SS詳細
The bad play is over.
登場人物一覧
- ファニーの関係者
→ イラスト
●do you want to try something bad?
今日はいい天気だ。
ただしそれ以外は、すべて最悪な日だ。
ほら、ひそひそとささやきあう声がする。
ほら、彼らは君を何と呼ぶだろう?
「……だから、スケルトンとは関わるなよ」
「しー、ほら、聞こえるぞ!」
悪意を含んだ笑いが、風と一緒に過ぎ去っていった。ファニーはへらりと笑い、骨身の間を通り過ぎていく風の冷たさをただ享受していた。
とっくに聞こえてるぜ。
聞こえないふりをするのは骨が折れる。
スケルトンのファニー。『白紙の女王』の子。ただし彼は、住民たちに愛されてはいなかった。
”事故”により、ファニーは骨だけの身体で生まれたのだった。
眉をひそめ、避けるように目をそらす住民たちのふるまいにはいつしか慣れていた。ばかりか陰口をたたくだけなら、おとなしいものだ、と思う。
もっと質の悪い連中もいるが――それはそれとして――まあ、ファニーにはどうでもいいことだ。
生まれから辛く当たられていたファニーではあったが、それでも救いはあった。
きちんと生まれた弟妹たちはファニーのような欠落を持ってやいなかったが、それでもファニーに分け隔てなく接し、足りない心を埋め合わせてはくれた。家族はスケルトンとして生まれたファニーのことも家族の一員と思っていた。
そして、困ったときに上の兄弟を頼るのは下の子の特権である。
(……「ミニカーが死んじゃった」って? やれやれ、困ったもんだ)
ファニーが手にしているのは、弟のお気に入りのおもちゃであった。はずみをつけて動かすと走り出すはずであるのだが、いまはうんともすんともいわない。
死んじゃった、と弟は言う。
ファニーがみてやると、ネジがぽっきりと折れていた――。それを直してやろうと思ったのだ。
なじみの雑貨屋の扉をくぐろうとして、ファニーは立ち止まる。
(あちゃあ、ツイてなかったな)
「だってさ、アイツ、やっぱり根本的におかしいんだよ――女王の子なのに、あの姿、わかるだろう?」
何か、誰かと話し込んでいる最中のようだったから「静かに」と思ったのがまずかった。店員と客がちょうどファニーの噂話をしていた所に出くわしてしまった。
いや、まずい? 別にどうでもいいのか……。裏でなんといわれているかはある程度分かっていたことじゃないか。
それでもなお、心のどこかを暗い失望がよぎる。
この店の店員は弟や妹にとても親切で、ファニーにもたまにおまけをくれたのだ。
なじみの店だったが、もう来ることはないだろう。ディスプレイの人形を眺めながら、ファニーは思った。いや? 妹が来たがるだろうか?
「あんな出来損ない、不気味で仕方ないよ。恥知らずの失敗作だ」
善良な部類の人間ですら、そういった悪意を口にする。
「どうも?」
ファニーがカウンターの上に注文票と金を置くと、ぎくりとして店員は身をすくませる。一緒に陰口をたたいていた客もひきつった顔をして、咳払いをしてごまかした。
「あ、や、やあ。ファ、ファニー、あの、元気に、……してた?」
「おかげさまでな。アンタらも元気そうでよかったぜ?」
聞こえてないと思ってたのか。それとも、舐め腐っているのか?
ファニーがトントンと机を指で叩くと、店員は気まずそうに、それから一人前に傷ついたような顔すらしてみせた。
「ネジあるか?」
「あ、ネジ、だね。うん、あるよ。探してくる……待ってて」
「早くしてくれよ」
どかりと椅子に腰かけて、ファニーは思った。
もっと暴れまわってやるべきか?
嫌味の一つでも言ってやればよかったか?
それとももっと痛烈に?
