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安穏の音色
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ハリエットは迷っていた。
道に、ではない。今日という日を――どうするかだ。
少し前になるがギルオスの誕生日があった。
本当は当日にお祝いをしたかったのだが……覇竜領域で事件があり、そちらに出向かねばならなかったが故に些かズレてしまったのだ。さりとて、と。そのまま何も無しにするつもりもなかった。日がズレたとはいえ、お祝いを成さんと思っていたのだが……
「……でも、ローレットにいなかったな」
当の本人の姿が見えぬのだ。
大体の場合ローレットの作業部屋にいるというのに珍しい――家だろうか?
そう思いて彼女の歩みはギルオスの自宅へと向かう。此処からそう遠くはないが故に。
……されど再び彼女は迷おうか。彼の家の扉を叩くかどうか。
或いは、以前貰った合鍵で開けてしまう事は出来るのだが、でも。
「もしかしたら、今誰かと一緒にいるのかな……」
微かな逡巡がハリエットの内にあった。
ローレットからここまで歩いてくる間、どうやって渡そうかななんて思っていたのに。
いざ扉を前にすれば――手が鈍る。
もしも。誰かと既に過ごしていたらどうしよう。
今頃誰かと一緒に楽し気に会話してたりなんてするのかな。
もしも。その笑顔を見てしまったら――どうしよう。
幾つも浮かんでは消える不安の想像。もしかしたら自分は邪魔なだけではないのか?
扉を開けてプレゼントを置いて帰ろうかな、なんて。
もしも面と向かって会えなければ、それだけでもいいのに。
ほんの微かな気配ですら窺い知れてしまうのが――こわい。
「……やっぱり帰ろうか、な。今度、うん。またいつでも会えるだろうし――」
「――やぁ誰かと思えばハリエットか」
「わっ」
扉の前で幾度もうろうろと思い悩んでいた、その時。
なんぞや誰かがいる気配を察したのか――先んじてギルオスが扉を開けた。
驚愕。慌てて手に持っていた『モノ』を背中側にハリエットは隠して。
笑顔。あぁやっぱり君か、という類の感情がギルオスには込められていて。
「どうしたんだい? 鍵も渡していたから入ればよかったのに。
まぁとにかく入りなよ。なにか用事があって来たんだろう?」
「わ、わ、えと。その、ね」
さすれば彼と出会ってからとんとん拍子に話が進んでいく……!
ギルオスからすれば親しきハリエットが――なにやら様子がいつもと違うようだが――とにかく訪れてくれたのであれば家の内に入れぬ理由があろうか。逆にハリエットからすれば先程までの悩みもあって些か戸惑いの方が強いのだが。
――さりとて導かれるままにハリエットは室内へと。
あれやこれやと中へ案内されれば、ギルオスの他には誰もいないようであった。
杞憂だったかとホッとした……
のも、つかの間。ならば、ええと、そうだ!
(――あっ。プレゼント、渡さないと……!)
今度は別の意味の不安が襲い掛かって来た。感情もまたぐるぐると巡るものである。
『飲み物いる? コーヒーでいいかい?』なんてギルオスが述べながら別室へ移動しているが、彼が帰ってくるまですぐの事だろう。それまでに己が心を整えておかねばならぬ。色々と想定外というか心臓の落ち着き所がなかった、が……
「ギルオスさん」
「――んっ?」
「はい、これ。遅くなったけど……」
意を決す。先程背中側に隠し、彼に見えぬようにしておいたソレを取り出すのだ。
――ハリエットが取り出したのは一見すれば小さな木箱だ。外装に微かな装飾があり、少しばかり御洒落には見えようか――だが勿論、只の木箱ではない。よく見れば箱の一角に、指先で握れる程度の……小さな突起が備えられている。
なんだろう、と。木箱を開いてみれば。
紙製のカードを差し込める口と、独特なる機械も見えようか。
……そう、それはオルゴールの一種。
穴の開いたカードを挟んで音色を奏でる、所謂かなオルガニートだ。
カードと、機械を作動させるために回し続ける必要はあるものの通常のオルゴールとは異なり、一台で複数の曲をも聴き楽しむ事が出来る代物だ。ギルオスの為にもってきた――プレゼント。
「――お誕生日おめでとう、ギルオスさん」
「――あぁ! そうか僕の誕生日が、この前あったのか!!」
「えっ。気付いてなかったの?」
