PandoraPartyProject

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知りたくなんてなかった

登場人物一覧

耀 澄恋(p3p009412)
六道の底からあなたを想う
すみれの関係者
→ イラスト
すみれ(p3p009752)
薄紫の花香

 遠くで蝉が鳴いている。車道のアスファルトからは陽炎のように熱気が滲んでいた。
 これでからりと晴れていれば然程気にもならないのだろうが、希望ヶ浜の夏は肌着が湿るほど、じっとりと湿気を帯びている。
 青々しく茂る木々の葉がこれでもかといわんばかりに大きく広がっていた。
 その向こうの空は何時もより青く、遠くに入道雲が見える。
 目を凝らしてもそれは本物にしか見えないけれど、高く突き進めば壁に当たるのだという。
 現実よりも随分と小さな塔の中。人間単体から比べれば大きいけれど。
 箱庭と言っても過言では無い。それが希望ヶ浜の本当の姿なのだろう。
 けれど、そこに住む人々は不自由のない平穏な日々を過ごしている。命の危険など程遠い場所。
 彼らからしてみれば此処は幸せな揺り籠であるのだ。
 その中でわざわざこの空や湿気を再現しているのだから、『現代日本』への執着は凄まじいものであるのだろう。

 ――執着ですか。

 すみれは夏の暑さを日傘の影から疎んだ。
 青空や青々とした葉なら見目も良いけれど、湿気を帯びた日差しをも再現する必要はあったのだろうか。
 暑さで思考が揺らぐような気がしてくる。
 目眩のような感覚に襲われ、すみれは美しい顔を歪めた。
「すみれ?」
 右隣から聞こえて来た少年の声。そちらへ顔を向ければセイラー服を着た周藤日向が眉を下げている。
 純粋な優しい瞳は、黙りこくってしまったすみれの様子を伺っていた。
 具合が悪いのだろうか、何か言ってしまっただろうか、そんな不安な表情が見てとれる。
 何て分かりやすいのだろう。可愛く心配してくれる日向に、すみれは笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ。少し眩しくて」
 手を眉の上へ置く仕草に、日向は「あっ」と驚いた声を出す。
「そうだよね。こんなに太陽が出てるもんね。無理しないでねすみれ。何処かで一休みする?」
 こてりと首を傾げた日向の帽子がずるりと傾き、片方の狐耳が露わになった。
「わわ!」
 慌てて軍帽を被り直した日向は周囲の視線がこちらに向いて居ないことを確認する。
 今日はいつもの尻尾は無いようだった。
「見つかってない?」
「ええ、誰も見てないですよ。それに私と一緒に歩いている日向様なら仮装だと思われますよ」
 指先を己の角へと這わせるすみれは「大丈夫」だと紫色の瞳を細める。
 この希望ヶ浜では『現代日本』で有り得ないものを許容しないという不思議な心理が働いている。
 鬼の角や狐耳などは仮装として扱われ、自分達の現実には存在しないものだと目を塞いでいるのだ。
 すみれの影に隠れた日向はもぞもぞとセイラー服の裾を捲り、ふくよかな尻尾を取り出す。
「やっぱ尻尾あった方が落ち着くね」
 ふさふさした自分の尻尾に触れる日向は照れくさそうに笑みを零した。

「この先にカフェがあるから、そこで休憩しようか」
「ええ。そうですね」
 車道を挟んで向かいの通りに視線を上げるすみれ。
 立ち並ぶ店は小綺麗な店構えが多く、人通りはさほど多くは無い。
 だからなのか、歩いている人達の姿がよく見えた。
 上品な佇まいの女性と隣を歩くスーツ姿の男性。ゆっくりと歩いて行く老夫婦。
 急いている人は誰も居ない。心に余裕があるように思える。

 その中に『見慣れた』姿を見つけ、すみれは心臓が掴まれるような感覚を覚えた。
 息が一瞬詰まり、心臓が一気に血を送り出す。ドクリと音が鳴ったと錯覚するぐらいの嫌な震えだ。
 どうして、この通りを歩いているのか。偶然と言ってしまえばそれまでなのだろう。
 同じイレギュラーズであり、ローレットに所属しているのだから道端ですれ違うことはあり得る話しだ。
 けれど、そういう問題ではないのだ。
 日向と心地よい時間を過ごしているこの瞬間に、その安らぎが壊されてしまうことが我慢ならなかった。
 一刻も早く、見つからないようにここから離れたかった。

 ――澄恋が同じ場所に居るなんて、なんて厄日であるのだろう。

 彼女を目の前にすれば否応なしに自分の中の嫌な感情がどろりと溶け出してくる。
 平穏を保っている心がどす黒く塗りつぶされてしまうのだ。
 自分一人の時であれば、それを本人に打つけ発散させる事もできようが。
 日向にその姿を見られたくはなかった。
 少年は清らかだからこそすみれを受入れ理解しようとするだろう。
 たとえ僅かであろうとも、自分のせいで純粋な彼が歪んでしまうのが心苦しいのだ。
 それは白いキャンパスに黒い油をかけるようなものだ。どうしたって元に戻りやしない。

