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さようなら、魔術師さん
登場人物一覧
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「……そう、死んだのね、彼」
空虚な理想郷に足を踏み入れたのは数ヶ月ぶりだった。
オルタンシアはこのズレた理想郷に興味など無かった。
中身のない感情、作り物の理想郷で見せられるあり得たかもしれない形が気に食わなかったから。
ではなぜこんなところに滞在していたのか――それは自身の招待した者たちのことを思い浮かべていたからだ。
「……柄にもなく、聖女様らしいことをしましょうか」
かちゃりと、ティーカップを置いた。
気分が少しだけ悪いのは、酷く拙い紅茶を飲んだせいだと思うことにした。
作り物の理想郷、鎮座する小さな教会に足を踏み入れる。
「――あの魔術師さんのことだから、勝ちのために知恵と勇気を振り絞ったんでしょうね」
そっと膝を着いて、目を伏せる。
祈りを、あの神のためにではなく。マルク・シリングと名乗った、一人の青年のために。
どうか、その死後の道行きが穏やかなものであればと願っておく。
たっぷりと、時間をかけて祈りを捧げてやった。
魔種の祈りなぞ、彼が求めないのだとしても、構やしない。
なぜなら、私は傲慢なのだから。
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「ふふ、こんにちは。あっちの話は良いのかしら?
私が推薦した子たちは、私と話すよりもカロル達から話を聞いておく方が有意義に感じると思うのだけれど」
「確かに、情報確度の高さを考えれば聖女カロルの方が高いだろうね。
でも、僕がここに来た理由の1つは君と話すためだからね」
マルク・シリング(p3p001309)は薔薇の庭園の中心から離れ、一人でお茶を飲んでいたオルタンシアへと話しかけた。
「あはっ♪ 贅沢ね、でもいいわ。それならお話ししましょうか♪」
改めてマルクを見たオルタンシアが楽しそうに微笑んだ。
「君は以前、『自由に生きたい』と言ったね」
「ええ、それが今の私の生きる理由だからね」
「もしも、他の誰かに危害を与えないと言うのなら……僕は、見逃してもいいのかもしれないと思うんだ」
「へぇ――ふふ、貴方。とんでもないことをいうわね!」
「もちろん、魔種である以上、倒さなければならない敵だとはわかっている。
でも、僕達の多くが、魔種だからって殺さないといけない現状を変えたいと願ってる」
「ふぅん……まぁ、そうね。でも――止めておきなさいな。
言ったでしょう? 私は自由に好きなように生きるって決めたの。
『他の誰かに危害を与えない』ことも約束はできないわ?」
すぅと眼を細めて、オルタンシアが笑う。
「君は、こうも言った。冤罪で断罪された人への謝罪が無いのは気に食わないとも……」
「そうね。そっちはもうどうでもいいと言えばどうでもいいけれど」
表情を動かさず、微笑むばかりに答えるオルタンシアに差し出された紅茶に口をつける。
「……この戦いが終わったら、天義にはきっと、再び変革の時が訪れる」
「――だから、その時に君の冤罪を謝罪させよう? ふふ、そういうの、私は望まないってわかってるでしょう?」
「あぁ、そうだろうね……君なら、それを望むのなら『それこそこの国でそうやって死んだ全ての人々に対してだ』」
「そんなこと、無理に決まってるわ。だから私は最初からそれは望まないでおいてあげる。
もちろん、問われれば気に食わないことはずっと変わらないけど」
そう言ってオルタンシアはもう一度、紅茶に口を付けた。
「それよりも、魔術師さん――あぁ、そうね。せっかくだから。
貴方の名前を教えて頂戴? 私と話すために、この地に残る勇気は褒めてあげる」
「……マルク・シリング」
「そう、マルク。覚えておくわ。
……貴方は何のために生きているのかしら?」
「僕は……死を遠ざけるために」
「……そう。人間なんて、どこかで死ぬものだけど、それでも?」
「それでも、少しでも理不尽ではないように」
「ふふ、いいわね、その目、真っすぐで揺らぐことのない目。
もしも貴方が処刑される前に私と出会っていたら、もしかしたら好きになってたかもしれないわね」
柔らかな微笑みをオルタンシアが浮かべる。
「――なんてね、冗談よ。でもそうね、それなら頑張りなさいな、マルク・シリング」
目を瞠ったマルクをからかうように笑った。
「それから――聖女らしく、貴方に言葉を上げましょう。
貴方も好きなように生きなさい。私が言うまでもないけれど、貴方の好きなように、後悔無いように、ね」
「言われなくても、そのつもりだよ」
「ふふ、それならいいわ」
そう言って、オルタンシアは目を伏せて紅茶に口をつける。
「私みたいに願ってもいなかった第2の生なんて、貴方は望まないでしょうから」
かちゃりとオルタンシアはティーカップを置いて、視線をお茶会のメイン会場の方へ巡らせた。
「ここだけの話ね……私、カロルの事嫌いじゃないのよね。
何かしら、親近感? いえ、違うわね……手のかかる妹を見てる気分?
なんて、言ったら何を言われるか知らないけど」
くすりと笑みをこぼしてから、オルタンシアがウインクする。
「――――」
「まぁ、あの子の方が私より長く生きてるかもしれないけど……そういうのは置いといてね」
穏やかに笑って、オルタンシアはそう呟くのだ。
「ファントムナイト、ねぇ……」
ぽつりと、オルタンシアがそう呟いた。
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それはファントムナイトの夜の事だった。
お互いにそうではない姿に変じたまま、天義の郊外にて2人は遭遇していた。
「はぁい、こんばんは、良い夜ね」
「そうだね……僕にとっては最後のファントムナイトになるかもしれないけど」
「あはっ♪ そう……そうなったら残念ね――そうね。マルク」
不意に、オルタンシアはそう呟いた。
「良いことを教えてあげる。私が死ぬ時、何を思っていたのか」
思わず、マルクは目を瞠った。
「――可哀そう、だと思ったわ」
「可哀そう?」
「ええ、そうよ。私を憎み、憤り、私に石を投げる人々。
怯え、恐れ、処刑場まで来てるのにこっちを見ない民衆。侮蔑や憐れみの目で私を見る奴ら。
でも、その人たち全員、あの男にそう感情を誘導されただけの哀れで無垢な子供のような人たちだった。
――それを見て私は、可哀そうだと思ったのよ。
今にして思えば、あの日、初めて私は一人の私になったのかもね」
「どうして急に……」
「ふふ、ファントムナイトの夜、貴方にとって最後になるかもしれない日の夜だから――ただの戯言だとしたら?」
「そうか、戯言なら仕方ないね。本当のことだとも限らない」
「そうよ、これはただの戯言。本音かもしれないし、本音じゃないかもしれない。
そもそもこの私は『オルタンシア』ではないかもしれないのだからね」
柔らかく笑って、オルタンシアは立ち上がる。
「――あぁ、そうだ。魔術師さん、せっかくの戯言ついでだから、もう1つ教えてあげるわ」
立ち去ろうとした魔女が、こちらを見た。
「私はね、貴方のように、自分の意志で考えて私を殺そうとする相手になら、殺されてもいいわ。
私を殺した空っぽな連中と違って、貴方や他の子たちの目は自分の意志で私に向いてるから」
柔らかに笑うオルタンシアがマルクを見た。
「――ふふ、その代わり。もしも貴方が死んでしまったら、その時は30年ぶりに聖女らしく祈ってあげましょう。
貴方の道行きがどうか幸福であるようにーーってね」
ウインクを一つ。それだけ残して、彼女はその場から消えていた。