PandoraPartyProject

SS詳細

幸いのあわい

メメント・モリ/内河様

登場人物一覧

ジルーシャ・グレイ(p3p002246)
ベルディグリの傍ら
ジルーシャ・グレイの関係者
→ イラスト

●再会
「オージェ……?」
 それは青天の霹靂だった。まさかこんなところで出会うだなんて。
 ジルーシャ・グレイは我が目を疑って――警戒心と喜びがぐちゃぐちゃに混ざった複雑な感情で頭がいっぱいになって――けれども眼前の彼の穏やかな笑みに、『変わった』のだと『反省をして禁忌を犯す前の彼に戻った』のだと都合よく思い込んだ。そう思い込めば、その表情はすぐに喜びで溢れた。
「オージェじゃない! お久しぶりね!」
「久しぶりです、ジルーシャ」
 元気にしていましたかと優しく微笑むその人は、オーギュスト・グレイ。ジルーシャの『兄弟子憧れ』――だった人だ。彼は禁忌を犯し、師匠に破門されてしまった。何故禁忌を犯すまでにいたったのか、ジルーシャには解らない。オージェがどうしてそこに至ったのかを――察しているであろう師匠は教えてくれなかったから。
 彼が禁忌を犯して破門されてから一度も会えていなかった兄弟子――どれだけ経とうとオージェはジルーシャにとって憧れの兄弟子であることは変わらない――と会え、ジルーシャは心の底から喜びを感じていた。彼に認められたい一心だった頃の気持ちが呼び起こされるようだった。
(そうよね、師匠にだって会えたのだし、オージェにだって)
 そういう偶然だってあるだろう。きっと思っているよりもずっと師弟の縁はとても強固で、どれだけ離れたって混沌に召喚されてもこうして結び付けてくれるのだ。
「また会えて嬉しいわ」
「僕も貴方に会えて嬉しいですよ、ジルーシャ」
 穏やかに微笑むオージェはジルーシャの記憶の中の姿と変わらず、理知的な色を宿している。
「久しぶりに会えたのですから、ゆっくりと話したいのですが……」
 どうでしょうとオージェがジルーシャの予定を尋ねてくる。
「暫く予定はないの。だからいつでもお話できちゃうわ♪」
「それは好都合ですね」
「え?」
 小さな違和感を覚えてジルーシャが首を傾げる。何だか剣呑な響きがあったような気がしたが、気のせいだろうか。
「いえ。積もる話はたくさんあるから、どれだけ時間があっても足りないでしょう?」
「ふふ、それはそうね」
「この近くに僕の住処があるので、そこで良いですか?」
「え? オージェはこの近くに住んでいるの?」
 此処は人里から離れた木々が鬱蒼と生い茂る森の中だ。どう考えても生活するのには不便でしか無い。
 こんなところで暮らしているのとジルーシャが首を傾げれば、彼は柔らかく微笑んで尤もらしいことを口にした。
「ええ。この辺りでは珍しい香草が自生しているのですよ。僕はてっきり貴方もそれを取りに来たのかと思っていたのですが」
 違いますかと言外に含めて緩やかに首を傾げると、パッとジルーシャの表情が輝いた。
「オージェ、調香を続けていたのね!」
「当たり前じゃないですか、ジルーシャ。これは僕たちの”すべて”でしょう?」
「ええ。ええ! そうね!」
 破門されてからも彼が調香を続けていてくれたことが嬉しくて、ジルーシャはにこにこと笑った。
「珍しい香草はどういう香りになるものなの? リラックス効果かしら? それとも――」
「ジルーシャ、僕の家にありますので落ち着いて」
 まったく、お前は相変わらずですね。
 早くその香草のことが知りたくてはしゃぎだしたジルーシャを、オージェは隠れ家へと案内した。

