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はじめてのおかいもの
登場人物一覧
練達。科学技術華やかなりし
今からしばらく前に、竜の襲撃を受けたかの都は、気づけばいつも通りの日常と変わらぬほどの復興を遂げている。
そんな都市に、今再び竜の姿が見えていることに、住人たちは気づいているだろうか。
シックで飾り気の少ないワンピースは、それでも普段の衣服よりはいくばくか『オシャレ』をしたものであろう。背中の翼と尻尾は、一瞬、人の目を引いたが、「ああ、亜竜種の女の子か」と道行く人はすぐに納得する。
青髪のその少女の名を、ストイシャという。れっきとしたレグルス竜の一つであり、かつて練達を襲撃したザビーネ=ザビアボロスの『家族』の一人であるわけだが、ストイシャ本人は練達に来るのは二回目なのだが、厳密にいうと一度目は、再現性東京に行ったのだ。あの時はみょうちきりんな目にあったけれど、それは別の
「えっと、大丈夫か?」
零が尋ねる。
「人も多いからな。疲れてたりしない?」
「大丈夫」
と、ストイシャはうなづいた。
「大丈夫。お姉ちゃんだから」
何故だか先日から、ストイシャは零のお姉ちゃんを名乗り始めたようだった。会話の流れからそうなったのだが、なんとも、これも背伸びしたい気持ちなのかもしれないし、実際、生きている年月は、ストイシャの方が長いのかもしれない。竜であるわけだし。
「お姉ちゃんでも、疲れてるときは休むもんだ」
零が言う。
「ほんとに、大丈夫」
ストイシャが、ふひひ、とへたくそに笑った。
「最近は……ニンゲンって、そんなに噛まないってわかったから。
それに、零もいるし」
そう言って、零の服の裾を握ってきたので、零はその手を握ってやった。氷竜の、少しだけひんやりとした体温を感じる。
「ん……じゃあ、さっそく買い物に行こうか」
零がそういったので、ストイシャはうなづいた。大丈夫とは言ったが、やはり少し緊張はしている様子だった。零は気遣うようにストイシャをエスコートすると、些か人通りの少ない商店街に向かっていった。
ストイシャと零の共通の趣味、という点で上げれば、やはり料理という所にたどり着く。ストイシャは、料理というより、お菓子作りに比重を置いているわけだが、その垣根は別に高いわけではない。そうなると、やはりというかなんというか、料理に関する話題に花が咲くというものだろう。
「ストイシャは、覇竜領域でどんな調理器具を使っていたんだ?」
と、零は好奇心から尋ねてみた。当然のことながら、ヘスペリデスにも、ザビアボロス一族の領域にも、電気だの、人の文明だのは存在しない。ストイシャは、ザビーネが時折お土産に持ってきたり、フリアノン方面から流れてくる料理書などを参考にお菓子を作っていたという。材料も同じものが手に入るのは稀なので、似た様なものや、かなりアレンジを利かせて作っている。材料がそうならば、もちろん、調理器具もそういうことになる。例えば泡だて器も、きっとろくすっぽてにはいらないだろう。ムラデンはこういう時に、「爪でかき混ぜれば?」と言って、ストイシャに顰蹙を買っている。
爪でかき混ぜれば、ではないが、似たようなものを必死に作っていたりした。例えば泡だて器などは、竹のような性質を持つ植物を、竜の爪で細かく裂いたものを使っていた。厳密に泡だて器を再現したものではないが、一応の仕事はしてくれている。
「あとは、岩を。くりぬいて。かまどとか作ったり」
「岩を? 爪で?」
「爪で」
やはり竜の爪はすべてを解決する。冗談はさておき、そんな涙ぐましい努力をしていたストイシャがつくったお菓子は、しかし零の多少のひいき目を見てもおいしいものだった。相当努力していたに違いない。そして、ちゃんとした器具をそろえれば、きっともっとおいしいものができるだろうし、そうなったら、ストイシャはきっとすごく喜んでくれるだろう、と零は思ったのだ。
