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夜ふかしの探し物。或いは、月夜の散歩は今夜で終わり…。
登場人物一覧
●夜の旅
雨上がりの夜空は、どこまでも透き通っていた。
風の無い夜だ。
張り付くような熱気が、トール=アシェンプテル (p3p010816)の肌にじわりと汗を滲ませる。
季節はそろそろ夏になる。
もう少しすれば、本格的な夏が来て、暑さもきっと今よりも辛く過ごしづらいものになるだろう。夏の日差しは容赦なく肌を焼き焦がす。
もっとも、今のトールにはあまり関係が無い。
「うぅん。いつの間にかすっかり夜に……」
ベランダから空を見上げたトールは、そんなことを呟いた。
そうしながら、無意識に自分の脚に手を触れる。
“烙印”と、それに関する一連の騒動が終わってしばらく。トールを苛む“烙印”の症状も落ち着いたわけだが、だからといって生活の習慣はすぐに変えられない。
要するに、暫くの間、陽の光を避ける生活を送っていたこともありトールはすっかり夜型人間になっていた。
夜という時間は、いつだって静かだ。
真昼の喧噪はどこかに消えて、音さえも闇に飲まれたみたいだ。
「やっぱり眠れませんね」
時刻は真夜中を過ぎている。
生活リズムを元の調子に戻したくとも、眠れないのでは仕方がない。家でゴロゴロと時間を浪費することに、本の少しの勿体なさを感じたトールは“今日も”夜の街へと散歩に出かけることを決めた。
「夜の街には、何があるんでしょう」
漠然と。
夜の街にしか存在していない“何か”を、ここ数日の間、トールは探し求めている。
それが“何か”も知らないまま。
そもそも、そんな“何か”が夜の街に存在するか否かも分からないまま。
昼と夜では、街の様子はぐるりと変わる。
まるで世界が、白から黒に反転してしまったみたいだ。昼間はあれほどいた人も、夜になれば何処かに消える。どこに消えたのかと言えば、家に帰って眠っているわけなのだけれど、トールにはどうも“闇に飲まれて消え去った”のだと、そんな風に思えてならない。
行く宛ても無く、夜を彷徨う。
道に沿って、まっすぐと。
気が向けば、曲がり角を右か左へ。
黒猫を見つけ、気紛れにその後を追いかけた。かぎ尻尾をくねくねと揺らす黒猫が、まるでトールを導くように一定の距離を保ったままに路地裏へ。
月の光が差し込んでいる、妙に明るい路地裏の空き地。
そこには何匹もの猫と、それから少女の人影が1つ。
「にゃにゃぁ……ぁ」
少女がトールに気が付いた。
目を見開いて、口を半開きにしたままの顔で固まっている。その頬に、ぱっと朱色が散った。
「と、トール……?」
「セレナ……さん?」
見知った少女だ。
名をセレナ・夜月 (p3p010688)というローレットの同僚。魔女らしい恰好が、夜という場に良く似合う。
●眠れない夜は夜更かししよう
眠れないのだ、とトールは言った。
それなら空を散歩しましょう、とセレナは言った。
「私のいた世界では、いつもこうしていたの」
箒に乗って空の高くへ。
熱い風が、セレナとトールの髪を揺らした。
「夜になったら魔女達は箒に乗って飛び回り、影のように現れる『魔物』を狩って……わたしもその1人だったわ」
セレナのいた世界では、それが当たり前だった。
その習慣が残っているのか、夜になれば今でも箒に乗って空を飛んでいる。違うことと言えば、夜毎に現れる『魔物』がいるか、否か程度だろうか。
「トールの方はどうだったの?」
「そう大きくは変わりませんよ。剣と魔法とモンスターが存在する……そうですね、幻想に良く似た世界でした」
