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If I'd meet again
登場人物一覧
――一緒に行っては
それは、空飛ぶ島アーカーシュでの事件が収束した後のこと。のちに独立島アーカーシュと名付けられるその前の時期。
幻想王国の森に、彼らはいた。
バクルド・アルティア・ホルスウィング。
マリエッタ・エーレイン。
この後数奇にねじれる二人の、これは一幕の思い出である。
『いいものが見れるんだ』と、彼は言った。
バクルドが住まう掘っ立て小屋。それは住処と言うよりは少し大きな物置である。
なにせバクルドは放浪の男。バイク一台で大陸じゅうを、今では大海の向こうや空飛ぶ島でさえふらりと訪れる。更に言うなら、そのバイクにはサイドカーがつくのだが……その話はまた別の機会にすることにしよう。
工具片手に整備を終え、さあ一息ついて酒でも――とガレージを出た所に、彼女が立っていた。
麦わら帽子に白いワンピース。なんとも彼女らしい、しかしある意味で彼女らしからぬ格好で――マリエッタは微笑んでいた。
「珍しいな、マリエッタ。見送りに来てくれたのか?」
冗談めかして言うバクルドに、しかしマリエッタは微笑みを絶やさない。
「そうですよ、バクルドさん。お邪魔でしたか?」
冗談を返されて、さすがにバクルドも苦笑する。飲みかけた酒を置くと、コルクで瓶に栓をする。
このまま酒瓶をあおるような時間があってもよかったが……なぜかそうする気にはなれなかった。
だって――。
「少し、歩くか」
暮れる夕日を背にして歩く、二人の影は長い。
じっと影をの先を見つめていたマリエッタに、それまで静かに歩いていたバクルドは口を開いた。
「俺の住処、よくわかったな。どこから聞きつけたんだ?」
「ふふ。これでも、調べるのは得意なんですよ」
目を伏せたままのマリエッタ。それ以上、続きはない。
答えるつもりはないのかもしれないし、答えたからと言ってどうという話でもない。
バクルドは『そうか』と呟いて、また静かに歩く時間を続けた。
彼女の長い茶色の髪が麦わら帽子の下から揺れる。邪魔にならないようにと後ろで軽く縛ったのだろう、風に靡くことはない。
一方のバクルドは髪を伸ばしっぱなしに流していて、もう少し気を遣っておけば良かったろうかと頬をかく。
徐々に夜闇に支配されていくマリエッタの横顔は、どこか遠くて。
誰か別人になってしまうような、不思議な寂しさがあって。
けれど、それを止める権利なんて、ないように思えて。
(そういえば、どうして俺はこの娘のことが気に入ったんだろうな)
マリエッタは自分を『ただの村娘』と紹介した。その通りだったし、その通りのはずだけれど、時折見せる血紅の表情にぞくりとすることが、少なからずあった。
だから、マリエッタを説明するときどうしても……『正体不明(unknown)』としてしまう。
知らない彼女。知らない横顔。
バクルドの歩幅は広くて、けれどマリエッタが少し急いで歩くと案外速度を緩めてくれる。
自分勝手なようでいて、優しいひと。
何も言わず消えてしまいそうで、けれど振り返ってくれるひと。
(誰かと会えなくなるのは、初めてのことではないのですけれど……)
沢山。沢山の経験をした。冒険を、と述べるには、あまりに生々しく、血にまみれている。
だって、誰かを救うために、誰かの命を奪うことを、自分は選んだのだから。
「旅に、出られるんですよね」
「ああ」
気付けば二人の足は、湖のほとりへと向いていた。
日もすっかり暮れ、夜の森を抜けた先。
ふわりと飛ぶ蛍の群れを、しかし二人はなにとはなく見つめていた。
綺麗、とも。すごい、とも。素敵ですねとも。どちらからも言わなかった。
代わりに。
「いつ、戻るんですか」
そんなことを聞いてしまう。
意味の無い質問だと、マリエッタ自身分かっていて。
「さてな。明日か明後日か、もしかしたら半年後かもしれねえし一年後になるかもしれん」
意味の無い質問だと、バクルドだってわかっていて。
けれどこの時間が、まるで意味の無いものだなんて、思えなくて。
「知ってるか。トンボの羽根とハチの羽根。同じように動いているようで、実は回数が違うんだ」
他愛のない会話を、虫の鳴く森の中で続ける。
「蝶もですか?」
「だな。だから飛び方も違う。8の字を描こうとしても、蝶はできないんだ」
手をかざして蝶の羽ばたきを表現してみせるバクルド。それを見て、マリエッタはくすくすと笑った。
「それで望みの花にたどり着けるのですから、蝶も頑張っているんですね」
「風に簡単に飛ばされそうなのにな。よくやるもんだと思う」
「バクルドさんは、どちらになりたいですか? 蝶と蜂」
他愛ない様子で尋ねるマリエッタに、バクルドはつい考えてしまう。
「どうかな。俺は蜂のように器用にいられたらと思う。けれど、実際は蝶なんだろうな。風に吹かれて、花から花だ」
「蝶は綺麗な羽根がついていますよ?」
「俺がそんな綺麗な男に見えるか? きっと蛾と区別のつかないなにかさ。花どころか、火や電灯に吸い寄せられてるだけかもな」
苦笑し、肩をすくめる。
無意味なようで、そうでないようで。不思議な時間が過ぎていく。
終わってほしくないような。
けれどいつかは忘れてしまうんだろうなと思えるような。
そんな、不思議な時間だった。
自分は風のような男だと、バクルドは思っていた。
出会いと別れを繰り返し、その全てをうっすらと忘れていく。
多かれ少なかれ、ひとの人生なんてものはそういうものだ。自分はそれを少しばかり極端にしただけのことだと。
だから、この娘のこともいつか忘れるのだろうと思った。
だから。
だから、こんなことは言わなくていい。
「なあ、マリエッタ。お前さんも一緒に来るか?」
自分は血のような女だと、マリエッタは思っていた。
汚れては濯ぎ、それを鼓動のようにくり返していく。
多かれ少なかれ、ひとの人生なんてそういうものだ。自分はそれを少しばかり極端にしただけのことだと。
だから、この男の手をきっと血で濡らしてしまうだろうと思った。
だから。
だから、この言葉は必然だった。
「一緒に行っては、いけません」
問いの内容を、女は気付いていた。
問いの返答を、男は気付いていた。
だからこれは、確認のようなものだ。
互いの道が、この先は別たれたのだということを、知るための儀式だ。
マリエッタが自分自身を呪っていることを。
その懊悩を、柔らかな自虐を、けれど逃れられぬ衝動を。
知らないわけでは、ないのだから。
バクルドが風のようにどこかへ行ってしまうことを。
その放蕩を、自由と引き替えにした刹那を、けれど忘れられぬ出会いを。
気付いていないわけでは、ないのだから。
二人は似ていて、決定的に違うひと。
だから、この言葉を最後にした。
「――If I'd meet again, we'd meet again at that time」
交わる道が、またあったならと。
さよならよりも、遠い別れをこめて。