PandoraPartyProject

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百合の花は口に甘く

登場人物一覧

カイト・シャルラハ(p3p000684)
風読禽
カイト・シャルラハの関係者
→ イラスト
リリー・シャルラハ(p3p000955)
自在の名手


 緋色の鳥に記憶を喰わせた後。
 カイトはまるで他人の家を尋ねるかのように、寝床に戻ってきました。
 そうして、

「んー」

 カイトは迎えてくれた小さい妖精を見て、唸り声をあげるしかありませんでした。
 何故なら彼女はカイトの“ツガイ”だからです。……そう、らしい、のです。

 彼は記憶を失っています。
 大切な人との、大切な記憶を、緋色の鳥に食わせました。そうする事で己の裡に閉じ込めて、己の心のソラを飛ばせて他人に危害を与えないようにしているのです。
 でも、其の為に渡してしまった代償は大きく――だから、リリーの事が判らない。其れは翻せば、リリーが誰よりも大切であったことの証明ですが……
 まるで“知らないひと”を見るかのように見つめられては、報告書を読んで覚悟していても、リリーは悲しくて。

「本当に…リリー、ちゃん、は。俺のツガイなんだよな?」
「そ、そうだよ」

 覗き込んだ瞳は泣いてはいませんでしたが、僅かに目尻が赤くなっていました。大切な人に、大切な人だと認識して貰えない。其の悲しみを味わわせているのだと思うと、カイトも胸が痛みます。

 よくは覚えていない。
 覚えていないけれど、彼女を泣かせていると思うと胸がつまるような思いがします。
 記憶を失っても、情動が彼女を覚えている。笑顔が見たいし、泣き顔は見たくない。傍に居ると安心する。

 この休息の枝は、獲物は――果たして本当に俺のものなのだろうか?

 猛禽であるカイトは慎重に考えます。猛禽の執着は並大抵のものではありません。一度愛してしまったら、最後の最期まで手放す事は出来ません。
 仮に彼女が嘘をついていたとして――手放せずに喰らい付いて、どちらかが傷付くような事はしたくない。だからカイトは、己の“覚えていない”事については慎重になっていました。

 リリーも其れを判っていました。
 だから身振り手振りをまじえて、カイトがいつもどうしてくれていたかを話します。
 大きな手で包むように抱え込んで、触れてくれていた事。毛づくろいするように、髪に触れてくれていた事。其の日あった事を話しては、二人で笑い合っていた事。

「ねえ、やってみて?」

 リリーは促します。
 例え記憶を喪っていても、いつもしていたようにすれば、思い出す事もあるかもしれないと。気丈にもカイトの手にそっと寄り添って、いつもしていたように抱えて欲しいと言いました。

 カイトは優しく、出来る限り優しく其の通りにしてみます。……成る程。確かに落ち着く気がしました。
 これまでずっと抱えていた、何処か欠けたような奇妙な感覚が、何処かに行ってしまって……代わりに穏やかなぬくもりが訪れるかのようでした。
 戸籍を確認しても判らなかったけれど。結婚式の写真を見てもイマイチ実感は湧かなかったけれど。こうして触れ合ってみると、今まで感じた事のないような独占欲が、執着心が沸き起こって来るような気がして、カイトは無意識にリリーのすべらかな髪を嘴で加えて、毛づくろいするようにはみはみしていたのでした。

「……ふふ。こうしてると、カイト君が何も覚えてないなんて嘘みたい」

 両手に包まれたリリーが、僅かに嬉しそうに言いました。
 そう、リリーは決めたのです。あの報告書を読んだ日から、今度はこっちがカイト君を支える番なんだって、決めたのです。
 だからその日はずーっとカイトにくっ付いて回って。そうしていつもそうしていたように、カイトは寝床に。リリーは其の傍の小さな籠の中で眠りに就くのでした。



 鳥が。
 緋色の鳥が、飛んでいます。
 あけいろの空を、永遠の紅空の中を、悠々と飛び回っています。

 リリーは其れを呆然と見ていました。
 あんまりにも大きな鳥。異形の瞳がぎょろりと動いて、自分を捉えた時、久し振りにぞわりと寒気のようなものが背中を這い上がります。

 其れは久しく感じていなかったもの。
 紅の翼に優しく隠されて、恐れる必要のなかったもの。
 即ち。

 捕食される恐怖、でした。

『――娘、オレが見えるのか』
「え?」

 緋色の鳥は大きく羽ばたいて砕け散った大地の上に器用に羽根を休めます。
 そうしてリリーを3対の目で見つめ、オレが見えるんだな、と今度は確信を持って言いました。

『“オレ”のツガイだそうじゃないか。道理で喰った記憶が美味かったはずだ。空も見ろ、こんなに広がっている』
「空……?」
『そうだ。オレの空は喰えば喰う程広がる。そしてこの前、凄まじく広くなった。オマエの記憶を喰ったからだ、娘』
「リリーの、記憶……」

 報告書にもありました。緋色の鳥はカイトの中に消えたと。
 ですが――実際には消えた訳ではありません。一種の歪な共生関係にあるだけなのです。
 カイトは一番大切な記憶を、リリーと過ごしてきた幸せの記憶を差し出して、一時腹を満たしたのだと緋色の鳥は言いました。

「じゃあ、此処はカイト君の夢の中なの?」
『そうだ。オレは“オレ”の中で飛んでいる。だが……足りない。もう飛び尽くした。オレはホンモノの空を飛びたい。雲の中に潜ったり、夜の空を飛びたい。朝焼けに合わせて飛び立って、日差しを浴びて痛みを感じてみたい』

 なんて欲張りなんだろう!