「それじゃあ、買いものいかないか? 調理器具のさ」
「買い物? ニンゲンの街?」
ストイシャが、目を丸くして驚いたのを覚えている。憧れと、少しの恐怖の混ざった、複雑な表情だった。
ストイシャは、ニンゲンが怖い。怖いというのは、対等の存在として恐れているわけではなく、『この犬噛まないかな……』程度のそれであるが、それでも、『ニンゲンって噛むの?』位の偏見と恐怖は抱いていた。そんなわけだから、ストイシャにとって、ニンゲンの街へのお買い物というのは、これでなかなか、大冒険に当たるのだ。
「うん。ああ、ストイシャがその、人間のこと、あんまり慣れてないのは知ってるけど。
一応、平日の昼間とかならそんなに人いないタイミングがあるし……店の方にもさ、ツテでちょっと、融通が利くんだ。
怖がらせたりしないから、どうだ?」
ストイシャにとっては、零は信用に値する人間だ。ストレートに言えば、『好きな人間』といってもいいだろう。もちろんそれは、友情のそれであるが、とにかくストイシャは、零には好意的だ。そんな零からの誘いは、ストイシャにとっては喜ばしいものだった。考えてみれば、『友人から遊びに誘われる』という経験は、ストイシャにはなかっただろう。ムラデンもそうであろうし、この双子は、結構そういった人生、竜生を歩んできていたともいえる。
そういうわけだから、ストイシャは、この時しばし悩んでから、「零がいくなら、行きたい」と答えて見せた。零にとっても、これはうれしい答えだった。零はストイシャに宣言したとおりに、なるべく人通りの少ない時間をリサーチして、その時に店に向かうことにした。また、店の方に話を通して、少しだけ、いろいろと融通が利くようにしておいた。
準備は万全であった。そんなわけで、お出かけの日を迎えた二人は、冒頭のように、練達へと向かったわけである。
練達の近未来的な風景は、再現性東京のそれともまた違う。コンクリートなのか鉄なのか、それとも別の人口素材なのかもわからないような道路に、レガシー・ゼロとも違う機械のイキモノが道案内をしている。ストイシャが、興味半分、怖れ半分でそれを見ているのを、零は楽し気に案内してやった。
「あれ、い、生きてるの?」
ストイシャが案内用のロボットを指さして言うのへ、零が、ううん、と唸った。
「いや、あれは決められた動作しかしないんだ」
「噛まない?」
「口が無いからな」
それもそうだ、とストイシャが唸った。でも近づくのは怖い。遠巻きにそれを見ながら、零の後ろに隠れた。
「どっかいった?」
「行かない。あれは、あそこから動かないんだ」
「大変そう。じゃあ、私が行く」
ストイシャが、零の手を引っ張るので、零は少しだけ歩調を速めた。
「今日行くところは、総合店でさ」
零が言う。
「つまり、何でも売ってる」
「なんでも? ほんとに?」
「まぁ、そこになければないんだけど、あるものはある。たくさんね。
ナイフ、ふるい、ハンドミキサー、オーブン」
「オーブンが欲しかったの」
ストイシャが言った。
「零と買いに行こうと思ってた。零、詳しいから。
私、さすがにオーブンのこと、よくわからないの」
「電子レンジも使えるやつだといいかもな」
「電子……なに?」
「電子レンジだよ。物をあっためる」
「火を使うの?」
「電気だったり、魔力で動かせるものもあるよ。蓄電池みたいに、魔力をためて使える。ストイシャみたいな竜の魔力なら、高速で充電できるだろうなぁ」
「わからない……」
ストイシャが目をくらくらさせた。さすがに、フリアノンから流れてきた料理書に、家電製品については書いていまい。
「とにかく、オーブンが欲しいんだな。まかせな。ちゃんと持って帰れるか? 重いぞ?」
「大丈夫、竜だから」
それはそうか、と零は思った。きっと、零よりも力持ちに違いない。今は、力を失い弱体化しているらしいが、それでも、だ。
