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ピアス。或いは、心に決意を、耳にピアスを…。
登場人物一覧
●ピアッサーが無い
突然だが、ピアスを通すには耳に穴を開ける必要がある。
人によっては、唇だったり、鼻だったり、舌だったり、臍だったりもするが、ほとんどの場合、ピアスを付けるとなれば耳たぶということになるだろう。
「でも、そもそもほとんどの生き物なんて生まれた時から穴だらけなんですよ? そこにさらに追加で穴を開けるなんて意味分からなく無いですか?」
へにょん、と狐の耳を頭に伏せたまま水天宮 妙見子 (p3p010644)がそんなことを宣った。頭を抱えるようにして、伏せた耳を上から庇う徹底ぶりだ。
「たみちゃん、またそんな聞き分けの無いことを言っちゃってぇ」
「え? 妙見子が悪い感じですか、これ?」
メリーノ・アリテンシア (p3p010217)に怒られて妙見子涙目であった。
涙目なのは最初からだが、それはともかく、ピアスとは“穴を貫通させる”という意味であり、身体のどこかに穴を開けねば装着できない類のアクセサリーなのであるからして、妙見子が何を言っても、ここは1つ我慢してもらって穴を開け無きゃ始まらない。
事の起こりは、しばらく前に巻き戻る。
妙見子は、プレゼントにピアスを貰った。誰かからの贈り物に喜んだのも束の間のこと、妙見子の耳にはピアス穴が開いていない。
ピアス穴が開いていないと、当然だがピアスを付けられない。
深夜。
水天宮神社の社殿にて、盆に置かれたピアスを前に妙見子は静かに瞑目している。ご丁寧に白い布を敷いた上、きらりと光るピアスがあった。
それから、薬缶と軟膏壺、火の着いた蝋燭、釣り針のように細い針。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を整えるべく、妙見子は数度、深く呼吸を繰り返した。その額から頬にかけてつーっと汗が伝っている。
白装束に身を包んでいる辺り、妙見子の覚悟のほどが窺える。まるで死地に臨む武士か何かのような佇まいである。
「はぁ……すぅ」
やがて妙見子は目を見開いた。
限界まで開かれた血走った瞳。瞳孔が左右に揺れている。
震える指で、妙見子は針を手に取った。
「はぁー……はぁー……はぁー……」
相変わらず呼吸は乱れたままだった。
針を持つ手が震えている。
妙見子は、震える手で針の先端を蝋燭の火に近づけた。熱で針を消毒しているのだ。
「こひゅー……こひゅー……」
針が焼ける。
十分に熱した針を布で拭って、煤を取り除いた。それから、針の先端に軟膏を塗る。
蝋燭の火を反射して、軟膏の塗られた針の先端がぬらりと光る。
親指と人差指で針の根元をしっかり摘むと、ゆっくりそれを自分の耳元へと運ぶ。
「ぜひー……ぜひー……ぜひー……」
自分で自分の耳に穴を開けると言う行為に、妙見子の精神状態は極限だった。呼吸まで少しおかしくなっている。
針を耳に近づける。
自然と首が後ろに逃げた。
更に針を耳に近づける。
今度は上半身ごと後ろへ逸れた。
駄目だ。
駄目なのだ。
自分で自分の耳に穴を開けると言う行為に、抵抗感が拭えない。
そう言うものなのだ。
誰だって、ファーストピアスには不安と恐怖を感じるものなのだ。ピアッサーなどあればいいのだが、悲しいかな水天宮神社にそんなものは無かった。社務所のスタッフに「穴を開けるものはないか?」と問うたところ、千枚通しをお出しされる始末であった。
千枚通しよりはマシだと、裁縫針を借りて来た。
「はぁ、はぁ、はぁ……あぁぁぅ」
針を近づけると、勝手に首が左右に逃げる。
もうどうしようもなかった。
と、その時だ。
「話は聞かせてもらったわぁ」
すぱん! と小気味の良い音を立てて社殿の扉が開く。そこにいたのは、きらきらとした金髪の女性。全身ピアスバッチバチのメリーノである。
妙見子の目には、まるでピアスの国からやって来たピアスの化身のようにも思えた。
それはともかく……。
「いえ、何も話してはおりませんが?」
にぃ、と弱った鼠を前にした猫か何かのような意地の悪い笑みを浮かべて、メリーノが社殿に踏み込んだ。
よよよ、と座ったまま後ろへ逃げる妙見子を壁際へと追い詰めて、メリーノは言った。
「わたし、あけてあげる!」
何を?
