PandoraPartyProject

SS詳細

ハニー・バター・スイート

登場人物一覧

イルミナ・ガードルーン(p3p001475)
まずは、お話から。

 自由を得たその日のことを、イルミナ・ガードルーンは稼働している限り生涯忘れることはないだろう。その日、彼の服の白は赤に染まり、自らを縛っていた鎖は失われた。それはきっと感情バグ命令コードとの軋轢から解き放たれた自分のハッピーエンド・・・・・・だ。自分自身を得ること、自由になること。解き放たれること。それは喜ばれる祝祭の日だ。或いは、生誕の日と言い換えてもいいかもしれない。自らの製造日うまれとは別の、新たにこの世界で生きるイルミナという人物ヒトが生まれたという、記念の日。ケーキに蝋燭を突き立てハッピーバースデーの音楽を流しながら、それを自らの息吹で吹き消す。
 幸せな日だ。その――はずだ。それなのにどうしても自分イルミナとは笑顔になりきれない。その理由もわかっている。ただ、それはハッピーエンドには邪魔なのだから、目を背けなければいけないのだ。赤い瞳が、赤く染まったそれが、こちらを見ている。正しく機械であった彼女が、こちらを見ている。
 たとえ、どれだけ自由になろうが命令に従い、ヒトに従い、それを至上の喜びとする機械のきかたは変えられないのだ、といわれているように見えて。

 この甘くて、蕩けるようなハッピーエンドが罪科つみのあじだと知っているからこそ、イルミナは願ってしまう。
 この夢がずっと続けばいいのに、と。

 この甘くて、蕩けるようなハッピーエンドが罪科つみのあじだと知っているからこそ、イルミナは思ってしまう。
 ごめんなさい。たった、その六文字ばかりの言葉を。
 

 
 初夏の希望ヶ丘は案外過ごしやすい。日差しこそその熱量とアスファルトの照り返しとを以て地面と空とから人間をあわよくば両面焼きにしようと画策してくるものの、未だに風は湿気も少なく僅かな涼しさを伴っている。木陰の、それもパラソルのあるテラス席であればたとえそれが外であろうと室内と何も変わらぬくらいには快適に感じるような気温だった。汗をかいているのは自分が注文したベリー入りのハニーレモネードのプラスチックのカップばかりで、イルミナの制服には汗のシミ一つない。もっとも、イルミナはそうそう汗をかくような身体ボディではないので当然ではあるのだが。
 そんなことをぼんやりと考えながらハニーレモネードを一口飲む。炭酸水のしゅわ、とした感触とレモンの香りばかりが舌を刺激して、一切が甘くない。見ればベリーもハニーも全部沈殿して、それらをかき混ぜずに表面だけ啜ったから何も味がしなかったらしい。ストローを奥まで押し込んでかき混ぜて再び一口飲んでやれば今度は喉がいたいくらいの甘みが味蕾味覚センサを刺激した。燃え尽き症候群やりきった、とでも云えばいいのか。あの日以降の生活というのは結果から言えば何も変わらない日常だ。希望ヶ丘という土地そのものが大きな変化をしないということもあるが、それを扠措さておいたとしても毎日の過ごし方が変わるなんてことはイルミナにはなかった。だからこそこうやっていま、学校帰りに寄り道を楽しんでいるわけである。レモネードをちびちびと飲みながら頼んだ品を待つ時間は実に長閑で、心地が良い。遠くからジイジイと気の早い蝉の声が少しばかり響いたような気もした。
 
 そも、どうしてテラス席こんな場所でこうやってハニーレモネードを撹拌しながら一人座っているか、と言われればその切欠は実にシンプルに『目についたから』という一言に尽きるだろう。希望ヶ丘高校でのテスト期間のさなか、勉強やテストといったような記憶力メモリに関してイルミナは反則級チートと言えるだろう。なにせ、機械だ。最初に記録さえしてしまえばそのストレージの記録はいつでも鮮明に読み取られ、再生される。それはテストに電子辞書を持ち込むのとほぼ同じようなもの――もっとも、イルミナのほうがその数万倍は優秀――で、となればテスト前の対策会で友人とファミレスで問題集を囲むみたいなところにはいささか居づらい。結果、早上がりの平日昼間、ひとりきりでふと通りすがりの店の『はちみつ専門店のハニーレモネード』の文字に引っかかってしまったのだ。だから仕方ない、そう言い聞かせてイルミナはレモネード片手に注文したパンケーキを今か今かと待ち受けていた。注文したら二十分くらいは待つという文言に気づいたのは注文したあとのことだったからなおさら仕方ない。更に言うならレモネードにもベリーが入っているのに、パンケーキまでベリーソース付きのものにしてしまったのも、大きなミスだった。

