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桜流し、さらさらと
登場人物一覧
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「今日はありがとう、エーレン君。今回も助かっちゃった!」
「いや、こちらも助かった」
至って平和的な友好関係、仕事関係……だと思っているのはこの場ではエーレンだけ。咲良は他愛のない話でも胸を高鳴らせ彼の声に耳を傾ける。彼と共に戦ってきた日々を通して彼女の恋心は少しずつ成長させていた。
話をしながら咲良はエーレンの表情を伺う。
(エーレン君って、アタシの事……どう思ってるのかな)
恋する乙女の疑問は至って普通で自然なものだった。好きな人が自分の事をどう思っているかなんて第一に気になる事で、自分のちょっとした……けれども精一杯のアプローチにも全然気づく様子のない彼に、初恋が故に自分の伝え方が足りていなかったのかなとも悩んだ。それでも咲良としても自分なりに頑張っている自信はあり、しかしどうやったら自分の気持ちに気づいてもらえるだろうかともどかしさを感じていた。
「エーレン君ってさ、こうしてアタシの家に来てくれるけど、浮いた話とかってない、よね……? その、好きな人とかいないの?」
「好きな人?」
「ああいやえっと! きょ、興味と言うか! ほ、ほらっ! アタシ達結構一緒に依頼行ったりするからその……少し、気になって?」
「……と言われてもな、そう言う話はないな」
「そうなの!?」
彼に好きな人がいない事は神にも祈っては居た事だったが、彼の年齢的にもしかして……と悪い想像を膨らませた瞬間はほんの少しだけあった。彼女の世界で彼の年齢は立派な家庭を持っているのが一般的な話と言えばそう。それに咲良からすれば顔立ちもよく優しさも感じるエーレンに色めいた話があっても挫けない! と密やかに意気込んでもいた。結果は本当に咲良の妄想だけの話だったわけだが。
そんな事実に咲良は何かを考え込み始める。
(そろそろ……もっとわかりやすいアプローチが必要、だよね?)
どんなに好意を示しても言葉がなければ伝わらないタイプは世の中にきっと万と居る、彼はそのうちの一人なんだろう。そしてそんな彼に想い人もいないようだとなれば告げる言葉など咲良の中では決まっていた。
「……アタシ、エーレン君が好き」
咲良の目いっぱいの思いを込めて伝えた。嘘偽りのない素直で純粋な言葉だ。これが初めての恋で右も左も分からずがむしゃらに思いを伝えた。それを今
「す、き……だと?」
──しかし、彼の声は震えていた。
「え?」
彼の予想外の声色に驚いて咲良は顔を上げる。するとエーレンはこれまでに見た事ない程に青い顔をしていた。咲良はそれが何を意味するのか考えたくなかった。
「……エーレン君」
「──聞こえなかったな」
「え?」
彼の名を呼ぶ咲良の声に被せるようにエーレンは苦しそうにそう答えた。きっと嘘だ。彼はきっと『やっぱり何でもない』と言う答えを欲しがっているのだと咲良は察し、そして自分の気持ちを拒絶された現実を突きつけられている。
きっと『何でもない』と答えたら彼と元の関係に戻れるのかもしれない。さっきの幸せそのものな日常がこんなにも冷たい空気になってしまったがきっと元の空気に戻るのかもしれない。それでも咲良は自分の気持ちを曲げたくはなかった。だからさっきよりも真剣な表情で覚悟を持って伝える。
「エーレン君、アタシねエーレン君が好きって言ったの」
「……っ」
まるで苦虫を踏み潰したかのような苦しげな顔を浮かべる彼に咲良は彼から目を逸らさず見つめる。
「……俺なんかにそんな価値があるはずはない」
「そんな事っ!」
「価値なんてないんだ!!」
「っ!?」
普段聞かないエーレンの声に咲良は驚いて言葉を詰まらせてしまう。
「……はぁ、っ……もう、何も言わないでくれ……」
「でも!」
「やめてくれやめてくれやめてくれ!!」
「っそん……な……」
頭を抱え、息を切らしてそう懇願する彼。それは咲良が絶望する程の強力な拒絶だ。そんな彼の言動に崩れ落ちそうな自分を奮い立たせて。
「アタシのこの気持ちは嘘なんかじゃないよ! 絶対エーレン君を諦めたくないよ!」
彼から『嫌い』と言う言葉が出ない限りはまだ諦められなかった。──だが。
──一族の恥晒し。
──どうしてあんなに何もできないんだ?
──搾り滓の末公子。
──ただ民のための己であれ。
「さく、ら──すまな……ぐふっ」
「エ、エーレン君!?」
彼が急に蹲ったかと思えば嘔吐してしまった。
嗚咽を繰り返す彼に咲良もどう言葉にすればいいのか、手札はもう切られていた。
──。
あれから片付けを終えた二人はお開きにする他なかった。咲良の初恋は悲惨な結果を迎えてしまった。咲良も彼が帰るまでは冷静を装っていたが、流石に嘔吐の現場を見てショックで頬を濡らすのは仕方のない事だった。初恋は実らないとどこかで聞いた事はあったが、ここまで惨敗する事があるだろうか、もしかしてこれまで無理して依頼に一緒に来てもらっていたのだろうか、いろんな考えが咲良の中を巡る。
「……もう話してくれないのかな」
振られてもこれまで通りで居れると少しだけ自身を過剰評価していたが全然そんな事はない。涙が溢れて止まる気配もない気がしてきた。
でもこんなにもショックなのにまだ彼を諦められない自分もいる。
「エーレン君……」
彼の言葉の数々を思い出す。けれどそれらは咲良を拒絶するよりも自分に対する負の感情から言っているような気がした。これまで関わってきた時間の中で言葉の節々にあった違和感……咲良がそう思いたかったのも半分本当ではある。
「何かに思いつめられているのかな……だったとしたら」
価値がないだとか、あんなにも苦しい表情を見せられたりなんてしたら全然諦められない。咲良は涙で晴れた目元をゴシゴシと擦る。また挫けて泣いたりしないように。
「……アタシが強くなって、あなたを支えたい。だから、諦めちゃいけない」
彼女の恋心にまた灯火が燃える。
「そうと決まればまたエーレン君と話をしなきゃ」
きっと彼は気まずいかもしれないけれどこのままで良いはずがない。どんなに辛い話だったとしても彼の事なら何だって受け止められる。初恋ではあるが簡単に惹かれたわけではないと振り返る。
彼と過ごしてきた時間はすべてが夢のようだったけれど、本当に夢にするつもりなんて全くない。
「絶対に絶対に……諦めないんだから!!」
咲良は部屋で自分に言い聞かせるように新たに決心した思いをそう叫んだ。叫んだらきっと自分の心がまた奮い立ってくれると思ったから。
何事にも諦めない彼女の心が、言葉が……嗚呼──どうか彼に届いたのならば。