SS詳細
Still wanna stay in bed.
登場人物一覧
消えない、消えない。
鉄帝の粗悪な
其れ等が、糸が切れた操り人形の様に、手足をあちこちに向けて地に倒れ伏した後には、咽ぶ程の血と硝煙の匂い。掻き消えるアプリコット・オレンジの灯火の息遣い。
断末魔すら、擧げる事を許されずに散った子が居た。
痛苦の果てに、逝った子が居た。
『コドモヲコロセ』と命を下す下卑た指揮官の声が、陽気な6.5mm径弾が最も容易く命を奪って行く音が、耳を劈いて止まない。
何れもが、今も確りと思い出せる。
其の日見た、凄惨で地獄の様相を呈した風景は網膜に痛い程に焼き付いて、ひりついて、私を苛んで止まない。
――此れで、
あの時、牢の鍵を開けたのは私だ。曰く、人は死んだ時に、魂の分――21グラム軽くなるのだと云う。本当にそうだとしたら、恨まれて当然の私は其の重みで潰れてしまいそうだった。心が、如何にか為ってしまいそうだった。
●
ざあ、ざあ、と雨が降って、時たま窓を叩く音だけが、其の部屋に充ちた静寂を乱していた。
酷く、泣きそうな顔をしたゼファーを見るのは初めての事で。否、屹度泣いてたのだろう。眼は赤く腫れていて、涙の伝った後が頬には残ってものだから。取り繕うだけの余裕も無く帰って来た彼女を、上手く励ます術も思い浮かばずに唯、背後から抱き竦められるが儘。腕の中に在り続けた。
時折、長く、永く、息を吐いて、わたしの髪を指先で梳いては、温もりを求めるかの様に頬にそっと触れる。
其れから、ぽつり、ぽつり、掠れた聲で吐露される言葉に相槌を打つだけのわたしを、彼女の事が好きな人が見たら狡いと、汚いと思うだろうか。だって、識らないのだ、ひとのこの励まし方も。2年過ぎ、一緒に居て、こんなにも弱り果てた彼女を見る事だって、本当に初めてなのだ。
――私はね。
――子供には、子供らしい生活を送って欲しかった。自分が、子供らしい子供として過ごす事を赦されなかったから。
多分、此れはおためごかしなのでしょう。エゴなのでしょう。私自信がそうすることが出来なかったから。私じゃない子達にそうして欲しいんだって。厚かましい押し付けなんだって、分かってる。
――でも、だからこそ、子供が、汚い大人の犠牲にされるのは、嫌い。
子供が死ぬのを見るのは、もう。嫌よ。況してや、自分の選択ミスで死なせてしまったも当然だなんて、どうすれば良いの。
心が、曇っていく、曇っていく。
涙の、雨が振る。
嗚呼、なんて! かみさまは意地悪なのだろう。
「――……ねぇ、ゼファー、」
●
February,2,2020
ハロー、ハロー、何時かの貴女、何処かの私。元気にしていますか?
