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砂塵に撒いて
登場人物一覧
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月の国が砂塵と消えた、その後で。
兄と。部族が散った場所に残ったものは、何もなかった。
「……」
手向けるものなど何もない。
ふわりと生まれたため息は、知っていた。
ああ、あの日。確かに。
かがやいて、いたのだ。
兄の命は。あの月のように。
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何も背負うものなどなかった。
何も未練なんてなかったのだ。
だからあの日。あの月の国を傾けた日。
ルナはそれこそ、月の王国に骨を埋めるつもりであったのだ。兄がラダへと刻んだ烙印。一族の誰かだっただろう晶竜。煌めくあの夜に崩れていった。まるで風に吹かれた砂粒のように。すべてが元通りに戻る理由も、戻れる手段もない中で。
ただ、生きていた。生きていたのだ。栄華を捨て。希望を捨て。けれど、ああ。あのときだけは命を燃やして。
ただ。ラダに。彼女の未来が、あればいいと思ったから。
(……それがまぁ、上手く行かなかったわけだが)
砂塵が舞う。荒野の果てには未だ何も映ることはなく。ざ、ざ、ざ、と踏みしめる足音がどこか恨めしいほどに木霊していた。
思うところはいろいろある。その背中は少し遠い。その綺麗な金髪に赤髪が混じり揺れたのを見る度に文句を垂れてしまいそうになる気持ちを知る由もないだろうし、きっと知ったとて困ったように笑うのだろう。「これも私だ」と。その変化が起こった時傍にいてやれなかった。その変化で激しく動揺したのかもしれないし、或いは淡々と現実を受け止めたのかも知れない。いずれにせよ烙印は己の兄の不手際のそれに違いないし、他の男につけられた傷跡ともいうことが出来るだろう。それを、ただ大人しく受け入れられるほどに草食動物ではなかったというわけだ。
「ついてきてくれてありがとう」
砂漠の風は気紛れ。それを体現するかの如く突如口を開いたラダ。自分より数歩後ろを歩く四足の軽い足音。
「女の一人旅なんざさせるかよ」
「それはまあ、そうかもしれない」
「つーか砂漠の道程なんざ口で伝えるよか案内した方が早ぇ」
「だな。助かるよ」
何を言うのも野暮な気がして頷くことしかできない己の弱さが今日も腹立たしい。それを慰めるように。或いは揶揄うように、ラダの腰に下げられた袋の中の欠片――一族の無念がぶつかって音を鳴らした。
「ルナ」
「ん?」
「言いたくなかったら、答えなくてもいい」
彼女らしくはない、前置き。歯に衣を着せたような。言い回しを考えているのだろう。それから。
「ソルのこと。聞かせてくれないか」
「……えーと。もうちょい詳しく」
「うーんと。あの人は、どんな人だったのかなと思って」
数秒の沈黙。トークテーマはラダなりに選んだつもりではあった。地図のない砂漠の旅路。それから、ルナの過去を辿る歩みでもある。ならば、と。
ややあって、口を開いたルナの声は、創造していたものより平時と変わらなかった。
「ま、俺の兄貴っつーのは知ってるだろうな。知らなきゃまぁ、それはそれで面白いけどよ」
茶化し。ふぅ、と息を吐く。そういえばどんな人柄だったとか、懐かしむ余裕もなくただ死を手向けたような気がする。だからこそこの時間も必要だったのかもしれないとなんとなく逡巡して。
「兄貴と俺の違い。なんだか判るか?」
「……婚外子、とか?」
「いいや、同じ血だね。まぁでも良い線行ってるぜ? そう判断した基準は?」
「毛の色、だな」
「だが俺と兄貴は同じ腹から生まれてきたんだぜ。なぁ、俺の毛は黒いだろ?」
「ああ」
「これが『よくなかった』。族長の一族の二人息子が、片方はきったねえ黒色で生まれてんだ、もう片方は二人で分かち合えるはずだった苦労を全部その身に受ける」
当たり前の話だ。金色の毛並みが生まれると思ったらその実は真っ黒。きっと皆落胆したに違いない。それを己はよく『知っている』。目で、体で、その全てを味わってきたのだから。
「見た目も中身も真逆らったらしい。俺は放蕩息子ならあいつは愚直な優等生だ」
慣習に縛られた部族に待ち受けるは衰退の末路、その未来。両親からも兄からも嫌われていないのは薄ら解っていたけれど、それでも。
「ま、考えなくても解る。忌み子の俺の分までアイツは頑張ってた」
仲違いしたかったわけでもない。『そうならざるを得なかった』のだと解釈している。本当のことなんてもう確認する術もない。
ルナを忌み子と扱う部族の皆の目がある中で、父もルナに優しくすることはできず、ソルも父と共に在ったために自然と、みるみる距離は生まれて。それがいつしか溝になった。それだけのこと。
「だから俺は逃げたし、アイツはそれを許した。いや、許しちゃいねえのかもしれない。わかんねえな、案外。兄弟だってのによ」
頭をがしがしと掻いたルナのそれは、ラダの目には後悔に映った。
あの日死ぬはずだった。何もかもを捨てられる覚悟だった。一族の不始末をつけて。ソルの命を奪って。それから、ラダの未来を取り返したかった。その結果は今こうして、共に一族を弔うために歩いてくれているのだけれど。
「ついたぞ。此処、だな」
決して華やかなわけではないけれど。そうか、と頷いたラダは、ひとっこ一人居ない其処を見渡した。
「一番景色のいいところにしよう」
「その心は?」
「……なんとなく」
「そうか」
全員の名前なんて覚えていない。執拗にいじめてきた者くらいは覚えているけれど。でもきっと、『一族』と『部族』は別だから。そうやって別に埋めてやった。それも、きっとラダの言葉に倣うなら、「なんとなく」だ。
約束してえしまった。ファ・ディールの全てを自分が背負うと。言葉は決して多くなかった。兄弟で居られた時間も、家族で居られた時間も、長くはなかった。
――――後は、頼む。
最後に交わした、兄弟のまともな会話。力も。血も。すべてを。
だから、今日も生きている。
手向けの言葉はない。花も、土産も、何も。けどきっと、放蕩息子なんざそれでいい。望まれちゃいないだろうから。
風が吹いた。潮風ではない。灼熱を孕んだ熱砂の風だ。
「はーあ、随分歩いちまったな。疲れた疲れた」
「だな。どこか休憩して帰ろうか」
「おう、そうしよう。小腹も減ったし、良いことなしだ」
「じゃあ遅めの軽食にするかな。良い店を知ってるんだ。どうかな」
「近いか?」
「まぁほどほどに」
「っしゃ、善は急げだ。おいていくぞ、ラダ!」
「道も知らないのにどうするつもりなんだ。まったく……」
ルナは振り返らない。もう、二度と。
青い空を奔放にしなやかに駆ける。ただの獣一匹、群れからはぐれてしまったようなものだから。今までもこれからも、きっと、変わることはないのだ。
ただ、背負うものが増えた。それだけ。内に秘めたクリスタルは煌めいて。
ラダはそれを追いかける。ただ導かれるように。或いは、自ら切り開くように。灼けつく太陽をも、灼熱をも、飲み干して。足跡にして。
駆ける四足は決して墓を見ることはなく。無骨な枯れ木の十字架は、されど、その背を温かく見守った。