PandoraPartyProject

SS詳細

海洋の娘

登場人物一覧

イリス・アトラクトス(p3p000883)
光鱗の姫
イリス・アトラクトスの関係者
→ イラスト
シルフォイデア・エリスタリス(p3p000886)
花に集う

 その人は、何時だって明るく笑っていた。新開を思わせる鮮やかな蒼い瞳、艶やかな黒髪の
 行こうと手を引いてくれるその人に何時だって甘えていた。忙しなく走り回っていても、暇が出来ればひょこりと帰ってきて世界の話を聞かせてくれる人。
 覇竜領域という前人未踏の領域に出掛けていったと聞いた。ローレットのイレギュラーズとして冠位魔種と戦い世界を救うのだという。
 まるで御伽噺のような人だった。絶望の海を鎮める為にも尽力していた彼女がシルフォイデアは眩くて堪らなかったのだ。
 ――だから、今回も何事もなかったかのように帰ってきて傷だらけになりながら「大変だったよ」と笑うのだと思っていた。
「無理をしないで」と声を掛ければ「大丈夫、大丈夫」と笑って頭を撫でてくれるのだと。

「え」
 シルフォイデアは立ち尽くした。フェデリア海域――シレンツィオ・リゾートの一番街『プリモ・フェデリア』に存在するフェデリア総督府の一室でエルネスト・アトラクトスが背を向けて立っている。
 義父の背を眺めながらシルフォイデアの唇は震えた。
「父様……? 嘘、ですよね」
 眩い紅色の瞳をした義娘の声にエルネストは静かに首を振った。
 密漁船で『積荷』として運ばれていた娘は7つの頃よりエルネストに保護され、アトラクトス家に迎えられた存在だ。その頃よりこの義父の姿を見ているが此程に暗く、静まり返った様子は見たことがない。
 言葉にする事も出来ないままシルフォイデアは立ち尽くした。銀の髪を結わえていた華やかなリボンがぷつりと音を立てて切れる。
 シルフォイデアはその音に我に返ったようにもう一度「嘘」と呟いた。
 ――義姉が、イリス・アトラクトスが死んだ。
 何時ものように疲れたと笑いながら帰ってくる筈だったその人が。義父と言葉の応酬を繰返し「分かってないんだから」と分かった様子で言う義姉が。
 帰ってきたらシレンツィオ・リゾートを共に歩いて、美味しかったスイーツの店を紹介しようと考えて居た大切なその人が死んでしまった。
 しかも、その遺体も姿を消し掻き消え、何処にもないのだという。それが奇跡の代償だというならばあんまりだ。
 その日は、父に言葉を書けることが出来ないままシルフォイデアは胸にぽかりと穴が空いた気だけがしていた。

