PandoraPartyProject

SS詳細

ひとしずくのめざめ

登場人物一覧

ジョシュア・セス・セルウィン(p3p009462)
闇と月光の祝福
ジョシュア・セス・セルウィンの関係者
→ イラスト


 冬は生命いのちが試される。
 厳しい寒さに耐え、溜め込んでいた食糧を削り、温かな実りの季節を夢見て過ごす。

 雪が全ての音を吸い込み、静寂に包まれた中での旅路はとても孤独だ。独りの時間を過ごせるという意味では、必要な季節、必要な時間なのかもしれない。
 しかし彼女――悠久の時を過ごしたキーラ・ナハト・フルスにとって、退屈は何にも勝る凶器。
 ほう……と吐き出した溜息は、誰に見つかるともなく大気に解けて消え失せた。

(……退屈ね。一年に一度のお勤めとはいえ、なんて代わり映えのしない雪道かしら)

 夜の長いこの時期、彼女が長を務める小さな集落では『月酔いの宴』が行われる。
 日々の寒さを耐える集落の住民達へとして"甘露"というご馳走が振舞われる癒しの宴だ。

 甘露は、口に含めば心解れる魅惑の雫。舌触りはとろりとして甘く、恍惚な夢へと誘う。それがを知っているのはキーラだけ。
 幸か不幸か、集落の精霊種は身勝手でご都合主義だ。原材料が"月硝の森の果て"にあると話せば、簡単に手に入らないモノだと分かった瞬間、すぐに興味を失った。冬枯れの森の奥へ採取に行くのは大変だが、キーラは周囲に知られない方が都合がいいと思っていた。

『――! まぁ!とっても美味しいわ!』

――初めて甘露を口にした時、は優しい微笑みで、自分の好物だと教えてくれたね。
――宴で振る舞うようにしたのだって、あなたを喜ばせるための口実だったわ。

 甘露の原材料が森深くにある花の毒である事。
 月光に晒し続ける事で、ようやく毒素が抜けて栄養のある甘露になるという事。

――全ての秘密を知っているのはリューンあなたキーラわたしだけでいい
――私はもっと、あなたの特別になりたいの。それだけが私の望みだったのに。

「リューン。どうして……」

――宴の本来の意味も、あなたを失った今では何の意味も成さないわ。それでも宴を理由にして"森の果てこのばしょ"へ足を運んでしまうのは、
  もう一度、はじめて出会った頃のように会えるかもしれない……なんて、あの日の幻影が月明りの様に、私の闇を蝕むから――

「どうして、私を置いて逝ってしまったの」

 木々の隙間から月灯りが降り注ぎ、耳元のイヤリングを輝かせる。
 それは慰めの様に優しい光で、キーラをいっそう孤独にさせた。感傷が心を満たし、溢れかえりそうなったその瞬間。

「……ッ、誰?」

 まるで月光かのじょの祝福を受けたかの様に、あの子ジョセはこの世へ生まれ落ちた。


 長い睫毛を揺らして瞬いた後、はくはくと動かした唇から零れるのは白い息。
 霜に包まれた身体は震え、熱を求めていた。それが"寒い"という感情だと知るのはもう少しだけ先だったが、
 生まれたばかりの彼の傍に他の精霊種が居合わせた事は運命だったのだろう。

「……ッ、誰?」

 霞む視界に影が落ちる。雪を踏む音が近づき、空を彷徨っていた手に温かいものが触れる。
 雪の中から抱き起されて、じんわりと広がる人肌の温もりは心地よく。生まれたばかりの精霊種は口元を綻ばせた。

「あらあら。いくら力に満たされたからって、こんな時期に生まれてくるのは失敗以外の何ものでもないわ。普通は春を待って――」
「……れも、おねーしゃんに、あえました」

 ようやく言葉を紡ぐ事を覚え、少年は想いを伝えられたとはにかむ。優しそうな笑顔にリュネールの面影が被り、キーラは糸目の奥の瞳を揺るがせた。

(やめてよ…何も知らない癖に。リューンと私の間に入って来ないで!)
「……」
「おねーしゃん?」
「ごめんね、何でもないよ。とにかく、そんなに凍えた身体じゃ動けないんじゃない? 暖を取る必要がありそうね」

