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はんこーき
登場人物一覧
燈堂家の本邸には白蛇の夜妖が棲んでいる。
白く輝く長い髪と、遊色に染まる金の瞳。蛇眼と呼ばれるそれを隠すように眼鏡をかけている。
物腰は柔らかで燈堂家の『母』とも呼べる存在。それが白銀だった。
白銀はこの燈堂の地下に奉られている『繰切』の子だ。
責任感の強さから精神崩壊を起こした暁月の暴走を止めた事件があった。
それに伴って繰切の封印が強くなったのを切欠に、リュコスは度々白銀に会いに燈堂家を訪れていた。
「ねえ、白銀。今日のごはんはなに?」
本邸の台所の暖簾を潜ったリュコスは白銀の後ろ姿に声を掛ける。
振り向いた白銀は包丁を置いてリュコスに微笑んだ。
「今日はですね、暁月さんの好きな茄子の揚げ浸しと、照り焼きチキンと、ほうれん草のおひたしと、大根の味噌汁と。おやつに白玉のあんみつがありますよ」
くつくつとコンロに掛けた鍋から出汁の香りが広がる。リュコスはコンロに近づき中を覗き込んだ。
大きなティーパックのようなものが浮いている。
鰹と昆布、それに椎茸の粉末をパックにしたものだと以前聞いた事がある。
これが無いと旨味が出ないらしい。うんと昔は元の素材を使って作っていたけれど、今はこのパックなのだという。便利な世の中になりましたよねと楽しげに笑う白銀をリュコスはよく覚えていた。
美味しい方がいいとリュコスも思う。
忙しそうに料理を作っている背中を見るのがリュコスは好きだった。
台所にあるダイニングチェアに腰掛けて、白銀の後ろ姿を見つめる。
時々、味見として出される小皿はうなる程に美味しいのだ。
リュコスには親が居ない。
だから、美味しいご飯を作ってくれるお母さんのような優しい白銀が大好きだった。
「白銀は、まだはんこーきつづけてる?」
「ええ。続けてますよ」
ふんわりと笑った白銀にリュコスもつられて笑みを浮かべる。
一年前に自ら封印に閉じこもった繰切が出て来た時に、びっくりさせるため『反抗期』を極めようと言い出したのはリュコスだった。されど、きちんとした親が居ないリュコスには『親の言う事に従わない』以外の反抗期が思い浮かばなかったのだ。
うんうんと悩むリュコスを微笑ましく白銀は見つめ。とうとう「わからない」と寝転がったと同時に鳴ったお腹の虫に声を上げて笑ってしまったのだ。
「どんなはんこーきしてるの?」
「そうですね。たまにおやつを持っていくんですけど、たこ焼きとかベビーカステラとか。そういう沢山あるものの一つにからしを入れます」
「すごい! はんこーきだ!」
目を輝かせるリュコスに白銀は話しを続ける。
「まあ、父様は神なので……そのまま食べちゃうんですけど。びっくりはすると思います。
あとは、お土産で貰った高いお酒を飲んで、瓶に水を入れて持って行きます。流石に飲んだら水って気付くので『美味しかったですよ』と言うんです」
「はわ……はんこーき、すごい」
「でも、拗ねちゃうので別に持って来たお酒をあげます」
流石は親子なのだろう。反抗期を実践しながら機嫌の取り方も心得ているとリュコスは感心する。
けれど、反抗期と言いながらも白銀は足繁く繰切の元へ通っているのだろう。
封印の扉の向こうから出てこられない繰切の話し相手として。
リュコスが想定していた『はんこーき』とは違っているけれど、これで良かったのだと思うのだ。
「おい、今日のおやつはまだか……」
暖簾を潜って入ってきた灰色の肌にリュコスはびっくりして飛び上がる。
「えっ! 繰切!? どうして!? ふういんされてるんじゃなかったの?」
椅子から転げ落ちそうになったリュコスは、慌てて繰切の元へ走り込んだ。
分体ですら出てくるのが難しかった彼が此処に居るということは、また封印が綻んでいるということだろうかとリュコスは焦りに満ちた表情を浮かべる。
「何だ、小さいの。来ておったのか。少し闇の力が強まってな。まあ、暁月がどうこうなった訳では無いぞ。これはあれだ。北の大地で何かあったのだろう。その影響が我の所まで来た。それだけだ」
繰切の前身、クロウ・クルァクの故郷ヴィーザルで何かが起っていると言う事だろうか。
リュコスは首を傾げ問いかける。
「それって大丈夫なの?」
「まあ、今のところはどうという事はない。それよりも、おやつ……」
手を差し出す繰切に「ええ……」と脱力したリュコスは、何だか可笑しくなって笑ってしまった。
「白銀……はんこーきする?」
「あ、そうですね。はんこーきしましょうか」
くすりと微笑み会った白銀とリュコスは白玉を冷蔵庫から取り出す。
白銀はみつの代わりに黒酢をかけて、繰切へと差し出した。
「父様。今日のおやつです」
「……みつではないのか?」
「はい! はんこーきですから!」
満面の笑みを浮かべた白銀に溜息を吐いた繰切は一口白玉黒酢掛けを食べる。
それは意外と悪く無い味で。繰切はぺろりと全部頬張ったのだ。