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背を、そっと
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9月20日。永きを生きてきた神にも分類される妙見子にとって生誕の日とはそれ程に重視したものではなかった。
それでも、仲間達は生誕を祝う声を掛けてくれる。妙な擽ったさを感じながらも豊穣郷の水天宮神社社務所でお護りの作成を行って居た妙見子は「失礼」と声が聞こえ顔を上げてからぱちくりと瞬いた。
「晴明様?」
「……忙しくしていただろうか?」
「いいえ。どうかなさいましたか? まだ陽射しが暑い頃ですし、どうぞ中に」
そそくさと立ち上がってから来客用の座布団を取り出して妙見子は居住いを正した。陽射しを避けるために被って居た帽子を取ってから涼やかな社務所の空気にほっとした表情を浮かべた彼を見て妙見子は胸を撫で下ろす。
さぞ暑かっただろう。熱中症にでもなって終わないかと心配する様子は母親そのものだ。それだけの暑さに見舞われながらもわざわざ足を運んだのだから何らかの用事があるはずだ。
「それで、どうかなさいましたか?」
よく冷えた麦茶を手渡しながら問うた妙見子に晴明は「有り難う」と礼を言って麦茶を一口喉に通してからじいと妙見子を見た。
涼しげな目許が印象的なその人は妙見子にとっては敬愛すべき存在だ。豊穣郷というこの国を守り抜く彼に感じる愛情は敬意と、そして母性にも似通っている。
まるで『母親』のように世話をする妙見子は「急ぎませんので、冷を取ってから」と付け加えたほどである。
「その……妙見子殿の誕生日であっただろう? それを思い出したのだ」
「まあ。その為に? お忙しいでしょうに……」
少しばかりの途惑いと、何処か気恥ずかしそうな顔をした晴明を見て妙見子はくすりと笑った。
「有り難うございます。誕生日だなんて、それなりの『年齢』なのですよ」
「妙見子殿も、元の世界では神格を得ていたと言って居たか……女性に年を聞かぬが、それでも貴殿の産まれた日ならば大切だろう。
何せ、豊穣を此程にまで愛してくれるのだ。俺とっても貴殿は良き隣人で、共に豊穣を守り抜く同士だと思っている」
その言葉に、ちりりと僅かに胸が痛んだのは何時までの事だったか。今は、彼を守り抜き幸せになって欲しいと願っている。
同士という言葉に喜びを覚え、共に前を進む事を是とできる程の深い愛を胸に妙見子は「嬉しい御言葉」と朗らかに微笑んだ。
ああ、この人は鈍くて何も気付かないから。全て蓋をしてしまおうと思ったけれど、少しのお節介くらいは許してくれるかしら。
妙見子はくすりと笑ってから「何かお祝いして下さるのですか?」と問うた。
「……そう、それなのだが、何処かに出掛ける事しか浮かばなくて。貴殿に似合う贈り物を、と思って用意したのだが……」
まるで諸外国で親しまれる『母の日』のようになりかねないかと晴明は何とも言えぬ顔をして小さな包みと花束を差し出した。
その花のチョイスもこの堅物が選んだには思えない。女性への贈り物とでも言って花屋で適当に包んで貰ったのだろうか。
「晴明様が選びました?」
「いや」
「ダメですよ。女性に何か送るのであればご自身で選ばなければ。どなたかと結ばれるときに屹度苦労します」
虚を突かれたような顔をした晴明は「……妙見子殿には色々と叱られて仕舞いそうだな」と肩を竦めた。
『私の為の花を選んで』なんて言わないけれど、彼が傷付く未来は見たくはないから。そんな事を言いながらも妙見子は揶揄うように「ええ、叱りましょう」と指差した。
「花には様々な思いが込められることもあるのです。ですから、しっかりとそれを見極めてその方に送るものを選ぶのですよ?
