SS詳細
新たな友と出逢った日。或いは、悪党に墓はいらない…。
登場人物一覧
●悪鬼夜行
絶叫は誰の耳にも届かない。
肉を削ぐ音も、血飛沫の孕んだ熱も、嗚咽も苦鳴も、狂ったような笑い声も、何もかも……何もかも、誰の耳にも届かないのだ。
“惨劇”の舞台はどことも知れぬ森の奥。
人目を忍ぶようにひっそりと佇む粗末な小屋にある人の気配は全部で3つ。
1人は仮面を被った殺人鬼。
1人はいかにも軽々とした印象のゴースト。
そして最後の1人は、白い肌をした長身痩躯の男である。
「4本目……なかなか耐えるじゃないか。感心したよ」
「だいたいの奴ぁ、1本目で泣きを入れるもんだが。流石は悪人、肝が据わってるなぁ」
斬り落とした指をトレーの上にきれいに並べながら2人は言葉を交わしていた。
その行為がさも“当然”のことであるかのように。
(あぁ、なんでこんな目にあってんだっけか)
血を流し、疲弊し、すっかり回りが悪くなった脳味噌を必死に回転させながら、痩身の男は事の次第を思い出す。
そうでもしなきゃ、もはや正気を保てそうになかったからだ。
●蛇の道は蛇
ルブラット・メルクライン (p3p009557)が受け取った1通の手紙。
差出人は不明。
書かれている内容も、幾つかの数字と記号だけという意味の通らぬものである。
「……これはこれは」
ペストマスクの下で、ルブラットはきっと笑ったのだろう。
囁くようなその声には、確かに“笑み”が含まれていた。数十秒ほど手紙に書かれた文字に目を走らせると、ルブラットは燭台の蝋燭に手紙を翳す。
油分の多い紙なのだろう。チリチリと音を立てながら、手紙はあっという間に燃えて灰へと変わった。
「さて。私は少し出かけて来るよ。明日の朝には戻ると思う」
“仕事”用の鞄を手に取り、ルブラットは立ち上がる。助手を務める女性に一言だけ告げて、ゆっくりと夜の街へ繰り出した。
「随分と俺好みの場所じゃねぇの」
湿った空気と、黴と埃だらけの石壁。
長く続く狭い通路と、その両脇に並んだ牢屋。古く、寂れた牢獄だ。
もう長いこと利用されていないのか、幾つかの牢の中にはすっかり白骨化した誰かの遺体が転がっている。
クウハ (p3p010695)は煙草に火を着ける。
燻る紫煙をたなびかせ、クウハは背後へ視線を向けた。
コツコツ、コツコツ。暗い通路に足音が響く。
「……ん? 貴方は確か」
「アンタ、確か以前に」
夜遅く、人気の失せた地下牢跡地で、クウハとルブラットは顔を合わせた。初対面ではないが、顔見知りというほどに親しくも無い。
そんな2人の共通点といえば、ローレット所属のイレギュラーズであることと、その“性質”の2点だろうか。
「ところで、煙草は控えた方がいい。体に悪いからな」
「煙草ぐらい好きに吸わせてくれよ。こっちはもう、身体なんてねぇんだからさ」
2人は笑う。
笑って、肩を並べた2人は暗い通路を奥へと進む。
「今夜は楽しくなりそうだ」
「あぁ、まったくだ。きっといい夜になるぜ」
通路の最奥。
ひと際大きな牢獄の中に、1人の女が座っている。日の光など浴びたことが無いような青白い肌に、少し白濁した瞳。
見に纏うのはボロボロになった黒いドレス。
彼女は灰色の髪を掻き上げ、微笑んだ。花の咲くような、という言葉が似合うあどけない笑みだ。
きっと、場所が地下牢でさえ無ければ、思わず見惚れる者もいるだろう。
「よぉく来てくれたね。良かった。私の手紙は届いたんだねぇ」
彼女が少し身じろぎをすれば、じゃらりと鎖の音が鳴る。その手首に嵌められた手枷の鳴った音である。
彼女の名は“埋葬者”テイク・リテイク・アンダーテイカー。ローレットの情報屋の1人である。1つ、風変りなことがあるとすれば、テイクの名前を知る者が極端に少ない点である。
テイクは“ある法則”に基づいた“依頼”しか扱わない。
彼女は“実行者”にも、自身の“法則”を当てはめる。
「“血なまぐさい”テイク・リテイク・アンダーテイカー。“残虐なる”テイク・リテイク・アンダーテイカー。なるほど、逢えて光栄だよ」
