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ne vivam si abis.
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「この時計を貰ってから、もう1年になるんだね」
――街中を歩いていて、ふと。時計の針を確かめた。
ハリエットの手にあるのは懐中時計だ。
色褪せた黄金色の手回し式。それはギルオスから貰ったもの……
肌身離さず身に着けている宝物。
刻まれる時計の針は、まるで生きているようだ。
手回し式の懐中時計はネジを巻かねば動かなくなるからこそ余計にそう思う。
指先で弄るたびにギルオスの顔が思い浮かぼうか――
なんてのは、秘密だけど。
「あぁもうそんなに経つのか――早いものだね本当に。
君と過ごしていると時の流れを、すぐ忘れてしまいそうになる」
そんな隣には当のギルオス本人がいる。
懐中時計をくれた人。大切な人。一緒に時間を刻んでほしい人。
もっと一杯、自分の事を知ってほしい人。
……あっと、そうだ。そういえば。
「そういえば、なんだけど。私は路上で生きていたのに何で誕生日とか名前とか知ってるのか……話したことなかったね。もしかしたらローレットの資料とかには書いてあるかもしれないけど――面と向かっては」
「名前……そうだね、考えてみればそうだ。君は……」
「うん前にも話したことがあるけど孤児としてね生きてたんだ。だけどね」
言葉を紡ぎながら、同時に彼女はポケットを探ろうか。
次の瞬間にギルオスに見せるのは――
「それは……ドッグタグ、かい?」
「これ、ね。物心ついたときから首に下げていたんだ」
「親から託されたもの? いや、それは分からないか」
「そう。そこまではね、ちょっと記憶がない頃だから」
ドッグタグ。所謂かな認識票である。
戦場における兵士などが個人個人を識別するためのものだが、装身具としては一般人が持っていてもおかしくない代物。ハリエットも一つ持っていたのだ――ポケットの中に携えて、無くさない様にしていた。ただ見た限り随分と古い様子が窺える……
あちらこちらには傷も見える。ひっかき傷のような、ナイフの跡のような。
加えて掠れている所もあろうか。だけど、それでも未だにしっかりと読める。
『ハリエット』という名前と、幾つかの数字は。
「この数字……いやこれは日付、か。君の誕生日かな?」
「多分、ね。もしかしたら私のじゃなくて……
どこかの知らない誰かのが手違いで私に渡ったものかもしれない、けど」
けど、それでも。
「唯一――『私』が『私』であるのを証明するものなんだよ」
指先に微かな力を込めようか。
彼女の瞼の裏に映るのは、かつての世界の記憶。
良い記憶ばかりではない。その人生の大半は、人を信じられぬ中にあったから。
でも。
私が私でいられるのは、かつての世界でちゃんと生きてきたから。
寂しい記憶ばかりではないから。
だから微笑みながら――ギルオスに伝えようか。
「なるほど、ね。ハリエットという名前にはそんな経緯があったのか――まぁ、もじ仮にソレが君のものでなかったとしても……僕にとっては変わらない。僕にとって君は『ハリエット』だ。この世界で出会ったハリエットは君の事だけだ」
「うん。私も、ギルオスさんと出会った『ハリエット』は私だよ」
然らば。あぁギルオスもまた応えよう。
ハリエットがハリエットである理由を聞いて、彼女の微笑みを受け止めながら。
ギルオスにとってのハリエットは目の前にいる君だけ。
他の誰でもない。
この世界に来て、出会ってくれて――ありがとうと。
「――ところで。なんだけど」
瞬間。ドッグタグを見据えながら、ギルオスは顎に手を当てて呟いた。
何だろう? とハリエットは怪訝な表情を向けていれば……
「混沌世界でも日付は多分一緒なんだよね」
「? うん、そうだと思うけど」
「なら――此処に書かれてる日付は、今日の事じゃないかな?」
「――あっ」
指差した先にある日付。再度よく見てみれば、あぁ!
「わ。私一つ年を取ってた。気づいてなかった」
びっくり。なんとまぁ、年を一つまた重ねていたではないか!
