SS詳細
夏の夜の逢瀬
登場人物一覧
●
夕陽が境内を
ソースと焦げた醤油、甘いカラメルを含んだ香りが夜祭りに賑わう境内に交差する。
陽が完全に沈みきると、大きく一つ、太鼓が鳴らされた。きゃらきゃらと華やかな笛の音が番囃子を奏ではじめ、それを合図に人の往来が増えていく。
常連縄が結ばれた巨大な朱鳥居は、夜祭りに訪れる人々の格好の待ち合わせ場所である。浴衣を着た赤毛の少年もまた、その一人だ。足元に纏わりついたワイバーンの仔と戯れる物珍しい光景も、祭りの中では受け入れられる。
「あとで境内にも見に行ってみようなっ」
「ピャイッ」
エドワード・S・アリゼ。一見するとまだ幼く愛らしい面立ちを残した少年だが、腕を組む立ち姿には泰然とした、名うての冒険者である風格を漂わせている。
偶然居合わせたのも何かの縁と、相方と共に豊穣の夏祭りに遊びに来たのだ。
持ち前の好奇心が抑えきれないのか。灯火を映して色が深まったオレンジの瞳が屋台を巡り、面白げに細められていた。
エドワードの足元ではワイバーンの幼体が身体を摺り寄せている。炎のように紅い鱗を持つ、コトと名付けられたその亜竜種は、どこか落ち着かない様子でそわそわとしていた。
「ピャア……」
「エアを迎えに行かないのかって? 珍しい服を着るのにちょこっと手こずってるだけだろうからさ。のんびり待ってよーぜ」
ぐりぐりと掌でコトの頭を撫でてやる。エドワードが屈んだ拍子に、胸元のペンダントが瞬くように揺れた。太陽と花の形が重なった宝玉が一番星のような輝きを反射する。
送り主である少女は未だに現れない。きっと自分と同じく慣れない着方の服と戦っているのだろう。エドワードはその光景を想像して悪戯っぽく微笑んだ。帯の結び方には苦労させられた。
今日のエドワードは普段の冒険者の格好をしておらず、以前仕立てた「浴衣」という蝶の翅に似た民族衣装を身につけている。
松明のように揺れる長い髪を橙色のスカーフで結び、花火の舞う紺地の浴衣を臙脂の帯で留めた姿は、落ち着いた色彩と華やかな花火の色柄と合わせて少年の横顔をどこか大人びたものに見せていた。
「ピッ」
顔を上げたコトの瞳が輝く。
「噂をすればってヤツだな」
「お、お待たせしました……っ」
からころと耳に心地よい下駄の音と共に、白銀の少女が現れた。
一筋垂れた髪を耳にかけエアは火照った顔を上げた。
柔らかな珊瑚色をした唇と白い頬。慌てていたのか、それとも恥じらいからか。エアの透き通るような夏空色の双眸が水晶のように潤んでいる。
「こういった服は着慣れなくて……変じゃないでしょうか?」
「ほらな」
コトにだけ聞こえるように、エドワードは囁いた。
エアが選んだのは、純白の芍薬柄が咲き誇る水色の着物。清廉な青空と陽気な向日葵の色を両面に宿した帯は、明るく清純なエアの性格を象徴するかのようだ。
丁寧に編み込まれた白銀の絹髪は可憐な白い花々で彩られ、耳元には優しい太陽色の一輪が咲いている。
よく似合っている。エドワードは心に浮かんだ言葉をそっくりそのままエアへと告げた。
「今のエア、すっげー綺麗だぞ!!」
「ふぇぇっ!?」
一方、ド直球すぎる誉め言葉を受けたエアは目を白黒させた。
言葉の意味が浸透しはじめたのか、顔が林檎のように色づいていく。
「きき、綺麗って……っ!!」
愛らしく言葉を失ってしまったエアを見て、エドワードは自分の言葉が彼女に届いたと満足した。
めまぐるしく変わるエアの表情。恥ずかしさに隠れて喜びや嬉しさといった肯定的な感情が溢れている。
隣に相方《エア》がいるだけで、こんなにも穏やかな気持ちになれる。
「これまで一緒に色んな景色を見てきたけどさ、実はどんな景色よりも、エアが一番綺麗だったりしてな」
穏やかなエドワードの眼差しと言葉を受け止めたエアは、くらくらと眩暈に似た感覚に襲われていた。ときめきの過剰摂取だ。
「もうっ、エドワード君~!! そんな風に褒め倒すのは……ずるいですよぅ……」
「はは。ほんとだぞーー」
抑えた頬が熱く、身体や心が海月のようにフワフワと浮足立っている。
幸せな夢のなかを揺蕩っている気分のエアだったが、エドワードの浴衣姿を見てハッと意識を取り戻した。
「あの、エドワード君っ」
「ん?」
エドワードがエアの浴衣姿に衝撃を受けたように、エアもまた、エドワードの浴衣に大きな衝撃を受けていたのだ。
格好いい。似合ってる。けれども普段見慣れない姿が新鮮で格好良くて直視できないでいる。
(つ、伝えないとっ!!)
