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秋の始めのケーキ
登場人物一覧
煌浄殿の石畳の上を歩いて居ると、何処からともなく気配を感じる。
それは嫌なものではなく、遠巻きに歓迎してくれているのだと分かった。
ジェックを驚かさないよう言いつけられているのだろう。
何せあの明煌の『親友』なのだ。
粗相があれば明煌に怒られてしまうと呪物達は様子を伺っている。
呪物殿や、燈籠の影に見え隠れする呪物達にジェックはくすりと笑った。
ジェックが三の鳥居を潜ると丁度明煌が建物から出てくる所であった。
こちらに気付いた明煌は一瞬驚いた顔をしたあと、柔らかな表情を浮かべる。
此が明煌が嫌いな深道の親族であればしかめっ面になっていたに違いない。
海晴がこの場に居れば自分に向ける表情との差に明煌をつつき回していただろう。
ともあれ、呪物達にとっても明煌の変化は好ましいことであった。
「どこか行くの?」
こてりと首を傾げたジェックに明煌は「うん」と頷く。
「最近、暁月が廻の様子を見に来てくれるねん」
明煌が暁月に死んで欲しくないと気持ちを伝えてから、彼は頻繁に煌浄殿へ顔を出すようになった。
一日の殆どを眠って過ごしている廻が気になるのだろう。
「それで、お菓子を買いに行きたいんやけど、ジェックちゃん一緒に来てくれへん?」
通販のお菓子だけでは暁月が飽きてしまうかもしれないと明煌は考えたのだ。
けれど、『可愛い洋菓子店』へ一人で行くのは躊躇われた。
だから他の店にしようと思っていたのだが、ジェックが居るなら入れるかも知れない。
「可愛い洋菓子店か。確かに、明煌だけじゃ入りにくいのかも」
「廻と一緒の時は、大丈夫やったけど。今は大体寝てるし、静かやねん」
静かという言葉に何処か寂しげな色が混ざる。
きっと以前の明煌ならば、それを寂しいと思わなかっただろう。
素直に自分を頼ってくれるのも、ジェックは嬉しかった。
「そっか。廻はずっと傍に居なくても大丈夫なんでしょ? 真と実がいるし」
「うん、大丈夫。見張ってなといけないとかはない」
暴れ出すとかは無いと明煌はジェックに頷いた。
「だったら、今日はお菓子を買って夕方まで遊ぼう。たまにはいいでしょ?」
子供みたいにふわりと笑ったジェックに明煌もつられて微笑む。
友達が笑ってくれる。それは明煌にとってとても幸せなことだった。
――――
――
秋の気配は遠く、まだ夏の名残が残っている。
けれど、日差しは和らぎ風も幾分か涼しかった。
「ずいぶん涼しくなったね。夏の始めはじめじめしてたけど」
雨が降っているのを煌浄殿の縁側から見たと、ふとジェックは思い出す。
隣の明煌に視線を上げれば、僅かに眉を寄せていた。繁華街の人の波に口角が下がる。
「人混み苦手なのに、大丈夫なの?」
「まあ、そうやけど……たまには。ジェックちゃんもおるし」
自分が人混みが苦手であることと、友達と一緒に遊べることは後者の方が重要なのだ。
何日も見知らぬ他人が傍を行き交うことが続くのは遠慮したいが、ジェックとの時間も大切なのだ。
煉瓦の舗道をしばらく歩くと、幾つかの店が並ぶ通りに出る。
二件目の店の前で立ち止まった明煌とジェックは外観をじっと見つめた。
優しいピンクの色合いと、ファンシーなキャラクターが描かれた看板。
雲や星やリボンなどが散りばめられたアーチの中にはイルミネーションに彩られたお菓子の山があった。
「宝箱みたいだね」
「そうやな。でも、俺一人やと無理やろ?」
「……まあ、確かに。でも今日はアタシが居るし、入ろうよ!」
ジェックは明煌の背を押して、可愛らしい洋菓子店へ足を踏み入れる。
「お菓子はどれにする?」
煌めくイルミネーションは店内に入れば、然程眩しくは無かった。
目が慣れてしまうのもあるだろうが、アミューズメントパークのようで楽しさが上回る。
振り向いたジェックの背から生えている翼やその美貌、明煌の眼帯や長髪長身も目立つのだろう。
何度か来ているけれど、周りからの好奇の目が恐ろしい。
けれど、これは暁月の為なのだ。気合いを入れなければと明煌はお菓子へと視線を落す。
「紅茶とか抹茶とかそういう味のがあれば。暁月お茶好きだから」
「そうなんだ。なら、アールグレイのクッキーとか明日来るならシフォンケーキでもいいかもね」
ベージュの色合いのシフォンケーキの中には細かくした茶葉が入っていて、周りのクリームも程よい甘さなのだという。上に乗っている金色のキラキラしたものは何だろうと明煌は覗き込む。
「どうしたの明煌?」
「このキラキラ何かなと思って」
「砂糖菓子か金箔かな?」
「金? え、食べても大丈夫なん?」
「大丈夫だよ。身体に吸収されないから無害だよ」
ジェックがそういうなら大丈夫なのだろう。ならば、少しだけ食べてみたくもなる。
「……あ、ジェックちゃん。これ一緒に食べる?」
「今? いいよ、丁度アタシも甘い物がほしかったんだ」
店内の奥はカフェテラスがあり、そこでケーキや洋菓子を食べられるようだ。
カフェオレと紅茶のケーキを前に明煌は写真を撮る。
外に行った時の写真を暁月や廻に見せると喜ぶからだ。
フォークを手に紅茶のケーキを一口食べる。舌の上に広がった紅茶の風味とシフォンケーキの食感に思わず「美味しい」と口に出してしまった。
「ふわふわで、紅茶の味もするし美味しいでジェックちゃん」
「ふふ……どれどれ。んっ! 本当だすごく美味しいね」
ジェックの笑みに少しはしゃぎすぎたかと明煌は心を落ち着かせる。
けれど、友人と美味しさを共有するのは純粋に嬉しかった。
しばらく話し込んだあと、ジェックのお土産と、暁月へのケーキを買って店を出る。
他愛の無い話の内容は呪物や廻たちがどんなことをしているのかだったけれど、それでも明煌が一生懸命話しかけてくれるのがジェックは嬉しかった。
「じゃあ、ジェックちゃん今日はありがとうな」
駅の改札まで着いてきた明煌は、ジェックへのお土産を手渡す。
「気を付けて帰りや」
「うん、また遊ぼうね」
ジェックの言葉に明煌は目を瞬かせた。一瞬、その言葉を理解出来なかったかのように間がある。
「あ……うん、また遊ぼう、な」
友達にその言葉を言い合える日が来るなんて思ってもみなかった。
少し気恥ずかしいような心持ちになって、けれど、悪く無いと明煌は去って行くジェックに手を振る。
改札の向こうに消える友人を送った後の僅かな淋しさに明煌は小さく息を吐いた。