SS詳細
人酒を飲む酒酒を飲む酒人を飲む
登場人物一覧
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喧騒、活気、それからほんの少しの
酒場というのはどの国も概ね、そういったもので出来ている。ローレットからの依頼や主人の『お使い』で色んな国を訪れたクウハはその様に認識していた。
例えば幻想の酒場。『果ての迷宮』の踏破のために生まれたとも言われるこの国は冒険者が多く、必然的に血の気の多いならず者がそこかしこで剣やら銃やら抜いたりしている。お盛んなことだ。
反対に、トップクラスに治安がいいとクウハが感じたのは深緑の酒場だろう。お国柄、そして国民の大半を占める
意外に面白いのが練達だ。種類はそれこそピンからキリまで。大規模なチェーン居酒屋、物静かなBAR、一風変わったコンセプト酒場……安全過ぎて退屈に感じるのであればそこそこ危なそうな再現性ナントカの名を冠する場所へ行けばスリルある酒場も見つかるものだ。余程、警戒心の強い人種……それこそ『日本人』でも無ければ出会ったその場で酒を酌み交わして情報を引き出すくらい、クウハにとっては訳も無い。
そういった風に情報収集の場、あるいは単なる社交場として酒場を利用するうちに顔馴染みも増え、常連となっていく……クウハがその日訪れたのは、そういった酒場の内の1つだった。
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「ようクウハ! 暫くぶりじゃねえか!」
年季の入ったドアをクウハが開けると酒の匂いと喧騒の坩堝の中からそんな風に声をかけられた。それがこの酒場をよく利用している常連の男の一人だと気がつくと、クウハは人の好さそうな笑顔を彼に向ける。
「よぉ、レブ。情報屋家業は儲かってるか? 俺様が恋しくて泣いてねーか心配だったぜ」
「あんたこそ行きずりの女に刺されてコロッと死んでないか心配だったよ。大事な金蔓だからな」
「言ってろ。マスター、カルーアミルクとナッツの盛り合わせを頼む」
レブの隣に腰を落ち着けるとクウハは近くにいた酒場のマスターに注文を付ける。線が細いレブやクウハとは対照的にどっしりと落ち着きのある様子のマスターは穏やかに頷き、注文されたカクテルを作ろうとロックグラスを取り出した。その図体の大きさに見合わず繊細な手つきでカクテルを作る様子を、クウハは存外と好んでいた。
「最近変わったことはあったか?」
「お前が聞くのかよ」
「情報屋だって情報源は必要だぜ? 他国の情報を知ってる奴ってのは貴重なんだ。酒奢るから、なっ?」
「おっ、マジか。んじゃ今日はお前さんの財布を空にしてやるとするかぁ! ケッケッケ!」
「うへぇ、程々に頼むぜ?」
駆け出しの情報屋レブとクウハのやりとりは、おおよそ毎回こんな感じだ。二人が並んで座っているとレブの方が一回りほど年上に見えるが、実年齢はクウハの方が何倍も上である。この年齢の割にはまだどことなく危なっかしく愛嬌のある男をクウハは存外に気に入っており、こうして会う度に何かと世話を焼いてやっていた。
「……? 騒がしいな」
ほのかな甘みのカシューナッツや香ばしいアーモンドにカルーアミルクの濃厚なコクを引き立ててもらいながらお喋りに興じること小一時間。不意にクウハは周囲に意識を向けた。この酒場はどちらかというと大衆酒場に近い雰囲気で騒がしいのは常であったが、その中から不穏な空気を感じ取ったのである。
「んだとテメェ! 俺の酌をするのに何か文句あるってぇのか!?」
「……うわぁ、あいつこっちに流れてきたのか」
「知り合いか?」
「一方的に、悪い方面で」
耳を澄ますと喧騒の中から一際目立って聴こえてくる怒号に、レブがあからさまに顔を顰める。それを認めたクウハは興味深そうに彼に尋ねるとレブは肩を竦め迷惑そうにそう答えた。
「最近、ちょっとした財宝を持ち帰ってきたとかで有頂天になってる連中の一人だよ。いくつかの酒場を出禁になったって話だから、この酒場に来たんだろうな」
「へぇ……それはそれは」
少し離れた位置にいる噂の荒くれ男を眺めてみると、どうやらこの店で給仕として働いている女性に酔って絡んでいた様子だった。怯えている女性を背に隠したマスターが毅然として対応しているものの、荒くれ男は今にもマスターの胸ぐらに掴みかかりそうな様子である。その様子を眺めて目を細めること数秒、クウハはグラス片手にその喧騒に向かっていく。
「あ、おいクウハ……」
「よぉ! 喧嘩でもしてんのか?」
そんなわかりきったことをわざと大声で訊きながらクウハはマスターと荒くれ男の間に割って入った。陽気に笑って愛嬌のある空気を振りまくと、一瞬荒くれ男が虚をつかれた様にたじろぐ。
「あァ? なんだぁテメェ……」
「今日は俺様機嫌がいいからよ、気分良く酒飲みてぇワケ。だからそうカリカリするくらいだったら酒奢ってやるからよ、機嫌直せよ。カクテル美味いぜここ」
マスターは図体こそ荒くれ男並にいいが、そもそも一般人だ。痛めつけられてお気に入りの酒場がひとつ営業できなくなったらたまったもんじゃない。こういう時にはこの店の馴染みの冒険者達が自然と用心棒役を請け負ったりするものだが、あいにく冒険にでも出ているのかクウハの知っている顔は今この場には居ないようだった。
「……チッ。へらへらへらへらしやがってよ、
ばしゃ!
