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その揺籃から手を掴んで
登場人物一覧
●893日目
鳥のさえずりで目が覚める。
昇る朝陽も教会の中には届かず、至る所に天井や壁から剥がれ落ちたのだろう瓦礫が転がっている。寝床としていた木製のチャーチベンチから起き上がれば根本が腐り始めたか、軋む音が鳴りやまない。
外套を羽織り、身支度を済ませ仮面を着けて完了。
何時も様に日常の如く、この世界に降り立った時から世話になっている廃れた教会から出ていく。
自分でも驚くぐらいに心は凪いでいた。
激情に駆られる訳でも、怒りに身を任せて飛び出すという事も無い。
平時と同じく住処に戻り、体力保持の為に仮眠をとる。依頼に向かう時の準備も変わらず行った。同行する仲間達とも問題無く相談を進められた筈だ。
己の中の怒り。生きる理由であり、成す為に世界までも跨いだ。それが遂に手が届く所まで来ているというのに、俺はいつもと変わらずに依頼へと向かうというのか。
否、だからこそなのだろう。怒り故の焦りも、悦び故の高揚も、脳も心も身体も、全ては目的を果たすのが当然と理解しているのだ。
外に出て振り返り、教会を見上げる。
二度と此処に戻ってくる事も無いかもしれない。誰からも忘れられた場所、手入れされることもなく風化し、何れ外観も崩れて此処に在ったという事も忘れ去られるのだろう。言わば、自分と同じで既に役目を終えた存在だ。
だがそれで良い。終わってしまったのなら舞台から降りるべきであり、次に繋ぐのが普通なのだ。
視線を前に戻し、止まっていた足を再び進めていく。
感謝しよう世界よ。
今だけは礼賛しよう、この世界で見下ろしているであろう神よ。
この憎悪を劣化させずに来れた事を。他の誰でもない、この俺……オライオンの前に現れようとしてくれる事を。生きる屍であった俺に目的を果たさせてくれる事を。
以降、止まらずに、その足は前へと進み続けた。
●
「(随分と長く歩かされた先が、こんな廃墟とはね……)」
苔むした外壁、植物の蔦が円柱に沿って伸びている。情報屋から、簡単な地図だけ受けとって出てきたは良いものの、未だ開拓の終わっていない土地だからだろうか、記載されている地形と変わった所ばかりで頼りにならない。
近辺で見つけた小さな村でも中々情報は集まらず、仕方なく地道に歩いて探索を進めた結果なのだ。
「(確かにこんな所でも身を潜めてなきゃ、あんな黒づくめの恰好じゃ怪しまれるだけか)」
浮かんだ姿が朧気なのは、共に依頼をこなした事も無ければ、会話を交えた事もあったかどうかという極めて薄い接点しかなかったから。それこそ、同じ特異運命座標であるぐらいしか思い当たらない。
なのにどうしてこんな所までやってきたのかと問われれば、コルネリア=フライフォーゲルは答えるだろう。
「墓荒らし、みたいなものかしら」
とある依頼の中で命を落とした特異運命座標の軌跡を辿り、そこに在るべきであろう遺物を添えてやるために。
錆ついて滑りの悪い扉を押し込んでやれば、役割を果たしていない錠前がガラガラと揺れて静寂の中で来訪を知らせる。
明らかに人の手が入っていないであろう廃墟の中は、とてもではないが長時間過ごす場所では無くなっていた。
「(少なくとも、魔物に襲われて……とかでは無さそうねぇ)」
血痕の染みも、武器等に拠る破壊跡も見られない。経年劣化な物が殆どであった。
瓦礫片をどかしながら進むと、一際広い空間に出る。窓は割れ、カーペットは破れてカビで変色している。椅子や祭壇は老朽化と隙間から入ってくる雨風で腐っている。
管理が行き届いていれば立派であったであろう聖堂は最早見る影も無くなっているが、微かに過ぎる違和感。
「ふぅん……」
僅かに感じられる、誰かが存在していたであろう痕跡。気配。
身廊を進み、脇に見える扉を開くと、小さな部屋の中にぎっちりと並ぶ本棚と簡易的な机と椅子。奥には何も置かれていない棚も見られる。祭具室だろうと予測されるそこにも感じられる違和。
