PandoraPartyProject

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東に向かって飛べ

登場人物一覧

カイト・シャルラハ(p3p000684)
風読禽
カイト・シャルラハの関係者
→ イラスト
リリー・シャルラハ(p3p000955)
自在の名手


 ――カイトくん、おかえり。

 ――この前、近くのパン屋さんで買ったパンがあるんだけど……


 其れが、リリーとカイトの“一週間”の始まりになってからどれだけが経ったでしょうか。
 カイトが心の裡に飼っている“緋い鳥”。そいつにリリーが一週間を差し出すようになってから、どれだけが経ったでしょうか。

 夏が過ぎ、もうすぐ秋が来るというのに。
 海賊水着に宝石水着。素敵だね、と合わせてしつらえた水着だって、あるのに。
 リリーの時間は、あの時の一週間で止まったまま。
 彼女が差し出した記憶の代わりにカイトが記憶を取り戻した、あの時のまま。

 ――気が狂いそうだ。

 カイトがそう思った時には、もう手遅れだったのかもしれません。もうカイトの裡では、何かどす黒い炎のようなものが燃えていました。
 自分のものに手を出される苦しみ。怒り。リリーへの悲しみ。慈しみ。そして暴力的なまでの愛。
 カイトの、カイトだけのリリーなのに。
 あの鳥のためのリリーなんかじゃないのに。
 なのに、あの鳥は素知らぬ顔をして、カイトが懸命にリリーと作り上げた一週間を奪い去っていく!!

 リリーもうっすらと、自分が何処かおかしい事に気付いていました。
 一週間の始まり。パン屋さんで買ったパンがあったなぁ、ってカイトに言うと、カイトは其の目に僅かに激情を宿すのです。

 ――ああ、リリー、なにかおかしいんだ。

 何も思い出せないけれど、カイトの様子を見れば判ります。自分の身に何か起こっていて、きっと其れにカイトも関係しているという事。解決する方法が見付かっていない事。
 でも、思い出せなくて。リリーにとっての一週間は、カイトの記憶が戻った喜びで始まって。巧く思い出せないながらに、ごめんなさいと泣き明かした日もありました。
 其れでも日にちは過ぎていくのです。月曜、火曜――そうして一週間を数えて、リリーは俯くのです。
 最初はメモを付けたりして対策をしていました。でも、メモを見る度“忘れた事がある”という事実がリリーの胸を締め付けて、結局、食物の残りをメモするだけに留めるようになりました。思い出せないのが辛いから。カイトを苦しめていると、メモの数が教えているような気がしたから。

 ――そうして、一週間が経ち。
 夢の中でまたリリーは緋い鳥の前に立つのです。
 不思議と其の時は、全てを思い出す事が出来ました。二人で駆け抜けた夏の日々。海賊と宝石だよ、って水着を選んだあの日。楽しみだね、と笑いあった表情まで、しっかりと思い出せるのに。

 緋い鳥がこちらに来ます。
 ……リリーは諦めたように、逃げる事をしません。自分が逃げたところで、直ぐに啄まれて終わりでしょう。其れに、……其れに、自分がこうされている間は、カイトは記憶を失くさずに済むのです。

 だったら。
 だけど。
 でも――

「……食べられるなら、カイトくんに食べられるのが、良かったなぁ……」

 其の瞬間、ガラスが割れるような音がして。
 良く知った大きな手が、自分をむんずと掴んでいました。



 ――リリーの心が諦念で壊れかけていたように、カイトの心もまた、壊れかけていました。
 猛禽の執着、其の逆鱗を常に撫でられているような感覚でした。自分“だけ”のリリー。愛しいリリー。どうして緋い鳥にお前が食われなければならないのか?
 お前が喰らうくらいなら、俺が喰らってやりたい。
 けれど、カイトは見えない壁の向こう側で、諦めたように啄まれるリリーを見ているばかりでした。

 これまでは。

 ああ、空を見て。茜色にうつくしかった空が、段々と宵色に染められて行きます。暗澹とした色に染まって、星々のような光がきらきらと輝いています。
 遠く小さく流れる星は、緋い鳥が啄んできた記憶でしょうか? 其れとも、二人で積み上げてきた思い出でしょうか。其れとも、パンドラの天蓋の煌めきでしょうか。

 兎も角。
 カイトは確かに聞いたのです。

「……食べられるなら、カイトくんに食べられるのが、良かったなぁ……」

 愛しいリリー!
 お前が望むなら、俺は、俺は何時だって!!

