SS詳細
白雪のような
登場人物一覧
黄泉津に坐す第一の娘――大精霊に数えられる神霊の娘は『黄泉津瑞神』と云う。黄泉津の名を冠する瑞兆の獣は清廉なる白をその身に宿し獣の姿をとっていた。
メイメイにとっては、自身が紡いできた縁である『豊穣』の地の主神でありながら、ふわふわとした可愛らしい友人である。外見こそ変異するが彼女の本質が白い獣である事には違いない。犬なのか狼なのか、何方であるのかを問えども彼女はにんまりと微笑みはぐらかすだけだろう。その辺りのことはメイメイも細かくは気にしていない。
「わたしは皆さんを愛おしく思っていますよ」と微笑んだ彼女を友達と呼ぶのは畏れ多いと告げたが瑞神は目を丸くして「そんなことはございません。わたしは、みなさんが居なければ潰えた存在でしたもの」と朗らかに笑うのだ。
――さて、そんな彼女の誕生日がやってくる。正確な誕生日であるのかは分からない。瑞神とて『便宜上の生誕日とした』と云う。その理由も、神霊である彼女達は気付いたらこの世界に生れ落ちていたらしい。これまでも幾人もの帝達と時を共に過ごしてきたが生誕の日というものは必要は無かった。「祝いたい」と申し出た者も居たが、分からないと云えばそれ以上の追求はしなかった。
「ですが、賀澄はコレまでの帝の中でも一番に落ち着きがなく、明るい子でした。それから元の世界というものが文明的に発展していたからなのでしょう」
現帝である霞帝は意気揚々と誕生日占いと書かれた冊子を手に「誕生日が決まっていないのか」とそう言ったらしい。星座占いだとか、誕生日占いだとか、そうした俗なものを好む男なのだ。無論、卜占と云えば陰陽頭が居る。「星ならば読み解きましょう」と朗らかな笑みを浮かべた陰陽頭の庚に対して霞帝は「ならば、誕生日を決めろ」と詰め寄ったのだそうだ。
それで決まった日。瑞神は人の子に決められた生誕日であったとしても「ならばそれがわたしの産まれた日なのです」と自慢げに微笑んだのであった。
誕生日。その情報を手にしてからメイメイは真っ先に中務卿の執務室を訪れた。何らかの仕事の最中であったのだろう。庚は「おや」と呟いてからひらひらと手を振る。愛らしい容貌をしているが随分な年齢だという庚は「中務卿、メイメイ君が」と囁いた。
「ああ、そういえば……うん、そんな時間であったな」
机に向かっていた晴明は幾つかの巻物を横に押し遣ってから頷いた。メイメイとは約束事があったのだ。それも、工作だ。ある程度の事情を話せば庚は「ここでなされば宜しい」と笑う。この部屋ならば
メイメイは瑞神に誕生日プレゼントを用意しようと決めて居た。贈り物は何にしようかと一人で一頻り考えたが、どうしても忘れ得ぬ事があったのである。
「それにしてもどうして木彫りの瑞神など?」
「……その……昨年の、シレンツィオでの一件は、覚えていらっしゃいます、か?」
「勿論」
その際には庚も顔を出していた。頷く陰陽頭にメイメイは「竜宮幣の、キャンペーンの際には、シレンツィオに瑞さま像を……建てることが、叶いませんでした、から」と力説する。
「ああ。成程、だからこそなのですね」
「はい。晴さまは、工作もお得意だと、聞いて」
「この子は霞帝に色々と仕込まれていますからね。でぃあいわい、とやらをして使いやすい机を作ると意気込んでる霞帝にもよく付き合っていました」
庚がちらりと見遣れば彫刻刀を用意していた晴明が「あの異国のように背の高い机のことか」と頷いた。幼子を見るような視線を向ける庚に居心地が悪そうに晴明が肩を竦める。
元は現代的な文明の世界より遣ってきた霞帝は自室用にある程度の高さのあるテーブルや椅子を用意したのだそうだ。霞帝の私室はシレンツィオのホテルでの分類で喩えるならば和洋室のようだと諸国見て回った庚は云う。
「中務卿はその儘、彫刻刀の使い方を教えて貰っていましたね」
「ああ。だが、瑞神に贈るというならばと休暇の時間に職人にコツを聞いてきた」
「めぇ……あ、ありがとう、ございます……」
俄にやる気たっぷりな晴明にメイメイは思わず目を丸くした。可愛らしい掌サイズの木彫りの瑞神。折角ならば台座の上には小さな子犬バージョンを載せようとせっせと準備を続ける。一つ一つの作業を慎重に行なうメイメイは晴明の執務机の隣に用意された小さな机にて作業に勤しんでいた。
「……大丈夫か?」
「はい、晴さまも、お忙しいのに……」
「いや、俺も霞帝を彫ろうかと考え始めた」
主上を彫りだすとこだわりが凄すぎて一向に終らないのではないだろうかとメイメイはぱちくりと瞬いたのであった。
日々の仕事を行ないながら時折メイメイの様子をうかがう晴明と、此方も面白半分に首を突っ込む庚に囲まれながらメイメイは懸命に『瑞さま』を造り上げたのである。
