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青いカクテルと空
登場人物一覧
「成人おめでとう。ルクト」
ファイがルクトにそう声をかける。ここはラサ。ルクトの領地だが今は育ての親であるファイが管理している。たまに顔を出せと怒られてしまった。
「ああ。ありがとうファイ。飲酒も解禁だな」
「酒でも飲むか? 二人で」
ルクトは少し考えて。酒の失敗談もいくらか聞いたことがある。ファイに教わりながら初めて飲酒するのも悪くないと思い。
「ああ頼む」
「よし。じゃあそうだな……幻想あたりで飲むか」
「……?」
ルクトが首をかしげる。
「ラサに行きつけの店とかあるんじゃないか?」
ルクトはそう提言した。領地の管理もそうだが、ラサはファイの主な活動地域でもある。
「いや、幻想で飲むぞ」
ファイのゴリ押しで幻想国で飲むことが決まった。
「(天義も近いな)」
ルクトの『主人』の領地も近い。飲み終わった翌日にすぐにでもルクトの主人の領地へ向かおう。そんなことを考えながら。
薄暗い照明の店内。バーカウンターに並んで座るルクトとファイ。ルクトはブルーのカクテルを飲んでいた。カクテルを選んだのはファイだ。
──ふわふわする。
フルーツジュースの味がしつつも酔いが回ってるのでこれがお酒だと実感する。
「酒ばっかりじゃなくてツマミも食えよ? じゃないと酔いが速いからな」
そうファイに忠告されてチーズに手を伸ばす。そう言うファイはさっきから酒を浴びるように飲んでいる。もう3杯目だろうか。あれは実はジュースなんじゃないかとルクトは思った。
「ファイは最近どうだ?」
「どうもこうも。ラサじゃすっかり吸血鬼の肩身が狭くなっちまった」
ラサの吸血鬼騒動。ラサを脅かす吸血鬼たちはラサの大地を揺るがした。イレギュラーズの活躍により自体は沈静化したが何を隠そう──ルクトにはとっくに知られているのだが──ファイは吸血鬼だ。十字架や銀の弾丸は平気だが、血を欲する。合意の上で血を貰っているが、なにぶん今の時勢では世間体が悪い。
「……なるほど」
ルクトが合点する。
「だからラサでは飲みたくなかったんだ」
ぐびぐびとファイが喉に酒を流し込み答える。
「ルクトはどうだ」
「独立島アーカーシュでファイの協力を要請した時があっただろう」
「ああ。そんなこともあったな」
鉄帝の動乱。イレギュラーズが6つの派閥に分かれ、それぞれ冠位魔種に対抗すべく動いた。その時ルクトはアーカーシュに所属し貢献した。スパイなどを警戒し人員名簿の作戦をルクトたちは行った。そしてファイもルクトの推薦でアーカーシュの名簿に載った。もっともルクトが気にしていたのは『改造屋』ハンドレッドの技術流出を恐れて、ファイに無理にでも協力を要請したという形ではあるが。
「その時のアーカーシュの仲間が……。……亡くなった」
「……。そうか」
ルクトの様子を察するに来るものがあったのだろう。アーカーシュの仲間3人で名簿を作り上げたのが昨日のことのように思い出される。
「どんな人だったんだい?」
「真面目で、誠実な人だったな」
ルクトの視線が落ちる。ブルーのカクテルを手に取りこくり、とひとくち。
時にはそういう話も必要だが、とファイは思った。だがわざと話題を変える。楽しい雰囲気でないと悪酔いしやすい、と言うのもあるが。何故なら今日はルクトが初めて酒を飲んだ日で成人のお祝いなのだ。せっかくなら楽しい思い出に染まって欲しい。
「……そういえば貴殿は様子が変わったな。具体的に言うと2年ほど前から」
「んぐ」
思わず酒を吹きそうになるルクト。あまりにもピンポイントな指摘過ぎて動揺したが、酒は飲み込んだ。