「俺達は空中神殿のワープも使えるから、運ぶよ。ストイシャはゆっくり帰るといい。
今から帰りのことを言っても意味がないな。とにかく、見てみようぜ」
そういった零に案内されてストイシャが向かったのは、大きな複合商店だった。ホームセンターのようなものを想像したら、それであっているだろう。入った瞬間に、ストイシャはまた、目をくるくるとさせた。
「広い。竜の寝床みたい」
「まぁ確かに、広くてデカいんだよな。目当てのはこっちだ。迷わないようにな」
零の手にひかれて、ストイシャは歩いた。目移りするように、ストイシャの視線があっちこっちする。
「変なロープがある」
「あれは、マルチタップだ。コンセントを増やすんだ」
「意味は伝わる……あれは?」
「あれは洗剤。汚れがよく落ちる」
「あの円盤みたいなの」
「ロボット掃除機だ。勝手に床を拭いてくれる」
ふわぁ、と、ストイシャは目を輝かせた。ストイシャは、結構家庭的な竜だった。ムラデンもそうだが、ザビーネ一家の家事全般を請け負ったりしている。そんなわけだから、こういった生活用品にも、興味がないわけじゃない。
「買っていくか?」
零が尋ねるのへ、ストイシャは頭を振った。
「今日は、オーブンとかだけにしておく」
そういうのへ、零が頷いた。果たして到着してみれば、そこには多種多様な電気式オーブンが並んでいる。
「宝の山って感じ」
ストイシャが、目をキラキラさせた。
「どれもオーブンなの? ヘスペリデスでやった時は、本当に、岩をくりぬいて作ってたの。それが、こんなに小さい」
少し背伸びして、高いところにあったオーブンを覗いた。
「たくさんボタンがある。これ、一つ一つに意味があるの?」
「ああ。これがおすすめだな。さっきも言った、電子レンジと一体化してるオーブンレンジだよ。
物を温めたりもできる。ほら、このボタンを押すと、自動で温度と時間を設定して、ケーキを焼くのにちょうどいい状態になるんだ」
「……ほんとに?」
ストイシャが、もう本日何度かわからないくらいに、目を丸くしてみせた。
「すごい。零も使ってるやつ、ある?」
「ああ、俺が使ってるのはこっちのだよ。性能はそんな変わらないけど、なれっていうのか、俺は使いやすいんだ」
「じゃあ、これにしようかな」
と、ストイシャがぴょんと飛び跳ねた。そのオーブンは少し高所にあったので、見つめるのに高さを必要とした。
「いいのか? もっと他に見ても」
「零とおそろいがいい。わかんなくなったら聞けるし、友達と同じ奴がいい」
ふひひ、とストイシャがへたくそに笑った。変わらず、笑うのが苦手なようだが、これはこれで、チャーミングともいえるだろう。
「じゃ、これにするか。在庫はたくさんあるから、帰りに店員に頼もう。
ほかには何かあるか?」
「零のおすすめってあるの?」
逆に、ストイシャが聞いた。
「零が使いやすいっていう奴、私も使ってみたい」
「そうだな……」
零がしばし、悩んだ様子を見せてから、
「fill bellyっていうのがあるんだ。俺もいつも持ち歩いてる。調理器具のセットで、調味料なんかも入れられる奴だ」
「ここに売ってる?」
「ああ、同じような奴が」
「じゃあ、それも見たい」
そう言って、ストイシャが零の手を引っ張った。
「行こう、零。きっと、全部見てたら時間が無くなっちゃう」
「そうか?」
零が苦笑する。竜であるストイシャが、時間が足りなくなる、なんていうほど、きっと随分と、楽しんでいるのだろう。
誘ってみて良かったものだ。種族を超えたものであったが、友達というのは何とも、良い。
「ふひひ、今日は一杯、見て回ろうね」
最初のころの不安はどこへやら、ストイシャは楽し気に零に笑いかけていた。零も笑って、ストイシャの手を握り返してやった。
竜の少女の今日一日は、きっと素敵な一日になるのだろう。
そしてそれは、種族を超えた友達の、心遣いが与えてくれたものだと、ストイシャもわかっているのだった。