PandoraPartyProject

SS詳細

幼心に、傍らで

登場人物一覧

ショウ(p3n000005)
黒猫の
杜里 ちぐさ(p3p010035)
明日を希う猫又情報屋

 5月22日はちぐさの誕生日だ。「今年はショウと一緒に過ごせたらいいにゃ!」なんて、わくわくとした数日前から見せていたちぐさはユリーカ達にもショウの予定を確認していた。
 どうやら、前日時点では彼の予定は空いているらしい。寧ろ休みを取ったと聞いて俄然、期待が膨らみ続ける。
 もしかすると――?
 そんなことを思いながら、誕生日当日がやって来た。朝を着てから、洗顔や着替えを済ませる。ローレットに行けば彼に会えるだろうか?
 そんなことを思いながら姿見と睨めっこをしていたちぐさの自宅に訪問を知らせるベルが鳴る。ぱちくりと瞬いてから首を捻った。一体誰だろうか。
「はーい」と軽い返事をしてから扉を開けば――

「ショ、ショウ……?」
「やあ。出掛ける予定だったかな?」
 買い物袋を手にしてやってきたショウにちぐさは思わず尾をぴんと立てた。驚いた様子のちぐさを見詰めてからショウは優しく笑う。
 首をぶんぶんと振ったちぐさは早速ショウを家の中へと招き入れてからそわそわと体を揺らして見せた。一体どうして彼が朝早くからやって来たのだろうか。
「ちぐさ、誕生日おめでとう」
「へ」
 ――本当に、本当に期待していた言葉だった。それだけに、呆気なく叶ってしまったことに驚いてしまったというのが正直な話だ。
「あ、ありがとう、にゃ」
 慌てながらも辿々しく紡いだちぐさの頭を撫でてからショウは「出掛ける予定だったならタイミングが悪かったかもしれないけれど、どう?」と問い掛ける。
 勿論、出掛ける予定なんてない。寧ろ、出掛けようかと悩んだ理由が叶ってしまったのだ。ちぐさは「全然、いいにゃ!」と首をぶんぶんと振った。
「ショウに会えると良いなぁって思っていただけにゃ! だ、だから、出掛ける予定もなくって、その……」
「ああ、オレと会いたかったのなら丁度良かったかもしれない。よければランチタイムとディナーまで、一緒に過ごしても良いかい?」
 勿論と前のめりに答えたちぐさへとショウは微笑んだ。早速彼がキッチンに立ったのを追掛ける。持ち込んだのは彼が気に入っているという茶葉だった。
 慣れた様子で紅茶を淹れて、ミルクを用意する。何も聞かずともちぐさが普段からミルクティを口にしていることに気がついていたのだろう。
「砂糖はどうする?」
「あ、じゃあ、今日は一匙……」
 彼が自分のことを知っていてくれたことが嬉しい。過ごした時間で彼は何気なくちぐさの好みを見て居てくれたのだろう。
 お茶請けに用意されていたのは行きつけだというティーサロンで販売されているクッキーだった。少量だけなのはランチを彼が作る予定だからだろう。
 ちぐさはふと、思い出す。そう言えばユリーカがショウは料理をそれなりに出来ると言っていた。幾つかは作ってきた様子ではあるが、此処で一緒に調理するための材料も持ち込んでくれた辺り本格的だ。
 ソファーに腰掛けてから足をぷらぷらと揺らす。至れり尽くせり、と呼ぶべきか。ちぐさにとっての理想の誕生日が叶ってきてしまってうずうずとする。
 彼の気遣いが嬉しくて、彼と共に在る一日をどう過ごすべきなのかと考えて居た自分のプランも全てすっ飛んでいった。
 本当はローレットでショウを見つけ出して、手を繋いで公園にでも行ければ嬉しいかな、なんて考えて居た。ピクニックを思う存分に楽しんで、何処かで買ったランチセットを食べてからごろんと芝生に転がるのだ。初夏の太陽がじりじりと肌を焼けば「暑い」と笑い合うような、そんな一日を夢想していた。