「いつから気付いてた?」
「武器が変わった頃からかな」
ファイが指摘する。それは大当たりであった。
「以前は銃だっただろ?」
「あ、うん。変えたな。槍に」
「それが同時期くらいかなとね。というか武器商人(バイヤー)なのだから、自然と武器には目が行くさ」
それもそうかとルクトが納得する。武器を変えたのはファイの指摘の通りちょうど2年半前のことだ。
「……貰い物なんだ。とても重くて、精進するようにと言われたよ」
槍は普段は指輪の形をしている。正確には召喚魔術の指輪より呼び出されたオルカ──シャチは、宙を自在に泳ぎ炎を身にまとう。そのオルカが槍に姿を変えた物。それが槍の正体だ。
ルクトが遠くを見つめるような何かを思い出すような視線になる。その表情は柔らかい。
「へぇ」
あのルクトがねえ。ファイがそうぼやく。
「首輪も貰い物だろう?」
ファイの指摘にルクトが苦笑する。何でもお見通しだなと。
「ああ、そうだ。これは槍の半年後だな」
ルクトの手が自然と首輪に触れる。思い出すのはシャイネンナハトのあの夜。ひどく冷えた空気の月夜。片目のアレクと、膝に寄せた私の頭。添えられる私と彼を繋ぐ鎖。
──故に、命じる。
獣から少女へ贈られた首輪。首輪のトップにはアレックスの目がはめ込まれている。彼を思えば死から守護するものに。誰かに身を捧げるなら死を呼ぶものに。この首輪をつけている限りルクトの体には鎖の痣が浮かび上がる。その刻印を眺めるたびにルクトは自分が所有物なのだと思い起こされる。
「貰ってばかりだったからな。翌年のグラオ・クローネには義眼をプレゼントした」
「ほぉ、義眼」
空のように蒼い義眼。歯車の模様が浮かぶ虹彩。彼の右目には今それがある。
傭兵から獣へ贈られた義眼。しかしルクトが命を落とせばその機能は停止する。
「何て言うか」
ファイが少しためらう仕草をしたが。
「重いな」
「そ、そうか? ……そうかも」
贈り物──と言えば聞こえはいいが、慈愛などではない。これは鎖で、依存で、呪いだった。お互いを縛るものである。自分のことを思って欲しい。そういう利己的なものであるが、それをお互い望んでいる。
体がほのかに熱い。ああこれが『酔っている』ということか。ルクトが自覚する。顔が赤くなっていないといいがとも思った。まるで彼を思い出して惚けているようでそれは少し恥ずかしい。
「ルクト。貴殿はこれからどうするつもりだ?」
これから。そう聞いてルクトの手に力がこもる。もう決めているからだ。
「傭兵業は活動を縮小する。他にやりたいことがあってな」
「やりたいこと?」
「主人のサポートだ」
主人──アレックス=E=フォルカス──彼の側にいたい。
「いつまで?」
「死ぬまで」
ファイはそう聞いて目を丸くする。ルクトにそこまで言わせる人物とはなかなかだな。そう思いながら。
「ルクトの好きなようにやるといいさ」
「……止めないのか?」
ルクトからすれば驚きの答えだ。ファイはどちらかと言えば過保護な印象があった。
「私の信頼するルクトが選んだ人ならいい奴に決まってる」
「……ありがとう」
さくりさくり。
翌日。ルクトは降った雪を踏みしめていた。
「(北方教区は流石にもう雪が降っているか)」
天義の極北。北方教区。ルクトはその道中にいた。イレギュラーズなので空中神殿のワープポータルである程度のショートカットは出来るものの、残りの道は自力で行くしかない。
息が白い。もうすぐ、もうすぐだ。あの古城が見えてくるだろう。
広い広い、蒼穹を願ったはずなのに。今その体は鎖でがんじがらめで。……いや自分の空はここにあったのかもしれない。それ以外の呼吸の仕方はもうとっくに忘れてしまっていた。