PandoraPartyProject

SS詳細

提灯百合の思ひ出

登場人物一覧

ルーキス・ファウン(p3p008870)
蒼光双閃
ルーキス・ファウンの関係者
→ イラスト
ルーキス・ファウンの関係者
→ イラスト


 ――それは、提灯百合が揺れるの季節のことだった。
 リーベル・ファウンの育った幻想王国ではサンダーソニアと呼ばれるその花は遠く離れた異国の召喚バグで飛ばされた地でも咲いていて、リーベルは嬉しく思った日のことを思い出す。後から聞いた話では、この集落に根を張った同じ境遇の者が偶然種を持っていたそうだ。梅雨時の長雨で外に出れない日が続いても、窓から揺れるオレンジ色の鈴型の花を見れば心が和らげてくれる。サンダーソニアの温かなオレンジ色をリーベルは愛おしく思っていた。
 その花が紫陽花と仲良く咲いている頃、とある男がリーベルの住まう集落へと訪れた。男は豊穣内この国の村々を渡り歩き傭兵を生業としている男で、集落の長等の求めに応じて仕事を請け負ったのだそうだ。
「リーベル、暫くの間、彼の世話を頼めるかな」
 見た目は少し怖いかも知れないけれど、悪い人ではないよ。
 話を持ってきた長の顔を思い出しながら、リーベルは眼前の男を見た。
 白い長髪に赤い瞳、黒い角――この国では獄人と呼ばれる鬼人種の男は確かに硬い……険のある面持ちをしている。体格は大柄で、小柄なリーベルからすると大人と子供程に離れており、眼前に立たれれば得も言えぬ重圧感を感じてしまう。
(けれど、どうしてかしら)
 リーベルの瞳に、彼は『怖い人』として映らなかった。
 傭兵という存在は荒事を扱うからか、往々にして荒々しい存在が多いと聞いている。……『聞いている』と言うのは、少女の頃にこの地に飛ばされて数年、同じ境遇の周囲の大人たちが守ってくれて、危なげな男が集落を出入りする時はリーベルをしっかりと隠してくれていたため、リーベル自身がそういった者たちと接したことがないからだ。
(……なんだか少し、寂しそう)
 険のある鋭い赤い目は、本来なら畏怖をいだくものなのだろう。けれどもリーベルはそう思った。まるで早くから人生を達観し、どこか諦めて生きている様な――そんな印象を抱いたのだ。
 お任せ下さいと引き受けたリーベルが為すことは、男――空木うつぎの身の回りの世話だ。彼が泊まる住まいは別に用意され、そこへ飯を持っていったりたらいに湯を張ったりと、必要とされる世話だけをすればいい。
 怖かったら家の前に飯だけ置いておくだけでもいいと長も空木も言ってくれていたが、リーベルは「村のために働いてくれているのですから、温かいご飯を食べてもらいたいわ」と彼の仮初めの住処へと毎日通った。

「今日はね、お芋を頂いたから煮っころがしにしてみたわ」
 最初の数日は敬語で接していたリーベルであったが空木から普通に接しろと言われ、今では『さん』も付けずに名を呼び、集落の他の人に接するように接した。
 空木からの返答は「ああ」や「そうか」が多かったが空返事な訳ではなく、リーベルの言葉を聞いた上で相槌を打ってくれていることもリーベルは知っていた。最初に思った通り、見た目のように怖い人ではなかったのだ。
 リーベルは毎日彼の元へと通った。
 最初は届けるだけだった飯をふたりでともにするようになるまでそう長くは掛からなかった。夕方に彼に飯を届け、翌朝に朝食とともに夜の分を下げるのなら、一緒に食べてそのまま食器を下げて洗ってしまったほうがリーベルには楽だったし、誰かとの食事の時間というものはリーベルにとってもとても楽しいひととときであった。