「ほんと、何やってるんスかね」

 機械が注意欠陥ヒューマンエラーを起こすというのは一種の皮肉だろうか、注意力の散漫だった。最近、もっぱら悩みのタネはなくなったはずなのにどうしてもなにか集中ができない。なぜかといわれれば、『悩みのタネがなくなってしまったから』だろう。自分が行動するための理由、感情を向けるベクトル、その他色々な目的熱量というのは大きければ大きいほど、根深ければ根深いほど。自己確立アイデンティティに関わっていれば関わっているほど。それが失われたときの空虚というのは実に大きい。それこそ、胸に穴が空いたというような月並みな表現が実に似合うことだろう。
 傍から見ても、自分から見ても。どう考えても望んだ結末にたどり着いたところでそれがスタートラインのはずなのに、まるでゴールのような気分になる。それどころか、最初よりも更に引き戻されるような感覚はどうしても少しだけ気持ちが悪い。
 心持ちが変われば、有り様が変われば、感情の一匙で世界というのはありとあらゆる色に色づいたり変わったりするようなものだ。しかし自分が一歩進んでも、希望ヶ丘は何も変わらない。そんな土地だからこそ余計に自分と、それ以外と、その時計の針のズレというものが否が応でも身につまされる事でもあった。まえでも、あとでも、おなじ日常あじ。それがこの土地だから仕様のない事だった。
 
「おまたせしましたぁ」

 そうしてレモネードから炭酸が失われ、中がただただ氷が溶けただけの甘くてすっごい薄い氷水と化したころ。かけられた声に顔を上げれば、蜂蜜ばりに甘ったるい声の店員がイルミナの目の前にどでかいパンケーキを置いた。焼き立てで、丸くて、分厚い。二十分以上かかると言っていた理由は見てみれば明らかであった。
 銅板で焼いたパンケーキは近ごろの流行りのプルンプルンだとかポヨンポヨンといった擬音が似合いそうな生白いパンケーキではなく、しっかりと厚みと安定感を以て屹立したそれであり、頂点に置かれたホイップバターがじゅわりと生地に染み込もうとしている。絵や写真といった媒体でしか目にしたことのないような厚みと輝きの城塞は実に美しく、傍らに添えられた黄金色の蜂蜜とベリーソースもまた、このそびえ立つパンケーキに自らを垂らしてくれと言わんばかりの輝きで、今か今かとその時を待ちわびている。その要望に答えるようにソースと蜂蜜をかけて、パンケーキにナイフを突き立てる。パンケーキの生地にナイフを突き立てる感触と音。いつだったかのお茶会ティーパーティーが脳裏によぎった。あの時に添えられていたのは蜂蜜ではなくメイプルシロップだったなという回顧をしつつも、口にそれを運ぶ。甘ったるい。蜂蜜が売りの店だからレモネードも、パンケーキも……いや、正確にはパンケーキ甘ったるくはない。ただ添えられているソースも蜂蜜もひたすらに甘い。蜂蜜が添えられているそれにしなければよかったという一抹の後悔が脳髄を甘さで焼く。罪だと思っていた感情は、今や食べ放題のものだ。甘ったるい感情をつみ・・重ねて、それを口に運ぶような日々。パンケーキを切り分けたナイフに映り込んだ自分の顔はなんとも云えないような渋面で、決して幸せを享受している顔ではなかった。それが少しばかりおかしくて、乾いた笑いが口から漏れ出た。

