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いとしさを指折り数えたら

登場人物一覧

零・K・メルヴィル(p3p000277)
つばさ


 薄縹のタイルを歩く。履き慣らした靴は柔らかな音を鳴らし、落ちたばかりの銀杏の葉が陽光を鮮やかな黄色へと染めていた。
 甘いバターの香りがするお兄さんだと巷では少しだけ話題。そんな平凡だけど幸せな人生を歩めている。11月も終わりに近づき、白い指を赤くさせた君がかじかんだ指を吐息で温める。そんなありふれた、だけど些細な姿を見て、ふと思った。
 結婚するということは愛する人を末永く幸せで包み込むこと。二人の道に幸せの花が咲くように歩き続けることだと思う。相手を幸せにするなんて、烏滸がましいことは言えないけれど。それでもせめて幸せだと感じる瞬間が少しずつ増えると良いな、と思う。
 そのためには家計の安定もやはり必要だと若輩ながらも思うわけで。今日も今日とて労働に勤しむわけなのである。
 便利なギフトだなあと常々感服するばかり。大量のフランスパンを持っていく絵面はなかなかに面白いのだけれども、しかしそれが仕事であるため笑っても居られない。馴染みのパン屋に顔を出せば「おはよう」と声をかけて笑いかけてくれるものだから、こちらも笑顔になれるというわけであった。
「いつもありがとう、助かるぜ」
「いやいや、こちらこそありがとう。買ってくれる人がいるから作りがいもあるってもんだよ」
「うちの店のオーブン、しばらく買うにはかかるからな。カミさんもまだ余裕ないしよ」
「奥さん大事にな……! 今はまだ大事な時期だと思うし」
「おう、助かるぜ。困ったことがあったら何でも言ってくれよな」
「その時は頼らせてもらうよ、ありがとう!」
 もうすぐ出産を控えた妻と二人三脚で営んできたパン屋だという彼は、彼女を働かせたくはないがしかし店を残したいのだという。ならばと手を貸したのが零というわけだ。以前のようにパンを作ることは難しいが収入の維持にも努めたい。そんな彼の想いを知った零は二つ返事で了承の旨を伝えたのだという。
「悪いな、新婚だってのに」
「いや、そろそろ……落ち着いたと思うけど……!」
「なぁに、新婚ってのは三年目までを指すんだ。まだまだお前たちゃ新婚だぜ」
「そうかなぁ……」
「おうよ。奥さんは大事にな!」
「そりゃもう、俺には勿体ないくらいのかわいいひとだから……!」
 だいじにしたい。だけど惚気けるのはいつだって照れてしまう。かわいいところが脳裏をよぎって、ぐわっと熱くなってしまうのだ。
 カレンダーは11/19。もうすぐ彼女の誕生日なのを思い出す。
「……あ、じゃあ少しだけ助けてほしいかもしれない」
「なんだ? あんまり日数が居ることは厳しいが」
「んーー、あのさぁ……」

 ――奥さんにプレゼントをしたいんだけど、どんなものを贈った?


