SS詳細
真名
登場人物一覧
●
――『そう』だと自覚したのは一体いつからだったろうか。
●
鉄帝。その北方に位置するゲーニスベルグ山脈。
その一角を登る二つの影があった。
一つはアウレオナ・アリーアル。此処で育った少女。
一つは解・憂炎。彼女の隣に在り続ける青年――
「よっし。着いたね――こんな所で修行してたなんて、凄いな。
まぁ僕も……覇竜で生まれ育ってるから、ある意味では似た環境だったけどさ」
「あっ。聞いたことがある、なんだっけ、竜? がいるんだっけ」
両名は『ある目的』を胸に山脈を登り続けていた。
どうしても果たしたい想いがあったから……しかし道中からして大変だった。狼が出るわ、熊が出るわ、巨大な四つ首の蛇が出るわ……なんなんだこの山脈は。麓の村で『やめときなよ、ここは昇る所じゃねぇ!』なんてお爺さんが言っていたが、本当だったとは。
されどアウレオナはこの山で育ったという。
そう――彼女の父代わりであるアスィスラ・アリーアル。
彼はずっとこの山にいたのだ。ずっとずっと。そして。
「ふぅ、久しぶりに戻って来たなぁ……ここにも」
これからずっと――此処に眠り続ける。
アウレオナと憂炎が山脈の頂上……よりは少し低い場所に辿り着いた。そこはなだらかな地形になっており、見れば隅には小屋の存在もあろうか。そう此処は、アスィスラが山籠もりをしていた時に拠点としていた場所だ――
転じてそれはアウレオナにとっても縁深き場所である。
彼女はアスィスラに拾われ、そして育てられた。ある意味では故郷と言えようか。
……だから此処に『運んだ』のだ。
帝都スチールグラードで行われた決戦の折に死亡した――アスィスラの遺体を。
片隅に墓を作った。豪華なものでも派手なものでもない。
石を積み上げ作った簡易なもの……だけどこれがいいんだ。
「おとっつぁんは派手なのは嫌がるからね――むかーし狩っためっちゃ強かったクマだけは気に入ったのが毛皮にして身に着けてたけど。アレめっちゃ派手だと思うんだけどなぁ」
「ははは、確かに。まぁ強さの象徴的なものだったんだろうし、気に入ってたんだろうね。しかしこの辺りはあんまり狂暴な動物いないね。墓が荒らされなくていい事だけど」
「うん。頂上に近付くと食料とかもあんまりないからね。熊とか狼とか、あんまり近寄らないんだよ。まぁおとっつぁんっていう一番狂暴な動物がいるって分かってたのもあるんだろうね――」
「あぁ……この辺りの強いのは狩り尽くしてそうだしね……」
ともあれ、と。軽く墓の掃除だけ済ませようか。
動物が寄らなくても風が吹き雨が降れば多少汚れる事もある。
それに何より、今日は報告したい事もあって――来たのだから。
冠位魔種バルナバス・スティージレッドの起こした一連の事件から暫くして、事態は落ち着きつつあった。爪痕は未だ各地に残れども……冬を超え、少しずつ平穏を取り戻している。憂炎の属していた南部戦線も元の軍形態を取り戻しつつあるか。
であればこそ、根無し草の時もまた終わりであった。
憂炎は決意している。自身の胸の内にある感情を整理して……
今日と言う日。彼女に紡ぐと――決めていたのだ。
「――アウレオナさん」
「んっ?」
「鉄帝で出会ってから、ずっと言いたかったことがあるんです」
「……んっ」
「アウレオナさん」
神妙に。表情が強張ろうか。
喉の奥が渇きそうだ――心の臓の鼓動が煩く、それでも。
言わなければならない事がある。
全ての準備と戦局は整った。後は指し手だけ。
届かせろ。
「愛してる。僕と結婚してください」
――それは一世一代の告白。
『そう』だと自覚したのは一体いつからだったろうか。
切欠こそ、もしかしたら出会ったその時から始まっていたのかもしれないが。
……でも『分からぬ』としていた。だって。
(感情が、ずっと分からなかった)
ずっと一人だった。誰かと一緒にいる時ですら、此処には己しかいないと感じる。
疎外感、と言ってもいいかもしれない。
心のどこかにずっと渦巻続けていたのだ……ソレが。
だけど。
「いつからか、変わってきていたんだ」
仲間を。彼らの心を知覚し始めた。
友情を信じた。心の中に燃え盛るものがあると信じた。
そしてなにより――
「君を護りたいと、願った日から」
僕の心に灯が宿ったんだ。
今までずっと逃げていた。知らない振りを続けていたけれど――
胸の奥に留めて押し込んでおくのは出来なかった。
アウレオナ・アリーアルさん。
「――どう、だろう、か?」
今だってこんなに、不安と焦燥に駆られる程に。
君の事を想っている。
拒絶されたらどうしよう。だけど、あぁ。どうしても応えが知りたくて――
「てやー!」
「ぐぁ!?」
「ふふ、油断し過ぎだね憂炎! 戦士たる者、一時も気を抜いたらいけないよ!」
と、その時だ。アウレオナが憂炎に、手刀を叩き込んだ――