聞くまでもない。
ピアス穴である。
社殿の障子に、2つの影が蠢いている。
妙見子の身体を、後ろからメリーノが支えるような姿勢である。これは妙見子が逃げないようにするためだ。
白く細い首にメリーノの右手がかかっているのも、妙見子が抵抗できないようにするためである。左手で妙見子の狐耳をふにふにと弄るたびに、妙見子はくすぐったそうに身を捩った。
「針でいくのぉ? ピアッサー、貸してあげるよぉ?」
「ぴ、ピアッサー?」
「これぇ」
メリーノの手が妙見子の首から離れた。
そうして、ポケットから取り出したのは手のひらサイズの器具である。丁度2枚の樹の板を重ね合わせたような形状。板と板の連結部分にはバネが取り付けられている。
「痛くないです?」
「痛くないよぉ」
あまり、だが。
あまり痛くないだけで、多少は痛い。自分の身体に穴を開けるのだから痛みが生じるのは当然だ。
そのことをメリーノは口にしなかった。
口にはしなかったが、あぁ、なんと言う事だろう……メリーノの目に、陰鬱な快感の光が灯っていることに妙見子は気が付いた。
痛みを享受することも、痛みを与えることも、その両方を快楽として認識できる者と特有の怪しい瞳の輝きである。
気が付いてしまった。
「やっぱりちょっと怖いかもしれません」
妙見子が身を捩る。
だが、メリーノに体を抑え込まれているせいで身動きが出来ない。
「うん?」
「だって穴ですよ? 刺すんですよ????」
「穴だねぇ。刺すねぇ」
ぶすっといくねぇ。
口角がつり上がった。薄い唇の間から、唾液に濡れた鋭い牙がぬらりと光る。
「あ、これは駄目かもしれませんね」
「そうだねぇ」
逃がすつもりは無いのである。
メリーノが妙見子の上体に体重をかけた。背中に当たる柔らかな感触はメリーノの胸だろうか。暖かな体温を感じながら、妙見子は床の上に倒れ込む。
メリーノの足が妙見子の膝を後ろから踏んだ。
痛くは無いが、動かない。
メリーノの腕が、妙見子の首に回される。首が動かない。上半身が起こせない。
「え!? 何ですか、これ? 動けない?」
「サブミッションだよぉ」
サブミッション。
“服従”の名を冠する格闘技の技術である。首や肩などの関節を効率よく固定することで、対象の動きを封じ、逃げようと藻掻けば藻掻くほどに体力を消耗し、ダメージが蓄積される。
メリーノのそれは、見様見真似の不完全なサブミッションだが、少しの間、妙見子を拘束しておく程度のことは出来る。
キチキチと妙見子の耳元で音がする。
メリーノ手製のピアッサーを開閉し、キチキチと音を鳴らしているのだ。
「何を……威嚇ですか?」
世界のどこかには、トングを開閉してパンを威嚇するという文化がある。メリーノがしているそれも、そのようなものかと妙見子は考える。
だが、違う。
そうじゃない。
「威嚇っていうかぁ……狙いを付けてる感じかなぁ」
ちく、と。
妙見子の耳に僅かな痛み。
「ひょぇ……!」
「はい、ばっちーん」
そして、一瞬の鋭い痛み。
バチン、とバネの閉じる音。
「こゃぁん!?」
社殿に妙見子の悲鳴が木霊す。
これは妙見子が新たな1歩を踏み出した日の物語である。