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バタフライ・ブルーに降り注ぐ
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- エリーナの関係者
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爽やかな朝の日差しが窓からこぼれてくる。
ペールアイリスの朝靄の中、小鳥のさえずりが小さく聞こえた。
指をゆっくりと動かしてシーツの感触を楽しむ。
真っ白な肌触りは朝の温度を吸い取って、少しだけ冷えていた。
エリーナはバタフライ・ブルーの瞳をふわりと持ち上げる。
いつもの天井。朝の気配。
部屋に入り込む陽光は空から降り注ぎ、雲が無いことを告げていた。
「いい朝……」
そんな言葉が漏れる程に目覚めが良い。きっと今日は良い日になるに違いない。
何故なら、大切な妹との約束があるからだ。
エリーナの唇が綻ぶ。
そう。今日は妹と会うのだ。
嬉しさと共に一気に視界が開ける。
エリーナの嬉しい気持ちに誘われて、目の前に飛び込んできたネリー。
大好きな人が笑顔になっている。それだけで妖精は大はしゃぎだ。
主人の頬に抱きついて自分も嬉しい事をアピールする。
「ふふ。ネリーもおはよう」
妖精の頭を指先で撫でて、嬉しさの共感を交した。
嬉しい。楽しい。
もっと。撫でて。
ネリーは人間の言葉が話せない。
けれど、その小さな身体が表現する全てで、気持ちを伝えてくる。
言葉を交さずともそれは十二分にエリーナに伝わっていた。
ぐりぐりと頭を押しつけてくるネリーに微笑むエリーナ。
記憶を無くし、空中庭園に召喚された彼女はひとりぼっちだった。
自分がエリーナだということは分かるけれど、今まで何処に住んでいて、どう過ごしていたのか。
己を形作る記憶という拠り所が無くなってしまった恐怖は計り知れなかった。
全てのものが信じられず、どうすることも出来ないもどかしさ。焦燥感。
怖くて。怖くて。耳を塞ぎたくなる日々に。光を与えてくれたのは。きっかけを与えてくれたのは。
この小さな妖精の存在だった。
言葉も話せない。悪戯好き。
けれど、怖さに怯え立ちすくむ時に、傍で励ましてくれる。
思考の海に溺れそうになる時に、気を逸らしてくれる。
それにどれだけ救われたか。
落ち込んだバタフライ・ブルーの瞳に光が宿った。
顔を上げ、前を向く。
風に揺れるゴールデン・パールの髪。
前へ。一歩踏み出す。
白い背中とはためくドレス。
ドアの隙間から、まばゆい光が漏れて。
エリーナは新しい記憶と共に世界に走り出した。
――――
――
「……そう。最初はそんな感じで。挫けながら無我夢中だったかな」
「お姉ちゃん、すごいね! 冒険者って感じ」
エリーナの言葉にアーニャが手を叩いてはしゃぐ。
姉とは違うライトグリーンの髪。美しい青のドレスに身を包み。
細められる瞳の色は同じバタフライ・ブルー。
エリーナより少しだけ幼い表情で微笑むアーニャ。端から見ても可愛い姉妹であった。
二人が話し込んでいるのは、幻想国首都メフ・メフィートにあるフラン・フィズ。
ルミネル広場から飴色の石畳を抜けて、ジルバプラッツ通りにある人気カフェだ。
ゆったりとしたソファ、落ち着いた音楽。窓側は陽光が降り注ぎ、木漏れ日の中に居るよう。
イチゴとラズベリーのパフェは絶品で。紅茶は香りが良いと評判なのだ。
透明なテーブルに並べられたパフェを二人でつつく。
召喚された頃はこんな日が来るなんて夢にも思わなかった。
記憶を無くしていたエリーナは自分に妹が居るなんて忘れていたのだから。
アーニャの仕草、一つ一つに愛おしさが溢れる。
長いスプーンでクリームをひとすくい。