触れれば崩れてしまいそうな本の列は、所々穴抜けも見られた。祭具含め、盗人が入って持っていたのであろうと予測される。
「(売っても二束三文だろうに)」
辺境の教会に金が潤沢にあるとも思えない。置いてある大半が代用品、贋作と言っても良いだろう。
暫く見て回った後、机に置いてある小さな冊子に気づき、手に取って開く。
あぁ、漸く見つけた。
確かに彼が此処に居たのだと証明できる物が。
頁を捲りながら、心中を土足で上がり込む申し訳無さと同時に感じていた違和の紐も解かれる。
「何よ、捨てたって聞いてたのに」
身勝手な自分事ではあるが、何処か安堵したのだ。
捨てたと聞いていた、復讐と憎悪の彼方に立つ彼が、人間の感情を捨てきらなかった事に。
偽善と分かっていても、あの時、人質を救った彼は確かに存在したと理解できたから。
●892日目
依頼の前日、祭具室に設置されている椅子に腰かけ、ランタンに火を灯す。机に置くのはこの世界に来訪してからつけている手記。依頼の事、どのような敵と対峙したか、他愛の無い日常。そして妻と過ごした日々について。
人とは揺らぐもの。
忘れたくなくても、脳裏に焼き付いていたとしても、その記憶は薄れてしまうのだ。
彼女との出会いや笑顔も日が経つごとに朧気になっていく。
愛していた。大事にしようと決めていた筈だった。
暖かい気持ちが全て憎悪に塗りつぶされてしまう。
だから、せめて文字に起こして遺しておこうと思ったのだ。誰の為でもない、自分が何のために生きているのかを形にしておく為に。
この世界に来てからの事。
同業者達や、興味深かった所。
美味だった食べ物や、聖夜の催しで貰ったクッキーが勿体なくて結局開けられず、ダメにしてしまった事等、些細でも書き起こした。
堕ちた俺に怒る君を、宥めて言い訳を考えるみたいに必死に、日常を掻き集めて。
●
一通り目を通した手記を机に置く。
これとは別、オライオン捜索の際に見つけた手帳には、几帳面にも依頼の集合時刻や場所、仇への手がかり等が細かに記載されていた。その他にも、空いたスペースには端的な言葉でその時あった食べ物や出会いについて残されている。
そして最後の頁に記載された「ここに来て」という文言。これだけ筆跡が違うのだ。機械的に記された、癖の無さ過ぎる文体。
兎も角としてこの手帳を元に、此処で纏めたものなのだろう。
「(わざわざメモまでして律儀なことね……)」
あぁ、だが否定は出来ない、出来るわけがないのだ。
「アタシも、同じだもの」
コルネリアが今まで自分が手にかけてきた者達の名前を記録しているのと同じ。忘れたくないから。
贖罪の仕方が分からなくて、祈る資格もないからせめて遺すのだ。
名を、生きていたという事実を。命を奪った現実を己に焼き付ける。
コルネリアは生者の軌跡を。
オライオンは死者への手向けを。
自罰の苦しみと忘却への恐れ。それぞれ目的は違えど、何かをこの世界に置いておきたかったのかもしれない。
「嫌な共通点」
独り言ちるも反応する者は居ない。筈であった。
気配がする。明確な何かの意思。
警戒を怠った訳ではないが、結果として背後を取られたのであれば己の責だ。
呼吸を整え、思考をクリアする。息を吸ったと同時、地を蹴って横っ飛びに転がる。
片膝立ちの体勢で銃口を気配の方向へ突きつけて、その正体を暴こうと視界に収めようと。
それは揺らめく影。
触れられずの蜃気楼。
チリチリと燃ゆる姿は嘗ての気高き白き獅子。
「アンタは……消えたんじゃなかったの」
オライオンが契約していた悪魔、ネメルシアス。
術者の死亡に拠って消えた筈の魔導書の獅子は、静かにコルネリアを見詰めていた。
「いや、もう消えるのねアンタ」
確証は無いのだが、手帳の最後の言葉はこの獅子の物に思えた。物言わぬ故に、実際にはわからないのだが。
「(そうだと、思うしかないじゃない……)」
敵意を感じられず銃を降ろすのは、ローレットの情報で彼の使い魔のデータと姿が一致していたから。