大きく違うことと言えば、人類は女性しか存在しないという点だろうか。トールの世界では、女性同士の生殖が成立しており、男性は既に絶滅した種として扱われていた。
広い世界を統べるのは4つの王国。
戦争は無く、世界は平和そのもの。
「それゆえに、進化や発展の兆しも無くて、文明の袋小路にいるような閉塞感がありました」
トールが暮らしていたのは、第二国と呼ばれる国だ。
第二国を治める女王直属の近衛騎士。
それが、かつてのトールの役割だ。
「だから、こっちの世界の方が刺激に満ち溢れています」
くすり、と笑う。
箒をさらに空高くへと上昇させながら、セレナは言った。
「トールの世界もそうだけど、旅人それぞれ、違う世界、違う常識があったと思うのそんな別世界の人同士が、今こうして空を飛びながらお話してるのって、結構な奇跡かもしれないわね?」
「奇跡……」
もしかするとそれは、トールが夜毎に捜し歩いた“何か”の正体なのかもしれない。
夜空の散歩を始めてから、結構な時間が過ぎている。
故郷のこと、好きな食べ物のこと、この世界に来て苦労したこと、とりとめもなく色々な話をした。話題がそのうち、ギフトのことに移り変わるのも自然な流れだっただろう。
「トールのギフトって、どういうのなの? そう言えば、詳しく聞いた覚えがないわ」
「えぇ、っと……」
言葉を探す。
トールのギフトについて、詳細を語ることはできない。秘密を知られれば、自他を巻き込み不幸をもたらす。トールのギフトはそんなものだ。ギフトとは名ばかりのある種の呪いだ。
「秘密を知られてしまったら、自分に不幸が即座に降り注ぐ。そんな類のギフトです。秘密を知った人数によって、降り注ぐ不幸も酷いものになって、他人も巻き込む可能性も拡大するんですよ」
「……あー」
誤魔化しながら、トールは自身のギフトを告げる。セレナは困った顔をして、背後のトールに視線を向ける。その目には“不憫”という感情が滲んでいた。
「あはは」
思わずトールも苦い笑い声を零した。
そうしているうちに、そろそろトールの屋敷に差し掛かる。
楽しかった真夜中の散歩も、そろそろ終わりが近づいている。
高度を下げたセレナは、トールの額に指を伸ばした。
「夜を守る魔女よりあなたへ。暗い道に迷う事無く、悪しき夢に苛まれる事無く。安らかに、健やかに。眠り、そして夜明けを迎えられますように」
セレナが祝詞を唱えると、バニラに似た甘い香りがトールの鼻腔を擽った。
途端、トールの視界が揺れる。
急な眠気が襲って来たのだ。
「え?」
「ふふ。今夜はきっと、よく眠れるわ」
なんて。
悪戯っぽくセレナは微笑む。
瞬間、突風が吹いた。
背後を振り向いたままの不安定な姿勢。不慣れな2人乗りという状況。バランスを維持できず、2人の乗った箒が大きく傾いた。
落下する。
理解したが、手遅れだ。
もはやどうすることも出来ない。姿勢を制御することも出来ない。
もつれるように、2人は地上へ落ちていく。
「トール!? 大丈夫!? ねぇ! 怪我は!」
名前を呼ぶ声がした。
トールが目を開くと、そこには不安そうな顔で自分を覗き込むセレナの顔があった。トールの身体に触れながら、怪我が無いかを探っていた。
落下の瞬間、トールはセレナを庇うように抱きしめた。
結果、衝撃のほとんどをトールが請け負うことになったわけだが……その甲斐もあってセレナの方に大きな怪我は無さそうだ。我が身を犠牲にした成果だと思えば上出来だ。
「怪我は無さそうですね。良かった……」
「怪我が無いかと聞いてるんだけど……その様子じゃ、平気そうね」
そう言ってセレナはトールの手を取った。
それから、自分の手の平を見やる。
「身体の感触が……何だか」
セレナがトールの“本当の”性別を知るのは、この暫く後のことである。