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【RotA】葵と漁の話~資質~
登場人物一覧
- 日向 葵の関係者
→ イラスト
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悲しいことなどないかのように葵が笑うので。
苦しいことなどないかのように葵が振る舞うので。
漁にとって葵は、尊敬すべきキャプテンなのだ。
それは葵と漁たちが混沌へ来る前からずっとそうだ。試合結果がボロボロでも、葵は打ちひしがれたりしなかった。ただぐっと顎を引いて、にっと笑ってみせて「次は勝つ」とだけ言うのだ。本当は誰よりも悔しかろうに。本当は何よりも勝ちたかったろうに。葵は皆の前で悲しみに暮れたりなんかしない。そして、率先して練習へ出る。その背中に、どれほど勇気づけられたことか。
例えばの話、葵がキャプテンでなかったとしよう。漁はフォワードとしての自分の力を発揮しきれるだろうか。答えはNOだろう。キャプテンはスキルも大切だが、人望も必要だ。チームを引っ張り、皆のメンタルを支え、サポーターの期待を受けて、いつなんどきも全力のパフォーマンスをみせる。それができて当然。人の上に立つ孤独と苦悩を、海で育った漁はよく知っている。おんぼろの、大波が来ればひっくり返りそうな、小さな漁船。それが漁のゆりかごだった。母親は漁を置いて去り、父だけが育ての親だった。板一枚で陸と泣き別れ。そんな場所で漁は、厳しく接することが愛情と信じた海の男のもと、育った。
そんな漁だったから、サッカーでも自分本意なプレーばかりしていた。周りはもっと協調性を持てと小言ばかり。毎日クサクサしていたときに、葵から声をかけられてた。
「アンタ、トップはってみる気ないっスか?」
存外に優しい声だった。葵の指導はわかりやすく、具体的で、するすると飲み込むことができた。ここ一番という試合に臨んだ時、葵は、ただ、こう言った。
「頼りにしてるっスよ」
あの一言があったから、今もがんばれている。
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「フィッシャー!」
葵が叫んでいる。海洋の漁港で暴れ狂う狂王種、巨大魚。その狂王種が海水を吸い込みだしたからだ。漁の乗る小型船が木の葉のように吸い寄せられていく。おそらくはこのまま、腹へ招待するつもりなのだろう。そうなれば船は木っ端微塵。漁も大怪我ではすまない。だが。
「まかせとけぇ、キャプテン! シュートチャンスじゃ!」
漁は不安定な足場にもかかわらず、錨を持ち上げた。全身の筋肉が緊張し、あまりの重量に両足が甲板へくいこむ。
「おりゃあああっ!」
漁はその錨を、魚へ向かって投げつけた。鼻面を砕かれた巨大魚がひるむ。
「キャプテン!」
「わかったっス!」
甲板を蹴り、葵は走り出した。吹き荒ぶ疾風が描かれた灰色のサッカーボール、GG。宙に浮かぶ相棒めがけ、葵は突っ込む。舳先を飛び越え、海の上、勢いそのままに、葵はGGを蹴り飛ばす。まっすぐに飛んでいったGGは、今度こそ巨大魚の脳天を破壊した。断末魔をあげた魚が暴れ狂い、とつぜんの大波に漁船が岸へ打ち付けられる。葵もあわや海のもくずとおもわれたが、先回りした漁の船に着地してのけた。操舵輪片手に漁がサムズ・アップする。
「ナイッシュー! キャプテン!」
「へへっ、ありがとさん、フィッシャー」
荒れ狂う海もなんのその。漁はかろやかに舵をさばき、牙を剥く波を乗りこなす。大きく痙攣した巨大魚は、やがてぷかりと海面に浮かび上がった。
「はあ~、こんなにデケエの相手に、たたかってたんスね」
「そうじゃのう。改めて見るとでかい獲物じゃ」
ぽんぽん音を立てながら小型船は港へ帰っていく。たどり着いた葵と漁は、固唾をのんで見守っていた村人たちから歓声とともに迎え入れられた。あの巨大魚は、毎年この時期になると、この海洋の片隅にある漁村を暴れまわり、甚大な被害をもたらしていた。耐えきれなくなった住民たちはローレットを通して助けを求めた。それに応えたのが、葵と漁だったというわけだ。
村人たちは涙を流して喜んでいる。けれど葵は浮かない顔だった。
「港の船がぜんぶ、しっちゃかめっちゃかっスね。もうすこし考えて動けばよかったっス」
「そうでもないぞ、キャプテン!」
「ん?」
葵が顔を向けると、漁は目をらんらんと輝かせながら、たちわり包丁を持ち出していた。
「キャプテン! ちと手伝ってくれんかのう!」
「いや何してんの!?」
「漁師の勘が言うとる! コイツはスズキじゃ! 食えるぜ!!」
「え、ちょ、食うんスか、これ!?」
「もちろんよ! 解体して売れば、船の修理代にもなる。せっかくの海の幸じゃ、楽しまにゃあ損じゃあ!」
おんしら手伝え! と、漁が若く屈強な村人を引っ張っていく。みんなへっぴり腰で狂王種へ縄をかけ、港へ引き上げた。
「さばくぞ、皆の衆ー!」
巨大魚へよじのぼり、てっぺんから気勢を上げる漁。が、村人はすっかり引いてしまっていた。まず見た目がグロい。死んだ魚ってのはそれだけでグロい。ぽっかり開いたままの目が怖い。さらに鱗は棘だらけで、近づくだけで怪我をしそうだ。
