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苺のケーキと君の笑顔
登場人物一覧
そよぐ風は湿気を帯びてジェックの頬を撫でていく。
新緑の匂いを感じながら、煌浄殿の最奥、三の鳥居の前でジェックは立ち止まった。
何時ものように鈴を鳴らそうとした少女の手の平に白灯の蝶が止まったのだ。
白灯の蝶はジェックを案内するようにひらひらと舞い上がる。
「入っても良いのかな?」
肯定するように誘う真珠に連れられ三の鳥居を潜ったジェック。
「明煌、居るかな?」
本殿の玄関で掃除をしていた実と真にジェックは尋ねる。
「こんにちは、ジェックさん。明煌さんは寝室にいます。案内しましょうか」
「うん、お願いするよ」
先導する実に連れられてジェックは明煌たちの寝室へやってきた。
耳を澄ませると中から心配そうな明煌の声が聞こえる。
どうやら、廻が体調を崩しているらしい。
「明煌さん、ジェックさんがきてますよ」
「え? ジェックちゃんが?」
慌てた様子で襖を開けた明煌は、目の前に現れたジェックに戸惑っているようだった。
「えっと……ごめん、廻が落ち着くまで待って」
寝室へ視線を移せば、苦しそうに息をしている廻が見える。
泥の器にされた影響で、どんどん体調が悪くなっているらしい。それを明煌も心配している。
「うん、何か手伝おうか?」
「あー、じゃあちょっと見ててくれへん? 熱あるから冷やすの取ってくるわ。あと真を呼んでくる」
「まかせて!」
自分になら預けて良いと思ってくれているのだと、明煌からの信頼を感じるジェック。
実と共に廻の様子を伺いながらジェックは思考の海を漂う。
――アタシがなんとかしてあげる。
そう言ったのはジェックだ。
けれど、未だ決定的な解決方法は見つかっていない。
歯がゆさで目の前が曇る。
暁月のことも廻のことも全て背負い込んでしまう明煌が、何処かで潰れてしまうのではないか。
そんな不安がジェックの心を覆い尽くすのだ。
ふと視線を上げれば、廻が掠れた声で何かを言いたそうに唇を動かしていた。
ジェックは耳を廻に近づける。
「明煌さんの、おたんじょうび、お願いします」
初めて迎える明煌の誕生日を祝いたかったけれど、起き上がれそうにもないから。
廻はジェックに願いを託す。
「うん、大丈夫。いっぱいお祝いするから安心して」
「ありがとうございます。ジェックさんが来てくれて良かった……」
其れだけ言い終えて、廻は眠りに落ちた。
明煌の誕生日が寂しいものにならなくて良かったと嬉しそうに微笑む廻。
「ごめん、ジェックちゃん。ありがと。あとは実たちに任せれば大丈夫だから」
折角、友達が来てくれたのだ。出来る限りの歓迎はしたいと明煌は考える。
尤も殆どと言っていいほど、煌浄殿の本殿へ人が来ることは無いから、どうしたらいいものかと明煌はジェックを見つめながら熟考した。
「明煌、怒ってる?」
「え? いや、違う。その……何すればいいのか、って考えてる」
きょとんと首を傾げるジェックに明煌は難しそうに眉を寄せる。
「あんま人来へんし……お茶とか淹れた方がいいんかなって」
寝室の襖を閉め居間へとジェックを連れて行く明煌。
部屋の隅に置いてある座布団を畳の上に二枚重ねて敷く。
「何で座布団二枚なの?」
「えっ、母さんがそうしてたから、女性は座布団が二枚必要なのかと思って……」
くすりと微笑んだジェックは「じゃあ遠慮無く」と重ねた座布団の上に座った。
――――
――
他愛の無い話というものは明煌にとって難しい。
それでもジェックという少女は自分の言葉に耳を傾けてくれる。
