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Blue Bird
登場人物一覧
●創世の芽
生めよ、増えよ、地を満たせ。
創造主たる神が望むままの世界であるように、健全であるように――
「全く……少し目を離した隙に、こうも荒れるものか」
言わばこの右手は神の右手。この瞳は神の瞳。
万軍の主たるあの御方の栄光を受けたこの身には、その誉れに相応しい使命が与えられている。
『崩れないバベル』にかけて言うのであれば、俺は"庭師"だ。
天体について日々記録し、
来る日も来る日も植木鉢(地球)に水をやり、
肥料(文明発展のための知恵)を撒いて、
芽(人)の成長を見守り、
虫(人に害なすもの)を殺し、
枯れた花(死んだ人の魂)を摘んでいる。
面倒ごとは多いが、見よ。手を加えた
「この完璧な仕事ぶり、拍手のひとつでも欲しいものだな」
――拍手。
独りごちた言葉をきっかけに、俺は"日課"を思い出した。
●飛翔の芽
『行こう、ミチル。青い鳥はきっと次の国にいる!』
「ほう。今日の稽古は小道具もあるのか」
俺は
しかし
定められた美しい
二重奏のようにふたつが合わさる事で、鳥肌が立つほどの興奮と感動が得られるのだ。
――どちらも完璧であれば、の話だが。
「このシーンは、脚本家の改変が入っているのか。駄作とまでは言わんが、感動を促すには台詞が固い」
ここ最近、俺はとある小さな劇場の稽古を
はじめの頃は本を書いたり公演を覗くだけで満足していたが、観察係の性だろうか。次第に気になりはじめたのだ。あの感動が何処で生まれ、どうやって育つのか――その過程を。
『あのさ!
不安がってる
「またあの男か」
ここ暫くこの劇団の様子を見ていて気付いた事といえば、練習中の公演《青い鳥》の主演を務める兄役の役者が、この劇場の中で一番、公演に対して熱心だという事だ。
稽古の休憩時間になると、大抵の役者は気分転換をするか、台本を読み込んで次の稽古に備えるが……この男は舞台監督や脚本家へと声をかけ、演技の相談を繰り返している。
勿論、ただ内容に文句を言っているという訳ではない。その証拠こそ、男が手にしている台本だ。
あちこち擦り切れ、表紙の印刷は滲み、いくつもの付箋がはみ出している。練習の前に徹底して台本を読み込んでいるからこそ、意見を出す時間が作れるという訳だ。
「殊勝な奴だ。……もっとも、仮に俺が脚本家の立場だったら『黙れ』と一蹴して終わるだろうが」
何故ならそれは、俺が美しいから! そして美しいこの俺が作る最強の劇が、駄作であるなどあり得ないからだ!!
努力などというものは、か弱い人間のする事にすぎない。
「初公演の日まで間もないが、それまでに……せめて涙の一粒でも零す価値のある作品へと仕上げる事だな」
●蕾もゆる
劇場で割れんばかりの拍手を聞く前に、俺の頭が割れそうだ。
……まさか観察記録を提出するタイミングで、同僚とはち合わせになってしまうとは。
大音量で声を浴びせ続けられたせいで、まだ頭がクラクラする。
「くっ、ようやく戻って来れたか」
気分は実に最悪だが、この後の事を思えば気を取り直せた。
ずっと経過を
幕が上がれば、やはり普段の観劇とは見え方が違うだろうか。今日という日をどれほど待ちわびていたか!
公演が成功しようと失敗しようと、この記録は俺の次なる作品の礎となるだろう。
「あの男も稽古の最終日まで涙ぐましい程の努力を続けていたが、果たしてどんな仕上がりを――」
違和感に気付いたのは、その時だった。
「――ッ!!」
背中の羽根が逆立つほどの激情が身体をかけ巡る。
この感情……
「おい、お前。どうしてくれるんだ」
駄作ばかりの物書きでも、悲劇を描くのであればもう少しマシな
俺という宝石に勝る美天使に見守られながら演じる――その栄誉を受けておきながら、好機をドブに捨てるのか?
まったく、筆舌に尽くしがたい!!
舞台の上に横たわる男は、いくら罵声を浴びせても言葉を返せずにいた。
いや、返す気力すら無いのかもしれない。彼の周りに滲む紅。溢れる血と、人が焦げる独特の臭気。
今まさにひとつの
それがどうした!!
これが劇中の一幕であれば涙の一粒でも零しただろう。しかしこれは『現実』で、決して
「楽しみを奪うどころか仕事を増やしやがって。人間はいつもこうだ」
『死にたくない』
「うるさい黙れ。お前達に裏切られ続けた俺の気持ちが分かるか!」
パチリと何処かで火の粉が爆ぜた。
人の命は儚い。芽吹いたかと思えば、あっという間に華やかな
この男のように、花開く事すら許されずに散る命も数多にあるが。
(皮肉な話だが……今がこの男の
ならばいつも通り
意識を逸らせば聞き逃してしまいそうな擦れた声。
しかし、その言葉は他のあらゆる音よりも鮮明に俺の耳へ飛び込んで来た。
『死ぬなら舞台の上が良い』
『拍手喝采に包まれながら、幕が下りたと同時に力尽きるんだ』
舞台への情熱、そして未練。
ない交ぜにされた感情から絞り出された言葉は、この男を
舞台の上で力尽きる男と、傍で最後を綴る
男にとって、今は絶体絶命の状況だ。最早これほど煙にまかれてしまえば、救いの手を差し伸べる事が出来る者は誰もいないだろう。
――この俺を除いては。
「……良いだろう。その願い、俺が叶えてやる」
世界の傍観者に徹していた俺を表舞台へと招き、一瞬とはいえ完璧なる
俺の手によって生み出される最高の
眩しいほどの光を纏い、差し出してやった救いの手。
その神々しい姿を瞳に映しながら、男は「青い」と唇だけ動かした。
●花が咲くまで
"貧しい育ちのチルチルとミチルの兄妹は、幸福の青い鳥を捕まえるため、夢の中で様々な国を渡り歩きました。しかし最後は起こされて、青い鳥を捕まえる事が出来ないまま目覚めてしまいます。
2人はがっかりしましたが、そこで部屋にある鳥籠の中に、青い羽根を見つけます。
兄妹は気づいたのです。本当の幸せは、手の届く身近な所にあるのだと。"
「久方ぶりに読んではみたが、あまり参考にならんな」
読み終えた本を置き、俺はポケットから手帳を取り出した。
記録を録る最中にも、頭の中で軽薄な声が騒がしい。
「囀るな。少しでもネタを取りこぼさせてみろ、世界規模の喪失だぞ?」
あの日見た