「ハハハ、色々忙しくてね。すっかり頭から抜け落ちていたよ……
それにしてもオルゴールだなんて久しぶりに見たなぁ。それに手回し式だなんて。
とにかく――ありがとう。これ、鳴らしてみてもいいかい?」
「うん。あの、ね。ここに紙を挟んで、回してほしいんだ」
渡せばほっと一息。あぁ本当によかった――
『プレゼントが喜んでもらえるかどうか』それは本当に重要な事だったから。
幻想の街中を歩いていて、お店で見かけた時、こういうの好きかな……? などと思って選んでみたが、実際渡すまで不安の靄があったものだ。ギルオスの微笑みを見て、ようやく本当に落ち着く事が出来たか――
一瞬ギルオスはなんの贈り物かと面食らっていたようだが……
そもそも日にちのズレ以前に自分の誕生日を忘れていただなんて。
ある意味、彼らしいと言えば彼らしいのかもしれない。
ギルオスはいつだって誰か他人の事ばかり考えているから……
ともあれ、と。運ばれてきたコーヒーの香りが部屋に揺蕩いながら。
同時にどうやって使うのかをギルオスは模索してみようか。
ハリエットが指さしながらカードを手渡して……と。
――直後に奏でられる、オルゴールの音色。
美しい旋律だ。派手ではないが、されど高き一音を確かに感じ得る。
耳に届けば安らぐが如く――あぁ。
「あぁ、これは良い。良いね。なんだか随分と懐かしい気がするよ」
「ん。オルゴールは……うるさすぎないし、ね」
「何ていうのかな。オルゴールは、綺麗だよね。
澄んだ音色だ……こういう系好きなのかい?」
「そうだね――ギルオスさんも好きだった? それだったら良かったけれど」
「あぁ勿論さ。なんだろうね、練達のカフェとかで流れてるジャズとかも好きだけど、オルゴールみたいなのも好きだよ。さっきも言ったけど綺麗な感じがオルゴールの特徴だし、独特な空間を作り出してくれる気がするしね」
されば、オルゴールの音色が心の臓の鼓動を……落ち着かせてくれようか。
伴って他愛なき言の葉の応酬も増えるものだ。
どんな音楽が好きなのか、今度音楽祭にでも行ってみるかい――など。
会話に花咲かす。未来に夢見て、今を楽しみ。
生まれてきてくれてありがとうと誕生日を祝おうか……
と、その時。
「……ん? ハリエット、その手どうしたんだい。怪我してるのかい?」
「あっ。これ? あぁ、その……この前ちょっと依頼で、ね。
でも大丈夫。もう傷自体は塞がってるから、後はその内消えると思う」
ギルオスが気付いた。ハリエットの身に、幾つか傷があると。
大きなモノではない。小さな傷であり、時が過ぎればいつかは消えるだろう程度。
――だが確実にその身には在ったのだ。彼女が、危機に晒された証が。
「やっぱり覇竜領域はそう簡単には済まないみたい。でも、これぐらい大した事ないから」
「……そうか、うん。そうだね」
「近い内にね、多分また行く事になると思うんだけど」
必ず戻ってくるからね、なんて。
ハリエットは言葉を紡ごうとした――刹那。
「――偶には休んでもいいんじゃないかい?」
ギルオスは先んじていた。
言葉を。いや、想いを。
「きっとなんとかなるさ。これまでも、これからもね」
「――ギルオスさん?」
「覇竜は危険な場所だよ。傷が完全に癒えるまでは、此処に残っておくのも手さ」
「そう……かもしれないけど、本当に大した事はないよ」
どうしたんだろう、と。ハリエットは些か思考を巡らせようか。
……『ソレ』はギルオスの奥底から微かに零れたモノだったのかもしれない。
戦場に出るだなんてのは危険が過ぎる。
勿論、ローレットに所属するのであれば、大なり小なりそう言う事はあるものだが。
そういう問題ではないのだ。
「君は僕の誕生日を祝ってくれた」
一息。
「だから僕にも君の誕生日を祝わせてくれ――いつか、きっと。面と向かって」
一息。
「もしも君に会えなくなったら、僕は」
「――――」
「……いや忘れてくれ。今のは君の決意を鈍らせるものだったね」
ギルオスさん……そう紡ぐハリエットの瞳には、ギルオスの横顔が映っていた。
どこか遠い場所を見ているような、そんな顔色だった。
……仲間を。親しい者を『失いたくない』とするような。
誰にでも優しく、だからこそ誰にでも平等に接する彼の――
微かな、本音が垣間見えた気がした。
……オルゴールの音色が響いている。
ギルオスの指先は動いていた。
己の心の揺蕩いを覆い隠すかのように――動かし続けていた。
安穏の音色に、なにかを誤魔化すかの様に……