私はそこそこに元気にやっています。こんな事、貴女が知ったら驚かれてしまうでしょうけど。
今の私には蜂蜜ちゃんって云う可愛いお嫁さんが居て、此処、海洋で一家の主です。
なあんてのは冗談で、息抜きを兼ねた仮住まいの身ですけど。
意外にも一つの場所に留まるのも悪くないとは思い始めている所だったりするわ。
元より、寒さには少しばかし弱いゼファーには、此の温暖な気候の海の街での休暇は願ってもないものであった。一時的な住居として伝手で得た借家は、元はと云えば交易商人が使っていた仮住まい。家財道具の殆どを置いた儘、他所へ拠点を移してしまった為に、其れ程の金銭的負担も、苦労もする事なく入居が叶ったのだ。
最初に買い揃えたのは、枕を一つ。それから、色違いの手触りの良いふわふわの寝巻に、宿暮らしであれば必要無い消耗品を幾ばくか。
出会ってから向こう、ずっと宿を渡って居たふたりには定位置に留まり生活を送るのは初めての事。一番、違和感を感じたのは、宿であれば必ず有るチェックイン・アウトの時間の概念が無い事かも知れない。其れを良い事に、お菓子を摘みながら夜更かしをして話し込んでみたり、その後に夕暮れ時迄どっぷりと惰眠を貪って、ベッドの上でお腹が空くまで只管に転がって過ごしてみたりもした。
気が向いたら外に出て、特に此れといった目的も宛ても無く彷徨ったり出来るのも、其の日の宿探しや野営の準備をしなくて済むからこそ使える贅沢な時間。
そんな調子で偶にしないとしても、炊事、掃除、洗濯だって全部ふたりでこなす。
簡素なレシピにふたりで頭を悩ますのは楽しいもの。『適量ってどの位かしら?』、『一杯入れて不味くなる事は無い筈よ』だなんて、初心者でも中々しない失敗を犯して後で泣きを見たり、見様見真似で作ったものが案外美味しく出来たりして、つい嬉しくなってしまって食卓に並べる前に摘み食いをし過ぎてしまったり。
然して美味しくない仕上がりでも、ふたりで食卓に向かい合えばどんな料亭の味にも負けじ劣らずの逸品になる。背の低いアリスは御行儀悪くも足をバタつかせ、片やゼファーは余る足先で其れを受け止めて挟み込んで、其れから『美味しいね』と目を合わせて笑うのだ。
洗濯だって最初こそ上手くはなかったアリスも、随分と手慣れて来ての事もあってか。そこそこに楽しい時間らしい。
優しいシャボンの香りが鼻腔を擽り、口笛のデュエットを始めればあっという間で。寒い幻想で請負った掃除の仕事の時に触れた冷たい水より幾分か此処の水が温いのは助かった。皺にならない様にピンと伸ばして干した洗濯物の間を駆け回っては、暖かい風ではためくリネンの影で、太陽の視線から逃れて。ふたりは、キスをする。
掃除も欠かさずするが、何から何まで、とすると其れだけで日が暮れてしまいそうだった為に、日替わりで場所を決めて昼食後に取り掛かった。毎日綺麗に掃除をするのは中々骨が折れるものだから『わたし、お家を持っても毎日出来る気がしないわ』と何時かは家に暮らしてみたいと言ったアリスも弱音を上げたが、『予行練習と思って』と言えば悪い気はしないらしく、たちまちご機嫌で細い指なりに力強く雑巾を絞る姿を見て愛おしくて笑ってしまうというものだろう。
夕暮れには庭先で、ロッキングチェアに腰掛けてリュートを爪弾く。柔肌を撫ぜる様にとろりと走らせて、甘い甘い音色を奏でれば、軀が鈍ってしまってはいけないと踊り子衣装に身を包んだ少女が合わせて跳ねる。其れは、此の土地に根付く伝統ある振り付け。しなやかな白い軀が、ぐわりと全てを喰らう波を、優しく揺り籠の様に揺れる波を、そして大海原に繰り出す男と人ならざるものの戀をその身一つで語り上げるのだ。
一度見ただけの筈なのに、如何してこうも悩ましげに踊る彼女の吸収力には舌を巻く。高まって行く音色に”しゃん”と、ナイフに繋いだ金鎖が音を立てて混じる。”しゃん”、”しゃん”、心に奔る戀の痛みを、身を切り裂く思いの男女の感情を表現するのは思い付きで取り入れたアドリブの部分だと云う。
音が途切れて、静寂が戻った後に有る拍手はひとり分。歓声もひとり分。唯一の奏者にして観客の彼女に紅潮した頬でキスを。『今日は何度目?』、『さあ、数えていないわ』。互いにじわりと滲む汗の香りを感じながら、そんな風にして日がな過ごして、夕ご飯の事を考えている内に陽は落ちて行く。
あれから、どれ位であろうか、永遠を見紛う程のしあわせな時間の中で迎えた<
『蜂蜜ちゃん、渡したい物が有るんじゃないの?』、『いえいえ、あなたこそ』。
そんな寝起き眼の視線に寄る長い攻防の末、先に折れたのはゼファーだ。取り出したのは、青のペーパーバッグ。不織布の着物包には、シルクのガーランドコードを幾重にも結び付けて。襟に挟んだのはラブレターと『私を食べて』と云うタグ。
中のチョコレイトは、まあるい、まあるい、可愛いトリュフ。ミルク、ビター、ストロベリィ、ホワイト。ナッツやドライフルーツ、粉砂糖で粧し込んだチョコレイトに大事に抱かれているのは、あまい、あまい蜂蜜。
――お嬢さん、お味はどうだい。此れは結構甘いと思うけど、どんな奴に渡すんだい?