 覇竜領域での戦いが落ち着いたと聞いてからシルフォイデアはエルネストに黙ってローレットへと向かった。
 普段からニュー・カリュプス島で執行官の手伝いを行って居ただけのシルフォイデアは居ても立っても居られない状態でローレットの扉を叩いたのだ。
 イレギュラーズである彼女がローレットに顔を出すことは何ら不思議ではない。だが、このタイミングでその顔を覗かせた事を知り看板娘が酷く悲しげな顔をしたことをシルフォイデアは見逃していない。
「あの、何か……何かお仕事はありませんか」
 義姉が辿った道をなぞるように。何かしなくてはいけないと焦燥感ばかりでローレットにやってきた。簡単な依頼を受けて体を動かし続けて居るのは余計な事を考えないためでもあった。
 その様子は鬼気迫るものでもある。精神衛生上、彼女にとっては成さねばならぬ事だったのだろうが、伽藍堂の儘に無理に戦っている事は明白だった。
 そんな様子を見かねたのだろうエルネストはシルフォイデアを改めてフェデリア総督府へと呼び出した。
「呼ばれた理由は分かっているか?」
「……嫌です」
「いつからそんなに強情になったのか」
 嘆息するエルネストにシルフォイデアは唇を噛み締めた。義父はこの状況をよく思って居ないのだ。
「だが、話をさせて貰う。これは『父親』としてだ。よもや聞かないとは言い出さないだろう?」
 悲しげな瞳を向けられてからシルフォイデアは黙り込んだ。エルネストも娘を喪ったばかり、失意の淵にあるのは何方も同じなのだ。
 座るようにと促されてからシルフォイデアは俯いた。義姉と言えども血縁など関係なく本当の家族として暮らしてきたのだ。シルフォイデアの胸中を慮ればエルネストとて苦しくなる。
 だが――彼女にそうした感情を背負わせたのは己であるともエルネストは理解していた。
「大事な話だ。もう察しもついているだろうが……シルフォイデアが現状、アトラクトス一族に関してすべき事は何も無い。
 これははっきりと言い切らせてくれ。シルフォイデアは確かにアトラクトス家の一員だが、血の繋がりは無い」
「はい」
「シルフォイデアを保護したことは間違いじゃないと思って居る。家族として過ごした時間も嘘では無い。だが――背負うことはないんだ」
 エルネストは言い淀みながらも、何とか彼女を傷付けない言葉を選んだ。イリスにもよく言われたものだ。『言葉にしなければわからない』と。
 目してばかりだったエルネストに対してシルフォイデアは分かり難いと口を酸っぱくして言って居たものだ。
 すれ違ってばかりだった親子関係だ。実子でそうなのだから養子として育てたシルフォイデアとも大きなすれ違いが発生する可能性がある。
 エルネストは慎重に、慎重に。彼女を思い言葉を選ぶ。
「アトラクトス一族の内部の情勢についてはシルフォイデアにはアトラクトスの血は流れていない。だからこそ立ち入る必要は無い」
「はい」
「ニュー・カリュプス島は……まあ、執政官がメインで統治する。イリスがいなければ暫くは落ち着かないだろうが、問題は無いだろう。
 多少の混乱を治める為に俺も手伝うつもりだ。だからこそ、何ら気にする必要はない」
「はい」
 実に、己の立場があやふやになるものだなとシルフォイデアは感じていた。本当の家族として過ごしてきたが、斯うした場面になれば部外者なのか。
 俯きスカートをぎゅうと握り締めるシルフォイデアを見てからエルネストは「ああ、また間違えたか」と感じていた。イリスがいたら叱られる。
 だが、大切なのは此処からの話なのだ。エルネストは表情を変えずに「シルフォイデア」と呼び掛ける。
「ローレットに最近は入り浸っていると聞いている。だが、あの仕事もアトラクトスが率先して行って居るわけではない。
 あくまでもイレギュラーズになったイリスが個人敵に行って居た仕事だ。ローレットは依頼を『受ける』事で仕事を引き受けるシステムだ。
 シルフォイデアがイリスの穴埋めをする必要性は何一つも無い。
 そも、イリス・アトラクトスが何かを遺したわけではない。そうだろう?」
「……はい」
 シルフォイデアはますます俯いた。唇をぎゅうと噛んでから姉を思う。そうだ、彼女がシルフォイデアに何かを頼んだわけでも残して逝ったわけでもない。
 ただ、その死を知ってから伽藍堂になってどうしようもない自分を埋める為だけに動いていたのだ。
「……だから、だ。イリスが死んだからと言ってお前が何かする必要も無いし、何か必要以上に背負う理由も無い。
 自由に生きて良いだろう。望むならばアトラクトス家の一員として動く必要も無い。お前がお前として生きていけば良い」
 ――それはある意味でシルフォイデアにとって見捨てられると同義だった。
 いいや、違うのだ。イリスを見ていたシルフォイデアは分かる。この義父はどうにも言葉が『へたくそ』なのだ。思った事と言葉に大きなすれ違いがある。
 分かって居る。望むならば娘として傍に居ても良い。イリスの妹のままでいい。アトラクトスに縛られず自由に動いたって良いとそう告げてくれているのだと。
 それでも――
「……イリス・アトラクトスは、何も残していないのかもしれません。
 それでもシルフィと呼んで笑ってくれる義姉あのひとを忘れること何て、できません」
 シルフォイデアはスカートをぎゅっと握り締めてから顔を上げた。
「父様がわたしを思ってくれてのことだと分かります。すれ違ってばかりの義父ちち義姉あねを見ていたのですから、分かります。
 けれど……わたしは、見たいんです。あのひとは誰かのために道を開いたんです。
 本当に、自分勝手な義姉でした。だって、こうだって決めたら意地でも曲げないで、置いて行かれる側の気持ちもこれっぽっちも考えてないんです。
 でも、未来の為でした。
 優しいあのひとが見ていないその先を見に行くべきだと、思います。弔いなんかでもないし、義務感でもない筈です。
 ただ……自分のしなければならないことでなく、したいことだって思ったから。それでは、いけないでしょうか」
 シルフォイデアはゆるゆると顔を上げた。臆病風に吹かれて戦うことを怖れていた少女が焼けに大人びて見える。
 エルネストはその瞳にイリスを見た。彼女は何時だって留まることを知らない娘だった。風吹くままに走り行き、海流と共にふわりと何処かに流れて行ってしまう。
 シルフォイデアは言う。
「あのひとは、わたしに停滞を許しません」
 ああ、その通りだ。ひとどころに留まっていること何て決して許さないのだ。

