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優しさを繋ぐ
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前にこの森を歩いたときは、じめじめとした場所になったという印象が強かった。しかし今日はいくらか風が強く、時折頭上の葉が落ちてくる。そうして緑を連れてくる風は確かに湿気を含んでいるのにどこか爽やかで、ジョシュアは降ってきた葉を掴んだ。
リコリスの家に行くまでの道は、自然に溢れている。彼女が以前連れて行ってくれた森の奥ほど多くはないけれど、見渡せば色とりどりの花やよく熟れた実を見つけられる。生き生きとした葉、花や果実も生命の象徴のようにも思えるから、気温で身体は熱くなれども心は落ち着いていく。
渡したいお土産をしっかり抱えなおして、光がちらちらと射す森を歩く。リコリスがくれた薬のおかげで身体が軽くて、つい早足になってしまう。この前来たときと同じ薬を作るためにここに来ているのに、気持ちと身体が随分と楽だった。
「まあ、ジョシュ君。暑かったでしょう」
家に着く頃には、汗で髪が額に張り付いていた。リコリスはそんなジョシュアの様子を見て、濡れたタオルを渡してくれた。ひんやりとしたタオルで顔や首を拭くと心地よくて、火照った身体が落ち着いていく。
部屋に入ると、アルバフロッケがまだ花瓶に生けられているのに気が付く。もう萎れている頃ではないかと思っていたのだが、花が長持ちするようにリコリスが色々と工夫をしていてくれたようだった。
「今日もよろしくお願いします」
ジョシュアが微笑むと、リコリスは頷いた。「また一緒に頑張りましょうね」と彼女の唇がゆるく弧を描く。
「この前より顔色が良いわね」
「ええ。薬のおかげでとてもよく眠れました。寝覚めも良くて」
「それは何よりよ」
リコリスがくれた薬を使った時のことを詳しく聞かれ、その一つひとつにゆっくりと答えていく。リコリスは時折難しい顔をしたり悩んだりしているようだったが、ジョシュアの睡眠の質が良くなったと分かるとその表情を輝かせた。
「手伝ってくれて本当にありがとう」
「あ、いえ。お礼を言うのは僕の方で」
何となくリコリスの顔を見るのが照れ臭くて、顔を逸らしてしまう。髪を耳に掛けるふりをして、髪色が変化していないかそっと確かめた。少し紫色になっている。
「そうだ、お土産があるのです」
髪色が変化しているのに触れられたくなくて、慌てて話を変えてしまう。あわあわとしたこちらの様子にリコリスは朗らかに笑って、ジョシュアが抱えていた袋を覗き込んだ。彼女はその細長いシルエットが何なのか想像がつかなかったようだったが、包装を解いた途端に明るい声を零した。
「雨傘、かしら」
「はい。日傘としても使っていただけます」
ジョシュアがお土産に選んだのは、ミルクティー色の生地に赤い薔薇が咲いたデザインの傘だ。知り合いの領地にあるフラワーパークに行った時に見つけたもので、生地の色は紅茶の中から決めた。紅茶の色にしたのはリコリスと一緒にお茶をするからだけど、ミルクティー色にしたのは茶色の中でも優しい色だからだ。そうやって色を決めたくなるくらい、リコリスと過ごすお茶の時間は優しくて心が安らぐ。
「薔薇の花も素敵だわ」
傘を開いたリコリスが、ミルクティーの上で咲く薔薇を見つめる。その目の優しさに、ジョシュアはほうと息を吐いた。
赤い薔薇の花の意味は、ジョシュアも知っている。でも傘の柄をこれにしたのはリコリスが赤色を好きと言っていたからであって、決してそういう意味ではない。そう思いたい。
「次外に出るときはこれを差して行くわ。ありがとう」
「喜んでもらえて何よりです」
微笑むリコリスに、カネルの分のお土産を見せる。すると自分へのお土産と気が付いたらしいカネルが足元に寄ってきて、尻尾を振りはじめた。
「カネルには、魚のぬいぐるみです」
魚の鱗が花になっているぬいぐるみを渡すと、カネルは小さな口で咥えた。しばらくの間前足で尻尾をつついたりしていたが、やがてぬいぐるみを咥えたまま部屋の端まで走っていってしまった。
「随分気に入ったみたいよ。ありがとう、ですって」
部屋の端でぬいぐるみとじゃれている様子は、おもちゃを独り占めしているようで可愛らしい。薬作りが終わったら一緒に遊べるだろうかと思いながら、ジョシュアはリコリスと共にその様子を見つめていた。