 激情が弾けた瞬間、カイトを阻んでいた硝子の壁が砕け散りました。
 最早迷う事はありません。カイトはリリーの小さな身体をむんずと掴むと、愛していると、至上の愛を歌うように其の身体を一思いに食べてしまいました。
 リリーには抵抗する意思は最早ありませんでしたが、もし余力があったとしても抵抗はしなかったでしょう。
 緋い鳥は不満げに、暗澹とした空に浮かび上がるように緋色の身体を震わせながらカイトを見ていました。

「お前にはもうやらねぇ」

 お前が食うくらいなら、俺がお前に“為ってやる”。
 カイトの意識が混濁していきます。怒りの所為か、嫉妬の所為か。其れは妬みの極致。『リリーを喰らった緋い鳥になってでも、リリーを喰らうのは自分でありたい』という願い。



 そうして、二人の一週間は段々と歪なものに変わって行きました。
 一週間の最後、リリーをカイトが喰らって、そうしてリリーの記憶は巻き戻る。
 ああ、空を見て。ぐちゃぐちゃに絵の具を混ぜたかのように渦を巻く空。あれはカイトの心の表れ。

 リリーを渡すくらいなら、俺が為ってやる。
 俺が緋い鳥なのか?
 緋い鳥が俺なのか?
 わからない。わからなくていい。ただ、リリーは渡さない。

 二人は少しずつ、記憶を共有していきます。
 喰らう事で緋い鳥を通してでしょうか、一生懸命カイトがリリーと過ごそうとした一週間が二人の間をぐるぐる、巡るのです。

 ――楽しかったな。
 ――楽しかったね。

 ――大好きだ。
 ――大好きだよ。

 例え其の行動が狂気じみていたって、根底にあるのは純粋な色をした愛でした。
 ただ二人は、一緒に日常を歩いていきたいだけだったのに。何てことない夕暮れに明日を描いて、そうして二人寄り添って眠って、おはようって笑い合いたい。ただ其れだけだったのに。
 其れを狂わせたのは?




 ――腹が減った。

 緋い鳥は一週間を満たしてくれる記憶を横取りされて業腹でした。
 だけれどもカイトの邪魔をしなかったのは、己を閉じ込める茜色の天蓋が変化していたから。
 外に出たら何処へ行こう。人の沢山いる所が良い。あの“虫”の一週間ほどではないが、きっと良い味がするだろう。外の“虫”とは、そういうものだ。

 そうして、緋色の鳥は羽撃きました。
 時は来たのです。最早名状しがたい色に染まった空を破り、外へと――再び無限の空を目指す時が!



 リリーたちはツガイ。
 カイトくんはリリーのもので、リリーはカイトくんのもの。
 食卓に載って良いのは互いだけ。

 また一週間が終わって、カイトがリリーを喰らいにやってきます。
 自我を破り、まるで其れは、カイトが緋い鳥に成り代わってしまったかのようでした。
 其れでも、リリーは喜びを感じていました。だって、怖い鳥さんに食べられるより、大好きなカイトくんに食べられる方が良い。どうせ食べられるなら、カイトくんがいい。
 ――ああ、でも。今日は何か、いつもと違っていました。

「……どうした?」

 そんなリリーを不思議に思ったのでしょう。
 これまでただ無心に己を喰らっていたカイトが、リリーに声を掛けました。
 思っているよりも随分疲れた声だな、とリリーは頭の隅で感じながら、空が、とリリーは空を指差します。

 ぐるぐる、茜色と宵色と青色が交じり合って、渦を巻く空。
 其処を目指して一直線に走る緋色の星がありました。
 ああ、あれは星ではありません。緋い鳥が。鳥が、疲弊して摩耗して薄くなってしまったカイトの心の空を打ち破って、外へ出ようとしているのです。

「――……カイトくん」

 決心したように彼を見たのは、リリーでした。

「追おう」
「……リリー」
「……リリーはね、カイトくんの記憶が戻るなら其れで良いって思ってた。でも、……やっぱり駄目だよ。リリーは、」

 唇が震えます。
 ずっと、ずっと、言いたかった。でも疲れ果ててしまって、忘れてしまって言えなかった。リリーの大きな瞳から、涙がほろり、と零れて。

「リリーは、大好きなカイトくんと、ずっと一緒にいたい……! 楽しい事嬉しい事、一緒に覚えていきたいよ……!!」

 其れは、リリーを繋ぎ留めていた一本の細い糸でした。
 疲れ果てたリリーを辛うじて正気に留めていた、細く堅固な糸。いつかきっと、何とかなるんじゃないかって。其れこそ奇跡を願うみたいにリリーが離すまいと捕まえていたよすが。
 カイトは静かに瞬きをしました。

「――……そうだな。俺達は、ツガイだから」

 楽しいも、悲しいも、嬉しいも、一緒じゃないといけねぇんだ。
 カイトは優しくリリーを持ち直すと、緋色の鳥が飛び去った方向を見上げました。空にはひびが入っていて、既に彼が外に出てしまった事を示していました。
 そしてこれは決して、カイトにいい影響を齎さないだろう事も。
 其れでもカイトは戦うと決めたのです。リリーが「一緒に」と望むなら、大切なツガイが望むなら、叶えてやれない訳がないのです!

「行くぞ、リリー!」
「うん!」

 赤いツガイは、緋い鳥を追いかけて天蓋を目指しました。
 例え其の先でリリーが何も覚えていない現実に出会っても、もう恐れません。

 こんなぐちゃぐちゃの空じゃない、青空の下で、二人、笑い合いたいから!

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