 リリーはそう思わずにはいられませんでした。でも同時に、其の気持ちを分かってもいました。だって、カイトがそうだから。何処までも飛んでいたいと時折語っていた彼だから、きっと“こういうもの”に好かれたんだ。そうリリーは確信しました。
 この緋色の鳥を解放すればどうなるのか。当然また、市井の人々の記憶が狙われる事になります。だから彼を解放する事は出来ません。
 でも、カイトに記憶を取り戻して欲しいと思うリリーもいるのです。二人で紡いできた絆の日々を失いたくない。取り戻して欲しい。

「ねえ!」
『何だ』
「リリーが代わりのものを差しだしたら、カイト君の記憶を戻してくれる?」
『……?』

 理解出来ない。
 そんな風に、緋色の鳥は頭を傾げました。
 リリーはさらに言い募ります。

「カイト君との絆を取り戻したい! 其の為なら、リリーのものあげるよ!」
『……オマエが“オレ”と過ごした記憶でもか?』
「えっ!? あ、え、えっと、其れは……そ、其れ以外なら!」
『……冗談だ』

 正直に吃驚したりオロオロするリリーを見て、緋色の鳥はくつくつと笑いました。
 其の声は先程よりも優しく聴こえて、……だから。そんなに悪い鳥さんじゃないのかもしれないと、リリーは思ってしまいました。

『そうだな。じゃあ“この餌”は返そう』

 緋色の鳥が羽撃いて、リリーに近付いてきます。
 リリーは急に、夢の中なのに眠気を感じて……動けなくなって。ふらり、とよろめいた足が、優しく赫い羽根に包まれます。

『其の代わり、オマエから“餌”を貰う』

『そうだな、オマエの一週間を貰おう』

『餌は新鮮な方が美味い』

 そんな声を聴きながら。
 リリーは夢の中で、眠りに落ちて――



「……リー! リリー!」

 そんな声で、リリーは目を覚ましました。
 寝ぼけ眼を擦りながら見上げると、焦った様子でカイトが自分を見下ろしています。
 其の瞳は真摯で、昨日のように己を疑っている様子はなくて。

「――カイト君?」
「大丈夫か!? 痛い所は、何かおかしなところはないか!?」
「……ううん」

 ああ、カイト君だ。
 リリーの知ってるカイト君だ、リリーが大好きなカイト君だ。
 昨日のカイト君が偽物って訳じゃない。でも、――ずーっとずーっとリリーが大好きだった、カイト君だ!

「良かったあ……!」

 籠からぴょいと飛び出して、リリーはカイトのくちばしに擦り寄りました。
 其の動きは元気なもので、怪我なども見受けられません。

 ――カイトは、あの一部始終を見ていました。

 緋色の鳥とリリーの会話。
 カイトの夢にリリーがいるという状態だったのですから、当然カイトも夢を認識していたのです。
 藻掻いても足掻いても、リリーを安全な場所へ引き離せないもどかしさ。
 緋色の鳥にやめろと叫んでも声が届かない悔しさ。
 けれど――無事で、本当に良かった。

「今日の朝ごはんは何にする? あのね、この前近くのパン屋さんで買ったパンがあるんだけど」
「――ああ。じゃあ、其れにしよう」

 其の時は二人とも気付かなかったのです。
 緋色の鳥が言った言葉の真の意味を。



 最初に異変に気付いたのは、カイトでした。
 其れはあの夢からぴったり一週間後。リリーは目覚めると、ぴょこ、と籠の中で起き上がります。

「カイト君?」
「ん? おはよう。どうした、リリー」
「……カイト君……カイト君、おかえりっ!」
「え?」

 わっ、と泣き出しそうな勢いで抱き着いてきたリリーを慌てて受け止めるように掌で支え、カイトは目を白黒させました。
 何か彼女を心配させるようなことをしただろうか? 脳内で検索してみても一件もヒットはありません。不思議そうにしているカイトに、リリーは言いました。

「記憶が戻ったんだね!」



 其れから一週間が経つ度に。
 リリーは其れまで過ごした“一週間”を忘れるようになりました。
 リリーの中でリセットされて、起きればまた「カイト君がリリーとの記憶を取り戻してくれた朝」に逆戻り。
 何でもないようにふるまう事は、別にカイトにとって苦ではありませんでした。
 愛するリリーに、愛しているからこそ、彼女がどういう状態であるかを語り……其れまでの一週間何をしてきたかを話して聞かせました。
 けれど、リリーは一週間を喰われ続けました。
 今も喰われ続けています。

 カイトの心に燃える炎は、許せないというただ其れだけの、憤り。
 猛禽の執着心は、並大抵のものではありません。オレのリリー。オレだけのリリー。なのに、あの緋色の鳥はそんな大切な彼女の一週間を啄み続けている。

 絶対に許せない。
 オマエを本当のソラに飛ばせたりするものか。
 オマエは絶対に手を出しちゃならないものに、手を出したんだ――

 リリーは眠っています。
 一週間目。明日になればまた、リリーはカイトの記憶が戻ったと喜ぶのでしょう。
 そうして「パン屋で買ったパンがあるよ」と言うのでしょう。
 今のままでは、リリーは永遠に未来へと歩んで行けないのです。

 鳥は笑いはしないのに。
 何故かあの緋色の鳥が心中で笑っているような気がして、カイトは悔しさで拳を握り締めるのでした。

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