PandoraPartyProject

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ルブラットの仕事。或いは、ある当たり前の一夜の話…。

登場人物一覧

ルブラット・メルクライン(p3p009557)
61分目の針
ルブラット・メルクラインの関係者
→ イラスト

●地下室の急患
 空気の淀んだ暗い部屋だ。
 黴と埃と汗の臭いが充満している。窓はなく、空気には湿気が混じっていた。
 地下室だろう。
 光源は、壁にかけられた蝋燭の明かりだけ。
「いい場所だろう。ここなら、どれだけ大声を出しても人に気付かれる心配は無いし、人が近づくことも無い」
 部屋の中にある人影は3つ。そのうちの1つ、ルブラット・メルクライン (p3p009557)は壁際に置かれた長テーブルに持参した荷物を広げながら、淡々と語る。
 メスにハサミ、ノコギリ、注射器、何かの薬……広げる荷物の内容は様々だが、医療器具の類が多いように思える。
「偶然、散歩中に見つけた場所なのだがね、なかなか使い勝手が良くて気に入っている。もちろん、こんなに良い場所なのだから先に住んでいた者がいたが……よく“お話”すれば分かってくれた。快く明け渡してくれたよ」
 そう言って、ルブラットは肩を揺らした。きっと笑ったのだろう。
 荷物を広げるルブラットの隣で、背の高い女性が微笑んだ。女性の名はエミリー・ブライド。少々、複雑かつ歪な事情はあるものの、エミリーはルブラットの助手だ。
「えぇ、流石はルブラット医師です。ですが、少々、黴や埃が気になりますわね」
 エミリーの視線は、蝋燭の辺りに向いている。
 空気中に舞う埃の粒子や、壁に生えた黴が気になっている様子だ。
 もちろん、ルブラットの確保した地下室は“医療施設”では無いし、日常的に人が住む場所でも無い。掃除が行き届いていないのも仕方が無いと言える。
「それなんだが。この辺りの地面には、少々、変わった成分が含まれていてね……希土類と言う奴だ。口や鼻から人体に吸入されると、意識の覚醒や感覚の鋭敏化を促す作用が認められている。まぁ、天然の興奮剤だな」
 まるで非合法な薬物のようだ。
 だが、ルブラットの話を聞いてエミリーは目を輝かせた。それから感心した様子で、視線をルブラットから部屋の奥にいる最後の1人へと移す。
「それは実に好都合ですね」
「あぁ、本当に……急な仕事で準備時間も足りなかったが、この場所を確保出来ていたのは僥倖だった」
 器具の準備を整えて、ルブラットも最後の1人へ目を向けた。
 暗がりの中、椅子に縛られ項垂れている筋肉質な大男だ。身に付けている衣服から、彼が騎士であることが分かる。
 男は禿頭に脂汗を滲ませて、何事かを呻いた。
 男が何を言っているのかは分からないが、きっと「解放しろ」だとか「何のつもりだ」だとか「こんな真似をしてただで済むと思っているのか」だとか……そんな風な雑音だろう。
 