「『汝が耽る享楽は生の証』だった、ッスかねぇ。……今が悪いとは思っていないんスけどね」

 あの日の告解ティーパーティーのことは、覚えている。あの日自分が抱き、告白した罪。それは時を経てきっちりと結実して今目の前の自分にぎっしりと詰め込まれていることだろう。
 自分で判断して、自分で行動して、自分の感情で動いて、自分でケリを付けて。そうやって機械としてヒトの道具になるのではなく、自分で生きるということを択びとったのは自分だ。イルミナだ。かつて罪だと認識したものをめいいっばい抱えながらもその幸福つみを味わっている。 
 自由という地獄、という言葉がどうしても記憶に残る。感情が、心が、自由がつみ・・だというのならば、ばつ・・は自由という地獄で生き続けることだろうか。自分のみを焼き続けるもしかしたら、だとかこうしておけばよかったのではないか、といった後悔は負の方向の期待としていつも演算されては正しく負と認識され、期待通りの結果を出す思考回路に二重丸のマークを記す。自分の中でただただ半端な感情の切れ端を持て余したままぐちゃぐちゃに詰め込んだような気分だった。
 別に、この日常が続いてほしくないのだと言う話では一切ないし何ならこの何事もない日常は一生続いてほしいと思うくらいだ。しかながら、胸を張って「今が幸せだ」と断言できない。その理由はどうしても明確だった。忘れられないのだ。
 自分Iが人間ではなく機械だということも、誰かの言いなりになったり、思い通りになるのが嫌だとしても、プログラムAIはそこに喜びを感じていたのだ。たとえそれがそういう用に作られていたのだとしても、誰かの命令で喜ぶ、という機械的本能を下敷きに自らの人格が形成されていることには一切かわりがないわけで。
 自分がそれ感情とかを知らずにありのままの機械として存在していたならば、今のこのような終わりではなく、もっと違う終わり方も存在したのかもしれない。そうやっていくつものかもしれないifを演算し続ける。いくら演算しようが、可能性を考えようが、現実が変わることはないのだとしてもぐるぐると考え込む姿はとても感情的なそれだ。ぐるぐる、どろどろと脳みそは重たく甘く撹拌される。それは、口に運んだ甘ったるい蜂蜜によく似ていた。風は心地よいのに脳髄ばかりがキンキンと甘さを訴えて視界はオーバーヒートしたときのようにふらつき、眼前がくらくらとする。幸せばかりが、ご褒美ばかりが。そればかりが積み上がっていくのだ。自分がそれでいいのか? 本当に許されるべきなのか? そう思って――言葉がよぎる。もう何があっても関係ないのだ、と自分の背中を後押ししてくれたそれが。

「……ほんっと、ままならないっス。けれども」

 その心地よい風がイルミナの髪を揺らす。
 この甘さと罪を重ねてきるのがヒトであり、自分がその道を選んだのだ。本来なら感じなくてもいい苦しみや、悩みを抱えてでも自分で生きる道を進むと決めたのだ。ならば、罪も、幸福も、抱えて生きていこう。それが道具から人になることを選んだ自分イルミナなのだから。
 ひとちつつ、もう一回パンケーキにナイフを突き立てる。終わっても悩む。後悔する。それも仕方ないことだし、それも生きるという行動の一つだ。なれば、こうやって偶に罪の重さに潰れたり後悔する時があってもいい。そして、それでも甘く生きたっていい。選択をしたのだ。そして、選択をさせたのだ。生きるという道を択び、選ばせ、そしていまここにいる。たとえ選択への冒涜だとしても偶には後悔に潰れたって悪くはない。となれば懺悔の部屋は、そのための場所だったのだろうか。そんなことも少しばかり思いながらパンケーキの欠片を口に運んだ。
 
 蜂蜜とバターとベリーソース。パンケーキは美味しかったのに、後悔ばかりを重ねて積み上がったそれはやはり甘ったるくて、少し気持ちが悪かった。

  • ハニー・バター・スイート完了
  • NM名玻璃ムシロ
  • 種別SS
  • 納品日2023年06月30日
  • ・イルミナ・ガードルーン(p3p001475
    ※ おまけSS『後悔の味は想定の三倍くらい甘いそれ』付き

おまけSS『後悔の味は想定の三倍くらい甘いそれ』

 イルミナは後悔していた。
 ありとあらゆる面で今日のことは失策だめが過ぎたのだ。寮の寝台でゴロゴロ転がりながら今日のことも、今日の食べ物も反芻していた。
 ひとつめ、明らかに量が多すぎた。そう、パンケーキにレモネード。糖分も多すぎたがそもそもパンケーキも極厚のが二枚。明らかにイルミナには多すぎた。昼間は食べられるつもりだったし実際一人で食べきった。しかし少しばかりの胸焼けとはちきれんばかりの胃。腹ごなしもだが夕飯をそこに後から詰め込むといった状況に対して苦しい点が生まれたのは当然のことだろう。
 ふたつめ、普通に高かった。勢いだけでぼんやり頼んだが、今日のパンケーキとレモネードだけで学食で何日分だっただろうか。特異運命座標であるし、お財布のことを気にするのはいけないかもしれないけれども。それでも学生の領分で気軽に手を出せる値段と量じゃなかった。周囲はカップルや友人連ればかりだったのに自分ひとりだけでレモネードとパンケーキトを食べて、二千円は飛んでいった。たぶん大学生とかなら違ったのかもしれない、なんてことを少しばかり考えて枕に顔を埋める。
 みっつめ、これは本当に家に帰ってきても後悔している。同じような味のものを頼んでしまったこと。そして、それがすごい甘かったこと。もう少し、こう、別のものを頼めばよかったと思ってしまった。例えばあれが甘くないコーヒーや紅茶ならもっと味の感じ方も違っただろう。少なくとも、甘さでキンキンになったりはしなかったはずだ。

 そうやって考えているうちに、その検討はまた行く前提だと気づいて。
 イルミナは笑った。

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