誕生日当日に会いたいとメイメイが瑞神に伝える前に何処かで根回しが為されていたのだろう。ラッピングを終えてから、荷を持ち出す前に瑞神を連れて庚はやってきた。
「メイメイ君、お連れしましたよ」
「え、あ……瑞さま!」
「こんにちは、わたしをお探しだとお聞きしました」
にんまりと微笑んだ瑞神にメイメイはこくこくと頷いた。何時も通りのふわふわとした白い毛並み、子犬サイズよりは幾分か大きめであったのはここまで歩いてくるためであったのだろう。
到着したことで気を抜いたように小さな子犬のサイズに変化してから瑞神はちょこりと座る。「入っても宜しいのですか?」と首を傾げてから尾で地を叩いた。
「入れろと言って居るのでは?」
「はい」
中で晴明が積み上げた巻物に埋もれながら手をひらひらと振っている。瑞神は尾を揺らしてから室内に勝手気ままに入り込んでからきょろりと周囲を見回した。
いつの間にやら庚が用意していたのだろうクッションの上にふかふかと座り、満足げに頷く。
「折角、お呼び立て頂いたのですもの。晴明も庚もわたしを眺めてにこにこするのはおやめなさい」
「いいえ、笑いますよ瑞神」
「どの様な顔をするのか見たいのでな」
二人が楽しげに言えば、瑞神は幼子の姿をとってから「まあ」と頬を膨らませた。その仕草だけを見れば本当に小さな子供だ。
拗ねたように唇を尖らせる瑞神が可愛らしくてメイメイはくすくすと笑ってから「瑞さま」とその名を呼んだ。
「お誕生日、だと、お聞きしました。霞帝さま、が決定なさった日でもある、と」
「はい。あの子からの贈り物です」
嬉しそうに微笑んだ瑞神にメイメイは頷いた。大きく頷く霞帝の姿が頭に過ったのは多分、きっと、気のせいではない。
「それで、……その、プレゼントを。受け取って、くださいますか……?」
「……まあ!」
嬉しそうに瞬いてから、庚と晴明へと振り向いて拗ねる。ああ、この反応を待ち望んでいたのでしょうと瑞神が唇を尖らせた。
人の子は瑞神にとっては我が子同然だ。それが黄泉津の外で生れ落ちたものであったとて、愛しい黄泉津を護り愛する者達を瑞神が愛さないわけがない。
だからこそ嬉しいのだ。メイメイが自身に何か贈り物を用意してくれたのも。
「これ、は……」
それが手作りの品であったことだって。瑞神は驚いたように顔を上げる。木彫りの瑞神の姿が底には存在して居た。驚きながらもメイメイと木彫りの瑞神を見比べた瑞神は「これは、あなたが?」と問う。
「はい。お色も、しっかり……瑞さまが、喜んでくださったのであれば、うれしい、です。
黄泉津も、きっと、沢山、沢山、大変なことが、これからも、あるかも……しれません。それでも、瑞さまが、心穏やかにあれれば、と」
晴明に手伝って貰った木彫りも、庚の(役に立ったかはさて置いて)アドバイスも、彩色も、メイメイはひとつひとつの行程を大切にしてきた。
瑞神が喜ぶ顔が見たかったのだ。「まあ」と呟いてから掌で顔を覆った瑞神に庚は「我らが『主神』が喜ぶ顔を見られて、笑顔にならない子供などおりますまい」と囁いた。
「あなたたちは知っていたのでしょう? ずっと、わたしに黙って」
「ええ、勿論」
「賀澄殿が『サプライズというものがある』と言っていたではないか、瑞神」
あっけらかんと云う庚と晴明に瑞神がまたも拗ねたような顔をした。ああ、なんてこと。
こんなにも喜んでしまえば『この国に春が来て仕舞う』かもしれない――瑞神の喜びは国の実りだ。彼女が穏やかであれば四季は巡り、国は保たれる。
「ありがとう、メイメイさま。これよりもわたしはあなたの愛するこの国を守り抜くと誓いましょう。
我が黄泉津を愛してくれてありがとう。我が子らを慈しんでくれてありがとう。わたしは……黄泉津の神霊として、あなたが愛してくれたことが何よりも嬉しいのです」
「――と、言いながらも木彫りを抱き締めておられますよ、瑞神」
「庚はお黙りなさい」
外方を向いた瑞神に庚はくつくつと喉を鳴らした。大人しそうな顔をして明るく朗らかな陰陽頭は瑞神が本当に喜んでいることに気付いて居るのだろう。
彼女の喜びも、彼女の明るい笑みも、穢れに溢れたままでは二度とは見ることが叶わなかったであろう。本来の生まれた日でなくとも、人の子が愛してくれたそれだけで何よりも喜ばしいのだ。
「メイメイさま、庚、晴明も。賀澄が祝いの品を用意しておくと言って居ました。
食事を共に、とのことです。共に参りましょう? わたしは、遠洋の国のけぇきとやらを食べたかったのです。一緒に食べに参りましょう」
メイメイの手をぎゅっと握った幼い少女の掌に力が込められる。手を引き、はやくと求めるような彼女にメイメイは慌てた様に晴明を振り返った。
「メイメイを困らせないでくれ」
「まあ、晴明。あなたのものではないでしょう?」
手を握り、引く瑞神にメイメイはぱちくりと瞬いてから「瑞さま」と慌てた様に彼女を呼んだのだった。