 が――彼からやって来たという事は。
「ショウは、太陽嫌いにゃ?」
「え?」
「……僕が行ったらピクニックに誘われるとおもったにゃ?」
「……お見通しだ。暑いだろう? それに日焼してしまうからね。ああ、でも夏はプールにでも行こうか。ちぐさはどんな水着を着る?」
 ちぐさは考えるように首を捻った。ショウは「オレは黒がいいな」と何時もの如く、黒を纏うつもりだった。勿論サングラスも必須だと笑った彼に「ショウらしいにゃ!」とちぐさは身を乗り出した。
 ランチを作り、紅茶を飲んでのんびりと一日を過ごす。少しばかり陽が陰った頃に「そろそろいこう」とショウはちぐさを連れ立って街へと買い物へと出た。
 慣れた様子で進んだのは洋菓子店だ。注文しておいたというバースディケーキを引き取ってから、酒店では度数の高い酒とショウが好むバーボンウイスキーを購入した。度数が高い酒はちぐさ用らしい。
「え、飲んでいいにゃ?」
「今日は特別な日だからね」
 揶揄い笑ったショウにちぐさは尾をゆらゆらとさせて喜ぶ。幾つか酒のお供を購入してからもう一度ちぐさの自宅へと戻る。
 冷製のコーンポタージュスープとアマトリチャーナ、それからバースディケーキが今日の夕食だ。
 グラスを置いて酒を飲めるようにと準備をしたショウは「さあ、ちぐさ、楽しいディナーにしようか」と微笑んだ。
「わ、本当にいいにゃ?」
「勿論。ちぐさの好きな物は何か考えたんだ。……本当はもっと、洒落たものを用意できればよかったけれどね。キミの好きな料理ももっと知っておけば良かったな」
 ちぐさがミルクティを好むこと。生のタマネギを苦手としている事は普段から共に過ごしているから知れたことだ。
 だが、細かい好物までは把握できていない。その辺りもしっかりと耳にしておけばもっとちぐさを喜ばすことが出来ただろうかとショウは肩を竦めた。
「改めて、誕生日おめでとう、ちぐさ。キミにとってこれからの一年が素晴らしいものになりますように」
「わあ」
 ちぐさはありがとうと微笑んだ。ショウが紙袋から取り出したのは小さなイヤリングだった。猫の耳にもかけやすいようにとアレンジされているそれは彼に良く似合うエメラルドだ。
 ショウ曰く『神秘攻撃力が上がりそう』なエメラルドのイヤリングはシンプルではあるが可愛らしい。ちぐさは「着けてもいいにゃ?」とそわそわとしながら問うた。
「オレが着けても良いかな」
「も、勿論にゃ!」
 うんと背筋を伸ばしたちぐさの耳に触れてからショウは優しい手つきでイヤリングを着ける。小振りなデザインではあるが、耳に飾れば動きとともにゆらりと揺らいでいる。
「良く似合うよ」
「わあ、本当かにゃ?」
 うれしいと頬を緩めたちぐさにショウは頷いた。早速食事をしようと席に着き、他愛もない話をしながらディナーを楽しむ。
 例えば、ユリーカが「休みを取る」と云った時に妙に勘ぐってきたこととか、仕事を終らせて帰るときに「プレゼントは選んだのです?」と只管着いてきたこと。
 そんな楽しげな話をしながら煽る酒は美味しい。思わず頬を緩めたちぐさは「幸せだにゃあ」と微笑んだ。
 酒も料理も美味しくて、目の前には大好きな人が居る。これだけでも嬉しいというのに、イヤリングは片時も外さないで欲しいなんて彼が言うから――それだけで幸せが上限突破していった。おまじないなのだといった。キミが死んでしまう夢を見たと揶揄うように告げた彼は「キミと離れない為のおまじないだよ」と笑うのだ。
 食事を終えて、後片付けを済ませてから酒を呷りながらのんびりと過ごそうとショウは言った。今日は眠るまで一緒だと笑う彼にこの上ない幸福感が募る。
 ああ、本当に。
 本当にずっと此の儘、一緒に居る事が出来たら良いのに。