 大笑いされてしまった。ちょっぴりむくれてしまうが、「お前が自分で考えねえと意味がないだろ」と一掃されてしまった。ご尤もである。
 まるで北風にすら背中を押されているようだ。ちょっぴり寒い。太陽は照りつける気配すら見せてくれない。曇り空だ。
「……はぁ」
 難しいのである。女の子に贈り物。特別なかわいいこ。大事にしたいし、これからも共に。そう願う彼女の特別な日にふさわしい贈り物。
 きっとなんだって嬉しそうに頬を染めてくれるだろう。そんなことはよく解っているのだ。だけれども、違うのだ。そんなことが不安なのではなくて。
 その大切な、一年に一回にふさわしい特別をあげたいのだ。きっと今の彼女にしか渡せないものを贈りたいのだ。
「うーーーーーん…………」
 きっと煌めきを携えた宝石だって喜んでくれる。美味しいスイーツ巡りをプランニングしても、可愛い服をプレゼントしても、きっと、ほんとうに、なんだって。喜んでくれるのだ。だからこそ、いっとう、こだわりが強くなる。わぁと驚いて、それからじゅわりと頬が染まるのだ。そんな瞬間を夢想して頬が緩む。いけない。かわいい。
 けれど愛しい妻のこと。親御さんに託してもらった彼女のことを考えないことなど出来なくて。今は何してるかな、とか、怪我してないと良いな、とか、早く会いたいな、とか思ってしまう。
 別に働くことが嫌いではないし、むしろ好きで働いているのに。困ったものである。ちょっぴり早くなる足取りに、その足元には小さな子供。立ち止まろうとブレーキをかけるには遅くて、それから、どしん!
「あっ、ご、ごめんな……!?」
「ううん、ぼくこそ、よそみしてて……」
「いや、俺が悪い……! 怪我とかしてないか?」
 おろおろ慌てる零を横目に、その少年は零の後ろ――パンを目にしている。よだれまでたらし、返事の代わりにお腹がぐうとないた!
「……お腹、減ってるのか?」
「あ……」
 よく見ればその少年は。まるで物乞いのようにみすぼらしく、汚らしく、惨めと形容するのが一番正しい。それほどに彼はぼろぼろだった。
「……そうか、君はいつも来てくれてたな」
 伸ばしても届かなかった手にようやく届いた。不定期週末に開催しているマルシェ。零は安心安全できたてパンを販売している。それを遠くから眺めている少年たちがいた。きっと彼らは孤児なのだ。試し食い商品を、その加護をひったくっている彼らのリーダーが居たのを、遠い記憶に覚えている。その背を追いかけたのはけして捕まえたいからとかそんな正義感ではなくて、むしろ偽善で。
「よし」
「ひっ、」
「……ようやく、渡せた」
「え……?」
 5本のフランスパン。なんて、こんなに持たされたら困るだろうけれど。
「内緒な。この紙の住所に住んでる。食べ物に困ったらおいでな」
「……っ、!」
 涙を浮かべ。勢いよくうつむき激しく頷いた少年は、それをたどたどしく受け取ると来た方向へと引きかけえしていったのだった。
 別に珍しいことではない。少なくとも零にとっては。誰もが飢えることのない世界が欲しい。飢える苦しみは等しく恐ろしい。命すらも奪ってしまう恐怖があるのだから。
「また来いよー!」
 いや、再会を願うのは良いことではないのかもしれない。それでも、スリに手を染めるくらいなら。俺がいくらでも満たしてやれるから、と。秋空はいつの間にか晴れ渡っていた。
 マルシェは零が主軸になって行うことを決定した、零自身が行うと決めた取り組みの一つだ。
 美味しいものを欲しい人に。食べたいものを食べたいときに。そして高すぎないやり方で、どんな人にも行き届くように。
 零と近い志を持った人たちが集まったひとたちが集まっているのだからやりやすいことこの上ないのだ。
 冬も間近。いや冬かもしれない。そんな寒い季節こそ、美味しいものを大切な人と共有したくなるのだろう。
 屋台の用意をする。のれんをつけて。いつものマークも確認して。あとはずらりと並べたフランスパンの目印を。見慣れた顔もそうでない顔もちらほら見える。
 大きく息を吸って、それから吐いて。肺に魔力を流し込んで、少しだけよく通る声で。出力。
「さーいらっしゃい! 『羽印』のパンだよ!」
 かっと頬が赤くなるような感覚はいまだ抜けない。子供っぽくていやだった。けれど。今は全力を出している気すらして、むしろ嬉しい。変化だ。
 混沌に来てから多くの変化を迎えた。
 ひとつ。飢えの苦しみを味わった。
 ふたつ。魔法を教わった。
 みっつ。人を好きになった。
 よっつ。守りたい人が、世界があった。
 いつつ。許せないとも、思った。
 むっつ。終わらない飢えを満たしたかった。
 ななつ。……。世界一幸せにしたい。ずっと。
 きっとこれからもそう思い続けるし、添い遂げたい。だから。君の隣に立つ僕はしゃんと背を伸ばせるように。君に誇れる俺になりたいから。
 『   』。愛しい君の名前。指折り数えた頑張りたい理由。大層な勇者になんてなれないけれど、この両手ぶんくらいは守りたい。だから。
 今日も一日、頑張ろう。甘いバターの香りがする指。指先だけ赤くなった、守りたいものが多い手のひら。零が掴み取ったものは、すべて、離すつもりはないから。
 まばゆい光の中へ。日々の中へ。喧騒へ、とけた。
「いらっしゃいませ!」

  • いとしさを指折り数えたら完了
  • NM名
  • 種別SS
  • 納品日2023年11月19日
  • ・零・K・メルヴィル(p3p000277

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