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オレンジジュースでメルトダウン
登場人物一覧
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「ねえ、お姉さん」
声をかけたのは全くの偶然だった。
テーブルの上にはジョッキにグラス、酒瓶が所狭しとならんでいるのにしれっとした顔でまだ呑んでいる彼女――或いは彼――に、Loveが興味を持った、ただ其れだけの事。
お酒って美味しい。
って、大人の人はよく言うけど。Loveのマッサージより気持ち良いのかしら。
酒場に人を観察しに来ていたLoveのそんな興味が、二人の出会いを生んだのだった。
「――ん。わたしかな?」
声をかけられた事に少しして気付いたさくらは、そちらへ視線を向ける。
桃色のスライムが其処にいた。見目麗しい少女の上半身。スライムよろしくとろけた下半身。其の瞳はきらきらと、興味に輝いていて。
「そうよ、お姉さんなの。お酒って美味しいの?」
器用に粘体の身体を動かしながら、そっとLoveはさくらの向かいへと“座る”。さくらは其れを拒みはしない。一人で飲むのもまた乙なものだが、誰かと語らいながら呑むのも悪くないものだと知っているから。
「そう聞くって事は、あなたはまだ呑めない年なのかな」
「そうなの。Loveはまだ呑めないのよ」
Loveは少し膨れっ面をして、テーブルに肘をつく。桃色をしたゼリーみたいな表面がぷるんと揺れた。
「Loveはマッサージをするのが好きなの。人とお話するのも好き。でも、酔ってる人とのお話って、余り成立しないじゃない」
「あはは、そうかもね。酔うと物事を考えるのが面倒臭くなるからなあ」
「お姉さんも?」
「いや、――わたしは全く」
言うとさくらは店員を呼び止め、酒とつまみの追加を頼む。そうしてLoveに視線を寄越した。『君は?』――そう言いたげに。
「……良いの?」
「まあ、二つ目以降はお支払いいただく事になるけど」
「じゃあ、ジュースが良いわ。オレンジのやつ」
「うん、じゃあ其れで」
さくらはしれっと頼んでしまうと、其れで、と再びジョッキに唇をつける。
「あなたはマッサージ師か何かかな? ええと……」
「Loveよ。LoveはLoveなの。マッサージ師……じゃないけれど、Loveのマッサージは気持ち良いって評判なのよ」
少しだけ誇らしげに、ふふん、とLoveは言った。実際、彼女の体内には“きもちよくなる薬”が体内に充満している。だから彼女の施すマッサージは軽いものであっても十全に凝りをほぐし、筋肉の緊張を緩める事が出来るのである。
へえ、とさくらが興味深そうに声を上げてジョッキを煽る。中身のエールはあっという間に飲み干された。
さくらは女性に見えるが、正確には男女どちらでもない。桜の古木から生まれた精霊種であるがゆえに、性別を持たないのである。
だが女性的な服飾を好むので、今回もそうだが、女性だと勘違いされることはままある。今日はたまたまそういう輩はいなかったが、『一緒に飲もうよ』なんて下心満載で話しかけて来る男だっている。――大抵は目的を果たす前に、さくらより先に酔い潰れてしまうのだけれども。
Loveはテーブルに両肘を突き、掌の上に顎を置いて興味深そうにさくらをみる。そんな少女めいた仕草が良く似合う子だ、とさくらは思った。
「ねえ、お酒ってどんな味がするの? ジュースと違うの?」
「んー、違うといえば違うかな」
何と表現すればいいだろう。ほんの少し考え込む。さくらにとっては酒精は少しのスパイスみたいなものだから、何が違うと問われるとなかなか答えるのは難しい。
「ジュースに近いは近いんだけど、ちょっと苦い……みたいな感じかな?」
「苦いの? ……苦いのが良いの?」
Loveは不思議そうに首を傾げる。
だって、苦いって美味しくないって事じゃないのかしら。美味しくないものを、この酒場にいる人は進んで頼むのかしら。とっても不思議。
そうだね、とさくらは苦笑した。酒を知らないLoveからみれば、苦いものを進んで飲みたがる大人たちは奇矯なものに見えるだろう。
「でもね、頭がこう、ふわふわとして……楽しい気持ち、になる、んじゃ…ないかな?」
とてもふわふわした回答になるのを許して頂きたい。だってさくらは其の感覚を味わった事がないのだから。これまで同席してきた者が最初は陽気になり、段々と無言になり、そしてテーブルに突っ伏していく様しか見た事がなかったのだから。
「とても曖昧ね」
だからLoveの御尤もな答えに、さくらは苦笑して見せるしかないのだった。
「でも、マッサージだってふわふわしてとても気持ち良いわ? お姉さん、マッサージは受けた事ある?」
「あー……そうだね……軽いものなら受けた事があるよ。余り凝ってないって言われたから、其れからはあんまり」
「そうなの? マッサージをするとね、身体があったかくなるの。筋肉が柔らかくなって、血行がよくなるのよ」
Loveはマッサージをするのが好きだ。人の凝っている場所がゆっくりと柔らかくなっていくのを感じるのが好きだ。其れにともなって、其の人の表情が緩むのをみるのも、好き。
店員が『お待たせしました』と二つのグラスを持ってくる。Loveにはお洒落なグラスに入ったオレンジジュース。さくらにはワイングラスに入った白ワイン。
Loveはさくらの頼んだ液体に興味津々だ。透明だわ、と不思議そうに矯めつ眇めつ眺めて、矢張り透明だわ、と呟くのである。
「お姉さん、これはお水?」
「ううん、違うよ。これは白ワイン。見た事ない? ――お酒の香りがするから、少しかいでみる?」
どうぞ、と酒を差し出したさくらに、大人しくLoveは鼻をグラスに近付ける。そしてすんすん、と其のアルコールの香りを嗅いで……う、と苦いものを食べた時のような顔をした。
「なんだか変な香りなの」
言って、風味を流すようにオレンジジュースを飲む。其の様を見て、さくらはおかしそうにくすくす笑い。
「そうだね、アルコールは初めて? なら、変な香りって思うのも当然かも」
「こんなのを好き好んで飲むなんて、オトナって変わってるの。ジュースの方が美味しいの」
「――さあ。あなたも大人になったら、案外飲むようになったりしてね。……ああ、わたしはさくら。さくらっていうよ。あなたは?」
「LoveはLoveなの。もう少し長い名前があるのだけれど、……其れはまた今度教えてあげるの」
其れは『知りたいならまた会いましょう』の意。
だってLoveは、この人にマッサージをするって目的をまだ果たしていない。そうして、体の凝りをほぐして気持ちよくなるって感覚を知って貰いたい。
だからひっそりと、次にまた会おうという約束にもならない言葉の罠を仕掛けるのだ。
其れを知ってか知らずか、さくらはゆるりと微笑んで。
「――……Loveさん。うん、じゃあまた今度会った時には、掌とかをマッサージしてもらおうかな。今は生憎お酒を飲んでるから、血行がよくなりすぎても困るしね。あ、おつまみいる?」
卵の串だよ、きっと美味しいと思うな。
差し出された串をLoveはじっと見詰めた後、一本取って。もぐり、と一つ食べると……
「――! 美味しいの」
其の瞳をきらきら輝かせて。
そんなあどけないLoveの様子に、もう何杯目か知れぬ酒を飲みながら、微笑ましいとさくらはくすくす笑うのだった。