ぱくりと頬張って、姉に向かって微笑むアーニャ。
「もう、ほっぺたにクリームが着いているわよ」
「えっ、どこ? お姉ちゃん取って」
「仕方ないなぁ」
ハンカチを取り出して、エリーナは妹の頬を優しく拭いていく。
自分には血の繋がった家族がきちんと居て。
こうして、愛情を傾けて甘えてくれる。
それだけで、こみ上げる感情があるのだ。
「どうしたの? お姉ちゃん」
青い瞳に涙を滲ませるエリーナにアーニャが心配そうな表情を浮かべる。
「ふふ。アーニャとこうして一緒にお茶出来るのがうれしくて」
「私もだよ。お姉ちゃん。嬉しいよっ」
ぽろりとアーニャの瞳から雫が溢れた。
突然居なくなってしまったエリーナの無事を何度祈っただろう。
事件か事故か。誰かに浚われてしまったのか。
海に連れ去られてしまったのか。
いくら考えても、アーニャの幼い頭では分からなかった。
両親に涙だって見たのだ。
手がかりは無く、どこを探しても見つからない焦り。
――お姉ちゃん。無事でいて。
アーニャの祈りは確かにあって。何処かでエリーナの記憶を取り戻す切欠になっていたのかもしれない。
だから、エリーナが帰って来た時は家族全員で驚いた。
消えたときと変わらず美しい微笑みで、玄関に立つエリーナにアーニャは泣きながら抱きついたのだ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
それまで、他愛ない言葉だったそれが。
相手が居なければ成立しない尊いものだと知った。
「泣かないで。アーニャ」
「だって。嬉しいんだもん」
頬を赤く染めてエリーナが帰って来た時の事をアーニャは紡ぐ。
本当に心配したこと。これ以上無いほど嬉しかったこと。
いまこうして、一緒にお茶を飲んでいられる幸せ。
エリーナがどこかへ行ってしまわなければ、こんなに些細な事が幸せであると気づけなかった。
けれど、何処へも行ってほしくなかった。
「だったら、これからも。一緒にこうしてお茶をしましょう」
アーニャの頬をエリーナの手が包み込む。
妹の為ならば、いつだって駆けつけてみせる。
「約束だよ。お姉ちゃん」
「ええ、約束」
ハーモニアは永い刻を生きる。
これから先、滅び行く世界の中で。
戦いに身を投じ命を落としてしまうかもしれない場面も出てくるだろう。
けれど、エリーナは思い出す。
アーニャとの約束を。ネリーの温かさを。
その度に可能性の箱をこじ開けてでも、帰る理由が出来た。
妹のため。家族のため。
待って居てくれる人が居るというのは、それだけで強い意志となる。
――――
――
「さあ、次は何を食べようかしら?」
メニューを開くエリーナ。覗き込むアーニャはわくわくが隠せない。
「えっとね、私はこの葡萄ジュレとロイヤルミルクティーが良いな」
「じゃあ、私はティラミスとアールグレイにしようかしら」
アメジストのように煌めくジュレは透明な容器に入れられ陽光に輝いていた。
「それで、どんな冒険をしたの? お姉ちゃん」
「そうね。この幻想国にもサーカスの魔種が現れたことがあったわ」
平穏な日常が過ぎていくこのメフ・メフィートも。戦場になった。
子供達の笑顔を願っていた意志の強い男でさえ、抗えない声がある事を知った。
「でも。私たちは勝ったわ。だから、この街に平和がある」
「お姉ちゃんが頑張ったからだね! すごいよ。お姉ちゃん」
アーニャの屈託の無い笑顔。
この笑顔を守るためならば、力だって振るってみせる。
どんな敵だって倒してみせる。
エリーナは目の前のティラミスを頬張った。
甘くて蕩けていくクリームと薄いスポンジはしっとりしていて滑らかだ。
いつまでもこの平和が続くように。
妹の笑顔が無くなりませんように。
陽光とアーニャの笑顔と甘いお菓子を噛みしめながら、エリーナは祈ったのだ――