うわ……と周囲の野次馬から微かに憐れむ様な声が漏れるのをクウハは聞いた。荒くれ男が手に持っていたビールの瓶の中身をクウハに頭からかけたのだ。レブがあわあわと狼狽えた顔でこちらを見ているのを横目に捉えながらクウハは猫の様にぶるりと頭を震わせ酒の滴を払い、変わらず笑みを浮かべていた。この後に恋人や主人と会う予定があったなら機嫌も悪くなったろうが、幸い今日はそうではない。この頭の弱そうな可哀想な男で
「……おーおー、元気じゃねーか。いいゼ、酌だろうがサンドバッグだろうが付き合ってやるさ。だが俺としてもただで付き合ってやるほど物好きな趣味はしてねえ」
悪霊の本分かクウハのその笑みは艶やかさすら混じっており、一瞬男も女も関係なくその場の人間の多くがクウハの笑みに視線を奪われる。それは荒くれ男も同様だった。荒くれ男の気勢を削いだことを感じ取るとクウハはにんまりと笑いこう言葉を続ける。
「かといって暴力沙汰は無しだ。オマエさんだって官憲とオトモダチになるなんて望むところじゃねえだろ? 酒場で強い奴と言ったらやっぱり酒が飲める奴だ。ここはひとつ、飲み比べで勝負と行こうぜ? 財宝持ち帰った度胸のある奴がまさか俺みたいな優男の勝負の提案を受けないなんて腰抜けなことしないよな?」
「誰が腰抜けだと!? やってやろうじゃねえか、地面にゲロぶちまけさせてやるよ!」
幸いなことに荒くれ男は見た目の通りあまり頭のよくない人物だったらしく、クウハの調子のいい挑発にあっさりと乗ってくれた。クウハは決まりだな、と手を打つ。それを見たレブはあーあ、と心の中で冥福を祈った。
「よーしよし、それじゃこういうルールでどうだ? 俺とオマエ、交互に好きな酒を指定する。指定された酒を二人とも飲み干す。先に酔い潰れた方が負けだ。負けた方が2人分の酒代を払うし、相手を好きにしていい。シンプルだろ?」
「上等だ、それでいいぜ。その小綺麗な顔をぶん殴ってやるよ」
ルールを提案したクウハがマスターもそれでいいよな?と確認のために目配せを送る。マスターがそれに頷いたことを確認すると、クウハは荒くれ男の正面に腰を下ろしてニヤリと笑った。
「俺が提案したんだ。初めはオマエから頼んでいいぜ」
「当たり
荒くれ男の横暴なオーダーにマスターが持ってきたのはショットグラスになみなみと注がれたテキーラに岩塩、それから一欠片のライムだった。荒くれ男とクウハはそれぞれ塩を舐めてからショットのテキーラを呷り、そしてライムをかじる。
「お、このライム美味いな」
「けっ、余裕かましやがって。次はテメェが頼む番だぞ!」
「んじゃマスター、カルーアミルクをもう一杯」
「カルーアミルクだぁ〜?」
こいつマジかよ、と言いたげにぎゃはははと笑う荒くれ男。だがクウハは素知らぬ顔をしたままその嘲笑に動じることはない。マスターが運んできてくれた柔らかな茶色のカクテルをくるくるとマドラーでかき混ぜると、カランと氷の音を立てながら飲み干してみせた。
「ほら、オマエさんも早く飲み干せよ。ちょっとした時間差で俺が酔い潰れるのを待つなんてフェアじゃねぇだろ?」
「うっせえな、わかってらァ。……へっへ、なんだこりゃ。ジュースみてえに甘ったるい酒だな!? ママのミルクが恋しいってか!」
「俺ァ甘党でな。ほれ、次頼みな」