「あの花が咲いている土地を他にも知っているの?」
 この集落の者たちのように召喚バグで飛んできてしまった者が持ち込んだのか、渡り鳥が持ち込んだのか。其れは知り得るところではないが、たしかに見たことのある空木は「ああ」と返した。
「ねえ、その土地の話を聞かせて? そこへはどんな仕事でいったの?」
 短な受け答えばかりだった空木だったが、リーベルとの時を重ねる度に彼からもいつしか言葉が続くようになった。リーベルが求めるままに『外の世界の話』をしてくれる。
 この国――豊穣郷カムイグラの首都は高天京たかあまのみやこであること。
 種族はふたつ。獄人と八百万。其れ以外の種族は『此岸ノ辺しがんのほとり』に召喚された者たちだ。……リーベルも山奥にある祠へ強制召喚されたひとりで、同じように召喚されてしまった人々とともに生活している身だ。
「確かこの国の古くからある言葉で……獄人は空木のような角のある鬼人種で、八百万はツクモカミで……精霊種、よね?」
 それじゃあ私は? とリーベルが自身を指さした。
「お前は『徴無しるべなし』だ」
「特出した特徴がないからかしら?」
「きっとな」
「それじゃあ他の種族は?」
 獄人は豊穣にしかいないが、他の種族は豊穣以外にも居る。この国に飛ばされる前にリーベルが居た幻想は人間種が主とした国だが、沢山の種族を目にしてきた記憶があった。
「好奇心が強いな」
 気になったことをリーベルは沢山聞いてくる。村の外の世界の話は新鮮で、それが彼の感性で、彼を通して発せられるのがまた良かったのだ。
「何よ。いいことでしょ?」
「好奇心は猫を殺す」
「どういうこと?」
「この国のことわざで、災いにも成り得るから好奇心を持つのもほどほどにしろってことだ」
「他の外から来た人にはこんなに聞いたりなんてしていないわ」
 あなただけだものとリーベルは頬を膨らませた。
 空木がどうだかと揶揄って笑う。空木にとってもリーベルとの時間は、いつしか心が軽くなるものとなっていた。
 彼女の前では空木は獄人ではなく、ただの男になれる。集落から出ない娘は何色にも染まっておらず、種族差別をしない無垢な瞳で『ただの空木』として見てくれた。蔑む色も、傷を舐め合うような色もない、ただ純粋な好奇心。それは空木にとっての慰めとなった。

 リーベルは針仕事が得意だ。
「ほつれているわ、空木。いつもご苦労さま」
 彼の衣のほつれに気がつくと、縫っておくから貸して頂戴と手を差し出してくる。
「そこまで世話を焼かなくて良い」
「あら。あなたは村のために働いてくれているのよ? これくらい当たり前だわ」
 白魚の手は波間を泳ぐようにするすると針と糸とを操って、あっという間に顔を寄せたリーベルがぷつりと奥歯で糸を噛み切って、その短くも安全な旅を終える。
「いつか、あなたの着物を縫わせて貰えたら嬉しいわ」
 その言葉に空木は瞠目して彼女へと視線を向けた。
 リーベルは頬を染め、揺れる瞳で空木を見つめていた。
 揺れる瞳の青が海のようだと空木は思った。
 吸い込まれそうな程に見惚れる、青。

 ――いつか、あなたと夫婦めおとになれたなら。

 空木の眼差しに、意味を正しく理解してくれたのだとリーベルは感じていた。
 赤い瞳の奥に感情が揺れているのを見つけ、互いに瞳が逸らせない。
 瞬きすら惜しむように見つめ合い、ふたりの間の床に置かれた指と指とが絡み合った。
 そうして、ふたつの影がひとつになる。
(……嬉しい)
 重なった唇に、リーベルは確かに幸せを感じていた。
 世渡りに慣れた空木が本気でも、一時の気の迷いでも構わない。胸に灯った初めての恋慕は乙女の判断を鈍らせる。恋という熱病に浸る頭は、それでもいいと告げていた。今この瞬間のリーベルは幸せで堪らなかったから。良い年をした大人の男と、初心な村娘。村々に女が居るのではという思いも、今この時は思い浮かばなかった。
(この時が永遠に続けばいいのに)
 ……けれどそうならないことも、リーベルはよく理解していた。
 空木は村々を転々とする流れの傭兵で、リーベルは地に根を張った村娘。このひとときは有限で、空木が集落に滞在している間しか続かず、いずれ別れは訪れる。
(それでも、私は――)
 心も体も、彼を欲していた。
 もっと近くに居たいと欲し続け、重ねる日々の中で互いの熱を分け合うように肌をも重ねるようになった。