●禁忌への執着
 こぽこぽこぽこぽこぽ。
 蒸留器が柔らかな音を立てている。とうの昔に耳に馴染んでしまっているその音は『して当たり前』の領域ゆえ、耳障りだとは思わない。……否、聞こえないほうが何か足りないと足りないパーツを探すように落ち着かなくなる程だ。
 機材を用意しながらチラと見るのは、呑気な顔で眠りこけている”元”弟弟子。簡単に意識が戻らないことは幾度の人体実験でも確証済みだし、湯気立つハーブティーが掛かっても目覚めなかったことから安心したい――ところだが、この男は憎たらしいことに『精霊の愛し子特別』なのだ。
 刃物を取り出し、肌を薄く切り裂いた。
 目覚めない。
「……一応、香を足しておきましょうか」
 濃度を濃くしつつ経過観察を続ければ、丁度良い頃合いが解るだろう。人の体への調整も、オージェにとっては調香と何ら変わらない。これまでの数え切れないほどの実験で場数も踏んでおり、人も獣も、もっと小さく不確かな存在だって、殺さずに長く『使える』方法を知っていた。
「やっとこの時が来ましたね、ジルーシャ」
 薬効のある香を足し終えたオージェの手は迷うこと無く伸び、眼帯の紐を切り、右眼の上に掛かった前髪を払い除けた。瞼には傷も病もなく美しいままで、何故眼帯をと不思議に思った。だが、眼球に問題ないのであればオージェには関係ないことだ。
 開かせようと瞼に触れ――
「なっ――」
 眼球の弾力が――精霊王の祝福呪いが、無い。
 この右眼を抉り出すことを楽しみにしていたというのに。
 お前の右眼がどんな香りとなるか楽しみにしてきたというのに。
 ぐっと唇を噛み締めた。口の中に鉄の味が広がる。衝動でそのまま呑気に眠る愚かな弟弟子の頬を引っ叩こうとして……思いとどまった。
(……この魔力は……精霊王?)
 例え右眼が失われようとも、ジルーシャが宿していた年月が失われる訳では無い。ジルーシャ等の世界で精霊王と呼ばれた存在の力は混沌肯定によってほぼ無いものに一時はなったが、年月を掛けてジルーシャとともに成長し、その血肉に魔力が染み込んでいる。
 ――つまり、オージェにとってジルーシャが『極上の香料』であることには変わらない。
「僕はなんて馬鹿だったんでしょう!」
 右眼だけに固執していて、失われるまでその事実に気付かなかった愚かな自分を嗤った。
「右眼は一度使えばそれまでですが、血や肉や涙なら永遠に使える――お前が生きている限り!」
 そうと解れば血を無駄にするわけにはいかない。
 先程切ってやった皮膚を消毒し、手当てを施した。長く使うためには『管理』が必要だ。一滴も無駄にしないように血を抜き取るのも注射器が良いだろう。
 まずは血液から。その後は末端の、髪や爪等も試してみようか。
 ああ、試したいことがいっぱいだ。

●これは幸せな
「そういえば、ジルーシャ」
「なぁに、オージェ」
 何か聞きたそうに口を開いたオージェだが、その後が続かない。口にしていたハーブティーのカップを置いて、ジルーシャは首を傾げた。どうやら彼は、何かとても言いにくいことを考えているようだ。
(ど、どうしたのかしら、オージェ。あんな真剣そうな顔で)
 時間が空けば空くほど、ジルーシャは緊張してきた。オージェは昔から生真面目だった。孤児院育ちのジルーシャにとって彼は兄のような存在で、どちらかと言うと放任主義てきとうな師匠とは違い、小言と呼ばれるような注意からアドバイスまで何かと口にしていた。そんな彼が何かを言うのをためらっている。躊躇うような何かが、ジルーシャにはあるのだろうかと身を固くした。
(まさか、アタシの右眼が無いことに気付いている、とか……!?)
 ジルーシャの右眼窩は今、眼帯に覆われている。出会い端にチラと視線が向かったのは気付いていたが、眼帯で覆われているくらいでは欠損を疑う者は五分以下といったところか。大抵はものもらい等の炎症や病気――そこに目が存在している状態を想像するはずだ。
「とても言いにくいのですが……」
「ええ。言って、オージェ」
 ごくりと喉が鳴った。何を言われるのだろうか。

「その言葉遣いはどうしたのですか?」

 鳩が豆鉄砲を食らうという表現は、今の心境のことを言うのだろう。思わず「え」のみを発した状態で、暫くジルーシャは固まった。
「何か事情あっての事でしたらすみません。……あまりにも変わりすぎていたので気になってしまって」
「あ、あ~~~~~、なるほど、ねっ。そうよね、気になるわよね!」
 以前のジルーシャは――オージェが兄弟子だった頃のジルーシャは、一人称は『アタシ』ではなく『俺』で、今よりもずっと少年らしい喋り方だった。
『俺、いつか絶対オージェみたいな調香師になるんだ』
 口癖のように口にしていた言葉を思い出し、ジルーシャの頬に熱が集った。
「ジルーシャ?」
「アラ、いえ。大したことじゃないのよ、大したことじゃ」
 片手で口元を隠し、残る片手で手を振ってごまかす姿は完全にオネエのそれで、オージェは益々不思議そうにモノクルの奥の瞳を眇めていた。その表情が面白くて、ジルーシャは笑う。ジルーシャが笑えば、オージェは少し諫めるような表情をしながらも小さく笑う。
 長く離れていた兄弟が再会を果たしたかのように、ジルーシャは楽しい時間を過ごした。
 ジルーシャが在りたかった姿がそこにはあった。