――ふふ、とっても気に入っちゃった。蜂蜜が大好きな子に贈りたいものだから、ぴったりだわ。
――そいつは良い、うんと可愛く包んであげようね。良いグラオ・コローネを!
だなんて、気の良い店主には言ったけれど、多分。試食した数ある中から此れを選んだのは多分。相手が蜂蜜が好物だから、と云う訳だけでは無く。彼女には如何しても甘過ぎてしまう自分を、内包する其れに重ねたからかも知れなかった事は秘密である。
コロンと愛らしく整列する姿にすっかり虜になっていたアリスが、封をした封筒に手を伸ばして、目の前で徐に開けようとするものだから、慌てて手で制して、不思議そうに見つめて来るグラス・アイの眼差しから逃れる様に首を振った。
「あら、ラブレターは読んで聴かせてはくれないの」
「私にだって恥ずかしいと思う時位あるわあ、ひとりの時に読んで頂戴ね」
「……一緒の家に暮らしているのに?」
じゃあ、わたしのね。そう言ってアリスが渡したのは、王冠が描かれた小さな麻の袋に、ちりりと鳴るふたつの金の鈴を結えたクラシックな黒いリボンで、少しばかし大人な装い。紐解いて中を取り出せば、其れは名前と知識位は有っても、大凡において自分には縁の無い様に思える、メイク用品が出て来たもので一瞬思考が止まる。
「これは……ルージュとチーク?」
「ふふ、正解。或いは……いいえ?」
少し違うんだなあ、と言いた気にちっちっちと舌を鳴らすと、ころんとした口紅をせり出し、慣れた手付きで自分自身に塗る気怠げな横顔は妙に色っぽくて、少女では無く”女”の其れ。眩しい朝方のベッドの上、日差しで長い睫毛が陰を作れば、知らない内に思わずごくり、と喉が鳴った。
こうするのよ、と顔を上げる
――此方、女性同士での贈り物に人気の商品でして、一度売り切れてしまった位なんですよ。
――ふうん、食べれるのね。
――ええ、面白いでしょう? 殿方が女性に贈っても良いんですけど、お客様、少しお耳を貸しては頂けませんか?
「『口紅を贈るのは、其れを塗って少しずつ返してと云う意味が或るのです』って」
「……蜂蜜ちゃん、此れは、一寸。貴女、流石に此れは狡いわ、狡い」
「そ? ね、つけてあげるから――……返してくれる?」
「ええ、其れはもう、三倍どころか、何度でも」
遠く遠くの、波のさざめきが聴こえる。ふたり寄り添えば、潮が満ちる様に、心は充たされて。微熱に溺れるが儘に、脣を求め合う。光を乱反射する埃がやけに煌めいて見えて、『まだ起き上がりたくないわ』とごねるこんな朝だって悪くは無いと思えた。
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February,14,2020
狡い、狡い。今回は、私の負け。
またまたまた、惚れ直しちゃったわ、うん。
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『ねぇ、ゼファー。無理に笑わなくても良いのよ。それ位、受け入れられるわ、わたしだって』
弱り果てて、壊れかけて。
何時もの自分であろうとすることすらも、危うくて。
どうしようもなくなってしまっている私を、それでも受け入れてくれるのだと。
貴女がそう、私に言ってくれたことが嬉しくて、嬉しくて。
格好悪い所、いっぱい見せてしまったけれど、うん。貴女が居てくれて、本当に良かったと思う。
屹度、私達、戀をしているし――何度離れても、何度も出会って、戀をするのでしょうね。
「――……ありがと、蜂蜜ちゃん」