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加速する熱病。或いは、残された時間…。

登場人物一覧

トキノエの関係者
→ イラスト
トキノエの関係者
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●熱病
 原因不明の病と言うのは、いつの世にでもあるものだ。
 そもそも、病と言うものは目に見えない。ごく微小な細菌やウィルスが原因であるケースがほとんどだが、それだって人の目では補足できないのである。
 今だって、すぐ目の前に病の原因となる細菌やウィルスが漂っているかもしれないし、すでにそれはあなたの口や鼻の粘膜から体内に潜り込んだ……つまりは、病に感染した後かもしれない。
 そして、病というものは“ある日”を境に爆発的に広まって、いつの間にか人の営みを麻痺させる。時と場合によっては、街や国が丸ごと消えてしまうこともある。
 かつては、ある遠い国において人口の約4分の1が病に罹患し、命を落としたという記録もあった。
 
 “灰熱病”。
 豊穣の一部地域で、ある秋の日より急速に流行り始めた病の名前である。
 灰熱病という名は仮のものだ。
 その病の観察記録は過去に1度も例がない。まったくもって新しく、そして未知なる流行り病に人々は恐怖した。恐怖し、怯え、だがどうにもできなかったのだ。
 手を洗い、うがいをして、家に引きこもっていても灰熱病の罹患者は続々と増えていく。鼠算という言葉があるが、もしもこの時期、病の感染拡大の様子を俯瞰している者がいたなら「それはきっと、こういう状況を指すのだろう」と、底冷えのする感覚と共に納得したに違いない。
 灰熱病の名の通り、その流行り病の基本的な症状は“体の内で燻るような高熱”である。じわじわと胸の辺りが熱くなって来たかと思えば、半日も経たないうちに立っていられぬほどの高熱に身を焼かれて病床に伏せる。
 灰熱病により引き起こされた熱は、身体の内に籠るのだ。
 それゆえ、額や首に手を触れても平時より多少体温が高い程度にしか感じない。だが、実際は違う。皮膚の内側では、骨を直火で炙られるような高熱が渦を巻いているのだ。
 熱は患者の体力を奪い、内臓の機能を低下させ、蓄えられた脂肪を燃やす。数日も病床に臥せっていれば、患者の姿はまるであの世の餓鬼か何かのように変わり果てるのである。
 また、長く体内で燻る熱は、人の生殖機能であったり、脳機能であったりを容赦なく破壊する。既に数人の人間が満足に物を喋ることも、考えることも出来ぬ廃人と化している。

 その街の名は“御神楽”という。
 周囲を高い塀で囲まれた、豊穣でも有数の貴人街である。塀の内には富める者たちが暮らしており、塀の外には広大な畑と労働者たちが暮らしている。
 富める者たちは、ただそこで裕福に暮らしていればいい。食糧の生産も、街の警備も、すべては塀の外にいる者たちが行うからである。
 さて、件の流行り病であるが、感染者はすべて塀の内に住む者たちだ。それも、榊の一族と取引があり、“病魔払いの巫女”の血肉を好んで食す者たちと、その親族ばかりが廃熱病に苦しんでいる。
 彼らが病を患った原因は“病魔払いの巫女”の血肉を喰らったからか。
 否、そうではない。
 そんなはずは無いのだと、部下に調べさせた状況報告書に目を通しつつ榊 伊慈は訝しむ。もしも巫女の血肉が病の原因なのだとすれば、とっくの昔に灰熱病は発症していたはずである。
 何しろ榊の一族が、巫女の血肉を切り売りしたのはここ数年の話ではない。何十年……否、100年を超える長い歳月、榊の一族は「1人の女」の身を犠牲に莫大な財貨を稼いできたのだ。