本気の一撃ではない。半ば冗談めいたソレは、彼女の微笑みと共に。
「憂炎」
「……はい」
「ありがとうね。憂炎が大事にしてくれてる事は分かってる――でも……まずは結婚よりも先に……付き合うのが先なんじゃないかな! おとっつぁんも言ってたよ! 『お前もいつか誰かと結婚するのかねぇ。だがよ付き合いたい奴がいたらまず俺の前に連れてこい。義理の息子にするかは実力を見てからだ』って! だからまずは付き合ってからだね!」
「殺される予感しかしないんだけど、ソレ」
アウレオナの指先には、一つの指輪がある。
それはかつて貰ったモノ。桃色と橙色の中間色と言える美しき色を携えた――
『蓮華』
それはアウレオナにとっても大切なものだった。
人からの贈り物なんて……今までなかったから。
「でも」
瞬間、アウレオナは。
「うん。憂炎の事は……私も好きだよ」
「――――」
「私ね、昔捨てられてたらしいんだ。それでおとっつぁんに拾われてから、ずっとこの山に住んでた。一緒に修行して、一緒に狼とか狩って……色んなことを教えてくれた」
憂炎を包もうか。己が腕の中に。
そして語るは今までの事。きっと憂炎が知らない、自分の事。
今まではおとっつぁんがいてくれた。おとっつぁんは本当に色んな事を教えてくれた――だけど他の人の事は全くと言っていい程知らなかったから。誰かの気持ちに気付けるのも、遅かった。
皆いい人だな、とは思っていた。けれどその中でも。
「憂炎の事は、私も気になってたよ」
指先に煌めくソレが、いつだって己が世界に映っていた。
その度に憂炎の顔を思い出した。憂炎の言の葉を思い出した。
これが、好きって気持ちなのかな。
「私さ、山育ちでおとっつぁん以外の人をあんまり知らないから。
人を愛するってのは……まだ、よく分からないけれど」
でも。もしも憂炎も、感情が芽生えたのが最近ならば。
「私にも教えてくれる?」
「――あぁ、勿論」
「一緒にいてくれる?」
「当然」
「おとっつぁんみたいに死んだらヤダよ」
額をくっつける。さらば其処に宿る熱は互いに交わるが如く……双方に伝わろうか。
千の言葉よりも伝わる感情が、其処に逢ったんだ。
互いを大事に想う感情が――其処に。
「……そうだ、こういう場では本来花束なんだろうけど」
であればこそ憂炎は渡そうか。
ここまでこっそり運んでいたもの。
アウレオナに『なにそれー?』と聞かれてもはぐらかしていたもの……
「わぁ、これって……!」
「うん。居合刀だよ――指輪代わり、と言えるかな」
それは大事な愛刀。余人になど渡さぬ筈のソレを、しかし。
彼女にこそ渡したい。彼女にこそ託したい――そして。
「でも、こんなの貰っても返せるものがないよ」
「はは。そんなの気にしなくていいよ――ああでも。もしそうだな。
君が気になるのなら……一つ、欲しいものがあるんだ」
「え、なになに?」
「――『名前』なんだ」
憂炎は……一つを望もう。
「名前?」
ああ――名前が欲しい、と。
なぜならば解・憂炎という名前は便宜上の名だ。
召喚されたその場で適当に名乗ったモノ。
だから欲しい。新たな生を歩むとして。君と生を歩むとして……
「うーん……そうだね。
名前ならアリーアルを含むとか……全部変えるなら、う――ん」
悩むアウレオナ。他人に名前を付けるなんて、初めてだから。
険しい顔でうんうんうねって――それでも。
一つの名に思い至る。
「シェンリー・アリーアル、とかね」
「シェンリー?」
「『しえ・ゆーえん』っていう今の名前も好きだよ。だから、その名残を残した上でかなー。えーと意味はね、これはおとっつぁんがお酒飲んでる時に話してくれた事なんだけど……」
ソレはどこぞの言葉で『勝利』という意味があるらしい。昔、ラドバウに在籍していた友人が教えてくれたんだとか……本当かどうかは酔っていたし、アウレオナに確認は出来ないけれど。でもきっと嘘話ではないだろう。
響きが似ているのは偶然か、なんらかの運命の悪戯か。
――いずれにせよ。
「私はね、貴方に死んでほしくないよ」
だから、これからも勝ってほしい。
生き抜くのが『勝利』であるという――意を込めて。
「あぁ」
ならば、と『彼』もまた紡ごうか。
今度は……アスィスラの墓の方へ。『お義父さん』の墓前へ――振り向いて。
「あの時、勝ったのはどっちだったんだろうな。親父」
告げるのだ。自らの心の内に在った感情を、零すように……
……山の上の天候が変わりて雨が降らんとしていた。
雫が二人へと降り注ぐ。されば、その時。
――過ぎ去った事ぁ気にするんじゃねぇよ。後ろ向くなら、地獄から拳ぶち込むぞ?
雨の音に混じって『何か』の声が聞こえた気がした。
――気のせい。きっとあぁ、気のせいだろうけど。
「厳しいなぁ」
憂炎は。いや――
シェンリー・アリーアルは、あり得ぬ空耳に、言の葉を零すのであった。