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夜空の星は煌めいて
登場人物一覧
深い緑のフードを被ったきゐこが通い慣れた燈堂家の中庭を歩く。
燈堂家の中庭は四季折々の花が咲いていて、まるで楽園のようだときゐこは思う。
それはあながち間違ってはいないのかもしれない。
此処は世界から隔絶された夜妖憑きたちの住処なのだから。
本邸の玄関のチャイムを鳴らしてきゐこは戸が開くのを待った。
中から物音がしてガラリと引き戸が開く。
そこに現れたのは燈堂家の番犬たる、黒曜という名の夜妖憑きだ。
元々は人間だった彼に憑いたのは黒い狼の夜妖だったそうだ。
だから耳が四つあるのだと以前教えてくれた。
「おう、悪いなわざわざ来て貰って」
「いいのよ。中庭のお花も見たかったし」
中庭へ振り返ったきゐこのフードが風に煽られ顔が露わになる。
「わ……っと」
慌てたようにフードを被りなおしたきゐこを見つめる黒曜。
「もったい無い」
「また言ってる……いいのよ、周りが見えないぐらいが丁度いいの」
フードの端をぐいと引っ張ったきゐこは、聞き飽きた黒曜の言葉に耳が赤くなるのを感じる。
事ある毎に、黒曜はきゐこの素顔を見たがった。
そして、いつも「もったい無い」と宣うのだ。
「そんなに可愛いのに」
「……っ、またそうやって揶揄うんだから、焼肉奢ってあげないわよ!」
フードの下で染まる頬を隠したきゐこは黒曜の顔を見ないように声を上げる。
この一年。
何度も、何度もこんなやり取りがあった。
最初は本気で揶揄われているのだと思っていた。
フードで顔を隠している「奇妙な奴」に向ける好奇心だと思っていたのだ。
初心であるからこのフードを被っているわけではない。
きゐこの眼に宿る力は「良く無いもの」なのだ。だから極力他人と眼を合わせないようにしている。
悪人であるという自覚はあるし、目的の為には手段を選ばないときゐこは自負している。
けれど、黒曜はそんなきゐこの事情なんてお構いなしに、どんどんテリトリーに侵入してきた。
些細な会話から始まり、焼肉を食べに言ったり、混浴の温泉に一緒に入ったり。
揶揄う口調であるのに、憤慨するような一線は越えてこない。
だから、気付いてしまったのだ。
真剣に好いていてくれているのだと――
大人である黒曜ときゐこは、好きという感情だけで己の立場を変えることは出来ない。
黒曜には燈堂家の番犬として家を護る役目がある。それは何よりも優先されるべきものだ。
きゐことてイレギュラーズであり、元の世界で一度、生涯を終えた身だ。
お互い凝り固まった固定観念を持っているといって差し支えないだろう。
だから、この先へ「進む」ことは難しい。
きっと黒曜だって数年もすれば、他の事へ目を向けてしまうのだ。
それはきゐこの諦念から来るものであり、同時に期待への裏返しの感情でもあった。
進みたくないといえば嘘になる。けれど好意を失うことの怖さは身に染みて知っているから。
「さ、焼肉いくわよ!」
「へいへい。まあ、今日は俺が持つからな……色々教えて貰ってるし」
「あら、私も黒曜から燈堂家のこと沢山教えて貰ってるわよ?」
無限廻廊と繰切の関係性、本家深道との繋がり。
黒曜が知りうる情報はきゐこに伝えていた。
番犬には有るまじき行為ではあるが、きゐこなら大丈夫だと黒曜は判断したのだろう。
燃え上がる恋愛とは程遠い、揺らめく風鈴のようなほのかな想い。
火をつける事は出来ない、秘めたる想いを抱え黒曜はきゐこの隣に立つ。
「力不足って言ってたけど、最近は良い感じじゃない!」
焼肉を食べながらきゐこは黒曜に笑顔を向ける。
「ああ、この前の祓い屋の仕事、手伝って貰った時のか……まあ、スパルタの師匠が居ますので」
黒曜は時々きゐこの戦術を学んでいた。
燈堂とは違う戦い方は黒曜にとって新鮮でやりがいのあるものだった。
「えらいえらい! お姉さんが撫で撫でしちゃろ」
「ああ、もう……袖が焼けるから止めろ。ほら、肉焼けた」
伸ばしたきゐこの手を掴んだ黒曜は片方の手で網から肉を上げる。
「強くはなって来てると自分でも思うけど、やっぱまだ足りないって感じるな」
「なぁに! こちとら力失ってから短い期間でここまで積み上げてる身だわ! 黒曜だって鍛えればいくらでも強くなるわよ!」
あっけらかんと声を張るきゐこに、黒曜は「そうかもな」と頷いた。
きゐこがそう言ってくれるなら、大丈夫だと思えてくるのが不思議だと黒曜は微笑む。
「あー、やっぱ焼肉うめえわ」
「そうでしょ! 悩みなんて肉食えば飛んでくわよ!」
美味しいものを『親しい人』と一緒に食べることは、何よりの栄養になるのだと思い馳せる。
願わくば、もう少しだけこの平穏な日々が続けばいいと思うのだ。
胸に渦巻く不安を掻き消すように、黒曜は肉を頬張った。