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まずは、一緒に
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よく晴れた日だった。青い空はどこまでも澄んでいて、そこに浮かんだ雲は白く、青と白の境目をはっきりさせている。時折雲に隠れながらも太陽は眩い光を散らし、地上に生きるものたちを穏やかに照らしていく。
鼻歌を歌いながら歩いているのはエルシアだった。手に持ったブーケを抱えてくるりくるりと回り、側を歩く一嘉の先を歩いては隣に戻りと繰り返す。時折花束を陽光にかざして、大切に胸に抱えなおす様子は、この先の未来に確かに夢を見ているようだった。
一嘉とエルシアは先ほどまで知人の結婚式に参加していた。新郎新婦の幸福な姿は、知人だからこそ胸を打つものがあり、祝いに行ったはずなのに自分たちの背を押されているような気すらした。だからこそ、エルシアがブーケトスを受け取った時は、今が一歩踏み出すタイミングなのではないかと一嘉は思ったのだった。
ブーケトスは新郎新婦の幸せのおすそ分けの意味もある。結婚という幸福を次の誰かに繋げていく行為のようで、一嘉もエルシアも、自分たちの将来に想いを馳せる。
「私たちの結婚式はどうしましょうか」
ドレスを翻し、エルシアが微笑む。赤く染められた頬は喜びと期待で満ち溢れているようで、一嘉は頬がじわりと熱くなっていくのを感じた。
「そう、だな。エルシアはどんなものがいい?」
エルシアは「えっと」と口ごもり、それからふにゃりと照れ臭そうに笑った。
エルシアの故郷は新緑の田舎である。田舎には古くからの風習が廃れずに残っているというのはよく聞く話だし、逆に都会は新しいものが取り入れられて、どんどん変化していく。
結婚式だって、きっとそうだ。自分がやりたいと思っていることが、その土地にとっての古いものだったり奇妙なものだったりしたら、恥ずかしくなってしまうかもしれない。結婚式は人生の中で最も大切な日の一つだ。そんな日に恥ずかしい思いはしたくないし、一嘉にもそんな思いはさせたくなかった。
「まずはやりたいことを言ってみたらいい」
だけど一嘉は、エルシアが例えおかしなことを言ったとしても、嗤ったり嫌な顔をしたりしない。現実的に考えて出来ないことは教えてくれるけれど、馬鹿にすることはない。だから安心して話すことができた。
「やっぱり、ブーケトスはやりたいですね」
花束を抱えなおすエルシアに、一嘉は頷いた。「良いな」
「イレギュラーズの皆さんを呼びたいですね」
夕日がエルシアの横顔を照らす。光と影の間に、その輪郭が浮かび上がる。エルシアが一嘉の方を向く度に、光と影が形を変えた。
「お食事は豪勢なものが良いでしょうか。一嘉さんのお料理を出したら皆喜んでくれますよ」
「ああ、そうだな。ただオレも準備があるからな、厨房に回るのは厳しいかもしれない」
「そうでした。仲間たちとのパーティーとはわけが違いましたね」
エルシアが頬を押さえ、それからほんの少し唇を尖らせた。先ほどとは違う恥ずかしさで染まる頬が、指の隙間から見えた。
「結婚式の後の食事会だったら、オレの料理を振る舞えるかもしれないな」
「それは名案です」
エルシアの唇から語られる想像は、一嘉にはささやかで、同時に鮮やかな夢物語のように聞こえた。小鳥のさえずりのような心地よさで耳に届くそれは、幸せを一心に願っているもので、手が届く限りすべて叶えてあげたくなる。ふわりふわりと胸の底に届いて染みこんでいく言葉を一つでも多く留めたくて、一嘉はエルシアの想像に耳を傾ける。
「ドレスはどんなデザインがいいか悩みますね。お色直しも考えたくなります」
ドレスを選ぶときは一緒に悩んでくださいね。そう笑うエルシアに一嘉は頷く。二人でドレスを選んで、タキシードに悩んで、会場を選んで、それからそれから。膨らんだ想像を分かち合っていると、何だか結婚式を間近に控えているような気がした。
お色直しは何回くらいするものなのでしょうか。そう悩み始めるエルシアに、一嘉は向き合う。
「なあ、エルシア」
結婚の前に自分たちは一つ段階を踏むべきだと、一嘉は以前から思っていた。生涯寄り添っていくために必要なもので、きっと優しい時間になる。
「……まあ、その、何だ。エルシアに、都合が悪くなければだが」
一嘉は考えていることを言葉で伝えるのが苦手な自覚がある。言葉足らずなせいで愛想がないように思われがちなのだが、今日は、大切なことをきちんと言葉にしなければならない。
緊張や照れも相まって、いつもより言葉が逃げていきそうだ。それらを一つひとつ繋ぎ留めながら、一嘉はゆっくりと言葉を紡いだ。
「結婚は直ぐには無理としても、まずは、一緒に住むというのは、どうだろう?」
受け入れてくれる確信はあった。だけどいざエルシアの反応を見ると思うと怖くなって、彼女の目を見るまでに少し時間をかけてしまう。
エルシアはその場で固まっていた。ピンク色の瞳を縁どる睫毛が、瞬きを忘れたまま淡い輝きを放っている。やがて瞼は瞬きを思い出し、再び開かれた瞳は一嘉と空の間を彷徨った。
家族を失ったエルシアは、心の拠り所を他の場所に求めるしかなかった。抱えた罪の重さも、その贖いも自分を追い詰めて、支えになるものを探して見つけた本気の恋は、とうに終わらせた。それを忘れたわけではないのに、ぽっかり空いた穴を埋めてほしいと願ってしまうのだ。独りでないと、寂しくないのだと、思わせてほしいのだ。
飢えた心には暗い生き物が棲みつく。孤独を浮き彫りにするそれは、エルシアを暗い縁に引きずり込もうとする。だけど一嘉は、暗い水底に沈まないように手を差し出してくれるはずなのだ。
何かの代わりじゃない、本物の関係になりたい。一嘉とそうなりたい。エルシアは思う。だから、信じることにした。
「あまり待たせないで下さいね?」
信頼と希望をすぐに伝えるのは恥ずかしくて、隠すように強がった。抱きかかえたブーケに一層の愛おしさを感じながら、一嘉を真っすぐに見上げる。
夕日が静かに差す時間。赤くなった頬が陽光の色に染められて、肌の色なのか太陽の色なのか分からなくなっていく。歩き出した二人の影は時折重なって、繋がって、静かに静かに先に進んでいくのであった。