まだ慣れてないけれど、お茶を美味しく淹れる方法をネットで見て実践した。
少しぬるめの湯で淹れると緑茶は美味しくなるらしい。
紅茶の方が良かったかと問えば、ジェックは「緑茶も好きだから」と笑みを零す。
不機嫌にならない相手というのは、心地が良いものだと明煌は思った。
「ねえ、明煌……少し目を瞑っててくれる?」
「うん? ええけど」
ジェックの提案を素直に受入れる明煌。
ガサゴソと何かを取り出す音が聞こえる。食卓の上に置かれた何か。
何をしているのだろうと興味はあるが、ジェックが目を瞑って欲しいと願うのならそれを破る訳にはいかなかった。破るのは簡単だけれど、信頼を壊すのは嫌だったから。
「もう、いいよ」
「うん……」
そっと目を開けた瞬間に、明煌の目の前で「パンッ」と音が弾けた。
「――うわ!?」
目を白黒させた明煌の頭にヒラヒラとクラッカーのリボンが被さる。
「ふふ、ビックリした?」
悪戯な笑みを浮かべるジェックに明煌は「お前……」と安堵の溜息を吐いた。
「夜妖か何か来たんかと思った……焦ったわ」
頭のリボンを取って、明煌は悪戯なジェックを見遣る。
楽しそうに笑う少女につられて、明煌の心も高揚した。
「……お誕生日おめでとう、明煌」
「あ……、そうか。今日誕生日やったんか。だから、クラッカー?」
誕生日を祝われるなんて欠片も思っていなかった。
というか自分の誕生日が今日だということを明煌は忘れていた。
そうなれば、この目の前にある箱は――
「じゃーん! 誕生日ケーキだよ。ちゃんと名前も書いてもらったんだ」
苺が乗った小ぶりのホールケーキが箱の中から出てくる。
チョコレートプレートには「あきらくんおたんじょうびおめでとう」と書かれていた。
「子供や思われてるやん、これ絶対」
「大丈夫、ローソクは3を2つにしたんだ。予備にって貰ったから」
言いながら、3のローソクを2つケーキに差すジェック。
幻想国にある有名なパティスリーで手に入れたケーキはジェックのお気に入りだった。
「すっごく美味しいから。期待してて」
「それは楽しみやな」
ローソクをケーキに差したジェックは紙袋を覗き込んでから振り向く。
「……明煌ライター持ってる?」
ケーキを手に入れたことに満足してマッチを忘れていた。
「火忘れたんか……自分で火つけるん? これ」
くすくすと二人で笑いながらローソクに火を着ける。
「こういう時って歌うんだっけ?」
「いやー、恥ずかしいから止めて……? ジェックちゃんの歌声は綺麗やろうし、俺の為に歌ってくれるのは嬉しいけど。ちゃうねん……」
三十三の大人の男が、ケーキを前に天使のような少女に歌で祝われている絵面に赤面してしまう。
単純にお祝いされることに照れてしまうのだ。
けれど、ジェックがわざわざ煌浄殿にまで来て、誕生日を祝ってくれるなんて思ってもみなかった。
明煌はほっとした表情で、ローソクの火をふぅと吹き消す。
ぱちぱちと拍手をしてくれるジェックに子供の頃、母がそうしてくれたのを思い出した。
煌浄殿の主となってからは不要だと断った誕生日の祝い。
誰かに祝われることがこんなにも嬉しかったのかと明煌は目尻が熱くなる。
「キミが生まれてきてくれて、キミと出会えて、アタシは嬉しいよ」
「……ありがとうジェックちゃん、俺も今すごい嬉しい」
本心が見えない事の多い明煌だが、この言葉に偽りは無いように思えた。
だから、どんな苦難が目の前に立ちはだかろうと何とかしてみせる。
この笑顔が、ずっと続いてほしいから。
ジェックはケーキを上機嫌で切り分ける明煌を見ながらそう思ったのだ。