薬作りのための部屋は、いつも不思議な匂いがする。甘い香りがするときもあれば、少し癖のある匂いが染み付いているような時もあって、同じ香りを吸い込んだことはない。近い間に作った薬に匂いが部屋に残っているのだとリコリスは言っていたか。彼女の日々の積み重ねを感じられるようで、この部屋の匂いを知るのが好きだった。
今日の部屋の香りは、この前に貰った薬に甘い香りが混ざったようなものだった。ジョシュアが薬を作ればこの香りは変わってしまうのだろうけれど、どんな香りになるのかは楽しみだった。
「では、今から薬を作りますね」
口に出したのは、リコリスに傍から離れてもらうためというのもあるけれど、自分の気持ちを整えるという意味もあった。リコリスが部屋の端に腰を下ろすのを確認して、ジョシュアは一度目を閉じる。
順番は覚えている。リコリスが教えてくれたコツも覚えている。きっと、大丈夫。
赤い色の粉を溶かして火にかけて、黒い羽を入れる。魔法の粉を一つずつ入れて、そっとかき混ぜる。
粉が完全に溶けたらフロイドの葉を入れて、自分の能力を通す。息を吹きかけるように、そっと撫でるようなイメージで。
苦しい気持ちで作っても、苦しみから逃げるように薬を作っても、薬にはならない。心の在り方次第で毒になるか薬になるかは左右される。そう分かった。材料に能力を通すときはいつも毒にしないか心配になって緊張してしまうけれど、怖がる気持ちはきっと薬になるかを決めてしまう。だから優しい気持ちで薬を作りたいと思う。
ふるりと水面が震えて、揺らいでいく。沸騰とはまた違う動き方は、鍋の中身が意思を持って動き始めているようだった。心臓がどきりと音を立てたが、液体が毒に変わった気配は感じられない。しかしジョシュアの驚きは確かに作りかけの薬に伝わったようで、鍋の中で水が揺れては跳ねてと繰り返していく。
どうしたら。そう思った途端水面の揺らぎは収まって、じわりとその水は色を変えた。また毒にしてしまった。
「さっきの水の動きって」
「あれは羽の力よ」
材料の一つの羽は、烏に似た生き物の羽だという。一年ほど宝石と共に箱に保管しておくと様々な魔法薬の材料に出来る。その汎用性と効果の高さから魔女の間で重宝されているものなのだが、魔法薬を作る際にはその生き物の気質が難点になるとのことだった。
材料が薬になりかけるとき、羽の持つ魔力は作りかけの薬に意思を与える。それは作り手の心の在り方をじっと見つめてくるのだとリコリスは言った。
「気まぐれに薬になるかならないか決められるわけじゃないから安心してね」
でも怯えや不安を確かに魔法の羽は感じ取る。だから尚更この薬を作るときは、優しい気持ちや誰のために薬を作りたいかといった意思が大切になってくるのだという。
リコリスが薬を作れなくなったことがあった理由も、「そっと撫でるようなイメージ」と言っていた理由が分かった。薬の材料には優しさを伝える必要があるのだ。心に歪みや悩みがあるとその優しさが十分に伝わらない。だから毒に変わってしまう。
「ジョシュ君、どんな薬になりたいか決められたものね」
だったら大丈夫よ。リコリスが励ますように笑う。
そうだ。もう自分は、どんな風になりたいか分かっている。変わりたいと願う心は、確かに自分の未来を想像させた。
「もう一回やってみます」
ジョシュアの言葉に、リコリスはしっかりと頷いてくれた。
魔法の羽の扱いは難しかった。少しでもコントロールしたいと思うと、作りかけの薬はたちまちジョシュアの手から離れようとする。途中まではうまくいっていても、焦ると薬ではなくなってしまって、薬を作る難しさを思い知らされるようだった。
「あともう少しで出来そうね」
実際、自分の毒を他の物に繋ぐこと自体はうまくいくようになっているように思う。あとはそこに純粋な気持ちのみを乗せられるようになれば、魔法の材料たちは薬に変わってくるはずなのだ。
あともう少し。だけどそのもう少しが、何だか遠い。
毒に変わったものをじっと見つめていると、リコリスが「そろそろ一番星が見える頃よ」と窓の外を指さした。彼女は思い立ったように立ち上がって、部屋の窓を開けた。外の爽やかな風が中に入り込んで、いつの間にか部屋の匂いが変わっていたことに気が付く。
「そうだ、薬が作れたら星を見ましょう」
リコリスが明るい笑顔でこちらを見る。ジョシュアが薬を作れると信じて疑っていない様子だった。
リコリスは望めばどんな薬にもなれると言ってくれた。それは彼女が心からそう思って形にした言葉なのだと思う。だからジョシュアにとっては希望のようで、思い出すたびに心が温かくなる。
エリュサからもらった優しさを、自分と似た境遇だったリコリスに届けたいと思ってはじめた交流だった。だけどいつの間にか彼女からたくさんの優しさを貰っていて、救われていた。