やめておこう。
家族の顔がよぎる。
ああ、……めんどくさい。もっと悪い遊び相手はいくらでもいるじゃないか。もっとヘドロの底みたいな、どうしようもなく、救いようのない連中が。
「よお、ファニー!」
そんな連中の一人が、ちょうどよく現れた。
馴れ馴れしくファニーの肩を組んだ。
「どうしたんだよ、こんな寂れた店で」
「寂れた店はないでしょう、あの……」
「ああ? なんか文句あるか?」
ああ、これだ、と、ファニーは思うのだ。
オレがいるべきは、こっちだ。
悪癖だとわかっていても、ファニーは、悪い遊びをやめることはできない。
「なんだよ。また何か言われたのか? そーうがっかりするなよ。俺はお前の価値分かってるからさ。なあ? 久しぶりだよな? ファニー。ずいぶん探したんだぜ。つれないじゃねぇかよ?」
そりゃあ、ただの欲のはけ口だろう、というのを訂正してやるほどの価値もなかったので、ファニーはただ薄ら笑いで返した。
甘ったるい匂いがあたりを包んでいる。
「悪いな、忙しくてな」
「ガラクタのほうが俺より大事か?」
「それには触るな」
「ああ……いや、そうだな?」
男の、どこか焦点の合わない目がファニーを見ている。否、そうじゃない――左胸の核を見ているに違いなかった。服の裾から見えているのだ。
これは、ほんとうに便利な仕組みだ。ファニーが、骨の合間から少しばかり見えるように核を揺らしてやると、男は無意識のうちにだろうが、喉を鳴らしている。逆らえない本能がじわじわと男を蝕んでいるのがわかる。
「な、なあ。おい、早く行こうぜ」
「もう少し待てないか?」
「いいから、来いつってんだよ!」
滑稽なものだ。
ファニーが懇願したふりをすれば、男は強引になる。ファニーのすべてを手中に収めた気になっている。従えた気になっている。
(まあ、いいか)
怠惰のうちに思考は沈み、すべてがどうでもよくなっていた。
「あ、あの、ファニー。行くの? ネジは……?」
「じゃあな」
「ああ、ツケといてくれ」
●ありもしない心臓の位置がどこにあるかなんて
最悪の日だった。
一番輝く星と出会ったのは、そんな一日の終わりがけだった。
もはや今日が最悪な日であることにはおそらく変わりはなく、取り戻すには遅すぎる、そんな時間だった。
(ああ、骨身に染みる寒さだな)
欲望を吐き出し、すっきりとしたはずなのに、ファニーのどこか空虚な心は埋まらない。
家に帰ってこの空気を持ち帰るのもいやだった。
そんな時だった。
夜空にかかったカーテンの一部が欠けるように、落ち。それから、ひらりと、ファニーの前に舞い降りたのだった。
「は?」
星ならば落ちようものを、夜が落ちてくるなどありうるだろうか。しかし、確かに瞳は輝いていた。存在感というものがある。
「こんばんはぁ、良い夜だねぇ」
おいおいおい、とファニーは思った。
四本の角と黒い翼。持ち得た知識の中から、ファニーは正解を導き出すことができた。
――悪魔、か?
両手と両足には、鎖がたゆたっている。けれども、痛々しさよりは美しさが勝った。悪魔が動くたびにリボンよりは硬質な金属がしなった。
「なんだ?」
「隣、いい?」
「って言っておきながら……もう隣にいるんじゃないか。アンタ、ここらのモンスターじゃないな。オレが誰だかわかってるか?」
口に出してみると三流の脅し文句のようで、ファニーは自分でも笑えてきた。
これの意味するところは、アンタ、オレにかかわると、面倒に巻き込まれるぞ? というものだ。好き好んで自分と関わろうなんていう者は、ここにはいない。家族以外にはいないはずだった。
つまるところ、ファニーの心はすっかりやさぐれていたのだ。
「さあ、でも自分の名前ならよく知ってるよ。そう、だから自己紹介ってのが必要なんだよね」
「っていうか、その鎖……邪魔じゃないのか?」
ファニーの言葉を軽く笑って受け流し、降りてきた悪魔は己の名を名乗る。
「俺はシリウスっていうんだ、よろしくねぇ」
「シリウス?」
再び、ファニーは頭蓋骨から知識を引っ張り出すことになった。
「シリウス……? 全天21のうち、最も明るい一等星……?」
「うん?」
しかし、シリウスと名乗った悪魔は、自分で名乗っておきながらも、その名の意味を、どこか理解していないようだった。
「一等星……? お星さま?」
「ほら」
ファニーは星空を指差して言った。するとシリウスは、ごろりと、当然のように、視線を同じくするように、ファニーの隣に座ったのだった。
(おい……)
向かい合うより、なぜか距離が近く、くすぐったい感触があった。
こんな相手に、警戒するのも妙な話だ。肩の力が抜けた。
「夜空に光る星の中で、一番明るい星。見えるだろ。あれがシリウス……アンタと同じ名前だ」
「へぇ、そうなんだ? ぴかぴかだねぇ」
「……ていうか、なんなんだアンタ。オレのこと知らないわけじゃねぇだろ」
やはりそうだ。知らないはずがない。
何が目的なのか、と、ファニーは身構えたが……。
「知ってるけど、知らないことは多いよ。名前は知らない。でも俺と同類なのは知ってる」
シリウスはふわふわと浮遊しながらニンマリと笑っていたのだった。
「弱いふりをして、道化を演じて、他のやつらを食い物にしてる。……俺と一緒だねぇ」
「……へえ?」
時を少しさかのぼる。
雑貨屋から連れ立って帰ったファニーと男は、二人で楽しみにふけっていた。
家族には言えない、悪い、悪い遊びだ。
(しおらしくして甘ったるい声で喘げば相手は馬鹿みたいに腰を振るから滑稽なもんだ)
なあ?