「ははは。やっぱり素で気付いていなかったんだね」
「ん、ここ最近ちょっとバタバタしてたから……」
「あぁ勿論知ってるよ。僕の手伝いであちこちに付いてきてくれてたからね」
一息。
だから、と彼は言の葉を続けようか。
「だから――僕からの誕生日プレゼントだ」
「えっ」
「おめでとうハリエット。生まれてきてくれて。この世界に来てくれて」
そうして手渡すは綺麗な包み。
表にはラッピングもされていようか。あまり大きなものではない。
手に握れる程度のサイズ。いや、というより、そもそも。
「覚えていて、くれたの?」
「勿論。君の事だからね」
「――開けてもいい?」
「それも勿論。是非見てくれ」
心の臓が、跳ね上がる。
忙しさもあってか自分では忘れていたのに、彼は覚えていてくれたのかと。
喉の奥が緊張で乾きそうだ。いやこの感覚は緊張なのか? それとも、もっと、別の。
なんにせよハリエットは心中を抑えながら丁寧に包みを開けようか。
慎重に。指先にも緊張が籠りそうになるのを、抑えながら。
一体何が入っているのかと、さすれば――
「わぁ綺麗……! これって――」
「サファイアだよ。9月の誕生石だ。あんまり大きいものではないけどね」
其処には宝石があった。
宝石というよりも小さな蒼い石、サファイアが込められたネックレス、か。
金色の鎖の先に蒼い輝きがある。ギルオスによれば深緑の方で仕事をしていた時に見つけたらしい。元々は古代遺跡から出土したものなんだとか……更にはどうにも守護の力が込められているようで所有者を災いから護る――
「っていう『おまじない』もあるみたいでね」
「おまじない……」
「あぁ。あくまで『おまじない』だ。本当に不幸や災いから護るかは分からない」
だけど。ほんの微かにでも効果があるのなら。
ほんの微かにでも君の力となってくれたらと。
「そう思ったら――今度の誕生日に渡そうと思ってね。
その場で色々交渉して譲ってもらったんだ」
「――――」
「どうか君に持っていてほしい。君が、無事に帰って来てくれるように」
これからも君は、依頼を受けて危険な場所に飛ぶこむ事もあるだろう。
もしかしたら何か『君を狙う災い』自体が舞い込んでくるかもしれない。
未来は分からない。だからこそ……
願いを込めたのだ。
ハリエットは息をのむ。
ギルオスからの贈り物としては以前にも懐中時計を貰ったけど、それとは全く別物。
そもそも懐中時計の一件は時計を持っていないとしたハリエットに『きっと必要だろう』と渡したもので誕生日やお祝い事とは関係ない出来事であった。勿論、彼女になら託していいと思ったものであり利便性だけが理由で私ものではない、が。
だけど今回は明確に違う。
今回は必要だから、とか。利便性が、とかそういう事ではない。
ただ純粋にハリエットを祝う為のもの。
彼女の為の――プレゼント。
「ありが、とう」
大事に、するね。
――言葉が途切れ途切れになりそうだ。
目の奥が熱い。胸の奥が暖かい。
誕生日に何か貰えるなんて想像の範疇外にあったこともそうだけど。
なにより、あぁ。
嬉しいんだ。
「これ、つけてもいいかな?」
「あぁ。というよりも、付けてあげようか。ちょっと後ろを向いてくれるかな」
「ん――」
ハリエットが後ろの髪を手で掻き挙げる。
元々あまり長い髪ではないけれど鎖に巻き込まれないように。
直後にはギルオスの手が近くに至ろうか。ネックレスを、付けるために。
――また心臓の鼓動が早まった。
あぁどうか聞こえないでとハリエットは願おうか。
あまりの一時に時間がゆっくりと流れるようにも感じて――だけれども。
「はい。うん、やっぱり似合うね」
彼が、正面へと回り込んでくる。
ハリエットの首元には小さくとも煌びやかな想いがあった。
あぁ――
「改めて、誕生日おめでとうハリエット」
「うん――ふふ」
「ん?」
「約束、守ってくれたね」
ギルオスは言っていた。
『僕にも君の誕生日を祝わせてくれ――いつか、きっと。面と向かって』
そんな事を。ハリエットはずっと覚えていたんだ。
「あっ。そうだね、はは! ちゃんと言えて良かったよ」
「ねぇギルオスさん。来年も、一緒に祝おうね。私のも、貴方のも」
「――あぁ。きっとこれからも、ずっとだ」
二人して、自然と笑みが零れようか。
約束は果たせた。だけどこれで終わりじゃない。
次もあるのなら次だってきっと。その次だってきっときっと。
一緒に迎えよう、お祝い事は。
何度だって一緒に果たそう。
言った通り面と向かって――彼女の誕生日を祝えたんだから。
ハリエットの首元では淡い輝きが煌めいていた。
二人のこれからの行く末を――祝福するかのように。