●有り得べからざる
 こぽこぽこぽこぽこぽ。
 断続的に同じ音。規則正しいその音は、何と落ち着くのだろう。
(これ程までに穏やかな気持ちになれるとは)
 長年の苦しみから解き放たれたような、開放感。
 ジルーシャを見る度に抱いていた気持ちが霧散した。
 血を試した。
 爪を試した。
 髪を試した。
 涙を試した。
 肉を試した。
 どれもまだ少量だが、どうやら部位によっては香りが違うようだ。
 試しても試しても意欲が沸いてきて、寝る間も惜しんでオージェは極上の香料ジルーシャに没頭した。
 こんなにも熱心に彼に触れる日が来るなんて、思いもしてなかったから驚きだ。
「――おめでとう、ジルーシャ。僕はようやく、お前のことを好きになれそうですよ」
 幼い弟弟子が、純粋に好かれたがっているのを知っていた。褒めてもらいたがっていたのを知っていた。上辺だけで褒めてやれば喜ぶが、本心から称賛することはオージェの『神童』としてのプライドが許せなかった。彼を家族兄弟子として愛せなかった。彼が求めるように好いてやることなどできなかった。けれど、今。今なら、オージェは――。
「大切にしてあげますね、ジルーシャ。僕に好かれて嬉しいでしょう?」
 ――香料として、お前を大切に扱ってあげましょう。

 泣きそうなほどに幸せな夢を見たのだろうか。ジルーシャの頬から涙が一滴零れ落ちた。
 すぐにオージェはスポイトで吸い取り、涙を試験管へと移した。透明な雫に試薬を垂らせば、魔力に反応してそれは色を変える。
 夢から醒めさえしなければ、ジルーシャは幸せだ。ただ幸せな夢だけを見て、苦痛を感じることなく生きていける。
 そこに本人の意思がない? 必要ですか? お前の憧れの存在がこんなにもよくしてあげているというのに。
 死なないように生命維持に必要な管を繋ぎ、『質』が落ちないように栄養に気遣って、苦痛を欠片も感じぬように薬を使い、幸せな夢を見ていられるよう香を嗅がせ、寒すぎないよう暑すぎないよう体温管理もしてあげている。兄弟子にこんなにも尽くされて、ジルーシャも本望だろうとオージェは心の底から思っていた。
「そういえば」
 もう随分と前のことだが、ジルーシャと再会した日に彼と少し会話をしたことを思い出す。
 思考力を奪う香と、特別ブレンドのハーブティー。知らない香りだと目を輝かせ、胸いっぱいに吸い込んでいた愚かで哀れなジルーシャ香料
「ジルーシャがこの世界で先生に会ったと言っていましたね」
 ならば己もいずれ会えることだろう。
 その日が来たら、『最高傑作』を披露して再び弟子に――
「……いえ、その必要はありませんね」
 極上の香料ジルーシャが手元にあり、それに見合う技術もある。とっくに師を越えていることだろう。
 オージェは最高傑作を手に師匠と再会し、ジルーシャは最高の弟子成果として師匠にまた会える。
「ああ、先生はどんな言葉を僕にかけてくれるのでしょう?」
 弛まぬ研鑽を積むという才能への称賛?
 自分が至れなかった高みへと至った元弟子への羨望? 嫉妬?
 どの言葉だろうと、今のオージェには心地よい。
「全てお前のお陰ですよ、ジルーシャ」
 夢を見続けているジルーシャの頬を撫ぜ、オージェはひとり、うっそりと微笑った。

 願いを叶えた男は、家族のように大切に扱ってくれる。
 囚われ眠る男は、本物の兄弟になったような幸せな夢を見て居られる。
 誰かがこの均衡を壊さなければ、互いの幸せは崩れない。
 ――これもひとつの幸いのかたち。

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