 月硝の森に迷い込んだ精霊種は、はぐれ者だろうと集落へ連れていくのが長の務めだ。ただ、それ以上に、キーラは目の前の少年へ不思議な縁を感じていた。この心に渦巻く感情が何か、見定めなければ落ち着かない。幸いな事に、すぐ近くに風避けにできそうな洞窟があった。少年の手を引き、キーラは雪道を歩きながら真剣に考える。

――リューンと同じ因子を持つ精霊種? …いいえ、きっと違う。彼女は月光の精霊。この子のは他の因子から来たものよ。

 精霊種は自然から沢山の祝福を受ける。加護服と呼ばれる衣服も、そのうちの一つだ。
 鉄帝国南西は冬の間、雪に閉ざされ銀世界となる。極寒の中でも生き延びられるようにと、世界は因子にちなんだ服を生まれた子に与えるのだ。少年も服を着ているが、リューネルがかつて着ていた様な神秘的なベールではなく、コットンシャツや木の実のボタンなど、植物由来のデザインばかり。
 それに何より、この子はとても危うすぎるとキーラは思った。寒さで死にかけたというのに、見渡す限りの白銀をきらきらした目で見つめて言うのだ。

「まっちろ。きらきら、きれいです」

 道中拾った枯草を火床に敷き、柔らかい枝に小さく呪文を唱えてマジックフラワー着火する。初めて見る火に少年は最初こそくりくりの目をまん円く見開いて驚いていたが、手をかざすよう促すと、恐る恐る両手を伸ばした。やがてそれが無害な物であると分かると、彼は温かさに安堵した様子で座り込んだ。

「ねぇ。貴方、名前はなんて言うの?」
「なま、え……?」
「ずっと"あなた"と呼ぶ訳にはいかないもの。あるんでしょう? 私はキーラ。キーラ・ナハト・フルスよ。好きに呼んで頂戴」
「きーあ…」
「キー"ラ"よ」
「きーあ、きーあ…きー、ら?」

 舌ったらずな少年は何度もキーラの名を復唱し、ようやく発音を覚える。そして名前というものが何か理解すると、胸に手を当てて目を閉じた。
 与えられた名を探しているのだろう。キーラは様子を見守りながら、横髪にかかった雪を払いのけ。

 その時に、ようやく気付く。

「ない…イヤリングが、ない!!」

 あまりに大きな声を張り上げたものだから、少年が驚いている。常日頃からキーラと接している者から見れば、その動揺ぶりに驚いた事だろう。

 だって。なぜ。どうして。大切な人から貰った宝物を無くしてしまうなんて!

 目に熱いものがこみ上げて来るのと、少年が立ち上がったのは、ほぼ同時。キーラが声をかける前に、少年は洞窟から飛び出した。まだ温まっていないだろう小さな体で、短い手をめいっぱい伸ばし、来た道の雪をかき分け少年は進む。あっという間に姿が見えなくなり、キーラはただ、その場に立ち尽くす事しかできなかった。

(やっぱりね。私は闇の精霊種。暗くて歪な人生しか、この因子は呼び込まないのよ)

 我慢していた熱が、頬を伝って一筋零れる。堰を切った様に溢れ出した涙を止める事ができず、キーラは悲しみの底に沈んだ。

……どれくらい経っただろう。
 夜が明け、朝日が洞窟へ差し込む頃。泣きつかれた彼女の耳に、その声は飛び込んできた。

「きーら!!」

 少年が握った手を彼女の前に出し、そっと広げる。真っ赤になった小さな掌。その中心に、落としたはずのイヤリングがあった。
 はぐれものの精霊種が集まるこの森で、他人の優しさに触れたのはいつ振りだろう。心の闇が少年の優しさを歪に照らす。

「僕のなまえ、じょしゅあ・せす・せるうぃん、です。……きーら、お友達になってくれますか?」

――嗚呼、とっても愛らしくて、憎らしい笑顔。このお人形さんオモチャと、どう遊んであげようかしら!

