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伸ばした手は今は届かない
登場人物一覧
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「――君、お花、ありがとう」
そう言って、あの子が笑ってくれた。
「フラヴィアちゃん――」
そよ風に黒髪が揺れて、嬉しそうに花束を抱き寄せるあの子へと、セシルは手を伸ばした。
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「あはっ♪」
気付けば伸ばしたはずの手は空を切って、倒れたあの子を女が抱き上げていた。
「――それじゃあ、また会いましょうね? 英雄さん達♪」
そう言って、青とも紫ともいえる目を細め女は微笑んだ。
「だ、駄目――」
声をあげて、気づいたら見慣れた天井だった。
夢だと気付いたけど、夢じゃない。
あの日、手を伸ばしたその先を、セシル・アーネットは取れなかったのだから。
(僕のせいだ)
そう悔やむのは何度目か。
(……僕が、フラヴィアちゃんを守れなかった)
それが、セシルの初めての挫折だった。
体が動けず放たれた黒い太陽に呑み込まれてた。
激戦の余波で、セシルはいつの間にか気絶してしまっていた。
意識を取り戻した時には倒れているフラヴィアをオルタンシアが抱き上げているところだった。
身体が動かなかった。伸ばしたい手、指の一本、視線の一つさえも動かせなくて。
そっと少女を抱き上げる女を見ていた。
爆炎がセシルを吹き飛ばして、意識は再び途切れていた。
(僕のせいで、フラヴィアちゃんが)
声に漏らすこともできなかった。
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知らない天井、知らないベッドの上でセシルはまさしく後悔をした。
あの子は、痛かったのだろうか。
あの子も、意識を失っているらしかった。
今、どこにいるのだろう、何をされているのだろう。
意識を取り戻した時、何を思うのだろうか。
寂しさ、恐怖、悲しみ、どんな表情をさせてしまっているのだろう。
嫌な想像は尽きなかった。
ぎゅっと、手を握りしめようとして、それさえもできなかった。
(……僕は、弱い)
ボロボロの身体で何ができると、誰かが笑っているような気がした。
――もっと、強かったら、こんなことにはならなかったのに。
もっと強かったら、あの子の前に立っていたら、きっと守れたはずなのに。
もっと、もっと強くないと、いけなかったのに。
「セシル……? 意識が、戻ったのね?」
誰かが、僕を抱き寄せた。
人のぬくもりと、人肌の優しさがセシルを包み込んだ。
「僕のせいだ……僕のせいで、僕が、フラヴィアちゃんを守れなかった……」
ぽつり、ぽつりと、声を漏らす。
誰かが何かを言っているような気がするけれど、それさえも耳に入ってきやしなかった。
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ビキビキと引き攣るような痛みが手を、腕を、肩を抜けていく。
弾かれた剣を構えなおそうとして、震えた。
「――もう一度!」
零れ落ちる剣を拾い上げ、セシルは叫ぶ。
強くならないといけない。
こんなことで止まっているわけにはいかないから。
今度は、もう、手を放したくないから。
「……今日は止めておこう。傷が開いたら、変な癖が付いたら、その方が問題だ」
そう宥める声がする。
どうして? 僕は強くならなくちゃいけないのに、どうしてそんなことを言うの。
その聖騎士は、優しい目で僕を見下ろしていた。
その優しささえも、痛かった。
「……」
目を伏せたセシルは肩を落として、小さくお礼だけ言って踵を返す。
「……フラヴィアちゃん」
とぼとぼ、とぼとぼと向かう先も考えずに歩き出す。
鈴の音が鳴った気がして、顔を上げた。
「……ここは」
聖騎士の庁舎、いつの間にか歩き進めてきたそこは、あの日にフラヴィアの手を引いて外に出たその部屋だった。
きっと中にいるであろう聖騎士を思い浮かべて、セシルは目を伏せた。
あの子を守れもしなかった僕に、この扉を開ける資格はなんて、きっとないだろうから。
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目が覚めてから、全てが色あせたように感じていた。
訓練の後、セシルは旅に出ていた。
ふらふらとした足取りのまま辿り着いた先、顔を上げれば夏空の熱を帯びる教会があった。
巡礼の旅の終着点。ここが、僕の罪の咎。
(……フラヴィアちゃん)
中に入ることは出来なかった。
よくよく考えずとも、ペレグリーノの一族でもないセシルが緊急時でも同伴者もなしに入ることは許されなかった。
雪舞の鈴音が聞こえたりしないかと、目を伏せ耳を澄ました。
(フラヴィアちゃん……ごめんなさい)
届くことのないだろう謝罪だけ残して、セシルはその場を後にした。
そこからは、ずっと旅をした。
彼女の歩んできた巡礼の道のりを辿るようにして、幾つもの町へと訪れてた。
帳の晴れたそれらの町は帳が降りたことを忘れたように人々の営みが始まっている。
鈴の音は聞こえない。
煌く雪の結晶はどこにもない。
(……)
巡礼の旅路を辿り終えて、それでも諦めることもできず、セシルは旅を続けていた。
辿り着いたのは灼髪の聖女を模した遂行者と戦った町。
一緒に頑張ろうと、そう言って握手を交わした場所。
ぼんやりと、あの日のことを思いながら、セシルは自分の手のひらを見た。
小さな、ちっぽけな掌。
助けたいと思った子すらも守れない非力な手。
あの日交わした握手の熱が思い出されるような気がして。
ぎゅっと手を握りしめた。
握手を交わしたあの日、フラヴィアが微笑んでくれたことを思い出す。
その姿だけは色をもって思い出せた。
「絶対に見つけ出すから、待っててフラヴィアちゃん」
そして――きっと、連れ戻すのだと、セシルはそう声に出した。
胸の奥で、熱がある。
それは今まで感じていた熱とは少しだけ趣が違うように思えたけれど。
それでもいいのだと――そう思いながら、セシルは踵を返す。
「……もっと、もっと強くなって、必ず」
それは他の誰でもなく、自分へと告げる決意に他ならない。