 そう思っただけで胸の内がもやもやとしてきた。ちぐさは俯いてから、もじもじと身を揺らがせる。
(……欲張りかにゃあ……)
 いっそ、酔っ払ってしまったと嘘を吐いて全ての感情を吐露できればいいのだろうか。それは、自分が楽になるだけだろうか。
 そう、ちぐさには伝えたいことがあった。大切な大切な想いだ。ずっとずっと、仄かに温め続けた思いがそこにはある。
 ……今の時点でもショウはちぐさに優しい。小さな子供だと思われているのか、それとも自分に懐いてくれる猫か。何方でも構わなかった。
 ちぐさはショウよりうんと年上だ。それは実年齢の話で有り、精神性は外見相応の幼さを有している。だからこそ、抱いた感情だった――それを彼に伝える事が恐ろしかったのだ。
(……ショウ、僕は欲張りなのかもしれないにゃ……)
 彼はちぐさにとって優しいパパのような存在だった。ちぐさがパパはこうあるべきだという理想があるわけではない。ただ、傍らで甘えを受け入れて欲しかった。
 父と子という関係性には正確な定義はない。だが、心情だけで言えば繋がりを感じられる尤もたるものだった。
 この気持を伝えて彼とは疎遠になってしまうだろうか。パパと呼んで抱き着けば彼はどんな表情をするのか。
 俯いてしまったちぐさに気付いてからショウはおいでと手招いた。ソファーの隣に座るように促されてからちぐさはどうしようもなくなって仕舞って俯く。
「……ちぐさ? 眠たくなったかい?」
「……んん」
 首を振った。自分の気持ちを伝えたくて堪らなかった。こんなにも胸の内で膨らんだのだ。早く伝えてしまいたい。
 けれど、これだけ幸せな誕生日を過ごせたのだから、有り難うと笑って締めくくりたくもあった。そうじゃないと、これからが――
「……ショウは、今日はどうして来てくれたにゃ……?」
「勿論、ちぐさの誕生日を祝いたかったんだ。オレのことだって何時も祝ったりしてくれるだろう? だから」
「……そっか」
 彼の微笑みに、ちぐさは伝えたい気持ばかりが膨らんでいく。パパ大好きとその胸に飛び込めたら良いのに。
 募り続けた自分の気持ちに戸惑っているのは確かだ。それは恋情ではない、親愛の情であれど一線を越えた親子の絆を欲している。
 怖い。伝えて彼と二度とは笑い合えなくなってしまうのではないかと、そう考えて仕舞う度に、恐ろしい。
「ちぐさ、何か言いたいなら教えてほしい」
「その……」
「大丈夫だよ。オレが聞き出そうとしたんだから、何を云ったってオレのせいだ。それか、酒の所為にしてしまおうか」
 促すショウにちぐさは意を決したように辿々しく、言葉を紡いだ。
「その、僕ね、猫としては凄く長く生きたにゃ。ショウよりうんっと年上で……それで……それで……猫又になってから……」
「そうだね。キミは猫又になった。なら、屹度、ご家族は、それ程長くは生きては居られなかっただろう?」
 こくんとちぐさは頷いた。彼は、ちぐさの境遇をよく理解してくれている。長く生きていくならば取りこぼしたことが多い。
 それは混沌世界に於ける寿命の差という問題にも如実に表れていた。ちぐさはぎゅうと拳を固める。ショウに感じた父性は、ちぐさの甘えだった。
 褒めてほしい、撫でてほしい、甘やかしてほしい――パパと呼ばせてほしい。
「僕、僕ね、ショウの事も大好きにゃ。それで……」
「うん」
「それで、ね……僕、もう寂しいのは嫌で……それで……ショウはずっと優しくって、大好きで……」
 口火を切ってしまえば、もう戻れやしない。怖い。伝えたい、伝えてパパと呼んで抱き締められたい。
 優しい声音でちぐさと呼んで、ずっと傍に居て欲しい。けれど――伝えたことで彼が居なくなって仕舞うことがどうしようもなく、怖い。