――例えば、私が貴方に選ぶのであれば、杜若なんかは如何でしょう」
ふむ、と呟いた晴明に「一例ですよ」と妙見子は微笑む。
この人は本当に手が掛かる子供の様なのだ。その胸に抱いた仄かな想いが庇護欲に変わってから見ていれば、仕事はしっかりとこなせるというのに、疎い方面にはてんで手も足も出やしないのだ。それだけの間、この国に尽くしてきたのだと思えばいっそのこと自らの幸せを追い求めて欲しい物だとさえ思うほど。
「……それで、こちらは……」
「貴女の生誕祝いに」
「ふふ、そう仰って頂けたら及第点――なんて。これは、髪飾りですか?」
親愛と独占欲。似て非なるそれに恋情と愛情の狭間から抜け出してから、随分と変わったモノだ。
彼が用意した桔梗の髪飾りにだってきっと大した意味はない。だから『だめなひと』なのだ。そんなところが愛おしい人だとは思いながらも妙見子はそっとその射干玉の髪に宛がって見せた。
「似合いますか?」
「ああ、とても。貴女は夜空のような人だからそうした色が良く映えると思ったのだ」
「桔梗を選んだ理由は?」
「……ん、すまない。あまり」
「ふふ、だから晴明様は、晴明様なのですよ」
ちょっとした意地悪を込めた言葉に晴明はぱちりと瞬いてからはたと思い当たった様子で瞬いた。
胸に秘めた想いは口を閉ざせば無かったことに出来るだろうか。いいや、どこまでだって消せぬものでもその意味が変わればそれは何れはその胸に抱いていられるものにもなろうもの。
「晴明様、ところで誕生日と云えばケーキを食べるのは豊穣に文化として根付いて居ますか?」
「洋菓子はあまり販売店舗がないのでな、幻想から持ってきたというのは『神使』特権ではあるのだが。
妙見子殿の誕生日だと言えば、帝も随分と喜んでしまって。よければ御所で食事でもどうだろうか」
「まあ。帝様はなんだか距離を詰めていらっしゃっているような気がしますが……」
「そういう人なのだ」
肩を竦める晴明にこの国の主人は少しばかり避けられていたことを自覚して全力で友人関係の構築に走り出したのだと気付いた。
神使と良き関係を築く事もそうだが、元々は外様であった霞帝は故郷の話をしても疎まれぬ相手というのが貴重なのだろう。
「お断りするのもなんですから、ご一緒致します」
「ああ。そう言って貰えたのならば嬉しい。俺が一人で祝いに行くというと随分な反応で……」
盛大に拗ねたのだという時の主上に妙見子は「子供が一人増えた心地ですね」と呟いた。晴明も同意見なのだろうか、困った様子で肩を竦めている。
苦労性の彼は「そういうことで、用意が出来たら一緒に」と声を掛けてくれる。外出準備をして居る間に社務所の片付けを手伝うという晴明に礼を言ってから妙見子はふとその背中を見た。
決して頼りなくはない背中だが、それでも時には幼い子供の様にさえ見えてしまうのだ。寄りかかった柱は細くその心を支えるには適さないような――それが主を支える決意やこの国を守る使命と呼ぶものであると識りながらも、不安定な彼が一人で立っている事はどうにも寄る辺ない様子に見えてしまって。
(……どうか、この人の未来に暗雲が立ちこめませんように)
そんなことを思いながらも妙見子は目を伏せた。背を向けて準備を終えてから「参りましょうか」と声を掛ける。
「ああ、荷物があれば持とうか」
「有り難うございます。折角頂いたので、髪飾りを着けてみましたが……」
「ああ、良く似合っている」
及第点、と妙見子は揶揄うように声を弾ませる。そんなことも言えやしなければ女性のエスコートだって難しいだろうと囁いたのだ。
「――なんて。さ、参りますよ」
立ち上がって前を行く晴明をまじまと見詰める。そっと背を押した妙見子に不思議そうな顔をした晴明は「妙見子殿?」と問うた。
「いいえ」
穏やかに微笑んだ妙見子の『祝福』。何処か無理ばかりをするこの人の未来が不安ばかりに塗り固められませんように。
――ああ、どうか。この人が幸せになりますように。
願うように背を叩いてから「埃が付いていましたから」と微笑んだ。
晴明は何かを思い立ったように「妙見子殿」と呼び掛ける。その穏やかな深い海色の瞳が妙見子を見る。
「はい?」
「……何か困り事や、不安があれば教えて欲しい」
「どうかなさいましたか?」
ぱちりと瞬いた妙見子は晴明が立てば背丈が随分と違う。小さな彼女をまじまじと見詰めてから晴明は「何となく」と呟いた。
「何となく?」
「……ああ、何と云えば良いのか、分からないのだが。この国を愛し、この国を尊ぶ貴女は俺にとっても大切な存在だ。
だから、何かあれば教えて欲しい。と、言いながらも屹度俺の方が迷惑を掛けるのだろうな」
「ふふ。晴明様は問題児ですもの」
晴明は驚いた様子でぱちりと瞬いてから「違いない」と呟いた。
とこしえに、傍にあらねばならぬほどに子供ではないだろうこの人に――妙見子は「頼りに致しますよ」と何処か遠くを見るような顔をして言った。