「俺はてっきり、噂話だと思ってたがな。なんたって、この俺様に今まで“依頼”が無かったんだから」
ルブラットとクウハは、テイクのことを知っていた。
噂話程度だが、彼女の順守する“法則”についても理解している。
「無駄話はけっこう。私が欲しいのは結果だけだよ。さて……こいつだ」
テイクが2人に差し出したのは1枚の写真。
写っているのは、白い肌をした長身痩躯の男である。
「確かに承った」
「やり方は好きにさせてもらっていいんだろ?」
写真を受け取った2人が、依頼の内容についてを問うことは無かった。
写真に映っている男について問うこともしない。
そして、テイクもそれっきり何も語らない。
問う必要も、語る必要も無いからだ。
何故ならテイクの依頼内容はいつだって決まっているからだ。
『極悪非道の大悪党の抹殺依頼』
そして、テイクは“殺人”に慣れた者にしか依頼を出すことは無い。
「世の悪党に無残な死を。この世を少し、綺麗にしよう」
立ち去る2人の背後から、歌うようなテイクの声が聞こえていた。
ワルタハンガは悪党だ。
不幸な境遇、時代の流れ、その他の不運に翻弄されて悪の道に落ちたのではなく、きっと生まれながらにして、或いは前世からずっと、彼は悪党だったと思う。
物心ついたころから倫理観に欠け、その気質は残虐そのもの。はじめて彼が殺めたのは家で飼っていた小鳥であった。ワルタハンガが4歳のころの出来事だ。
成長するにつれ、彼の残虐さは増し、両親はとうとうワルタハンガを遠くの荒野に置き去りにして捨ててしまった。その頃、ワルタハンガは8歳であった。
8歳の子供が荒野に置き去りに資されて生き延びられるはずがない。彼の両親はそう思ったのだろう。だが、ワルタハンガは生き延びた。旅の商人を襲い、殺めて、生き延びた。
以来15年。
彼は人を殺め、人から盗み、人を虐げ生きてきた。
決して幸福な人生ではないが、だからといって悲観するほどに辛いものでもない。少なくとも、ワルタハンガにとってはそうだ。
「あぁ、ちくしょう」
少なくとも、この日までは“そう”だった。
霧の濃い夜のことだ。
路地裏の一等暗い場所に身を潜め、酒を飲んでいたワルタハンガの頭上から男の声が降って来た。視線を上げれば、そこには紫色の髪をした軽薄そうな青年がいる。
浮いている。
「……っ」
ワルタハンガは人の気配に敏感だ。生き抜くために身に付けた技能である。
「ちくしょう!」
踵を返して駆け出した。
逃げたのだ。
逃げ時を見誤らないというのも、生き延びるのに重要な技能だ。多くの命を奪ってきたからこそ分かる。命よりも優先すべきものなんて、この世には1つも存在しないということに。
脱兎のごとく路地裏から表の通りへ跳び出す。
コツン。
耳に届いた微かな足音を、気にしている余裕なんて無かった。
霧の濃い夜だ。
自分が今、どこを走っているのかさえも分からない。時折、見かけるクウハを避けて右へ左へ進路を変えているうちに、自分の居場所さえ見失ったのだ。
コツン、コツン。
足音が聞こえる。
ずっとだ。その足音は、ずっとワルタハンガの背後から付いて来る。
姿は見えない。姿を確認している余裕なんて無い。
「なんでずっと追いかけて来るんだよ!」
悲鳴をあげた。
その瞬間だ。
「必死に生きようとする君の姿が、尊いものであると思えるからだよ」
霧の中から、否、ワルタハンガの耳もとで囁くような声がした。
マスクでも被っているのか、妙にくぐもった声だ。
それから、首の後ろに強い衝撃。
意識を失う瞬間に、自分を見下ろし嘲笑しているクウハの顔を見た気がした。
水音が聞こえる。
ポタリ、ポタリと水の滴る音が聴こえる。
「……ぅ」
目を覚ました。だが、視界は暗い。空気の流れを感じない。
自分がどこか、部屋の中にいることを悟る。
そして、手足を拘束された状態で椅子に座らされていることも。
「起きたか。血の気の多い男のようだ」
「あぁ。このまま起きないかと思ったよ」
声が2つ。