魔導書は契約者の命が尽きると同時に消え、眼前の獣は正にこの世界から退去しようとしている。元来、この世界の理から生まれた存在ではない。術者が消えれば、同じく消える。考えれば理解できるだろう。
「アタシを此処に招いたのは、アンタ?」
掠れた咆哮を肯定を受け取り、視線を逸らす。
まさか看取る奴が増えるなんて思ってもいなかった。なんともうれしくないおかわりだろうと溜息をつく。
すると、その場から動かずに此方を見詰めているだけであった獅子がのろのろと此方に寄って、足元で小さく鳴き続けてきた。
今まさに尽きようとしている命は、何を此方に訴えかけようとしているのか。コルネリアはどうしようもできないもどかしさで頭に触れたその時、脳裏に何かが流れ込む感覚で意識が数舜飛んだのだ。
●そしてその時がやってきた
この手で終わらせた。
やっと、終わる事ができる。
これで俺も、眼前の肉塊と等しく同価値、動く屍に戻ったのだ。
先の事も見ずにひたすらに追い求めてきた妄執は、晴らしてしまえば跡形も無く消えており、残された虚無感は未だ危険な建物内でも、その場から動く気を起こしてはくれなかった。
あぁ、見てしまった。
目に入ってしまった。
叫びを聴いてしまった。
どうして俺は。
「これは……」
脳裏で浮かぶ情景、それは男の最期。
復讐を果たし、生きる意味を終わらせた者の姿。
コルネリアが実際に見ている訳では無い、これは傍に立っているであろう獅子の記憶だ。
落ち着け、生きたいか、生きたいのであれば、最後のその時迄、希望を捨てるな。
声を掛けているオライオンも酷い怪我だ。既に手遅れとも見れる傷は最早どんな処置も間に合わないだろう。
人質の女性達を一か所に纏めながら、未だ稼働するゴーレムを迎撃する。獅子も応戦するが、そも、オライオンの魔力が底を尽きかけている。護りながら破壊なぞできるはずも無い。
『ネメルシアス』
呼びかけてくる主人の声はこの状況でも落ち着いて、はっきり通る声であり。
『友よ、同志よ、お前との契約を此処で切る。その上で頼みがある。彼女達を背に乗せて此処を脱出してくれ』
獅子に宿る魔力が増幅する。オライオンがその生命力をも魔力として送ってきていた。
あぁ、契約者が朽ちればその瞬間に己は消えてしまう。
だからその前に、契約のラインを切って防ぐというのか。
実際にどうなるかわからない。魔力関係無く消えてしまうのかもしれない。
消えなかったとしても、魔力の補給ができないのだ。遠くない内に同じ運命となるだろう。
それでも彼は、この愚直な神父はこんな状況であっても。
契約で繋がれている己さえも救おうとしているのか。
『よかった、成功だ』
『さぁ、行け。偉大なる獅子よ。気高き悪魔よ。この矮小な存在に対して、よくよく働いてくれた』
『お前は、自由だ』
『生きろ、悔恨の果て等の為ではなく、本当の貴様として駆けるんだ』
駆ける。背に乗せた人質を落とさずに最短の道筋を。
ゴーレムを突き放し、瓦礫を避け、一目散に出口へと。
僅かに感じられた
そして漸く、咆哮が求めていた青空に響き渡った。
●この素晴らしき世界を、もう一度
視界が戻る。足元に寄ってきていた獅子は、再び間をあけて座って此方を見詰めている。
「そうか、生きたいのね。アンタは」
最期を待っていた訳では無い。生を願われた悪魔は、必死で生きようと世界に抗っていたのだ。
「記憶を覗き見て……同情する訳でも、情けをかけたい訳でも無い」
そうだ、コルネリア自身の根底に在る、成りたい自分。
『救われぬ者に、救いの手を』
「誇りも優しさも無く、この汚い手でも、アンタは良いのね」
獅子の瞳はじっとコルネリアを離さない。
「いいわ、来なさい。また外で暴れまわれるかまではわからないけれど……」
折角命を繋いだんだ、上手く使ってあげるわ。
咆哮と共に光の流砂となった悪魔は、福音砲機に吸い込まれていく。
手記と手帳、小さな押し花を机に供えて祈りと詩を贈る。
全てを捨て、喪った男。最後の最後にほんの小さな人助けをした者へ。
どうか安寧の眠りを。