものだろうから。そこまで考えてから、彼は悪い想像から目を逸らした。
 しかし、先ほどは咄嗟にしては機転が利けたなぁと、文は心の内で独りごちる。前にも怪物に対して灯りを投げつけた経験があってよかった。
 六年も混沌で暮らしていると、荒事にも慣れてしまうものだ。六年。片手では数え切れない年数。そんなに経ったのか――と、些か現実逃避染みた思考を重ねるも束の間、背筋に悪寒が走った。
「ッ――!」
 直感的に身を逸らす。怪物が飛びかかり、間一髪、文のすぐ横を過ぎていった。狙いを外した怪物は、岩壁を蹴り返し、再び彼に飛びつく。片腕で子供を抱え直していた文は、倒れ込みながら片手だけで受け身を取った。
 馬乗りになられつつも、彼の片手は再び万年筆を握る。ところが怪物の触手の一本が伸び、手首を締め上げた。あまりの痛みに思わず指を開くと、すかさず触手が万年筆を取り上げる。
 惜しんでいる暇はない。再び手首を締められる前に、今度はポケットに手を突っ込んだ。痺れた指で数束の紙を取り出し、怪物に放り投げる。無論ただの紙切れではない。呪術が封じられた紙は、茨に形を変える。鋭利な棘が怪物の皮膚に食い込む。予想外の攻撃に怪物は唸り、動きを止めた。文は続け様に腹を何度も蹴り飛ばして、なんとか子供と共に脱出し、立ち上がる。
 目眩がしたが、立ち止まるのが許されるのは僅かな間だけ。よろけてバランスを崩しそうになって、それでも踏み止まって、走り出す。道中にも念入りに足止め用の紙をばら撒きつつ。
 また襲いかかられたら上手く対処できるだろうか。いや、やるしかない。不安を振り払うように歯を食いしばると、道の奥から強烈な光が差し込んで、文は顔を上げた。仲間と分かれた地点まで戻ってきたのだ。しかも光に照らされた仲間たちの姿まで見える。文は足に力を込めた。

 そこから先は話が早かった。物音を聞いて駆けつけたという仲間と共に、怪物を迎え撃つ。数の力の前に、たった一体の化け物は無力だった。数多の斬撃と魔法、呪術が怪物に浴びせかけられた。
「――これ! アンタのでしょ?」
 前衛で切り結んでいた戦士が、触手を切り裂きながら、細長い何かを文に向かって投げる。万年筆はくるくると宙を舞い、文の手の中に収まった。
「ありがとう!」
 最後に、終止符代わりの線を引いて。
 美しい蒼の炎が燃え盛り、怪物の躰が霧散する。後には何も残らなかった。
 文たちの、勝利だった。
「よくやったじゃないか」
 仲間の一人が文の肩に手を置いて、にっこりと労いの言葉を掛ける。文も笑い返してから、はっと表情を強張らせた。
「あの子供は?」
「大丈夫、生きていたよ。不安なら自分でも確かめてみたらどうだ?」
 文はうなずき、子供の前に屈んだ。手首にそっと触れ、脈拍を確認する。とくりと、小さくも確かな鼓動の感覚が、文を安心付けた。
 脈を計る自分の掌の、爪の先は折れ、赤黒い血が滲んでいる。手首には青紫の跡が残っていた。張り詰めていた緊張の糸が切れて、アドレナリンが頭から抜け始めたのだろう。じわじわと痛みを知覚する。
 ――だが、致命傷は無い。自分も、この子供も、生きているのだ。
「助けられて、よかった……」
 無意識の内に、安堵のつぶやきが零れ落ちた。それから、もっと強くて、ヒーローみたいな特異運命座標だったら、格好よく決められていたのかな、と自嘲した。実のところ、照れも混じっていたのかもしれない。
 嗚呼、案外自分も、あの時から成長できていたのか、なんて――。
 そんな風に、思ってしまったから。

  • ひとつの英雄譚完了
  • NM名
  • 種別SS
  • 納品日2023年11月19日
  • ・古木・文(p3p001262
    ※ おまけSS『後日談』付き

おまけSS『後日談』

 あの小さくて大きな戦いのあった日から、数週間が経った。
 戦いの傷もすっかり癒えた。実は直接的な外傷よりも、子供一人を抱えながら全力疾走した故の腰痛の方が後を引いたのだが、それはさておき。
 いつものように、文具に囲まれながら平穏な時間を過ごしていたところ、とある親子連れが来店してきた。
 血色の良くなった子供の顔は、洞窟に倒れていたときとはまるで見違えていた。
 
「お礼なんて……。報酬なら既にローレットから貰ってますから、気にしなくていいんですよ」
 彼らの提案に、文は困惑した。仲間たちと等分したとはいえ、ちょっと奮発して食べ放題に行っちゃったぐらいの報酬は受け取っていたのだ。
 だが、どうしても個人的に謝礼を渡したいのだと熱弁されれば、文も最終的には押し切られる他なかったのである。
「ありがとうございます。……ん?」
 口数少なく佇んでいた子供が、文をじっと見つめていた。その視線が憧れを帯びていることに、文は遅まきながら気が付いた。
「特異運命座標になれたら、お兄さんみたいに人を助けられるかな?」
「うーん……なりたくてなれるものじゃないからなぁ」
 文はやっぱり照れ気味に、苦笑を浮かべた。

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