クウハとルブラットだ。ワルタハンガの正面に立った2人の手は、血で赤く濡れている。
「……血?」
誰の血だ。
この場には自分を含めた3人しかいない。そして、クウハもルブラットも、目に見える箇所に一切の傷など負っていないように見える。
「ふむ。現状を理解していないのかね?」
ペストマスクの嘴に手をあて、ルブラットが首を傾げた。白いマスクに、ぬらりと光る血が付着する。
「ま、寝てたわけだしな。教えてやるべきか?」
「いや。気づくのを待とう。その後の反応まで含めて、いいデータが取れそうだ」
クウハが海中時計を取り出す。
何かの時間を計測している。何の時間を……否、2人の口ぶりからすると、自分が何かに気付くまでの時間を測っていることは明白。
ワルタハンガは、辛うじて動く頭を捻って周囲の様子を見まわした。
暗い部屋。ボロボロの壁。黴と埃の匂い。光源と言えば、燭台に立った1本の蠟燭だけ。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が浅い。
妙に身体と頭が重たい気がする。身体から生命力というものが、徐々に抜け落ちていく感覚がする。
「ま、さか……」
動かない体に意識を向ける。その間も、ポタリ、ポタリと水音が途絶えない。
その音は、ルブラットの足元にあるバケツの中で鳴っていた。半透明のチューブの中を、赤黒い液体が流れている。
チューブがどこに繋がっているのかと言えば、それはワルタハンガの首だ。
「まさか、まさか……あぁ、まさかっ!」
「おっ! その顔が見たかったんだ! センスあるぜオタク!」
クウハの軽口に怒鳴り返す余裕は無い。
血は、ワルタハンガの頸動脈からほんの少しずつ抜かれているのだ。
「選択肢は2つある。1つは、生命活動に必要な量の血を抜かれて死ぬこと」
「そ、それは嫌だ! そんな無様な死に方があってたまるか!」
ルブラットの問いかけに、怯えた声でワルタハンガが叫び返した。
「おぉ、すっかり怯えちまってるよ。可哀想にな、助けてやろうか?」
にやにやとした顔でクウハが問うた。
悪辣さの滲んだ笑顔だ。だが、焦りで冷静さを欠いているワルタハンガはそのことにまったく気づけなかった。
だから、彼は助けを乞うた。
「頼む! 助けてくれ!」
悪霊に「助けてくれ」と、「血を抜かれて死ぬのは嫌だ」と、そう願った。
「よし来た。じゃあ、ルブラット先生。2つ目の選択肢の方だ」
「そのようだな。2つ目の選択肢だが……血が抜けきってしまう前に、君が恐怖や痛みで死んでしまえばいいんだ」
カチャリ、と金属の鳴る音がした。
ルブラットは手にメスを持ち、その刃をアルコールで消毒し始めたのだった。
かくして場面は冒頭に戻る。
まずは爪を剥がされた。
次に指から手首にかけての皮膚をきれいに剝がされた。
その後は、1本ずつ手の指を斬り落とされた。
それら全ての工程を、ルブラットは“慣れた手つき”で眺めていたし、クウハはそれを興味深そうに、面白そうに観察していた。
喉が潰れるまで悲鳴を上げ、目を剥いて、泡を噴いてワルタハンガは懇願した。
「もう辞めてくれ! ひと思いに殺してくれ!」
「そうはいかない。お前、散々、自分の勝手で他人を殺めて来たんだろ? 俺たちにだって、自分の勝手でお前を弄ぶ権利があると思わねぇ?」
ワルタハンガの顔を至近距離で覗き込みながら、にやけた顔でクウハが告げる。その手が、切断された指の断面に触れた。
肉に爪が突き刺さる。剥き出しの神経に、激痛が走る。
「ぁ“ぁ”ぁ“あ”あ“あ”あ“……っ!」
「まだ元気そうだな。タフなのも考えものかもしれないね」
「だな。次はどこを剥がすんだ、先生?」
「次は、そうだな……頬はどうだろう。なかなか珍しいタトゥーがある」
ワルタハンガの意思を無視して交わされる、日常的で、いかにも狂気じみた会話は、結局最後まで……明け方近くなって、ワルタハンガが狂死するまで続けられることになる。
これは、ルブラットとクウハの2人が、親睦を深めた“いとめでたき夜”の一幕である。