その後、2人の注文は順調に重ねられていく。ハイボール、スクリュードライバー、ウォトカのロック、ソルティドッグ、ラム酒のストレート、アレキサンダー、ウィスキーのロック、テキーラ・サンライズ……、テーブルに積み重なっていく杯に店の住人の多くがいいぞいいぞと声援を送ったり、はたまたレブの様に固唾を吞んで見守ったりとクウハと荒くれ男の勝負を見守っていた。荒くれ男の様子が変わり出したのはB52を飲み干した辺りからだろうか。
「あーあ、もったいねえよなあ……こんなに美味いカクテルをオマエさんに合わせて急いで飲むのはよぉ。鯨じゃねえんだから」
「……あー? ……あんだってぇ? ヒック……」
「なぁんにも、ほれ次はオマエさんの番だぜ」
「……おー……俺ぁ……俺ァ……、」
呂律の回らない様子で荒くれ男は何杯目かの安ウィスキーを頼み、それを口にしようとした。……しかし、目測が外れたのかテーブルに頼んだ酒をばしゃばしゃと零してしまっている。
「おいおい、テーブルに飲ませてズルは無しだぜ? 飲めねえなら俺が飲ませてやるよ」
相対するクウハの顔は実に涼しいものだった。自分の元に運ばれてきた安ウィスキーを荒くれ男の頭の上でひっくり返し、同時に彼の体を椅子から蹴り落とす。荒くれ男は抵抗もできずに床にひっくり返っていた。
「"地面にゲロぶちまけさせてやる"……だっけ? このまま吐いてやろうか?」
「うる……
「起き上がれもしねぇ奴がよく言うぜ。俺の勝ちだよ。なぁみんな?」
悪い笑みを浮かべながらクウハが周囲の野次馬を見回すと、大きな拍手とよくやった!と労いの声が巻き起こった。クウハはそれに機嫌良く手を振って答えると、荒くれ男の懐を漁り堂々と財布を抜き取る。誰もそれを咎めない。『勝者が敗者を好きにしていい』と了承したのは荒くれ男の方だからだ。
「おおっと、こいつは文無しになったみてぇだな! 敗者は酒代を払わなきゃいけねぇのに困ったもんだ。無銭飲食は官憲に突き出さなきゃならねえ、そうだなマスター?」
マスターは頷くと、他の客に協力してもらって荒くれ男を縛り上げ店の隅に転がした。そのうち、官憲に連絡がされて彼は無事にお縄に着くことになるだろう。
「あー飲んだ飲んだ。おいレブ。臨時収入も入ったし河岸を変えて飲もうぜ」
「うへー、まだ飲むのかよお前。ホント強いよな……」
「いつもはそんなに飲まねえよ。おまえさんとももうちょっと話してたいからな」
「そういうとこだぞお前」
「何が? ……おっと、忘れるとこだった」
気分よさそうにしていたクウハは帰り支度をしている途中でマスターを呼び止め、両手を出す様に彼に言う。
「今日はありがとうな、マスター。
マスターの手には
「……」
レブは一度振り返って、酒場の中の喧騒を店の外から眺めた。既に飲み比べ勝負の時の野次馬の輪は解散し、今では各々が仕切り直しとばかりに飲み始めている。『
「いやぁしかし、あいつが馬鹿でよかったなクウハ」
「なんのことだ?」
「テキーラとかラムとかウィスキーとか……立て続けに飲んでケロリとしてるお前がそもそもクソ強いのもそうなんだけどさ」
「酒の強さに自信が無きゃそもそも飲み比べなんて挑まねえからな」
「おまえが頼んでたカクテルってさ、『レディキラー』だろ? 口当たりが良い癖に度数が強いやつ」
「いやぁ、偶然ああいうのが飲みたい気分でよ」
「で、カクテルだから基本的にジュースとかと混ぜて出すのが多い」
「そうだな」
「
クウハは悪びれもせずに暗闇の中でニヤリと笑った。
「これに懲りたらちっとは大人しくなるだろ。碌でなしの更生を手伝ってやるなんて、俺様いい奴だよな〜!」
その言葉にはレブもつい笑ってしまって、夜道に2人の笑い声が響くのだった。