ぺちぺちと両頬を叩く手を止めてエアは胸元の
優しい風竜の名残はエアの勇気を見守るように淡い白虹を鏤める。
(少しだけ、勇気をもらいますっ)
「え、エドワード君も浴衣、とっても似合ってますよっ……眩しくって直視できないくらいに……」
エアの言葉は最後が擦れてしまったけれど、ちゃんとエドワードに届いたようだった。
陽気な笑い声がエアに感謝を告げる。
「じゃ、そろそろお祭り回ってこーぜ!!」
「はいっ、!?」
「あぶねっ」
石畳みに足を取られ、エアの身体が傾いた。
素早く動いたエドワードが華奢なエアの身体を抱きとめる。
ふわりと漂う石鹸と爽やかなシトラスの香り。口づけのできる距離まで近づいた二人は見つめ合う。
「やっぱ下駄はまだ少し歩きづらそうだな。エア、足とかくじかないように気をつけよーな」
「は、はい。……ありがとうございます。エドワード君」
するりと手を繋ぎ、二人と一匹はゆっくりと祭りの賑わいへと向かう。
綿飴に焼きそば。ラムネにかき氷。冷やし甘酒に焼きトウモロコシ。
見慣れない食べ物を、二人と一匹で少しずつ分け合っていく。
「お店がたくさん並んでますね」
「はぐれないように気をつけないとな。おっ、あっちにりんご飴が売ってる」
「わあっ、艶々していて綺麗です」
互いの間で静かに揺れる手。結ばれた指が寄り添う暖かさを伝えてくれる。
「ピャピャ」
「りんご飴、コトちゃんの額の宝石と同じ色だね。はい、どうぞ」
大振りの林檎飴をエアから両翼で恭しく受け取ったコトは、バリバリと飴ごと林檎を噛み砕いた。
「コトちゃん、りんご飴美味しい?」
「ピャイッ」
「ふふっ、そっかそっか! 美味しいもの一杯で楽しいね」
コトの嘴についた薄い飴の欠片をハンカチで拭うとエアは顔をあげる。
そしてふと、向かいの屋台に並ぶぬいぐるみに目を奪われた。
「エア、あのぬいぐるみが欲しいのか?」
「え、エドワード君っ!?」
ひょっこりと正解を答えたエドワードに、エアの声が思わず上ずる。
景品台と書かれた台に座っているミルクティ色のクマのぬいぐるみをエアが見たのは一瞬の事。
どうして分かったのだろうと混乱すると同時に、嬉しさもこみあげてくる。
「よっし、ちょっと待ってろよ。おっちゃーんっ、これ、どうしたらもらえるんだ?」
射的と書かれた屋台についたエドワードは、真っすぐにぬいぐるみを指さした。
「坊主、射的は初めてか? この銃を使って、あのクマを落とせばいいのさ。だが、初心者ならあの辺の菓子から始めるのが無難だな」
「んー……でも、あのクマを欲しがってるヤツがいてさ」
エドワードがエアを見ると、店主はそれ以上何も言わず、深く頷きながら玩具の猟銃をエドワードへ手渡した。
「ピッピッ」
「コトも応援してくれんのか? なら頑張らねーとなっ」
エドワードは銃を両手で構えると片目を閉じ、銃眼をのぞいた。
引き金を引けば、思った以上に軽いコルク音と共にクマの肩が揺れる。
「初めから当てるとは、やるじゃねえか。坊主」
店主が驚いたように口笛を鳴らすと、コルクを詰め直していたエドワードがからりと笑った。
「じゃ、あのクマ、貰ってくな」
まるで当然といった口ぶりで告げると、エドワードは己の片腕はあろうかという銃身を軽々と片手で持ちあた。
真っすぐ正眼に据えたまま鍛えられた体幹が照準を合わせる。戦う者としての迫力に声を失ったのはエアのみならず、屋台の店主も同じであったようだ。集まってきたギャラリーの視線などものともせず、エドワードは薄く笑いを含んだ唇を舌で湿らせると引き金を引いた。
「ふんふふん、ふふーん♪」
大きなクマのぬいぐるみを片腕に抱き、エアは上機嫌さで歩く。
毬のように弾んだ足取りに合わせて口遊むハミングはエドワードにも馴染みのある曲だった。
「えへへっ。ぬいぐるみを取ってくれてありがとうございますっ、エドワード君」
ぬいぐるみに頬ずりをするエアにエドワードは頷いた。
視線を下げれば鼻緒に擦れて薄く皮がむけてしまった彼女の足の指が目に入る。
「なあ。エア、結構歩き回ったしさ。あっちでちょっと休まねーか?」
「そうですね」
賑やかな参道から少し外れると、深い森の静寂から虫達の合唱が聞こえてくる。鉄紺の静けさに包まれながら草原に座れば、しっとりとした草の冷たさが火照った熱を冷ましてくれた。
「ふ~~。あっちのもこっちのも美味しいから、つい食べすぎちまったかな。はは」
少し窮屈になった帯をエドワードがさすれば、それを見たコトも負けじと丸くなった自分のお腹を翼でたたく。
「ふふっ。見たこともないお料理がいっぱいで、どれも美味しかったです」
「オレ達でも作れそうなのも、いくつかあったしな。帰ったら早速ためしてみよーぜ」