おまけSS『絶望の足音』


 はじまりは、たったひと雫の毒。
 鉄帝国南西の冬夜は長く、誰もが寝ぐらに息を潜めて、しんと寝りかえっている。
 誰もいない孤独な月夜に、さびしんぼな北風が癇癪を起こして、ひゅうるると吹き荒び、煽られた一輪の花が一滴の毒をこぼした。
 毒はそのまま雪の大地に染み込み、幾星霜もの時をかけて無辜なる混沌に新たな因子いのちを宿らせる。

 洞窟を出て集落へ向かう途中、ようやく自分の事が分かるようになったジョシュアは、様々な事をキーラへ語りはじめた。自分の生まれや名前。どうやってイヤリングを探したか。
 世界を知り始めたばかりの感動を分かち合おうと、拙い声で一生懸命に、身振り手振りを交えて。
 普通の精霊種であれば、きっと生まれたばかりの頃の自分を思い出したり、自分とは違った生まれ方に興味を覚えたりしただろう。
 キーラは、ジョシュアが何かを語るたび、自分の間に溝を感じて、まろやかな笑みで話に相槌をうち続ける。

「そうなんだ。ジョセは自然から沢山の恵みを受けて生まれてきたのね」
「じょせ?」
「"ジョセ"は貴方の愛称よ。ジョシュアだからジョセ。気に入らなかった?」
「……! ううん、すごくいい! きーら、あぃがとー!」

――なんて綺麗で、壊したくなる玩具なのかしら。

 リュネールが居なくなり、孤独を感じるようになったキーラには、相手を想い、自分だけ生き続けるという苦痛の時間だけが残った。
 それは闇の因子を持つキーラの中に潜在的にあった仄暗い側面を浮き彫りににし、己の中に歪んだ感情がある事を彼女自身に気付かせる。
 光ある所に影があり、その輝きが強くなるほど、影もまた強くなるように。
 憎しみ、妬み――そういった、だくだくとした黒い感情。
 恐ろしいものが自分の中にあると気付いていながらも、キーラにはそれを隠しながら上手く立ち回る狡猾さがあった。

 そうでなければ、この瞬間にジョシュアを痛めつけ、壊してしまっていただろうから。

 ジョシュアの生まれはきっと、キーラがよく知る花の毒。リュネールが愛したものから生まれた存在なんて、なんて妬ましい事だろう。間接的でも彼女へ近づく者は許さない。ただ痛めつけるだけでは憎悪が足りない!
 じわじわと緩やかに、それこそ毒の様に悪意を撒き、ジョシュアの心を壊していこう。

(あなたを"甘露"なんかにさせない。誰もが嫌悪する醜悪な毒へ私が仕立ててあげるよ。
……まぁ、私は何も悪くないけどね。因子が毒なら、どうせ私と同じように心が引かれて危険なモノになるんだから。
 まわりの精霊種たちにも、早く『危険だ』って教えてあげた方が、きっとどちらにとっても良好な関係が築けるもの)

――ねぇ、知ってる? 最近、村に来たばかりのあの子。可愛い顔して危険な力を持ってるみたい。
――毒の精霊種?! 俺、今朝ごはんを手渡しで渡しちまったよ! 後から痺れたりしないよな?
――キーラちゃんは偉いよねー。集落のリーダーだから、あんな危険な子の面倒まで見る事になって可哀想。

「ふふ。そんな風に行ったらジョセが可哀想よ。私はただ、彼に幸せになって欲しいだけだもの」


「なんつうか、すっかり巻き込んじまったな。こんな所まで薬草探しを手伝って貰って」
「僕は好きで案内してるからいいんです。ゼノン様こそ大変ですね。カリメロ警護団で流行病なんて」

 特効薬になり得る薬草が鉄帝国南西の森にあると調べがついた時、何も思わなかったと言えば嘘になる。ただ、助けを求めてローレットの門を叩いた顔が、元々気にかけていた相手となれば話は別だ。
 ギルドでは特異運命座標たちが遂行者の対応に追われており、たまたま引き受けられるのがジョシュアだけだったという事。
 それを差し引いても、土地勘がある自分が頼られる事は必然的だった。

 目的の薬草が生えている地帯は、月硝の森から少し離れた場所だ。集落に近づく必要がなければ普段通りの依頼と変わらない。
 ふと、自分の右肩がひんやり冷え始めている事に気付いてジョシュアは視線をそちらに向ける。

「ニナさん、大丈夫ですk……うわ、カチカチになってる!?」

 腐れ縁とばかりについて来たスライムの二ナが、ふるふると身体を捩じり首を振るようなジェスチャーを見せる。しかし身体が寒さで固まりかけているせいか、その動きはぎこちない。肩に乗せていた彼女へ、自分が着けていたマフラーを撒いてやりながら、ジョシュアは記憶を頼りに森の中を進む。

