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登場人物一覧
赤い光が弾けた。
『女王忠節』秋宮・史之(p3p002233)は歯を食いしばって理力障壁の向こうにある掌を払いのける。
重い。危機感から半ば睨むように見据える先には千鳥紋の羽織が揺れていた。
ヱリカである。
ライブノベル世界の一つ、<高襟血風録>の案内人めいた女は今、闘気を纏って導くべきイレギュラーズと対峙していた。
(やっぱり、強いな。ヱリカさんは)
胸を借りるつもりで挑んだが、一撃受ける度に体の芯から痺れるような衝撃が駆け抜ける。史之も歴戦の冒険者である。受けきれぬほどのものではない。しかし――
(このままだと、負ける)
胸の奥が焦げ付くような感覚。青い海の幻が脳裏をちりちりと焼いていく。
それは打撃を受け流すたびに色濃くなり、やがては、記憶に焼き付いた圧倒的な、文字通り赤き閃光の如き剣戟が、似ても似つかぬヱリカの存在と被る。
「う、おおおおおおおッ!!」
吠えた。凡そおおらかで、自身の気持ちより人の気持ちを優先する優しさ、悪く言えば気弱さを持つはずの史之は、堪らず吠えていた。
展開していた理力障壁を収束。力場は剣の形を成し、史之は目の前の敵に切りかかる――が、その刃が届く前に世界が回った。
背中を強かに打ちつける。冷たい床の感触。投げられた。
いっそ痛まし気に己を見下ろすヱリカの眼差しを浴びてそれに気づけば、史之は赤らめた頬を腕で隠していた。
二度目だ。尊敬する相手の期待を裏切ってしまった、己の無様な、醜い失敗をさらけ出してしまったと思えば自分自身を糾弾するように心臓は痛みをもって脈を打つ。
頭の中は罪悪感と無力感、羞恥に屈辱。負の感情ばかりをミキサーにかけたような有様。
それなのに戦い終われば貸し切った道場の中は酷く静かで、ただ互いの息遣いばかりが妙に耳に付いてしかたがない。
「……俺ね、混沌のほうで、敬愛する女王陛下のために奇襲作戦へ参加したんだ。」
唇が自然とそのように動いた。
「だけどね、俺、役に立たなかったよ。ぜんぜん役に立たなかった。
名乗り口上で敵の陣形を崩すのが俺の役割だったんだ。
がんばったけど、敵の統率力に負けちゃって、守りを崩せず作戦は失敗。あげく捕虜になってさ……」
弱音を言いたい心算はなかった。ただ、顔を隠す直前に投げかけられた視線に弁解したかった。
憐れみをかけられるようなことはないと説明したかった。
「どうしてもね、考えてしまうんだ。
あの時、ひとりでも引き付けることができたなら勝てたかもしれないって」
しかし、一度口にすれば思いは堰を切って溢れ出し。
「悔しい。悔しい。悔しいよ……。
もっと強くなりたい。強くなりたい。力が欲しい!
畜生っ……!」
いつしか顔を隠していた袖は濡れていた。歯の隙間から食いしばった嗚咽が漏れる。
その様子をヱリカはただ傍に座って見守っていた。
「秋宮殿よ」
「うん」
暫しの後、嗚咽は止んだが今だ顔を隠したままの史之にヱリカの静かな声が落ちてくる。
「貴殿は戦士には向かないな」
「ひどいなぁ、頑張っているのに」
「自分の為に戦うのが下手だ。我欲の為に戦わねば戦士というものは濁る」
「どうして?」
「他者の為に戦うということは、持ち帰った成果の全てを他者に委ねてしまうからだ。
己の結果を人に委ねてしまえば自分の気持ちで戦えない」
ヱリカの手が史之の髪を優しく撫ぜた。
その感触は憐みの様で、益々史之は小さくなり瞼に押し当てる腕の力は強くなる、が。
「秋宮殿。その悔しさは何処から来た。何故、自身の強さがあれば状況を覆せると思った。
女王陛下の
虚を突かれた心地だった。はっ、と肺から澱んだ空気が吐き出される。
史之は濡れた袖を払い、まじまじとヱリカの顔を見上げた。その表情に痛まし気な気配はもうない。
ただただ、眩しそうに目を細め慈しむ様に繰り返し髪を撫でる女がいる。
「ああ、だが、それでも、
騎士だとか、あるいは英雄など呼ばれるものになるやも」
「か、買いかぶりすぎ!」
史之は逃げ出すように跳ね起きた。顔が先ほどとは違う意味で火照ってしまっているような気がする。
逃げられたか、と涼やかに笑うヱリカが今は恨めしくて仕方がなかった。
「我は思った事以外は言わぬぞ。なぁ、未来の英雄殿」
「その呼び方止めてよぉ!」
顔を抑える史之がたまらなく面白(可愛)い様子で道場に木霊するヱリカの笑い声がしばらく絶える事はなかった。
窓から差す光が茜色に染まる頃。
「……今日はみっともないとこ見せてごめん、ヱリカさん」
袖もすっかり乾ききり落ち着きを取り戻した史之が頭を下げると、ヱリカはよいよいと手を振った。
「気にすることはないぞ、面白いものを見せてもらった故な」
「おかげで少し気が楽になったよ。……できれば、その面白いものはちょっとだけ忘れてほしいけど」
眉を下げる様子の史之にヱリカはニコリと微笑む。
女系の家系に育った史之はその微笑みのロクでもない意味を正確に察したが、それ故に押し黙った。あれは王手をかける直前に浮かべる類のものだ。勝てない勝負はするべきではない。
「まぁ、我にできる事と言えばこの程度の事よ。
秋宮殿と我では住む世界が文字通り違う……我の危機は助けてもらえても、貴殿の危機に我は駆けつけられぬ」
「ヱリカさん……」
溜息が落ちた。ヱリカは秋宮・史之よりも強い(現時点においては)。
しかし、世界の摂理は変えられぬし、何より幾度も危機を乗り越えるための助力をイレギュラーズに乞うている。乞うてそれでようやく生き延びている。
それを何よりも理解しているのはヱリカ自身である。握りしめた拳が袖の奥で震えるのを史之は確かに見た。
「この様な事、他の誰かに幾度も言われたであろうが……否、それでも言うべきであろうな」
ヱリカは小さく頭を振り、真っすぐに史之を見据えた。
「貴殿が、ただ生きて帰ってくれただけで嬉しい」
「ありがとう。そう言って貰えてうれしいよ」
不思議と悔しさは胸の底から湧きだしては来なかった。散々に吐き出して泣いてしまったからだろうか。ヱリカの抱える無力感を知ってしまったからだろうか。
しかし、胸に感謝の気持ちがすとんと落ちてくるのは久しぶりの様な気がした。
「あ、そうそう。忘れるところだった。
はい、お弁当。手合わせしてくれたお礼だよ」
隅に置いた荷物の中から弁当を取り出して渡せば、ヱリカはきょとんとした様子で首を傾げた。
「これを、秋宮殿が?」
「うん。ヱリカさん何が好きかなーって思いながら作ってみた。
手前味噌だけど、悪くない出来だと思うよ。料理は得意なんだ」
だからさ、と史之は息を吸い込み。
「
悪戯めいた笑みを浮かべる史之に、ヱリカは心得たように頷いた。
「ああ
二人して一頻りカラカラと笑い合い……。
「「それじゃあ、また」」
夕日の中、片方の気配だけが溶けるように消えた。