疑似的な魔力の交歓のやりとりのさなか、ファニーは組み敷かれているかに思える。
「なあ、いいだろ?」
けれども男は、ファニーの機嫌を損ねた。
「だってさ、俺はお前の価値わかってるから。あんな無邪気になついてるだけの、下のきょうだいよりも――」
「なんだって?」
男は夢中になって、息も絶え絶えで、そこに来て、ようやく気が付くのだ。
魔力を奪われていた、と。
「そいつあラインを越えてるぜ」
いや、もともと、行き着く場所はここだったのかもしれない。
そうなるだろうという予感はしていた。
そうなるように仕向けていたのは、ほかの誰でもない、ファニーだった。
もとから、男が誘ったように見えて、誘っていたのはファニーだった。
狩るものはどちらで、獲物がどちらなのか。
男は理解していなかった。
ファニーは愚かというわけではなかった。ただ怠惰なだけだ。
これはファニーの悪い遊び。悪癖の一つだ。
男は、核をつかもうとあがいたが、もう遅かった。手の届くところにはない。
「いい表情してるじゃねぇか、今までで一番な」
ああ、これはほんとうに、悪い遊びだ。
炎のような眼光が燃えた。
魔力を搾り取ったうえで首を刈って殺してしまう。
夏の暑さの中ででろりととろけるような、濃厚なバニラアイスのような香りが、どこまでもどこまでも漂っている。
さて、もっと質の悪い連中もいるが――それはそれとして――まあ、どうでもいいことだ。
陰口については黙認していたが、面と向かって害をなすような相手のことは、ファニーはすべて消してきたからだ。
そうとも。面と向かって喧嘩を売ってきた相手は、消した。甘い言葉でそそのかし油断させて。この世界では、死ぬと塵になるのだ。乾いた塵。たったそれだけ。
故に誰がやったかどうかなど、発覚しようがないのだ。良くも悪くも、この世界は純粋だ――。
塵になってしまえば、人の形だろうと、骨だろうと、一緒だろうに?
「ね、でしょう?」
シリウスはいとも簡単に自らの手首の拘束を解き、ひらひらと手を振ってみせた。それは、なぜだかとても自由だった。
「アンタ、どうしたい?」
「仲良くしようよ」
「そりゃ、どういう意味で? もっと楽しいことがしたいって意味か?」
「よくわからないけど、星のこととか、教えてよ」
欲しい言葉はそれだった気がする。
脅すでもない、そして皮肉めいてもいない。何を考えているかわからない、いや、仲良くしたいというのが本心なら……説明はついてしまうくらいの。
寂しかった。ファニーはずっと寂しかった。
「ファニー、あれはなんていうの」
ごく当たり前のように、シリウスは隣におさまり、ファニーの名前を呼んだ。
星空は抜けるように青かった。
もしかすると、と、ファニーは思った。
この世で唯一、自分のことを理解してくれるのがシリウスなのではないかと。
夜空に光り輝く一等星は、そのために降ってきたのではないかと。
おまけSS『バニラアイスも結構好きだよ』
「あれー?」
水遊びのさなか、素早く動き回り、一滴も水を浴びなかったファニーを、シリウスは不思議そうな顔で見ている。スケルトンはやはり珍しいのだろうか。嫌だったろうか、というわけでもなさそうだった。
濡れないことよりも、服の中身が気になるらしい。
「その核ってさ、どうなってるの?」
「うん?」
ファニーは核をひょいひょい動かして見せる。
「言ってしまえば、『擬似神経と魔術回路が一番多く通っている場所』だな」
「弱点ってこと?」
「まあ、違いないね」
これを応用すればもっと悪い遊びにも使えるのだが、シリウスは、とりあえずはふぅんと言っているだけだ。
「おっと、そうまじまじみるなよ。そろそろ見物料をとるぞ」
「まったくもう、ファニーったら」