「それ、で、……ショウともずっと、ずっと一緒に居たくて……僕、ショウが、好きで……」
 自然に涙が溢れ出した。言葉が纏まらなくて、普段の で居る事だって出来なかった。ただの小さな少年が其処には佇んでいる。
「パパ……って、思ってて……ショウと、親子になれたらいいのに、僕……っ、僕、ショウのこと、パパって呼びたいんだよ、けど……」
 俯いて涙を零す。ああ、止らない。今、ショウがどんな表情をしているのかも分からない。
 ひょっとして拒絶されるのだろうか。何も言わない彼の顔を見ることが恐ろしくて堪らない。ただのになってしまってからちぐさはどうしようもなく涙をこぼした。
「僕……ショウとずっと一緒が良いの。ショウがパパだったら嬉しいんだよ、けど――」
「ちぐさ」
 ぴた、とちぐさは言葉を止めた。沈黙に耐えられなくって、何度も繰返した言葉が堰き止められる。唇が僅かに震えてから、泣き腫らした瞳でショウを見た。
「オレにとっても、キミは特別だ。とても大切な友人だとそう思っている」
 ――ああ、駄目だったかな。
 ちぐさはぎゅうと膝の上で固めた拳に力を込めた。
「……キミの父親になる、には自信が無い。オレはね、獣種なんだ。だから、何れ寿命がやってくる。それも、うんと長くは生きていられない。
 キミは屹度、オレより長く生きて行くし、オレを看取らなくちゃならない時が来るかも知れない。キミは屹度泣いてしまうだろう?
 もしも、キミにそれを赦して仕舞えば、オレはキミに苦しみを与えなくっちゃならない。それを理解しているなら……どれ程に恐ろしいだろうね」
 頬に残った涙を掬い上げてからショウはちぐさを抱き上げた。膝の上に載せられてあやすように肩口に引き寄せられる。背を、とんとんと叩かれてからちぐさは黙って聞いていた。
 確かに、そうなのかもしれない。ちぐさはパパとママを見送った。20年余という猫にしては永い寿命を過ごして、猫又になってから家族がどうなったのかなど聞かずとも理解出来る。
 ショウは長命の種族ではない。寿命を全うして行くだろう。ちぐさとショウの間には生命の長さという不安定すぎる差が存在していた。
「……キミを泣かせたくはないんだ。これ以上、キミの特別になってしまったら、オレは何時キミを泣かせてしまうのかと不安になってしまう」
「け、けど……」
「キミのパパになったら、屹度オレは後悔するよ。オレが死んで行く所を、幼いままのキミに見せることになる。それ程恐ろしいことはない」
 抱き締められてからちぐさは震えた。ああ、きっとそれは何れだけ恐ろしいのだろう。彼を置いて死ぬ事も、彼に置いて逝かれることも。何方も恐ろしい。
 それでも、命には永遠はない。いつかは終わりが来るものだとちぐさだって知っていた。生きてきたその道に、死の香りは存在したからだ。
「……キミの気持ちはちゃんと理解しているよ。オレだって、キミが大切だからね。ちぐさ、元気で優しいオレの友人」
 ちぐさは優しいその声音にぼろぼろと涙を流した。愛おしいひと。安心する薫り。ちぐさにとっての陽だまりのような、心を温めてくれるひと。
 彼は優しいからこそ、これ以上はちぐさの柔らかい部分に踏み入る事は出来なかったのだろうか。抱き締めてくれる腕に力が込められる。
「けれど、キミがそれでもいいというなら――」
 囁かれた言葉に目を見開いた。置いて逝かれることにキミが納得できるなら、オレは。
 そう続いた言葉にちぐさは応えられないまま肩口にぐりぐりと額を押し付けた。曖昧なままの関係性でも、まだ――ゆっくりと訪れた眠気に任せるように瞼を降ろした。

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