「我らの所業に、ついに天がお怒りになったか?」
 薄暗い部屋で、伊慈はくっくと笑いを零した。
 天罰など信じてはいない。そのようなものがあるのなら、とっくの昔に榊の一族は潰えているはずだ。
 結局のところ、世の中はすべて“人”を中心に回っている。
 中でも、榊の一族は世の中を回す“櫂”を手にする者である。一部の“力ある者”だけが“櫂”を手にする資格を持ち、ほとんどの者は力ある者に従い、生きて、死ぬのだ。
「とはいえ、うちも無関係ではいられないだろうことは明白」
 これは急いで“病毒の八百万”を手に入れなければ……と、伊慈がそう思った、その時だ。
 ひょう、と伊慈の部屋に隙間風が吹き込んだ。
 ぞくり、と伊慈の背筋が粟立った。
 その風の孕む瘴気が伊慈の本能に、逃れられない“死”の感覚を突き付けたのだ。

 いつの間にか、その女は伊慈の前にいた。
 足音も無く、扉を開ける気配もなく、最初からそこにいたかのように囲炉裏を挟んだ対面に女が1人、座していた。
「わたしの子にちょっかいをかけているのは、あなたね」
 白い女だ。
 人ではない。
「わたしの病にまだかかっていないなんて、運のいいこと」
 口から吐いた言の葉にさえ、毒と不吉が宿るような存在が“人”であるはずがない。
 静かな声で、女は伊慈に「ねぇ」と問うた。
 言葉を探す。慎重に、けれど急いで言葉を返さなければいけない。
 目の前にいるのは人外の化け物。
 機嫌を損ねてしまっては、ろくなことにはならないだろう。
「貴女が……あぁ、灰熱病の」
 彼女が……静羅刹がトキノエの親であることと、灰熱病の原因であることに伊慈はすぐに気が付いた。
「誤解です。私はただ、彼のことが知りたいだけです」
「あの子のことを? 記憶喪失のあの子にちょっかいをかけて、何を知れるというの?」
 トキノエが、“病毒の八百万”が記憶喪失であることは知っている。
 伊慈とて自分の命は大事だ。
 このような化け物に目を付けられた以上、計画を中止し、今後一切、トキノエに関わることなく隠れて生きるのが正解だ。
 それは理解している。
 理解しているが、認められない。これまでの努力を、積み重ねた時間と予算を無駄にするような真似は断じてできない。
 ゆえに、伊慈は1つの賭けにでることにした。
 賭け金は、自分自身の命だ。
 静羅刹が興味を持てば勝利。逆に、静羅刹の機嫌を損ねれば全てを失う。
 そんな類の賭けである。

「ご子息の記憶喪失の件、我が巫女がお役に立つかと」

「巫女? お前たちが金持ちどもに喰わせている人の肉のことか?」
「いかにも。病葉 樒という巫女がおります」
 正確には“いた”と言う方が正しいか。
 現在、樒はトキノエに連れ去られており榊の家にはいない。
「トキノエ殿は彼女のことを特に気にかけておるようで。もしも彼女の身に何かあれば、トキノエ殿は深く悲しむことになるかと」
「深く悲しむから、どうしたと?」
 首を傾げて静羅刹は問う。
 続きを話せ、と言っているのだ。
 伊慈は唾液を飲み込んで、喉を湿らす。
 さて、あと一手。
 あと一手を誤らなければ、賭けに勝てる。
「記憶……脳というのは不思議なものです。記憶喪失というのは、ほとんどの場合、頭部に強い衝撃を受けた際や、精神的に大きな苦痛を受けた際に発症します。そして、同様の手順で失われた記憶が戻って来るというわけです」
「では、その病葉という女をあの子の目の前で殺めると?」
「いや、なに。樒は余命短く、何もしなくとも近い内に死ぬでしょう。上手く使えば、ご子息の記憶を取り戻すきっかけになるかと」
 静羅刹は、唇に手を当て思案した。
 伊慈の提案に乗るべきか、否かを考えているのだ。伊慈の提案に一考の価値があると判断したのだ。
「戻らない時は?」
「お好きなようになさればよろしい」
 自分の命さえ、その時はもう奪えばよいと。
 殺したいのなら、そうすればよいと。
 伊慈は顔いっぱいに冷や汗を浮かべ、そう言った。
 

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