「……もー、しゃーないっスね」
葵はゴム製のエプロンをすると、長靴に履き替えて漁のあとに続いた。
「後半戦のホイッスルが鳴ったっス。フィッシャー、オレは魚をさばくのは門外漢スから、指示を頼むっス」
「まかせとけキャプテン! うまい鍋にしてやるからのう!」
鱗をはがして、さくさく切って、ばんばん解体して、いらない部分は切り落として、しだいに見えてくるおいしそうな白身。ごくり、と、村人たちも湧いてきたよだれをのんだ。漁がいったように、船の修理代もいる。この巨大魚を放置して腐らせれば、疫病が広がるかもしれない。なにより、命を粗末にするのはよろしくない。
最初に包丁を握ったのは村の女衆だった。子どもを食わせるママさんがたが、結託して蜂起したのだ。続いて男衆。ここでいい格好をしなければ、いつするのだとばかりに、果敢に挑戦する。老人子どもも手を貸して、あっというまにテントが張られた。
「でかいだけあって皮がごついっスね」
「おうとも! こいつぁ、なめして革細工にすることもできるぞ。新しい名産品にええのう! 狂王種に捨てるとこなしじゃ!」
「なんか違うような」
苦笑しつつも、葵は村人とともに解体へ精をだす。
昆布とアラでダシを取った大鍋へ、せーので魚の切り身を入れれば、あとはもう食べるだけ。人が集まれば話題の花が咲く。話題が積み重なれば、酒の出番。というわけで、日が暮れる頃には、村は大宴会。かんからしゃみせんを鳴らし、歌い踊る人々。陽気な歌声が、風に乗って遠くまで。
葵はすこし離れた海辺で、砂に座って水平線を見ていた。あかいあかい夕日が、ゆっくりと落ちていく。長く伸びる流木の影が、ざらんざらんと寄せては返す波と戯れている。
「ここにおったのか、キャプテン」
「フィッシャー」
葵の隣へ、漁がどっかと腰を下ろした。
「うっは、酒くせ」
「そうかのう?」
「だいぶ飲んだっスね、フィッシャー」
「おう、楽しいぞ! キャプテンもこっち来りゃええのに」
「オレは……」
葵が海を見た。どこか郷愁の漂う視線で。
「もう腹ぁいっぱいっスよ」
ほわあと大きなあくびをして、葵は腕を支えにして胸をそらした。
「そんなに食っとらんじゃろう?」
「……そりゃフィッシャーに比べりゃ、誰も『食ってねえ』にはいるっスよ」
「ガッハッハ! そういうなキャプテン! まあ飲め飲め、村の人が秘蔵のどぶろくをだしてくれたんじゃ。ぐいっといかんか」
「おっとぉ、こぼれるっスよ、フィッシャーはホント荒っぽいんスから!」
欠けた茶碗へなみなみとどぶろくを注がれたうえに、背中をばんばん叩かれて、葵は困惑した。おそるおそる茶碗へ口をつける。優しい口当たりだった。しゅわりと弾ける喉越し。甘酒に似た風味が鼻へまで抜けていく。
「あ、うまいっスね、コレ」
「そうじゃろう、そうじゃろう! ワシの酒じゃ! 飲め!」
「もらったのであって、フィッシャーの酒じゃねっス」
「細かいことはええ!」
酒はいいぞうと、漁は古い歌を歌いだした。かつて漁から帰った父が、晩酌しながらよく歌っていた歌だ。意外と伸びの良い、こぶしをきかせた歌いまわしに聴き惚れながら、葵は気になっていたことを口にした。
「なあ、漁」
「なんじゃ、葵」
「元の世界の戻りたいっスか?」
漁はふしぎそうに葵を見つめたかと思うと、うなりながら首をひねりだした。
「そりゃあ、昔の熱い試合を思い出して恋しくなる日はある。混沌でサッカーはまだまだマイナーなスポーツじゃからのう」
けどそれだけよ。と、漁はにっかり笑った。
「逆に言やぁ、この混沌は誰ものりだしたことのない大海原よ。この地で最初にサッカーリーグを作り、そして優勝してのける。そんな栄誉にあずかれるかもしれんぞ?」
「なる。たしかにそうっスね」
フィッシャーらしい、と葵は笑みをみせた。
ざらんざらん。波がうちつけている。夕日の最後のひとかけが海へと消えていく。
「サッカーを布教して、おもしろさを教えて、ファンを作って、なぁんだ、やることいっぱいじゃねっスか」
葵は顔を上げ、空を見た。宵闇濃くなりつつあるそこへ、ひかるは一番星。
「あれに」
葵がすっと手を上げ、星を指さした。
「オレらが、なるっス。フィッシャー、頼りにしてるっスよ」
「もちろんじゃ」
それでこそキャプテンよ。漁はどぶろくを一気にあおった。葵は目を細めて眠たげ。ごろんと砂浜へ横になる。
「酔ってきた……」
目がさめたら新たな戦場へ行くのだろう男へ、漁は上着をかけてやった。葵は有言実行の男。何時の日か夢は叶うだろう。その時は必ず同じチームのフォワードとしてプレーしたいものだ。漁もまた横になると、目を閉じた。
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悲しいことなどないかのように葵は笑うので。
苦しいことなどないかのように葵は振る舞うので。
漁にとって葵は、尊敬し、守るべき、キャプテンなのだ。
例えばの話であっても、漁には受け入れられない。葵以外のキャプテンなど、想像もつかない。