 夏が終わり、木の葉が色づくよりも前、空木は集落から去った。
 次の依頼を他所から既に決まっており、移動のためにも仕事が終われば速やかに立ち去るのが常である。
「空木……」
 集落の出入り口までひとりで見送りに来たリーベルからは「また戻ってきてくれる?」などといった言葉は溢れぬし、空木自身も「また来る」とは告げない。空木は流れの傭兵で、傭兵というものは荒事に接する身。いつ命を落としてもおかしくはなく、また村々を移動するため近くにいつ来られるかも解らない。
 空木は何も告げず、リーベルの腕を引いた。小柄な身体が腕の中に収まり、その心地の良いぬくもりに一度瞳を伏せる。
「リーベル。これを」
 彼女から一歩身を退いた空木は、懐からお守りを取り出した。神仏へ縋るような性質たちではないが、霊験あらたかだからといつからか所持していたものだ。
(リーベルを守ってくれ)
 己を守るより、彼女を。
 願いを籠めたお守りを渡し、踵を返す。その後はもう振り返らず、空木はリーベルの元から発ったのだった。

 秋が深まった頃、リーベルは異変に気がついた。
 月の忌みが来ないことにもしやと思ってはいたが、酷い吐き気――悪阻が来たのだ。
(此処に、私と空木の子が――)
 ああ、神様。子を授かったことへの喜びが胸を満たし、空木を思ってお守りを握って腹を撫ぜた。
 集落の長を始めとした立派な大人たちは、子を産むことに反対した。誰との子かなぞ誰もが知っていたから、リーベルのことを思ってのことだ。リーベルもそれを知っていた。けれどリーベルは産む決意を既に固めていた。
(空木はきっと戻ってくるわ。――ひとりでも私が立派に育ててみせる)
 そしていつか彼が戻ってきた時に驚かせてやるのだ。
 もう子供扱いしないでよね、なんて笑って。

 ある時、空木は反物をリーベルへと贈った。
 流れの商人から購入したもので、鬼人種だからと足元を見られた値段であったが、空木はその『瑠璃雛菊に似た色に染められた』反物をひと目で気に入った。――その青がリーベルの瞳を思い出させ、彼女が着物に仕立てたらよく似合うと思ったのだ。
 人伝に受け取ったリーベルは、その反物で彼に忘れられていないことを知れた。
 移動し続ける空木へ返事を返す手段はリーベルにはない。ただ『いつか』を信じて、大きくなった腹を抱えて針と糸とを手に取った。自分へと贈られた反物だけれど、産着に使うことを決めた。彼との子なのだと、彼が見た時にひと目で解るように。

 提灯百合が咲き出した初夏のある日、子が生まれた。リーベルによく似た顔立ちの男児であった。
 髪が生え、瞳も開くようになれば、一層リーベルに似ていた。
「……お父さんには似なかったのね」
 初めて瞳の色を見た時、リーベルは少しだけ残念そうにそう呟いた。
 けれど彼の面影が無くとも、愛しい我が子であることには変わりない。リーベルは慣れない子育てに奮闘し、集落の人々も優しく彼女を見守った。
 そんな日がずっと続くのだと思っていた――ある日、リーベルが失踪した。まるで隠されるように茂みに残されていた子は、集落の人々の手によって育てられることとなる。

 子――ルーキスは元気な男児であった。
 リーベルの『忘れ形見』として集落の人々は彼を育て、ルーキスも父や母のことを知らずともスクスクと育った。ルーキスの着物は成長に合わせて着られるようにとリーベルが予め用意していたから、困ることはなかった。
 ――そんなある日のことだった。
 空木が再び集落へとやってきた。
 真っ直ぐに、リーベルの家へと向かう。
 その足に、ドンと何かが当たった。
「わっ、ごめんなさい」
 金色の髪に青い瞳。瑠璃雛菊に似た色の衣を着た男児が尻もちをついている。
 ――ひと目でわかった。その子供がリーベルの子であると。
 瞬間浮かんだ言葉は『世帯を持ったのか』ということだった。
 だが、所帯を持ったのなら、己が贈った反物で子供の着物を作るだろうか――。
 答え合わせをするべく長の家へと向かうと、全ての『事実』を識ることとなった。
 あの幼い子供は己とリーベルの子で、リーベルは……獣に襲われたのかも知れない、と。
「……あの子は俺が引き取る」
「だが」
 空木は流離う傭兵の身。子育てには向かない。
 それでもと空木は譲らず、ルーキスを引き取り村を出た。
 傭兵稼業や護衛業を廃業することになるが、それが己の責任だからと――。

 父と子――師匠と弟子の暮らしは、ここから始まった。

PAGETOPPAGEBOTTOM