「もう少しだけ我慢していてください。目的の薬草は確か、このあたりに生えていて――」

 ガサリと何かが木を揺らす音がして、第三者の気配を感じたジョシュアはすぐに警戒態勢を取る。スナイパーのゼノンを守る様に前へ立ち、音の主へと視線をやる。

「……ぁ」

 小さな悲鳴が零れ、息と一緒にのみこんだ。闇色の艶やかな黒い髪に、深い緑のクラシカルなコート。
 彼女の事を、ジョシュアはよく知っている。

「ジョセ? もしかして、あなたジョセじゃない?」
「なんだ。ジョシュアの知り合いだったか」

"ジョセ"がジョシュアの愛称であると知っているがゆえに、ゼノンは構えていたライフルの銃口を降ろす。しかし二ナがぶくぶくと泡立ち、威嚇のような動きをしている事に気付いて、怪訝そうな顔をした。

「素敵なお友達と一緒なのね。とっても賑やかで楽しそうだったから、本当にジョセなのかなって声をかけるか躊躇ったんだけど」
「……」

 特異運命座標になって、沢山の思い出が落ち葉のように積み重なって。あの頃の冷たい思い出を、覆い隠してくれていたはずなのに。キーラの声が、ジョシュアの心に焼き付いた記憶を呼び起こさせる。

 昨日まであんなに親しそうに声をかけてきていた隣人が、まるで汚いものを見るような目をジョシュアに向ける。
 誰もそばに近づこうとせず、ひそひそ、こそこそ、耳打ちをする声ばかりが聞こえて、幼いジョシュアは眉を下げた。
『ごめんなさい。僕、わからないけど、ごめんなさい……!』
『いいから、あっち行ってよ。毒の精霊種が傍にいるってだけで、こっちはいつ苦しい思いをするかってハラハラしてるのに』
『えっ……。そ、そんな怖いこと、しませんよ?』
『生まれたてのお前が、俺達に口答えするってのか? 精霊種の事を何も知らないくせに!』

 ガン、と頭に衝撃が走り、温かいものが額を伝う。石を投げられたと気付いた時、ジョシュアは眩暈を覚えそうになった。
 何も悪い事なんかしてない。そう思っていたけれど、集落での生活しか知らない彼にとって、他の精霊種たちの話は絶対だった。

『たしゅけてくらさい、きーら!』
『ちょっと、村長になんて口きいてるの? キーラ"様"でしょ? アタシ達にだって、対等に喋れるなんて勘違いしないでよね!』
『ぁう、う…ごめんなさい! ごめんなさいっ……みなしゃまに、ごめいわくを、おかけし、て……っ』

 膝が震える。喉が渇く。精霊種たちの輪の中で、キーラは変わらず微笑んでいた。目に余る行為を見かけるとジョシュアを庇い、自分だけが救いだと言う様にひどく優しい言葉をかける。
 村人たちの厳しい迫害の中で、いつの間にか、キーラがジョシュアの拠り所となっていた。

 それが、仕組まれていたものだと気付かずに。

「どうしたんだ、ジョシュア。顔色が悪いぞ?」
「ぁ……す、いませ、ん…」
「もしかしたら流行病がうつってしまったのかも。薬草はこの花よ。ちょうど私も入り用で摘んだところだったの」

 どうぞ、と腕に提げていた花籠をキーラがジョシュアの手に握らせる。その瞬間、ネイルが指に食い込んで、ジョシュアは痛みにビクリと肩を跳ね上げた。

「ッ……!」
「いいのよ、ジョセ。集落では辛い事がいっぱいあったもの。心を閉ざしてしまうのも当然よ」

 二ナのゲル状の手がぺちりとキーラを叩いた。「こら!」と嗜めるゼノンは、二ナがキーラに嫉妬しているとしか思っていないようで。

 昔と同じだ、とジョシュアは震える。周りに取り入り、じわじわとジョシュアを追い詰める。
 そうして気づけば、全てが地獄に変わっているのだ。心配そうに顔を覗き込んで来るゼノンとニナ。ローレットの仲間達。
 失いたくないものが沢山できた今になって、どうして――

「辛いなら、今は何も話さなくていいわ。だけど……次に会った時は、沢山お話しましょう?」

――だって私達も、お友達じゃない。

 よかった、とキーラは微笑む。壊れかけていた筈のお人形さんオモチャでまた遊べるようになったのだ。

 闇が再び、ジョシュアの足元から這い上がる。薄暗い森の中、不穏な空気がジョシュアの肢体を絡め取った。

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