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手垢まみれの命題に今日も、
登場人物一覧
●命題:生きるとは何か
耳慣れない言語が耳元で聞こえる。話すスピードから推測するにヨーロッパ圏の言語だろうか。
殺す気もない足音と後ろ姿は6人。背が高く、しっかりした体格。隙のない身のこなしから軍人崩れか。
入口から堂々と押し入る様を見届けると錆だらけの手摺から乗り出していた身体を引っ込める。
盗聴機のインイヤーモニターを耳から外し電源を落とす。
「6人か……予想より2人多い…………」
現場は計画中止だとかで中途半端に投げ出されて10年以上経った郊外地。
基礎まで出来たのに、中身が中途半端なまま完成したビル。
ビニールが被せられたままの椅子に座り、勝手に繋げたカメラや盗聴機の電源を落としながら次の手を考えてみる。しかし。
何処からか掴まれた尻尾。多勢に無勢。
善意なる一般人の奇跡の通報。顔も知らない仲間の救援。
(あ、詰みだ)
「無茶を承知で突っ込む……いや…………」
それで変に生き残りたくない。
だいたい向こうが男ばかりだからといって、女というだけで慰め者になれるとは思えない。
互いがプロだからじゃない。単にそういった方向に適性がないという判断はとっくの昔から分かりきっている。
「よし、死のう」
惨めに誰かの手で終わるなら、自分で相棒を選んで死のう。
手持ちの中から自殺に使いたい相棒を選びながら、馬鹿みたいな人生を振り返る。
初めはそう、男だった。こんな優しくて素敵な男が自分の恋人だというのが嬉しかった。
彼が自分を信じて求めるなら、何だって出来た。して良いと思っていた。
世界に彼と自分がいれば、それでもう十分、幸せだと思っていた。
だから彼に唆され、幼稚な正義を幼稚な精神ままで出力して人を傷つけてきた。
それも捕まって全部バレてからは、それらの暴露を盾に国にとって都合の良い仕事ばかりさせられてきた。
その過程でまた、多くの人を傷つけた。
その頃にはもう、幼稚な正義は深い復讐心になっていた。
男が、国が、……自分が、ただひたすらに憎い。憎くて堪らない。
──死にたくなかったから生きてたが、本当に自分に生きる意味はあったのか?
浮かび上がった問いが脳裡にこびりついたまま、手に触れたのは荒縄だった。
荷物を纏めるのに使ったり、ターゲットを縛るのに長年使ってきたものだ。
夜職の人間が使うような、手入れされ、人の肌にも優しい縄とは大きく違う。
これが一番しっくり来ると直感的に感じて、さっきまで手を置いていた手摺に片方を結んで残りの端を首へ這わす。
訓練で仕込まれた固い結びがこんな時ばかり綺麗に出来るのだから笑ってしまう。
追っ手の男たちが通常の階段と非常階段から駆けあがる音が聞こえる。
女ひとりを追うのに、全くご丁寧な対応である。
優しい彼らは他の仲間へ連絡して増援を呼んでいる可能性を取ったらしい。
残念ながらそんな女々しい悲鳴をあげる真似が出来る性格じゃないし、しても増援は来ないだろう。
そんな荒々しい足音をBGMに、手摺の向こう側へ身体を踊らせる。
(ああ、星空がキレイだなあ……)
地面から身を落としてしまうと臆病風が顔を出すと思って背中から落ちて正解だった。
周囲にそれらしい街灯も何もない土地だから、場違いなくらい凍える夜空が美しかった。
それがxxxxxの、最期の景色になるはずだった。
●命題:死ぬとは何か
暗転、目覚め。背中側全部が感じる触感が柔らかい。それに爽やかな草の匂い。
地獄は思ったより快適そうだなと現実逃避をしたところで人の気配に身体を起こす。
黒く長い髪に負けないくらい黒い服を着た女に見下ろされていた。
あれはシスター服というものだろうが、あまりにも無愛想な女だ。
(美人が勿体ないってこういう時に言うんだな……)
こちらが姿勢を整え終えたと把握したからか、いきなりここの世界の説明を始めた。坦々と。
世界の滅亡を語るにしては無感動な瞳で、微塵も抑揚のない声だった。
正直、拍子抜けだ。でも、それも良いのかもしれなかった。
落ちる筈だった命がこの異世界の神とやらに拾われたというのであれば。
なんとも中途半端なロスタイム、余暇というものを過ごすというのも、ひとつ道だろう。
そうなるとインスタントキャリアを繕う必要があるが、名字はともかく名前は何か良いものはあるだろうかと頭の中の辞書を捲る。
日本は世界でも有数な名字数を誇るらしいから、TOP3の中から選べは良い。
佐藤、鈴木、高橋……年代別の女子の名前ランキングで上位は美咲だったか。
ならば発音しやすそうな佐藤美咲。喋り方に癖を付ければひとまず良いだろう。
「まぁ生活できるなら何でも良いでス。旅人……佐藤美咲。前の職場よりは良さそうなんで特異運命座標として働きまスね」
世界の滅亡なんて実感のないまま、気軽に始めた特異運命座標としてのキャリア。
……それがこんな、長く複雑な道のりを辿るだなんて思いもしなかった。
どうやらこの世界の人間は美形が多いらしく、自分勝手にマナーみたいなものを守りつつ美少年と美少女を推し愛で、赴くままに食を食べる生活は悪くなかった。
時々変なことに巻き込まれ、大変な目に合いもするが悪くない余生、だった。
仕事の一環、それで身銭が稼げるなら。最初はいつもと変わらない、それだけの想いだったのに。
天義に帳が落ちて、多くの人と戦う中でまたあの疑問が浮かんできたのだ。
ただ其処に暮らしているだけの人だって失いたくなかった大切があった。
腹にひとつ、ふたつでも後ろ暗いものを抱えた仲間や人々、敵。
下手したら、自分が向き合いたくないと叫ぶ忌々しい過去よりも重苦しく疚しい過去を抱えた人たち。
そんな中で、自分が生きる意味はあったのか、と裾を引っ張る疑問が、ある。
それでも佐藤美咲のポーカーフェイスは完璧の筈だった。
それでも佐藤美咲のやるべき仕事は完璧の筈だった。
──自らを臆病と嗤うあの人と出逢うまでは、そうだと信じていれたのに。
──写真を持っているあの男が出てくるまでは、そうだと思い込めたのに。
この天義で、佐藤美咲という個が本当に闘わないといけないコトはなんだろう。
佐藤美咲が本当の意味で、向き合うコトはなんだろう。
佐藤美咲が、結城誓が、『全て』を賭ける。
その『全て』は何だったのか、今、定める時が来た。
答えが出ないまま。