 だからすみれはこの場を離れようとした。
「カフェ楽しみですね」
「うん! そこのねパフェが美味しいんだよ!」
 楽しそうに振る舞い、歩幅を少しだけ速める。
 カフェが楽しみで足取りが軽やかになったと日向は思うことだろう。
 丁度通りの向こう側にいる澄恋とすれ違うような頃合いだ。決して向こうは見ない。
 澄恋とて此方に気付いたとしても近寄っては来ないだろう。
 ふと、隣に視線をやると日向が通りの向こうを見つめていた。
 じっと澄恋を追いかけているのだろう。ああ、嫌な予感がする。

「ねえ、向こうの道の……あの水色の髪の鬼の人、すみれに似てるね」
 振り返った日向は屈託の無い笑顔ですみれに向き直った。
 向こうの道を歩いている澄恋とて身なりは小綺麗に纏められている。遠目から見れば嫋やかで美しい女性として映るだろう。
 ――澄恋は『不完全』であるにも関わらずだ。
 どろりと心の奥から黒い泥が溢れ出す。こんな感情必要無いというのに。
 澄恋は自分より劣っている。愛されずに育って下賤な身の上で意地汚く生きて来た者だ。
 自分とは違うものであるというのに、その存在はすみれにとって自分の中の醜い感情を表に吐き出してしまう引き金のようなもの。近くに寄ればそれが顕著になるのだ。
「すみれ?」
「…………似ていましたか? ふふ、ありがとうございます。お顔は拝見できなかったのですが」
 妙な間を置いて微笑んだすみれに日向は首を傾げる。
 すみれの瞳には『動揺』が浮かんでいるような気がしたのだ。

「えっとね、すごく綺麗だったよ。遠くからだからあんまり見れなかったけどすみれにそっくりでびっくりしちゃった! 白無垢なのかな。すみれも着たら似合うかな?」
 大好きな人に似た綺麗な人。それを見つけた日向は高揚し目を輝かせていた。
 純粋で曇りなき瞳。そこに悪意などなく、ただ無邪気な笑みがあるだけ。
 だからこそ、思い知らされるのだ。
 周りから見て『そんなに自分達は似ているのか』と。
 あのような不完全なものと、似通っていると叩きつけられたような気がした。
 やけに蝉の鳴声が耳にこびりつく。耳障りな音だ。思考が散ってしまう。悪い方向へ考えてしまう。

 日向は澄恋と面識など無いのだろう。
 あれば彼の性格からして手を振って挨拶しに行きかねない。
 それをしていないのであれば、日向にとって澄恋は知らない人だ。
 この狐耳の少年は自分と澄恋の関係性を知らない。
 完全である自分と、不完全である澄恋の差違を認識していない。
 にもかかわらず、日向は遠目に見た澄恋をそっくりだと言ったのだ。
 嫌になる。どんなに優位性を持っていたところで客観的に見れば『同一』に見えるのだと日向の目を通して知ってしまった。胃の奥がぎりぎりと痛むような気がした。
 張り付いた笑顔の奥で、昏く澱んだ思考が蓋を開ける。

 すみれは仲睦まじい両親の元に生まれて、愛されて来た子供だ。
 何不自由の無い生活は心身の健康という裏付けを持って証明されている。
 恵まれているのだと思うことすら無く、ただ多幸感に包まれて生きて来た。
 幸せな結婚生活を送り、幸せのまま生涯を終えるはずだった。
 それが混沌に召喚され、夫と離ればなれになり初めて悲しみを知った。
 今まで過ごして来た人生が恵まれていたのだと感じたのは『澄恋』を知った時だ。
 哀れで惨めな澄恋を不完全なものだと思ったのだ。
 自分の方が恵まれているし、ああは成りたくないと嫌な気持ちになった。
 見ているだけで怖気が走るようだった。
 澄恋が何かする度に何だか自分が辱めを受けている気分にもなった。
 胸がぞわぞわして見たくなくなるのだ。それが何なのか答えはまだ出ない。

 完全である自分がそのようなものを感じることは屈辱でもあった。
 なぜ澄恋という存在に自分が惑わされなければならないのか。
 自分の方が優位に立っているというのに。
 それに、日向が純粋に憧れを向ける相手は自分であるはずなのだ。
 断じて不完全なあちらではない。胸が締め付けられる。
 むず痒くもたげるこれは『嫉妬』なのだろう。
 このような感情、知りたくも無かった。澄恋がここを通らなければ知らずに済んだ感情だ。

 ふと、振り返った視界の端に楽しげな澄恋の笑顔が見える。
 自分の知らぬ誰かに向ける幸せそうな笑顔。
 不完全が、そんな風に笑っているなんてと微笑みが崩れそうになった。
 劣っているくせに。

 ――この希望ヶ浜に住む人達は『現代日本』から見て『不完全』なのだろうか。
 胸に渦巻く嫌な感情は、その答えに類するもののような気がしてならない。
 ヤスリで心臓を研がれるような痛みが胸を締め付ける。
 嫌だと心の何処かで叫ぶ声がした。
 考えたくもないのだと、忌避する溜息が聞こえる。
 答えなど必要無い。論ずるに値しない。優位に立っているのは自分なのだから。
 それ以外の事実など不要であるのだ。

 遠くで鳴く蝉の声がじんじんと耳に響いていた。


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