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アンハッピーバースデイ
登場人物一覧
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誕生日を迎えた。こうしてぼんやりと日付を重ねるのは二度目のことだろうか。けれど、一度目とは何もかもが違う。
重なる声も。同志も。それを取り巻く薄煙すらも。すべて、すべて、失われてしまったのだ。
あの日から変わってしまった。何もかもが変わってしまった。
その最たるものは――主を失ってしまったことだろう。
きゃらきゃらとまるで花のように笑う彼女が。その輪郭が。寝て覚めてを繰り返すうちに輪郭が遠のいていく。
安っぽい言い訳なんてするつもりはない。己の力不足だ。だから彼女は死んでしまった。奪われた。けれどその結果自分はどうだ? 薬を飲んでも眠れず、こうしてたったひとりではみ出し物の『大人』になってしまったのだ。
なんてことない市販のケーキに仏壇用の蝋燭を突き刺す始末。不謹慎だってなんだって、今ばかりは祝わずには言われらない。
「お誕生日おめでとう、瑠々ちゃん!」
きっと。いつかの残響。まだじくじくと疼くのは、きっと夏の暑さがこの傷を乾かせてはくれないからなのだ。きっと。きっと。きっと、そうだ。
昼間は暑くてだるくてうだるようなのに、夜になればほのかに金木犀の香るこの季節は、実のところ嫌いではなかった。
ローレットを離反して、音沙汰もないような自分なのに、未だに捕まる気配もないらしい。ふと思い立ったようにケーキを練達のコンビニで買ったとて口出し一つもされない世界。だからだろうか。ついでに、何も考えずに。
(買っちゃったんだよなあ……)
どうせなら酒にすればよかったものを、バカバカしい。
初めて買ったのがバレバレなのか、どうなのか。96番ください、なんてとっさに出た言葉への後悔は、レジとは真反対の場所にあるライターを買う必要があるという店員の善意で羞恥に飲み込まれ消えていった。
「はっぴばーすでー……いいや、やめだやめ。小賢しい」
念のために歌ってみようか、なんてやってみたところで恥ずかしいしくだらない。生まれてきたことをめでたいとも思わないし、未だにとっとと死んでしまいたい。ので、やめ。
歌うか悩んでいるうちにろうが垂れてしまった。しかも仏壇用。太いし見た目も悪い。ふー、と吹き消してなんとかケーキから救出する。熱い。ビニール袋の中へ投げ捨てて、さよなら。
プラスチックのフォークで生クリームを頬張る。甘い。苦しいくらいに、甘い。胃もたれどころか胸焼けまでしてしまいそうだ。
ああ。だからだろうか。煙草の透明な包装を剥ぎ取って、もどかしいくらいに不器用な手付きでライターで火をつける。
「んん……? どうすんだ、これ」
ウチにわかるわけねー、なんてぼやきが漏れてしまう。とりあえず咥えてみるが、消えない。ふたつ指の間でちりちりと火が迫るような気がして、思わず息を吸い込んだ。途端に口の中に広がる苦味。
「?!! げほっ、うぇ、ごほっ、ん、うぇぇ……」
唾液まみれの嗚咽。めちゃくちゃ噎せて情けないし、カッコ悪いし、まぁそんなもんかなんて割り切ってしまう気持ちもあった。
未だに酒を買ったほうが良かったんじゃないかと思う気持ちもあるし、だけど酒と睡眠薬は相性が悪い。最悪ラリってしまうしそれどころじゃ済まないかもしれない。ので今回は煙草で我慢しておいてやる。
口の中に広がる苦味が大人になったことの証明なら、まだ子供でも良いのかもしれない。いや、でも、大人でも居たいような気がして、とりあえず煙草の火を踏み潰す。
再び口の中に広がったケーキの甘みは、先程のようなやけに可愛らしい子供だましのそれではなくて、もうそれがレプリカのそれであることを教えるかのように、甘さだけが取り柄のくだらない市販品であることを物語っていた。
そういえば誰かも吸っていたような気がして、だけど近寄らない方がいい、なんて言われたのはきっと、鼻が使えなくなってしまうからなのだろうと、もくもくと鼻の穴から漏れる煙を見て思った。煙は胸中の虚しさを埋めてくれるようで、それなのに苦味で返すのはあんまりにもあんまりなしっぺ返しだと思う。きっとこれがニコチンの強いものだったんだとか、そういたことを考える気力はなくて、しゃがみこんでケーキを平らげることしか出来ない。
じりじりと火が消えていく。死んでいく。それなのに煙はぼんやりと黒に滲んで、夜を汚していく。ああ、折角の服が汚れてしまっただろうかなんて考えるはずもなくて、くせえなあなんて手のひらで払い除ける始末には煙草も泣いてしまうだろうか。
もうとっくの昔に日付も変わって、ケーキなんてちょっとぬるいくらいで、それなのに煙草の煙はまとわりつくような夜だったけど。
ああ。ウチもようやく、ちっぽけなやつらとおんなじの、最低でくだらない大人のひとりになってしまったのだ。