「カルテを」
「はい、先生。クランケの名前はヴィガロ=ジャーマン。幻想の騎士ですが、現在は使える主も無く“修行”と称して各地を放浪中の身。ですが、裏では脱走騎士や盗賊たちと繋がりを持っており、村や街、商人を襲う手引きをしていた模様です。さらには、ローレットの情報を、そう言った悪党たちに横流ししていたと」
 手元の資料に目を通しながら、エミリーは朗々と大男……ヴィガロの情報を読み上げる。エミリーの言葉が耳に届いているのだろう。ヴィガロは一瞬、大きく肩を震わせた。
「発汗量が増したな。顔色も悪く、動悸も乱れた。カルテの内容に誤りは無いように思われる」
 ヴィガロの前に近づいて、ルブラットは淡々と告げる。
「いかがしますか?」
「無論、処置を続けるとも。彼にはすべてを吐いてもらう必要があるし……悪性腫瘍だ。残しておいても仕方ない」
 そう言ってルブラットは壁際に戻った。長テーブルの上で手を滑らせて、迷った末に使い慣れたメスを掴む。
「本来であれば、処置の前には、これから何を行うのかを伝えてクランケの同意を得るものなんだ。インフォームドコンセントと言う。だが、それでは喋れないだろうからな。こちらの判断で、処置を行わせてもらう」
 ヴィガロの口には猿轡が噛まされている。呻き声を発する程度なら問題無いが、意味のある言葉を発することは出来ないだろう。
 実のところ、ヴィガロはこれから自分がどんな目に合わされるかを理解していた。シチュエーションを考えれば、誰にだって分かる。拷問だ。自分の働いた悪事を、洗いざらい喋らされることになる。
 その後、命があれば儲けもの。
 最悪の場合は、命を奪われるかもしれない。
 それなら、それで構わないとさえ思っていた。
 恐怖と痛みを長く与え続けられるより、ひと思いに楽にしてくれた方がよほどいい。だから、訊かれた内容には、嘘偽りなく全て答えるつもりだった。
 けれど、どうやらそれは“許されない”ことのようだ。噛まされた猿轡は、もう暫くの間、外されることは無いようだ。
「痛みはある。ここの空気を吸い込んだ以上、普段よりも幾らか鋭敏に痛みを感じることだろう。だが、心配はいらない。君が意識を失うことは無いし、私はこれでも腕がいい。うっかり命を失わせるようなミスはしない」
 その言葉が、ヴィガロの心を絶望の底へと突き落とす。

 ペストマスクの下で、ルブラットは小さな溜め息を零す。
 それから、血と脂に濡れたメスを長テーブルに置いて「終了」と短く呟いた。
「お疲れ様でした。後の処置は私が」
「あぁ、頼むよ。彼の供述は記録出来ているかな?」
「余すことなく、そちらに」
 止血薬と包帯を手に、エミリーは視線を壁際へ向けた。長テーブルの上には、ヴィガロの零した言葉を余さず記録した10枚を超える紙面が束になっている。
 後はそれを、ローレットへと提出すれば仕事は完了だ。
 ヴィガロは随分と悪事を働いていたらしい。また、中には幻想の貴族が幾つか潰れかねないような眉唾ものの情報も含まれている。中には信憑性の怪しい情報もあるが……。
「まぁ、いいか。情報の精査はローレットの仕事だ」
 ルブラットが依頼された仕事は、ヴィガロの捕縛と得られる限りの情報を吐き出させること。
 そこから先は、契約の範囲外である。

 呼吸は浅いし、すっかり気を失っているが、ヴィガロはまだ生きている。
 生きているだけで、二度と自分の脚で歩くことも、剣を握ることも出来ないだろう。ともすると、まともに思考し、言葉を発することも難しいかも知れない。
 果たして、それはヴィガロにとって“幸い”なのか。ここで彼の希望の通り、ひと思いに息の根を止めてやることが、彼にとっての“救い”となるのではないか。
 止血を終え、器具を片付けながらエミリーはそう思う。
 もっとも、ヴィガロの行って来たことは明確に“悪”だ。同情は出来ないし、彼を野放しにしておくことで、善良な多くの人が涙を流すことになる。
 エミリーは、そっと懐に忍ばせたアンプルケースに手を置いた。
 それを使うか、使わないか……逡巡しながら、エミリーは問う。
「彼は最初からすべてを話そうとしていました。なのに、どうして最初から話を聞こうとしなかったのでしょう?」
「ふむ……」
 顎の下に手を添えてルブラットは言葉を探す。顔に触れないのは、医師としての職業柄か。
「痛みと死への恐怖が無ければ、人は全てを話さない。だから、まずは痛みを与える。死へ近づいていく実感を与える。そうすると、何でも話すようになる。訊いてもいない話でも、何でもな」
 覚えておくといい。
 そう言ってルブラットは、ヴィガロの躰を死体袋へと移し替える。ルブラットの荷物はエミリーに預け、2人は地下室を後にした。
 

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