エドワードの口の端についていたイカ焼きのたれに気づいたエアは、籐編みのポシェットからハンカチを取り出し優しく拭った。
「けど、たまには冒険じゃなくて、こうやって2人でお出かけするのも良いもんだよな」
天高くに広がる夜空を見上げたエドワードは物語をはじめるように呟いた。
「こうやって色んなとこ歩いてて、隣にエアが居てくれるってのがわかると、それが一番落ち着くっていうかさ」
地面に触れていたエアの手に、エドワードの掌がそっと重ねられる。
「……わたし、またこんな風にエドワード君とお出かけ出来る日が来るなんて思ってもなかったです」
長い睫毛を伏せエアもまた、ぽつりと夜露のように心を零した。
後悔と感謝を繰り返した日々。そうして至った今日はエアにとって奇跡のような時間だ。
「今こうして、エドワード君の隣にいられる幸せを噛み締めないといけませんね」
そう言ってエアが微かな笑みを口端へと浮かべた瞬間、腹へと轟く爆音が鼓膜を震わせた。
「きゃっ!?」
「エア!! 見ろよ、花火だ!!」
エドワードとエアが見あげた先には金色の大花火が花開き、真昼の太陽のように夜空を照らしていた。
「綺麗だな〜〜っ」
「はいっ。凄いですね。こんなに大きな花火が」
漆黒の空に咲き乱れる大小様々な花火は、見上げた少年と少女の顔を色鮮やかに染め上げる。
「本当に、綺麗です……」
「そうだなぁ」
エドワードの視線の先には、花火に見惚れながら目を細める、白銀に輝く少女の横顔があった。
きらきらと目を輝かせるエアの唇は、先ほど舐めたりんご飴の名残か、淡い紅色に色づいている。
だから思いついた、ちいさな悪戯。
――これからエアは、どんな顔をするだろうか。
花火に熱中しているエアの肩をつつけば、花蜜のような笑顔が振り返る。
「 」
エドワードの唇が動く。
けれども終幕に向けて続く花火の音で、エアにはエドワードの声が聞こえない。
「ごめんなさい、エドワード君。花火の音でよく聞こえま」
顔を寄せたエアの唇に、柔らかな熱が触れた。
こころが、奮える。
普段より大人びた表情のエドワードが視界にいっぱいに広がっている。
「ひひ。エア。大好きだぞ!!」
悪戯が成功した子供のように破顔する少年。その頬が、普段よりもほんの少しだけ赤い。
「わたしも大好きですよ……エドワード君」
菊花が天翔け星を引いて流れ落ち、オレンジ色に染まった夜に照らされるのは少女の悪戯じみた笑顔。
少年と少女の影が再び重なる。
繋がれた手が離れることはない。
まだ見たことのない景色を、共に見るために。
- 夏の夜の逢瀬完了
- NM名駒米
- 種別SS
- 納品日2023年08月06日
- ・エドワード・S・アリゼ(p3p009403)
・エドワード・S・アリゼの関係者
・エア(p3p010085)
※ おまけSS『屋台の数が多すぎる』付き
おまけSS『屋台の数が多すぎる』
「しっかし、どれも美味そうだよなぁ」
参道に並んだカラフルな屋台。
そのどれもが店先で料理や菓子を作っているのだから、たまらない。
香ばしい匂いや美味しそうな見た目が空腹の胃袋に直撃する。今日だけは食べ歩きも解禁だ。
「全部気になりますけれど、すぐにお腹がいっぱいになっちゃいそうです」
むむむと眉を寄せるエアの真剣さが愛おしいとエドワードは思わず噴き出した。
「どうしたんですか、エドワード君」
「いや、悪い悪い。あんまりエアが真剣なもんだからさ。じゃあ、量が多い奴は三人で分けて食べるか」
「良いアイディアですねっ」
トマトケチャップとマスタードがたっぷりかかった巨大な腸詰焼きや、しゅわしゅわと口のなかで弾けるラムネ。
未知のソースや材料を使った焼きそばやたこ焼きには苦戦させられた。
「はふっ、これ、冷ましても、熱いなっ」
「でも、なかがトロトロでおいひいでふね」
「こっちの焼きそばにかかってる、緑の粉ってなんだろうな……?」
「お茶の粉ではなさそうですし……?」
塩気のあるものを食べれば、次は甘いものを。
「へえ、どんぐり飴だって。お土産に買って帰るか?」
「模様が綺麗ですね。おおきくて舐めてる間はお話できなさそう」
「おっ、あっちにかき氷が売ってる」
「色んな色がありますね」
「シロップの二色掛けもできるみてーだ」
檸檬とブルーシロップを食べ比べ、エアの表情が緩んでいく。
――そういえば、これ、エドワードくんと間接キスしていることになるのでは……!?
「はわわわわわっ」
「どうした、エア?」
「な、なんでも。なんでもありませんっ!!」
「?」
突然赤くなったエアに、イカ焼きを頬張っていたエドワードとコトは揃って首を傾げるのであった。