 ――例え雀の涙だとしても、私は足掻く。
 立ち止まって、後ろを向いて、『これまで』を積み重ねて。
 でも、それは全部『これから』の為だから。停滞する事とは、絶対に、違うから――

 だからこそなのだろうか。実に皮肉なものだ。平穏になった静寂の海で穏やかに暮らして言ってくれればそれで良いと、7つの頃に救いの手を差し伸べた娘の背を押したつもりであったのに。
 こうも力強く、彼女も戦いに出て行くのだというのだから。
「シルフォイデア、これだけ残っていたんだ」
「盾、ですか……?」
「振り返ることと、停滞は違うだろう。ひとどころに留まることはなくとも後ろを振り返って懐かしむくらいは許される。
 これが父として出来る事だ。もしも、戦いに行って草臥れたならば何時だってこの静寂の海に帰ってくると良い。
 ……お前の帰り着く場所としてこの海は何時だって受け入れる用意はしているのだから」
「はい」
 シルフォイデアは小型の丸盾を抱き締めた。無骨なそれは華奢なシルフォイデアでも魔力を駆使し使用することが出来る。
 前を進む為に、留まることはなく未来を追い求めるために彼女は生きてきた。
 その命を散らしたのは紛れもなく困難とも言われた『航海』を成功させるためだったのだから――
「父様、心配はしないでください。大丈夫です。……わたしは、大丈夫です」
「心配など――ああ、いや……いつだって無事を祈っている」
「本当に。そうやって行ってくれなかったら、二人とも似たもの親子だって怒ってしまう所でした」
 唇を尖らせたシルフォイデアにエルネストは肩を竦めた。引っ込み思案で、島の外に余り出る事の無かった彼女が広い世界に向けて踏み出そうとしているのだ。
 イリスが張り切ってパンドラの蒐集を行って居たのだ。自らも少しずつと考えて居た彼女はそえでも前を向いたのか。
「それと……頼ってくれても、構わない」
「ええと……?」
「お前がアトラクトスにも頼らずに生計を立てようと考えて居たのは分かるが……家族だろう」
 困り果てた様子で行ったエルネストにシルフォイデアはぱちくりと瞬いてから笑った。
 ローレットにもアトラクトスにも頼らずに生計を立てるならば商いしかないだろうかとも考えて居たが――それでも己の性格上難しいことが多かったのだ。
 もしも、困り事があれば義父に師事をすれば商会経営などもできるだろうか。いいや、そんなことよりも、何よりも、戦いながらでも義姉が見たはずの景色を見に行かねばならない。
 絶望の海を越えた先に新天地があったように。絶望とも呼べる滅びの向こう側に何があるのかを見ていきたい。
 それが未来を繋ぎ、道を切り拓くことなのだから。
「もしもの時は、頼りにさせて下さい」
 シルフォイデアはゆっくりと立ち上がってからエルネストを見た。
「父様、行ってきます」
 エルネストは目を見開いてから頷いた。「いってらっしゃい」と告げてからエルネストは立ち上がる。
 部屋に入ってきたよりもぴんと伸びた背筋も、悲しげであった瞳に映された希望も。なによりも、其れ等全てが此れより先を進むことを決意した彼女の覚悟の表れのようで。
(どうか――無事に)
 失意の只中から立ち直るにはまだ時間は掛かるだろう。
 それでも、一歩ずつにでも。義姉の為だけではない。自身が見たい景色を見付け、その場所へと走って行けるようになることを願わずには居られない。

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