もう一度薬作りに挑戦しよう。そう思ってジョシュアは微笑んだ。
材料に能力を通すときに思い浮かべたのは、生まれた森から出た後のことだった。
少しずつだけど優しいひとたちに出会った。苦しんでいるひとたちもいた。そのひとたちの苦しみを癒す薬になりたい。優しさを繋いでいきたい。心からそう思うのだ。
ゆらりと水面が揺らいで、少しの間淡く光を放った。その光は緑になったり赤くなったり白くなったりと色を変え、やがて青い色に落ち着いた。毒に変わった気配はなく、水面をじっとのぞき込むと内側で七色の光が時折揺らめいている。まるでオーロラを見ているようだった。
「これは、出来たのですか」
半ば茫然として呟くと、リコリスがぱっと駆け寄ってきた。彼女もまた液体の中にあるオーロラを見つめて、ふにゃりと表情を緩ませた。
「これで難しいところはおしまい。あとは濾して煮詰めれば出来上がりよ」
よく頑張ったわね。すごいわ。そう頭を撫でられて、じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。胸に広がる熱は身体中に広がって、頬だけでなく指先まで温めていく。
「ありがとうございます。リコリス様のおかげです」
頭を撫でていたリコリスの手が降りる。触れていた感覚がなくなるのを寂しく思ったのも一瞬、彼女の手はジョシュアの手を握っていた。包むような触れ方に、どきりと心臓が鳴る。
「ジョシュ君が成長していくのが私も嬉しくて。私の方こそ、ありがとう」
リコリスの目尻に涙が浮かぶ。ジョシュアの成功を自分のことのように喜んでくれているのが嬉しくて、ジョシュアもまた笑みを浮かべた。
薬を最後まで作ってから、リコリスと一緒に外に出た。いつの間にか星は空いっぱいに広がっていて、薬を作り始めてから随分時間が経っていたのだと気が付く。
「本当に、綺麗ですね」
「この辺りは明かりがほとんどないから、星がよく光るの」
手紙で綺麗だと聞いていたから楽しみにしていたのだが、星の輝きは想像以上だった。
街の中では暗い星はほとんど見えないけれど、この場所では明るい星も暗い星もその光を届けてくれる。夜空に散らばった光だけで、足元は随分と明るかった。
腕の中でゆったりと収まったカネルも時折空を見上げてはその尻尾を揺らしている。こうして二人と一匹で星を眺めていると、心の内側が透き通っていくような気がした。
この星空は、イリゼの雫みたいだと思う。鍋の中に広がっていた星空はリコリスが目で見ていた星たちそのものなのかもしれなかった。
もっと薬作りを覚えたい。自然とこんな気持ちがこみ上げてくる。
もう病で大事な人を失いたくない。長い時を共に過ごしたい。願いが叶いますように、叶えられますように思って、流れ星を期待する。
僕は、リコリス様の側にいたいのです。
好きだから。口の中で呟いた言葉に照れ臭くなった。今は夜とはいえ、明るい星明りの下では頬が赤いのも髪色が変わっているのも気が付かれてしまいそうで、顔を逸らしたくなる。
「ジョシュ君、流れ星よ」
リコリスの声にぱっと顔を上げる。彼女が指した方向には光の筋が残っていて、リコリスと同じようにジョシュアもまた歓声を上げた。
流れ星が見られて良かった。そう二人で笑い合う時間に、幸せな気持ちになった。
おまけSS『願いを集めて』
ジョシュアの作った薬は、複数の小瓶に詰められた。リコリスがじっくりと出来上がった薬を検分して、解熱剤としての効果があることも、毒でないことも確かめてくれた。これから高熱に苦しんでいる人に出会ったときに飲ませていいと笑顔で言われて、ジョシュアはほっと胸をなでおろした。うまくいってよかったと、心底思う。
改めてリコリスにお礼を言うと、リコリスは一度照れ臭そうに笑った。
「これはジョシュ君の頑張りよ。ジョシュ君の力」
胸を張ってほしい。これからも薬作りを頑張ってほしい。それがリコリスの願いだった。
リコリスが小瓶の一つを手に取って、中身をそっと光にかざした。オーロラの光が小瓶の中からすり抜けて、机の上に光を散らす。
「この瓶の中は願いが詰まっているのよ。だからこんなにも綺麗」
ジョシュ君が作る薬、心がこもっていて好きよ。リコリスが小瓶からこちらに視線をうつして、静かに微笑んだ。
好き。その言葉はジョシュアが思い浮かべる「好き」とは違うものに向けられたのは分かるけれど、ジョシュアが作ったものに向けられる「好き」もくすぐったい。
「これからも頑張ります」
自分の声が明るいことにジョシュアは驚いて、それからふわりと表情を崩した。